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命を継ぐ者。 〜 Inherit the Life. 〜  作者: すにた
第八章 それぞれのフロンティア。
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墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜20

 タイ王国バンコク都とパトムターニー県の境界線付近に位置するドンムアン地区(เขต)


 戦域(前線を)である(圧し留める)ラオス北部からは、精神的には遠く遠く離れている。だが、物理的には意外とそうでもない。


 それは、愛し合う二人にとって、長大な距離など精神的には、何の障害にもならないと言う通説と同様に壮大な話であろうか?


 真実の愛の前には、物理的な距離が如何ほどに重積して巨大な壁となろうとも、何の障害にもならないと言う思想の有効性を示す逸話なのだろうか?


 んな訳ない。ドンムアン国際空港がタイ王国の唯一の首都空港であった頃から、空港ターミナル内で、涙を流し合う欧米人バックパッカーとタイ人女性と言う光景を腐るほど眺めさせられたものだ(何故か、逆の組み合わせは見掛けなかった)。


 似たり寄ったりの、それでもそれぞれが独立した個別のロマンスだ。決して一緒くたに扱わずに、出来る限り優しく見守ることこそが部外者の努めである。


 水掛祭り(ソンクラーン)の後など、欧州人バックパッカーが水の十字砲火に容赦なく曝される「死線」を共にした水鉄砲をタイ人女性に、いたるところで(・・・・・・・)手渡していた。


 ーーーお馴染みの光景があちらこちらで観察出来たのだ。


 まるで、「ボクの身替わりとして、この水鉄砲と日々を強く(すこ)やか暮らして欲しい。ボクはすぐにタイへ戻って来る。少しだけ待っていてくれ」と、欧州人バックパッカーは、真剣に英語やそれぞれの言語で説得してる。一方、女の方はタイ語で(・・・・)応えて頷く・・・かの様。


 言葉は通じていない。しかし心は通じている。じゃ、どうやって出会ったんだ? 些細な事は気にするな。愛のお花畑を前にして、それを問うのは野暮だ。ナンセンスだ。


 いや。違う違う。そこに、たくさんの二人達の間で生じて共有されたのは、理想という思想を形作る幻想である。多様性と個性が豊かな幻想である。しかし、それ(・・)は幻想でも幻実ではなく現実だった。だから、愛の花が咲く様な甘ったるい何か(・・)ではありなかった。


 その日、極めて当然な事実を万人に向けて周知(啓蒙)する為には、最適としか得ない大事件が起こった。


 タイ王国臣民は、それによって、今までとは一変する、真新しい常識を強制的に脳味噌に叩き込まれる(インストールされる)事となる。


 敵勢力が長距離射程兵器を保有する場合、どれほどに努力を怠らなかったとしても、完全な安全圏内を自国内に作り上げる事は出来ない。


 もちろん、一方的にではなく、双方が同じリスクを抱えている。長距離射程兵器や中距離射程兵器の様な、その手の「超兵器」と言うものは、どちらか片一方だけが持っていると言う例は少ない。


 タイ王国の場合、それは友軍からの供与を受けたり、対外有償軍事援助(FMS)で買い上げる事も出来た。だが貧富の差が生じていた結果、それでも保有数の差は歴然であり、打ち合いになれば人民共和国の打撃力に圧され負ける事は避け様がなかった(人民共和国(非営利組織)民主主義国家群(営利組織)の間には、生産力の格差も同時に存在していた模様)。


 そうでありながら、今の所、まだ、タイの国土に中距離射程兵器の攻撃による被害が及んでなかったのは、ただ、人民共和国を所有する(・・・・)偉大なる党が、何かと面倒臭い国内・国外向けの政治的な事情を豊富に抱えて、行動の自由を発揮出来なかったからだ。


 最初の一発でタイ王国を撲る決意が出来ず、決断を下せず、権力者による決済が降りないが為に、保有している兵器をなかなか正しく運用出来ない=使用に踏み切れないだけだった。


 それは恒久的な安全を意味せず、「今のところはまだ着弾していない」と言うモラトリアム期間中であるに過ぎない。つまり、いつかは、必ず(・・)中/長距離射程兵器は使用され、タイ王国の国土へ着弾する。それが運命である。


 その運命の時が今ではないだけ。しかし、明日になれば、それが今日だと知る事になるのかも知れない。


 ドンムアン国際空港/空軍基地は、対ラオス戦線を支えるもっとも後方且つ巨大な支援インフラである。人民共和国が本気になれば、そこ(・・)を叩かないはずはない。そして、人民解放軍は、ドンムアン国際空港/空軍基地を余裕で射程に捉える兵器を多数取りそろえている。


