墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜8
早朝。
ラオス北部の山岳地帯のど真ん中。
まあ、ラオス北部はどこに行っても山岳地帯しか見当たらないが。
山間の狭い土地に散らばるように点在する街と集落、いや、小さな盆地や狭い平野を繋ぐ、峡谷(※1)の底部や底を流れる河川沿いに国道で通せん坊をするかの様に、南北に伸びて尾根を連ねる巨大壁が伸びている。
通せん坊をしているのがトー山脈。
通せん坊をされているのがラオス国道13号線。
周辺に点在する街が「ウドムサイ」である。
「ウドムサイ」は、ラオス最北部の一角であるウドムサイ県の県庁所在地でもある。
ラオス政府にとって最重要な幹線である、ラオス国道13号線を使って「ウドムサイ」を目指すには、トー山脈と言う峠だが隙間(※1)を超えるか通過する必要がある。
トー山脈の尾根の最大標高は1千,600mを超える。ラオス領内でもかなり高い部類の山脈である。
ラオス国道13号線は、その馬鹿に高い山脈に奇跡的に開けた隙間を抜ける形で施設されている。
隙間と言っても尾根と比べれば低いと言うだけだ。周辺にある比較的低い場所の標高は1千,000m。ラオス国道13号線は、その特定の標高の地点同士を繋ぐ様に施設されている。
隙間の場所、回廊とでも言った方が早い峠の標高は1千,200mだ。ラオス国道13号線を通行する車両はかなり短い距離の間に200mもの標高を昇らなければならない。荷物を満載した大型トラックは、上り道では、アクセル全開にしているにも関わらず欠伸が出るような速度までか加速しない(※2)。
先にも述べた通り、その尾根に出来た隙間を抜けない限り、ラオス的には紛うこと無く大都市である「ウドムサイ」へは辿り着けない。
そして、隙間に施設されたラオス国道13号線を抜ける全ての車両は、トー山脈の尾根から見下ろせる。視界を遮るものは何一つない。一方で、ラオス国道13号線を抜ける全ての車両からは、見上げても遠近法的な死角となるので尾根の上の状態は窺い知れない。
圧倒的な不平等がそこにある。上から下は良く見えるが、下から上は良く見えない。
どうして、「ウドムサイ」へ辿り着かなくてはならないのか。ウドムサイの北の街外れには、ラオス最々北部へと通じるラオス国道13号線とラオス国道2号東線の分岐点があるからだ。更に、短距離滑走路を擁する空港まである。人も物もまずは「ウドムサイ」へ着かなければ、どこへも行けない。
交通の要所とは、どこでもその様なものである。
しかも、今は戦時。物流と言う日常用語は、兵站と言う専門用語へと置き換えられる。
ラオスへ侵攻中の人民解放軍は、ほぼ全てがボーデンと言う国境の街をラオスへの入り口としてやって来る。侵略軍を閉め出すには、その流入口を固い蓋で閉じる必要がある。そして、固い蓋で閉じる為にはボーデンでまで辿り着く必要がある。だが、ボーデンとそこへ至る道は、今のところ人民解放軍に完全に占領されている。
ボーデンとそこへ至る道を手中に取り戻す為には、その手前、人民解放軍に占領されている「ウドムサイ」を取り戻す必要がある。
だが、折角獲得した新領土を守り抜くために、人民解放軍は完全武装して待ち構えている。困っているラオスに対して、自らの行いを恥じて「ウドムサイ」を返却してくれるつもりは全くないのだ。これは、「即時」に限らず言う意味ではなく、「永遠」に返却するつもりがないと言う意味である。
人民解放軍に対して、言葉による交渉とは、武力で屈服させた後でないと意味を持たない。平和を愛する人々もこの辺りを良く分かっている。彼等は、言葉で攻撃しても殴り返さない政府や軍隊だけを口撃する。本気で殴り返してい来る政府や軍隊を前にすると口を噤む。更に、殴り返す余力を失っているラオスに対して、平和の敵だと囃し立てたり、弾劾を始めたりする。
しかし、分を弁えた平和を愛する人々は、分を弁えない人々の群よりは余程好ましい。何故なら、反社会主義者であろうがなかろうが、統率が取れている人々と言う点だけは評価に値するからだ。最近増えて来た、統率外にあるローン・ウルフ側の平和を欲望のままに愛する人が一番恐い。
