墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜18
タイ王国にとっての田舎の代名詞である東北部。
ケーンと言う、金管楽器でなく、木管楽器の一派とされる竹細工の伝統的な管楽器である。日本の雅楽で使用される笙と同様に、合竹である。
そのケーンで演奏される、演歌っぽくも心に染みる音楽であるルゥークトゥンやモーラムがもっとも支持される文化を持つエリアでもある。
ただし、そこは統一された価値観が支配する地域ではない。東北部の南部から東部はカンボジア系、東部から北部はラオス系、北部から西部ではミャンマー系と民主共和国系などの人種が集まっている。それでいて、完全な線引きは存在せず、モザイク状に分布している場合も多々ある。
この地域で共通している文化は、せいぜい、現金収入に乏しいと言う事くらいだろう(餓えとは無縁ではありながら)。
19世紀にフランスが得意とする川を遡る砲艦外交をタイ王国に仕掛ける以前ならば、この緩やかな文化的連帯を持つエリアは現在の国境線が引かれているメコン川を越えて、遙か遠くにある雲南の地まで広がっていた。
だが、不幸にも、それらの、メコン川の対岸の文化圏がフランス領インドシナに強制的に組み込まれた時、後にラオス戦争と呼ばれる戦いが起こることは運命付けられていたのかも知れない。回避不能、と言う意味合いで。
メコン川のこちら側、県(แจ้งวัฒนะ=ジャンワット)が分割される以前はメコン川に接していたウドーン・ターニー県にあるウドーン・ターニー空軍基地では、日本国を代表する民間軍事会社の幹部が二人顔を突き合わせている。
「奇策だけに頼るのも、そろそろ限界だな」
「むしろ、奇策だけで善くぞここまで乗り切ったと言うところでしょう」
「これまでは本当に運が良かった。幸運が続き過ぎた。しかし、今後もこれまでの様に運だけに頼り続けるのは、あまりに危険過ぎる。危ない橋を渡ってこれまで積み上げた戦果を丸ごと失うどころか、足を掬われて戦局を逆転され兼ねない」
「引き際を見誤ると、本当に痛い目を見ますよ」
「流石に四匹目のドジョウは釣れないだろうしなあ」
「では、そろそろ正攻法に切り替えますか」
「ああ。その様に総司令部にプレッシャーを掛けるつもりだ」
ネモト陸将補と朝間ナヲミ三等空佐が、作戦井戸端会議を開いている。
奇策とは、多数のカービンアサルト・ライフルを束ねて急拵えした「地対空軽量砲架兵器」とモン族の山岳兵を組み合わせて運用した作戦のことだ。
ネモト陸将補の提案に由来し、想像以上に上手く事が運び過ぎた。それが為に、ラオス・タイ連合国軍がこの「邪道」の継続に対して前のめりになっている気配を二人は懸念していたのだ。
過去に行われたウクライナ戦争に元ネタを求められる「地対空軽量砲架兵器」。
それをネモト陸将補が思い出した事が始まりだった。また、威力や射程も短い突撃銃であっても、近距離にまで引き付けて多数で連射すれば、ヴェトナム戦争当時の大型戦闘機でも撃墜出来る事は、東南アジアの軍隊の幹部であれば周知の事実だった。
ラオス・タイ連合国軍の状況は、無い、ない、ナイだった。
中心となっているタイ王国軍は、元来、自国と同程度の規模の国家の軍隊を仮想敵として設計された組織である。人民解放軍の様な大規模軍隊を撃退させる規模の兵器は持ち合わせている筈もない。
武器弾薬の備蓄事態は隣国の軍隊相手であれば過剰とは言えないまでも、十分な量を確保出来ていた。しかし、怒濤の如く押し寄せて来る人民解放軍相手では、隣国から次々と援助物資が届けられながらも、すぐに底を突いてしまったのも当然である。
次から次へと繰り返される、怒濤と言うより破格の攻勢によって自らの底が突き破れる前に、ラオス・タイ連合国軍は一旦後方に下がり体制を立て直す必要に駆られた。そして、体制を立て直すまでに時間稼ぎを押し付けられたのが、民間軍事会社のアリンタラート、田原航空警備保障、御殿場陸上警備保障、複数のモン族の戦闘組織だった。
「ラオス・タイ連合国軍に復帰の兆しありですか?」
朝間ナヲミが、盗電波対策の為にプリント・アウトされた書類をめくって修理・調整作業を終えてロールアウトされた兵器のリストを探している。生身であれば、指を口に突っ込んで適度に湿らせて景気よく紙を捲れるの。だが、擬体の義指では微妙な違いがあるせいか、一枚一枚めくっていくだけで不具合が生じる。
普段は電子的な検索一発で済む作業を、20世紀のオフィスワーカーの様な手法でチンタラを行う事を強要させる。朝間ナヲミは、この不条理に対して苛ついて来た。
「ヘリ強襲部隊とグリペンの航空部隊がそれぞれ一戦闘単位。それから、援助で到着した高度な地対空ミサイルの砲兵隊への運用教育が終了」
「それだけですか?」
朝間ナヲミは、空を、ではなく会議室の天井を仰いだ。嘆きを着させるべき相手はネモト陸将補でなく、天の居るとか言われる全知全能の誰かであると知っていたからだ。
「無いよりはマシだ」