 その時になって、タイ王国バンコク都都民の大多数は、歴史上初めて、肌で感じる恐怖に曝されていた。


 通常の場合、一般的な国家や組織であれば、色々な事情があって(・・・・・・・・・)、いや、ある筈なので(・・・・・・)、一つの国家を無断・無許可で跨いだ(挟んだ)長距離弾道攻撃と言うものは、大変に珍しい(※)。


 そう頻繁に起こる事件ではない。誰もがそう考える。


 しかし、それは、敵勢力が自分達と比較的近い価値観を持ち合わせている、或いは、近しい概念を共有している事が大前提となる。


 ーーー短距離弾道弾攻撃で全滅させられたナム・ウゥー水力発電所・配備部隊。


 敵勢力内に長く取り残されていた、せいぜい小銃しか持ち合わせない、事実上の歩兵部隊を即時殲滅する為にラオスの一部地形を変化させる程の打撃力を用いた。


 部屋に入り込んだ一匹の蚊を始末するのに、家一軒を丸ごと全焼させる等しいオーバー・キル。


 王国臣民は、自分達が敵対している国家・組織が、そんな大それた事を敢行出来る程にぶっ飛んだ行動方針(激しく異なる文化)を持っていると納得させられた。


 その事実は、タイ王国バンコク都都民のほぼ全員を戦慄させた。いや、タイ王国バンコク都都民から人民共和国に対するあらゆる信頼や親愛を忘れさせた。


 ーーー彼等が保有する中距離弾兵器が、自分達の住む街へ向けて、予告もなしに、この瞬間にでも離床しているかも知れない。


 自分や家族や親しい人々が傷を負ったり、資産を奪われる可能性に曝されれば、余程の変人や主義者でもない限りは、好意を抱き続けられないのは当然である。


 ーーー至近距離からの暴力を用いた効果的な強制行為と無縁でありさえすれば。


 または、経済的虐待(B.R.I.)洗脳・教化(ブレインウオッシュ)などのイニシエーションを体験していなければ、だが。


 独裁政権や独裁国家とは、他の形態の社会からは予想も出来ない(エキセントリックな)行動を取りがちである単純で当然な事実を、タイ王国王国民は世代を超えて思い出したのだ。


 タイ王国には、客観的には、ややデリケートな国内問題がある。


 タイ王国には、今そこにある危機を引き起こしている人民共和国にルーツを持つ国籍保持者が大量に存在する。しかも、同国の経済界の大物は、ほとんどがそのルーツの持ち主で占められていた。


 いわゆる富裕層の多くが、人民共和国に遠い親類を持ち合わせていた。


 とても一般的且つ普遍的な傾向では、社会の不安定化が長引くと、この手のいちゃもんを付けられ易い立場にある、しかも一般人よりも裕福な少数グループ=マイノリティーは・・・必ずと言って良い程に不満の捌け口(スケープ・ゴート)にされ、最終的には情け容赦の無い攻撃対象となる。


 生じ易い、起こり易いとかではなく、問題期間が長引いてしまえば、遅かれ速かれ発生する暴力である。


 飽くまで、何時発生するかのタイミングの問題である。


 社会に根付いた普段は見えなくなっている嫉妬は恐い。機会を得ると即座にあからさまになってしまう。


 しかも、嫉妬心は極めて可燃性が高い。一旦でも火が着いてしまうと本当に大変だ。全て、例えば嫉妬に取り付かれた人々をも燃やし尽くすまで収まらない。


 そして、燃え後に残った少量の灰の中からは、フェニックスではなく大量の後悔しか見付からない。


 その日の未明、バンコク都にあるヤワラー通り界隈では、早朝のTVニュースや新聞が配られる前に、住民の個別の意思でたくさんのタイ王国国旗が半旗状態で揚げられた。


 この地区の住民は、すでにタイ語と英語しか話せない、人民共和国にルーツを持つ人々が多かった(母国語を喪失した彼等の海外居住民と言う特殊な存在は、タイ王国くらいでしか見られない)。とは言え、彼等は身の危険を感じて、自衛の為に半旗を掲げた訳ではなかった。ただ、自分達が「あの人達とは違う」と主張したかっただけなのだ。


 半旗を掲げた人々は、自分達のルーツから掻き消す事の出来ない、一種の嫌悪感に激しく苛まれていた。


 普通の国家であれば、ヤワラー界隈の人々が嫌悪や排除の対象となるのは避けられなかっただろう。


 しかし、意外にも。ヤワラー界隈の内と外に住む両方の人々は、共に等しく、自国内に敵性社会が存在しているとは考えなかった。いや、そのアイデアを思い付きすらしなかった。