もちろん、合衆国や日本国でもラオス戦線の拡大に反応して、分を弁えた平和を愛する人々が行動を開始していた。何故か、侵略者である人民解放軍について一切語らず、侵略されて仕方なく武器を手に取ったラオスを好戦主義者だと糾弾していた。
分を弁えた平和を愛する人々は、きっと一方的な平和を好むのだろう。どうやら、暴力で屈服させられてた後で、強要される種類の平和を渇望・切望している様だ。
今、ラオス北部で命懸けで戦っているラオス・タイ連合軍にとっては、海の向こうで口先だけで戦っている分を弁えた平和を愛する人々の心情は計り知れなかった。砲火に曝されている軍人達は、分を弁えた平和を愛する人々よりも、既に絶滅してしまったネアンデルタール人達の方が遙かに価値観の多くの部分を共有出来そうな予感がしていた。
ラオス・タイ連合軍は、今のこの瞬間だけは紛れもない現実主義者だった。現実に上手く対応出来なければ、一瞬で三途の川の向こうへと押しやられてしまう日常を暮らす者達には、戦争の好き嫌いに拘わらず、銃や砲を撃って来る敵を撃ち倒さなければ、明日と言う「If」は訪れない。これだけは、世界では数少ない「真理」だ。「絶対」が成立する稀少な例だった。
ーーー考えるのは、自分を殺そうとする人を殺す事で時間的な余裕作った後にしよう。
だいたい、自分が殺されてしまえば、考える機会も永遠に失われるのだ。だから、平和を愛する、いや溺愛する人々の話に耳を傾けるのは、全部の敵を三途の川の向こう側に追いやってからにしようと考えていた。
事実、ラオス・タイ連合軍の総意としては、どれほどの犠牲を払ったとしても、人民解放軍によって要塞化済みのトー山脈回廊を戦闘で奪い返すつもりだった。
実際、北進する以外に未来はなかったからだ。選択はこれ一つしかなかったので、考える余地が残されていなかったので、決断は一瞬で着いた。
しかし、かなりの犠牲を払っていると言うに関わらず、ラオス・タイ連合軍はトー山脈要塞を攻略し倦ねている。
航空機による空爆と近接支援を伴うラオス・タイ連合軍の奮戦によって、トー山脈東側のラオス国道13号線までは解放済みだ。だが、トー山脈回廊を通過出来ずに一週間が過ぎ去っている。
それは、先に述べている様に、圧倒的な標高差を持つトー山脈の尾根を人民解放軍が攻め手であるラオス・タイ連合軍を一方的に痛めつけているせいである。
ラオス・タイ連合軍の突撃隊は果敢な攻めの姿勢を貫いている。御陰で、トー山脈の入り口までは辿り着ける場合も多々ある。だが、回廊に入ってからは形勢が逆転する。尾根上から繰り出される人民解放軍の攻撃に耐えかねて、結局は撤退させられてしまう。
これの繰り返しである。
ラオス・タイ連合軍が、重量級の戦車や自走砲を持ち込めればそれを軸に要塞攻略ももう少し楽になるだろう。しかし、ラオス国道13号線に限らず地盤が脆すぎるた為、ヴィエンチャンがある平野部から前線まで持ち込めない。
ラオスの国道を覆う薄いアスファルト下は、漏れなく薄く砂利を敷いただけ。日本国の田舎の簡易舗装路の方が数段マシな路盤でしかない。そんな道を無限軌道車はおろか、20トン超えの大型装輪車などを次から次へと激しく走らせたら、積載重量オーバーのトラックに痛めつけられた日本国・千葉県側の国道16線の路面の様に、一瞬で路面が波打ってしまう。最初の1両すらの通過もままならない。4両目くらいになると、完全にアスファルトが剥がされた土面の上しか走れないだろう。
もし、無限軌道車に搭載される大きめの主砲でも撃とうものなら、母なる大地はその反動を路面はまともに受け止められないだろう。沈下したり、ひび割れたり、崩れてしまうに違いない。
それでも、ラオス・タイ連合軍の心情としては、最低でも自走可能な105mm砲が欲しい。滑空砲でもライフル砲でも構わない(キチンと斜め上方向を射程に収められれば)。せめて、突撃部隊の奮戦中に要塞に向かってまともに打ち返せる砲があれば、こうまで一方的に反撃を喰らったりはしない。
しかし、無い袖は振れない。結局、装甲が比較的厚い兵員輸送車や装輪装甲車と歩兵を全面に押し出す戦闘しか出来ずにいるのだ。
友軍による空爆によって、人民解放軍がトー山脈の尾根に築いた砲台の数はある程度は減っている。減っては居るの。だが、潰しても潰しても一時的に火を噴かなくなるだけで、三日後には確実に新品の砲が火を噴き始める。どにかく物量が豊富らしい。
ーーー重課金ユーザーかよっ!!