「そろそろモン族の山岳兵達も疲労が貯まっている筈です。ミスを連発する前に、出来るだけ早いタイミングで一度後方に下げてやらないと・・・」
「しかし、ラオス北部で彼等と同等の機動力を持つ部隊はラオスにもタイにも存在しないからなあ」
ネモト陸将補は、まるで中間管理職のオヤジの様に、現実と理想の間に強く挟まれてペシャンコに潰されそうだった。いっそ、ドゥクパ王国やインド共和国が歴戦の山岳兵をひとまとめにして義勇兵として送り出してくれないものかと考えた。しかし、ヒマラヤとラオス北部では、同じ山岳地平でもその様相は全く異なる。装備一つ取っても、総入れ替えする必要がある。
更に、ラオスに適応させる為の訓練期間も必須だ。そうなると、このままモン族の山岳兵達に頼り切る方が、理想からは程遠いが現実には余程近いと納得するしかなくなる。
「ーーー!!」
「どうした? 三佐」
「早期警戒機から警告。人民解放軍・空軍がたった今領空侵犯しました。ウチの息子達の保安装置を全解除します」
「追認する」
朝間ナヲミは、ダメ元で上役にお強請りをしてみた。
「では、こちら側もあっち側へ入っても良いですか?」
ネモト陸将補は、渋い表情で首を横に振った。
「不許可」
朝間ナヲミは、残念そうに配下の無人自律戦闘機に支持を伝える。
「了解。四郎、五郎、聞こえたわね。ラオス領空で対処しなさい。詳細は任せます。こっちでモニターしてるから、私にホールドされない様に上手にやりなさい」
二機の無人自律戦闘機からは、即時と言うには0.03秒ほど遅れて受領信号が戻された。人工知性には、すでにモチベーションやリラクタントと言うレスポンスが芽生えている。特に、四郎と名付けられた個体にはその傾向が顕著だった。
だが、この分かり切った個性の差を、朝間ナヲミ以外のオペレーターや開発者は認める事が出来なかった。朝間ナヲミは、それをとても残念と感じていた。そして、上層部では朝間ナヲミのこの認識を、「荒唐無稽」と問題視する場合もあった。
「状況は?」
「J-20。いつもの二機編隊です」
「飽和攻撃には程遠い規模だな」
「国境の向こうにはJ-20を100機以上を用意しているみたいですが、それらを同時に戦場へ送り出す運用能力はなさそうです」
「指揮能力か? 整備能力か? パイロットの問題?」
朝間ナヲミは、空中に主観的に表示させた仮想パネルで詳細を確認しながら、更に補足的な指示を与える。出来るだけモチベーションを落とさないようにと気を配りながら。
「その全てかと。先日に改修したJ-20の破片で・・・リベットが割れているものがありました」
「どういう事だ?」
ネモト陸将補は、まだ自分の所まで上がってきていない情報に食い付いた。
「アルミ合金製のリベットに熱を加えていない様です」
朝間ナヲミは、仕入れた情報を右から左へと何の加工もせずに流した。
「わからんな」
「おそらく、現場だかどこかで時効硬化を理解していないのではないかと」
ネモト陸将補は、川崎・XC-2の尾翼部に使用した合衆国製の留め金の事例に思い当たった。
「ただ、圧縮して止めてあるだけなのか?」
「富士見重工から派遣されている"お達者倶楽部"の見立てはそうなります」
朝間ナヲミは、横を向いたまま頷いて見せた。
「人民共和国製の航空機はカーボン素材が荒いとか聞いていたが・・・」
「一握りの上澄みは実に良く勉強していますが、それ以外の層では時効硬化を理解するほどの教育を受けていないのではありませんか?」
「旧ソ連の農民上がりの軍人や工兵みたいなものか?」
ネモト陸将補は、第二次世界大戦末期、栄光ある解放者達がドイツの占領地から、何故か水道の蛇口を「魔法の給水器」と勘違いして、根刮ぎ奪ったと言う逸話を思い出した。
「おそらく、そう言う事ではないかと。エンジン寿命が設定値よりも大変に短い理由もそのあたりに求められそうです」
「こちらとしては助かるが、なかなか世知辛いな」
「J-20が引き返して行った様です。アリンタラートが警報レベルを下げました」
「ピンポン・ダッシュか」
「モン族の山岳兵達の御陰で、パイロット達の戦闘意欲をだいぶ下げる事が出来た様です」
「激励の意味を込めて、偉大な戦士達にビールをケースで送っておくよ」
「あ、代金は私も半分持ちます」
「助かる」
「お互い様です」
จ= จังหวัดのこの子音、CHとするかJとするか悩む。発音的にはCH(TY)だと思うんだけど、日本語のメディアではJとしている。この物語に登場するキャラの名称として採用している名前の「ヂェーン」のヂの子音はจ。アルファベットで表記するとJANGになるから悩む。しかも、「ヂェーン」の最後のンは正確には「NG」の母音が当てられている。「A」はエー、母音的には発音は「EE」だし。色々な場面で日本語にはそれらに相当する子音が存在しないので、字面を良くする為にン(N)で統一している。昔の日本人友人のタイ人嫁が言っていた。「ウチの旦那は私の名前も正しく発音出来ない。そして、その事実を何年経っても理解出来ない」と愚痴っていたのを思い出した。