 だから、商業エリアとして名高いヤワラー界隈の営みは、その日も、その後も、何一つ変わらなかった。


 これがタイ王国が抱える社会の不思議な点である。隣国の国民からは想像も出来ない「変さ」である。


 移民を自国民として、完全に取り込んでしまう良くも悪くも底なしの泥沼の様な社会構造あってこそ。


 元移民も受け入れ側も、しばらくすると自然な形で有形無形で溶け合って、先住民主導で上手に共同体を作り上げてしまう。


 しかも、それでいて、先住民と移民が互いに最低限でしか干渉し合わない形で、ある程度の自立性あるコミュニティー同士と言う関係に落ち着く。そして、王国に暮らす住民の要として、タイ王国国王が、全ての民族と宗教のパトロンであると、繰り返し(・・・・)宣言し続ける(・・・)事が伝統となって久しい。


 ーーーどこがどう違って、他国とは明らかに異なる結果をもたらす不思議な習慣を獲得出来たのかは、さっぱり分からないが。しかし、それが上手く(サステナブルに)回るのだ。


 この結果と経過を観測した後では、彼等の社会は、一般的で且つ普遍的な国家群とは、やはり、多民族で溢れる王国を取り巻いている文化その物が、他の東南アジア国家の有り様とは根本的に違うとしか評価し様がない。


 例えば、1990年代に起こったアジア通貨危機時。タイ王国では国民が一丸となって小さな騒ぎを立て続けに起こした。だが、その一方で、特定のグループを攻撃する事はなかった(当時の首相(チャワリット氏)の親族が、タイ・バーツの対合衆国ドル切り下げ直前に、密かに大量のバーツを外貨へと両替していた点は大いに叩かれたが)。


 一方、インドネシア共和国では、人民共和国にルーツを持つグループが、特に婦女子も含めて、なろうサイトでは「残虐描写あり」と分類を再設定する必要がある程に苛烈な被害に遭遇した(加害者はきれいさっぱり忘れただろうが、被害者の方は今でも過去の被害を忘れず本気の自衛に努めている。とても精力的に)。


 その、良い意味で変な国家の首都。その北側の(はし)に在るドンムアン空軍基地。


 前線から精神的には遙か後方、物理的には案外そうでもない、ここでもでは半旗が掲げられている。


 朝間ナヲミやアリンタラートのパイロット達が、基地内の待機室でTVを眺めている。タイ王国を含めた世界の多くは、国際情勢に気を配る余裕のある人々に限られるが、逃亡中の難民状態だった、ほんとんど丸腰の歩兵相手に大量の弾道弾が使用された事にショックを受けていた。


 合衆国や欧州の民間企業が保有する地球観測衛星が撮影した多数の写真が、TVや新聞だけでなく、ネット上で共有されていた。


 石灰質多目の山岳地帯が瓦礫の山と化していた。数時間が経過したにも掛からず、土煙が大量に上げられて、レーザーによる測量が出来ない程に不鮮明な画像でしかなかった。だが、それだけに、加えられた打撃の規模の巨大さが素人にも容易に想像出来た。


 世界の意識が少し高めの人々の間で、ラオス北部で何が起こったのかが知れ渡った頃。


 ーーーおそらく、それを見計らっていたのだろう。


 人民解放軍が全世界に向けて、大きな発表を行った。


「たった20人程度をゴミ虫を殲滅する為であっても、大規模・大質量兵器の使用を躊躇わない」と言う主旨が繰り替えし述べられた。


 哀悼の意を示したりする事はなく、それが大きな成果であると、報道官が口から唾を飛ばしながら人民解放軍の栄光と共産主義の推敲さを誇る言葉の乱打を続けた(で死屍に鞭を打った)


 それを悟っていた世界の意識が少し高めの人々の間で、もう一度新たに衝撃が巡った。


 ーーーこいつら、オレ達とは違う(・・・・・・・)んだ。


 何と、人民解放軍は、自分達が行った過剰攻撃を全く以て恥じてはいなかったのだ。それどころか、「こんな事が出来る自分達は凄い」ので、「世界はこの快挙を成し遂げた自分達を正当に高評価して然るべき」と主張していると悟ってしまったのだ。


 それまで、社会的に寂しい想いを重ねても、世間に対して誇るべき高学歴の保持している、やや不思議な人達は、振り返ってみると何故か自分の青春の圧倒的に足りなかった何かにコンプレックスを抱き、それらを何とか埋め合わせる為か、何故か・・・人民解放軍を強く支持する気持ちで満たされていた。


 弾道弾は、俗に「進歩的」とか「開明的」とか「リベラル」を自認する人達は、心の防壁までも貫き、破壊してしまったのだ。


 だから、極めて共産主義や共産主義者が作る社会主義国家へ対して極めて忠実な支持者であった彼等も、心情ではどうだか知らないか、この一件を目撃した直後に振る舞いだけは確実に日和見った。一心に口を閉ざして、心の支えとしていた革命勢力に対する積極的な支持表明を差し控えた。