一体どれだけの物資を既にウドムサイに輸送済みなのか。つまり、元通りになる三日後の前に陥落させない限り、トー山脈要塞はどんな攻撃を受けても元に戻ってしまう。
ーーー何と言う無理ゲー。それを通り越してクソゲー。
航空機による近接支援も、実際の所はそれほど効果的には行えていない。トー山脈要塞に近付き過ぎると、対空兵器が次から次へと火を噴くからだ。
流石に、人民解放軍であっても高効率レーダーに誘導される地対空ミサイル・システムは持ち込めていない。しかし、携帯式地対空ミサイル「スティンガー」の人民解放軍版である「HN-6」または「QW-1」を使用した反撃が待ち構えているので、トー山脈の尾根に近付く前に回避機動を始めなくてはならない場合も多い。
いずれも誘導方式はパッシブの赤外線ホーミングである事と、使用直前にセンサーを一定時間の冷却であり、急襲されると迎撃行動まで多少のタイムラグが生じてしまう。また、射程高度がせいぜい4千,000mであると言う限界もある。つまり、鈍重な輸送機とは異なり、高出力エンジンを2つも装備するFA-18にとっては、不用意に接近し過ぎさえ自重すれば致命的な脅威とはならない。
だが、人民解放軍版「スティンガー」の最大飛翔速度が600m/秒なので、爆装(大抵は無誘導爆弾)を全て放棄して、フレアーを盛大に撒き散らし、アフター・バーナーに点火する全力上昇と言う回避行動を取らざる得ない。
攻撃側が全ての攻撃用機材を放棄させられると言う事は、その回の攻撃が無駄となる。よって、人民解放軍側の戦略的勝利となる(攻撃阻止が勝利確定条件である場合)。
攻撃隊が再攻撃するには、タイ領にある空軍基地まで引き返して、攻撃直前に自ら放棄した対地兵装を再装備する必要があるからだ。それと、消費したフレアー剤も。
ラオス・タイ連合軍、ここに来て、強い手詰まり感に苛まれていた。
しかも、ラオス・タイ連合軍には、悠長にトー山脈の回廊の攻略戦を行っている余裕はない。
人民解放軍が最近になって積極的な攻勢に出てこなくなったのは、彼等が時間稼ぎに出ているという分析評価が出ているからだ。
何を待っているのか? それは、本隊の到着だ。
現状でも大量の兵力、戦力が投入されている。だが、人民解放軍の規模から考えるとまだ先遣隊の規模を超えていないらしい。
人民共和国領内で移動や輸送が滞っている兵員や武器がラオス戦線に到着してしまえば、今よりもさらに辛い物量戦が始まってしまう。こっちが一発撃つ間に、向こうは20発撃って来ると最悪の状況が出来上がってしまう。
そんな窮地の真っ直中、日本国・航空自衛軍の幹部であるネモト三佐がラオスへと現れた。しかも、元・日本国・陸上自衛軍の特殊機械化部隊を伴っていたのだ。
ネモト三佐は、ラオス・タイ連合軍から「問題の解決」を請け負っていた。
ネモト三佐は、オウ川の真上に聳え立つノーンキアウ峰の頂上付近から、双眼鏡でトー山脈の尾根を睨み付けている。
ノーンキアウ峰は、トー山脈から直線距離で約80kmの真東に位置する。
ノーンキアウ峰は山岳地帯に突き出ながらも、かなり目立つ3つの峰を持つ。最大の峰は標高1千,400mを超える。
ネモト三佐は左の耳から航空機のエンジン音を聞いている。
民間軍事会社のFA-18の飛行隊だ。トー山脈目掛けて無誘導ミサイルを多数発射する。
接近するFA-18目掛けて、トー山脈からやや外したタイミングで携帯式地対空ミサイル「HN-6」または「QW-1」らしい"矢"が無数に撃ち放たれる。
無誘導ミサイルがまるでクラスター爆弾の様に、トー山脈の斜面の広域を攻撃する。岩煙が立ち、小さな崖崩れが起こる。
ネモト三佐は、ニヤリと笑う。トー山脈の人民解放軍の観測隊は、大変な混乱に陥っているだろう。
小型の無誘導ミサイルには大した破壊力はない。だから、今までは大型の無誘導爆弾による攻撃が主体で行われていた。だが、破壊力が大きくても命中する弾が少なければ、それほどに大きなインパクトを与えられない。
ネモト三佐は今までの人民解放軍が突き上げた経験を逆手に取って、彼等が初体験する小型爆弾を一時に大量に見舞わせる様にと民間軍事会社へ依頼していた。
ーーー一人は殺さなくても良い。砲門も一基も壊せなくても良い。今はな。
戦況はネモト三佐が望んだ通りに進んでいた。
突然に回転翼の騒音が大音量で聞こえ始めた。
その直後、タイ王国空軍の大型ヘリコプターがネモト三佐の背後に現れる。
そのネモト三佐の背後には燦々と輝く太陽が昇っている。トー山脈から眺めると、太陽を直視する=逆光となって何も見えないタイミングを狙って、軍用の大型輸送ヘリコプターがかなり強引にホバリングしている。
ヘリコプターからは、トー山脈からは死角となる頂上付近、事前に東斜面側だけ整地されていた場所、多数の"ライトガス・ガン"と電源装置が下ろされる。
"ライトガス・ガン"とは、日本国航空自衛軍が高射砲として開発した長距離射程兵器の一種である。ドゥクパ王国のドグラム高地を人民解放軍から解放する際に、これの原型となった試作品が落下中、しかも地上付近と言う最高速度で移動中の弾道弾を遠距離から狙撃してみせたとか言う、「どう考えてもそりゃ無理だろ」レベルの都市伝説が21世紀中盤のネットミームとして語られていたりもする。
FA-18によるトー山脈への4度目の攻撃が行われた。今度はナパーム弾らしい。狙い通りに尾根に手前へと着弾した様だ。途端に黒い煙が立ち上る。大炎上する火炎剤のせいで大気が揺らぎ始めて、尾根の上からネモト三佐が立っているノーンキアウ峰の方向が見えなくなった。
ネモト三佐は、もう一度ニヤリと笑う。計画通りと言わんばかりに。
ーーー積み下ろし作業が終わった様だ。
タイ王国空軍の大型ヘリコプターが、ノーンキアウ峰の影に姿を隠れて東の空へと去って行った。
それを確認して、ネモト三佐は航空無線で通信を行う。
「ペッブリーとスクムヴィットはソイで繋がった」
この暗号を3度繰り返した。すると、トー山脈へ迫っていた5度目の攻撃が取りやめられた。進路を変えて、タイ領空の方向へと引き返して行った。
FA-18による攻撃は、ノーンキアウ峰へライトガス・ガンを運んで来たヘリコプターの存在を悟らせないための陽動だった。遙か、約80km先にある尾根に展開中の人民解放軍の目を此方へ向けさせない為の欺瞞攻撃だったのだ。
派手な攻撃に曝されるだけでなく、トー山脈とノーンキアウ峰の間にある大気をナパーム弾の炎で熱して像を歪ませる。そこに立ち上がる煙が重なれば、どれほどに優秀な画像処理エンジンとフィルターを以てしても、ノーンキアウ峰に自分達を壊滅させる為の拠点が築かれたと言う情報を引き出せないだろう。
ネモト三佐は、自らの拠点設置の為に、敢えて危険な任務に付いてくれた民間軍事会社のパイロット達に向けて敬礼した。せめてもの感謝を表したかったのだ。
ーーー御陰で、我々企ての成功率が上がった。
ネモト三佐が双眼鏡を、幅広の首当ての先から伸びる紐で首から吊り下げて、航空無線の受話器を収納する。そして、トー山脈から目を反らして繰り替える。