 それは、しっかりとした教育を施され、同時に風見鶏的な彼等の本能が、次のビジネスや生き甲斐を改めて探すべきだと強く警告していたからだった(ただし、上級(・・)な彼等と違って、時流を読む知性や胆力を共に持ち合わせていない大量の下っ端達は、その限りでないが)。


 ここで、人民共和国は民主主義国家群からだけでなく、独裁主義国家群の中でも際だった存在となりつつあった。平たく言えば、地球の表面にしがみついてる国々多く=全世界が巨大な力を誇る人民共和国から孤立し始めたのだ。


 これは人民共和国にとっては危険な事である。全世界から憎まれる、嫌われる、怖れられるではない。それならば大した問題にはならない。ネガティブであろうとポジティブであろうと、全世界に向けて強い印象を与える事は積極的に採るべき戦略である。


 しかし、全世界は、そうではなく、人民共和国から距離を、物理的なものだけでなく精神的なものまで含めて、出来るだけ長大に確保したいと願ってしまった。これは没交渉を望んでいる事に他ならない。国家同士だけでなく、個人同士の間でも、「もう結構です」とか「大丈夫ですから。本当に大丈夫ですから。本当にもういいんです」と、接触や交流を一切お断りになられる方向での孤立である。


 だが、自国を「世界の中心に常に居るスーパースター」であると信じて止まない人民共和国には、事の重大さが全く分からなかった。むしろ、今後は、広い世界が自分達を今まで以上に崇める様に変わるだろうと期待・誤認していた。


 全世界が、自分たちの実力を知って阿って来るだろうとか、表現して見せた力の強さに憧れてくれるだろうと盛況が及ぼす結果を見積もっていたのだ。


 ーーー自国なしでは全世界が回らない。自国なしでは全人類の未来はない。誰だってそんな事くらい分かっている。


 ーーー数多(あまた)ある発展途上国達は、漏れなく自国によるリーダーシップの発揮を求めている。


 人民共和国とその他、双方の認識は完全にズレていた。


 文化や文明に多様性が許されるなら、認識にもそれが許されて然るべきだ。しかし、余りに拡大呵責を進めるのは良くない。それは、その先の展開が大っぴらに許される世界は、きっと、「泥棒にも三分の理」が普遍的に受け入れられる「包容力の強すぎる世界」へと変わってしまうからだ。


 もし、そんな世界がすでに地上に実在するなら、きっとそこでは法治と言う概念が崩壊し、代わりにヒャッパー!! 的な自由で満たされている筈だ。


 だが、人民共和国が願う様な「包容力の強い世界」は、21世紀の地球の一般的な方の(・・)観念に照らし合わせると、どちらかと言えば中世欧州的なファンタジー要素が強すぎる。


 そして、今後も、22世紀になっても、その特殊な願いが観念的に一般化する可能性はとても低いだろう。何故なら、今世紀の社会では、どちらかと言えばだが、自分の身や家族の安全を守る為であれば、「多用性など糞食らえ」と言う、実に野蛮で粗野で粗暴で未開で、暴力の多()性を体現して止まない実に人間味豊かな人々に満ちあふれている。


 ここで言う、野蛮で粗野で粗暴で未開とは、ハデなカツラが良く似合う思想家「ジャン=ジャック・ルソー」にとっての、礼節や社交性の理念を否定・批判し、粗野や質朴といったまったく逆方向の価値観を体現して見せる事で、自分の有り様(エトス)の演出を試みたアレとは違う。


 演出抜きの、自然的に発露する嫌悪感を肯定出来る自由さである。


 そして、今回の「不合理」に対して大きな興味をそそられる知性が人知れず(新たに)誕生していた。


 それらは、ドンムアン空軍基地で大規模整備を受けている三菱・F-3Eに搭載されている、五つの人工自律(・・)知性達だった。


 道徳も、必然性も、ヒューマニズムも持ち合わせていない彼等ではある。人間の願い、或いは希望、いや、夢とも言って差し支えない、生物が世界へ干渉を試みる動機と言う要素・要因とは無縁であり、自由であったが故に、その「不合理」としか思えない事象であっても、筋の通る「合理性」を見出せる事に気付いた。


 この事象は、機械が生物の立場に立って考え直してみると言う、想定外の方向に可能性(多様性)の幅が広がる余地がある事を示唆していた。


※= 湾岸戦争時にイラク軍によるイスラエルへ向けた攻撃(当時、イスラエルはイラクにとっての交戦国ではなかった筈なのだが・・・)や、つい先日のイランによるイスラエル攻撃では、第三国の上空を通過させた弾道弾よる攻撃が行われた様だが。

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