すると、そこには屈強な"全身擬体"の男達が16人ほど整列していた。"全身擬体"、つまり全身を人工物へと置換した者達と言うことだ。
「良く来てくれた」
ネモト三佐が嬉しそうに語る。
ーーーあっ。
16人の男達の後ろに、少し場違いなF型の"全身擬体"が一体と、小柄だが全身に気になる脂肪がまったく見られない老人が混ざっている事に気付いた。F型の全身擬体保持者は、何故か旧陸軍が採用していた、ボルト・アクション小銃「三八式歩兵銃」を背負っていた。
ーーー間に合ってくれたか!!
ネモト三佐は、それら目立たない二人に対して感謝を視線だけで送った。
「敵はここから80Km先で友軍の進路を塞いでいる」
ネモト三佐の口から出る言葉に、強気の姿勢が、語気が増して行く。
「戦いは一瞬で決める」
"全身擬体"の男達は、直立不動で聞き入っている。人工物に置換された表情筋を巧みに操って、いっそう嬉しそうな表情を浮かべる。
「攻撃時間は最長で5分だ」
ネモト三佐は満面の笑みを浮かべる
「喜べ。もし標的の破壊に失敗すれば退路の確保は不可能と言う絶体絶命のピンチに陥るだろう。ここにいる全員がこの頂上ごと、一瞬の間に地上から消え兼ねないほどにシビアな戦いとなるだろう!!」
"全身擬体"の男達がニヤニヤしながら、視線で同意を伝える。標的の破壊に失敗する確率は限りなくゼロだ言う自信に満ちた態度を示しながら。
ネモト三佐は偉そうな話を、以下の通りの言葉で切り上げた。
「さあ、仕事を始めよう」
彼の呼びかけに応えて、ラオスの山奥にまで集まってくれた18人が敬礼で応える。
『お任せ下さい!! ネモト陸将補!!』
"全身擬体"の男達は、全員が日本国・陸上自衛軍の陸士だった。このネモト"三等空佐"を名乗っていた人物の正体は、航空自衛軍の幹部ではなく陸上自衛軍の幹部だった。身分を偽装してラオス戦線へ派遣される為に、敢えて「空佐」を名乗ったまでだった。
朝間ナヲミが顔を見知っていない筈である。偽装した身分では彼は朝間ナヲミにとって防衛大学校のずっとずっと後輩であった。だが、実際はかなりの先輩であったのだから。
ーーーおそらく外観と言うより、ナノマシン、人工物置換、遺伝子加工などの先端且つ末端技術を使って生身その物を改造処理を受けている。
21世紀中盤の各国の陸軍では、負傷兵の現場復帰や老兵の任期延長を目的として、ある一定以上のダメージを身体に負ったと認定されたり、これ以上の生殖を目的とした交尾をする必要がないと自認した場合に限り、肉体の改造処理を行う事がある。
ネモト陸将補も、肉体の改造処理を受けるだけの価値がある人材であると、陸上自衛軍から認められたに違いない。自然のままの人間である事を捨て、人道を外れる新しい人生を望み、出来るだけ現場に長く留まりたいと言う過ちを願ってしあったのだろう。
ネモト陸将補の身分偽装の最大の理由は、現時点での外交戦略上の事情によるものだった。
日本国は、今の段階では、人民共和国にまだ自国の陸上自衛軍の軍人を国外へ戦闘参加目的で送り出している事実を知られたくなかった。出来るだけ長く、陸上自衛軍と海上自衛軍は東シナ海周辺に全振りしていると誤解させておきたかった。
そうでありながら、タイ王国軍を主力とする連合軍がトー山脈回廊の攻略にかなりの痛手を追っている事を知り、影から手を差し伸べる事にした。これを、タイ王国軍にとっての旅順攻囲戦(日露戦争)として記憶させたくなかったからだ。
最小の努力で全ての懸念を払拭する為に、僻地の未整備の山頂から、100Km級の精密砲撃を可能とする、虎の子のライトガス・ガン部隊を派遣した。レールガンに匹敵する程の運動エネルギー弾を以てして、トー山脈の尾根の"土木工事"をする為である。
人民解放軍が築いた陣地を完全に破壊し、しばらくの間再建出来ない様にと、本気で尾根の形状を変えるつもりだった。
17人の全身擬体者達が運ばれてきたばかりの装備の確認を始める。17に含まれない、1人だけ生身の、相対的に小柄に見える男はヘリコプターで運ばれて来た発電機のソケットを覆う封印を剥がし始める。
その様子を傍目で確認しながら、ネモト陸将補は、三八式歩兵銃を背負うF型全身擬体保持者に歩み寄る。
「御神楽岳以来だな。あれからもう・・・」
「30年ぶりですかね」
F型全身擬体保持者は、ライトガス・ガンを組み立てながら目も合わせずに答える。
「斉射時の管制や補正は貴官に全て任せたい」
「分かりました。ところで、ウチの旦那は有線式アーマチャ形レールガンを使いたかったみたいです」
「電磁飛翔体加速装置(EML)が使えればそれに越した事はなかった。しかし、この戦場では電源の確保が不可能だったんだ」
「分かります。旦那もそれは分かってはいますが・・・ついつい愚痴ってしまうんでしょう」
F型全身擬体保持者は、発電機のソケットに電源供給チューブを慣れた手付きで接続している小柄な男を視線で示した。
「奇襲の為、攻撃中もその前段階も、照準用レーダーなどアクティブ・センサーが一切使用出来ないんだ」
「光学照準だけで100Km級の精密砲撃とは恐れ入ります」
「だからこその、貴官が必要だった訳だ」
「まあ、しようがないですね。せいぜい頑張りますよ」
「ともかく頼む」
ネモト陸将補はそう言って話を切り上げた。少し高い岩の上に移動して、電子補正機能付きの双眼鏡を使って、約80Km先にある敵陣に対する覗き行為を再開した。
※1= 峡谷を指す"コラ"と峠を指す"ラ"はネパール語。山岳地形を語るには最もしっくり来る言語だ。"コラ"とは谷、川など、地形同士の間に横たわる切れ込んだり、低くなっている形状を指す。ネパール語で、"コラ"と言っても必ずしも水が流れている訳ではない。周辺に比べて低くなって生じる地形上の切れ込みに、水が流れていようがいまいがそれが"コラ"となる。また、"コラ"は水の通り道であるだけでなく、頻繁に発生する落石の通り道でもある。"コラ"を沢と訳せないのは、流れが末端まで来ると沢山の支流を集めて普通の川になっている場合も多いから。ネパール中部のポカラを縦断するセティ・コラ(白い川)なんかそれ。2023年にポカラで墜落した旅客機が転がり落ちたのもセティ・コラだった。河岸段丘構造だから、カトマンズ行きの長距離バスが必ず通過するマヒンドラ・プルの辺りでは川底は絶対に見えない。なお、ネパール語で本物の川を指す言葉は"ガンダキ"であると思われる。タイ語だと"ターン・プゥーカヲ"。ラオ語だと"パン・プゥー"。いずれも日本語訳は"山の道"。つまり、峠と言う概念を両言語は持ち合わせていないと言うこと。
※2= なお、下り道では、ブレーキ系にトラブルを抱えている大型トラックであれば適切に制動が出来ずに、対向車線の車両をの根刮ぎ弾き飛ばしたりする。または、ドライバーとトラックが一心同体の状態でアンドロメダ終着駅を目指す銀河鉄道999の様に空に向かって"テイキング・オフ"したりもする。




