星が落ちた国で。 〜1
半年も続いた、長い長い雨期がやっと開ける。
次の満月が訪れれば、ブン・オークパンサーの始まりだ。
結婚式などの祝い事のシーズンが間もなく訪れる。
この一年間、待ちに待ったお楽しみの時間だ。
そんな、娯楽に対して極端に飢えた片田舎の若者にとっては、期待感に包まれずには居られない10月の早朝。
ラオス山岳地帯の数少ない平野であるシエンクワーン県ポーンサワン。
標高1,000mを下らない高原地帯の中心都市の一つ。
ラオス平野部やタイ王国領土(カオヤイ国立公園やクンターン国立公などは除く)と比べれば、それなりに涼しい。
東南アジア諸国を繋ぐ国際河川であるメコン川へ流れ着く大きな支流が通過したり、源流その物を抱えている。
実際、日本企業である関西電力が開発を主導した、黒部川第四水力発電所と比較すべき大規模な重力式コンクリートダム「ナムニアップ1ダム(ボーリカムサイ県)」が堤頂長530mと高さ167mの巨大な人工の壁を使って堰き止めるナムニアップ川の源流もポーンサワン近くにある。
いくつかの滝を持つナムニアップ川と、ダムが作り出した貯水湖には、雨期の間に必死に溜め込んだスペック通りの最大貯水量が抱えられている。ナムニアップ1ダムが発電するエネルギーは、隣国であるタイ王国へと買電している。
それは仮運転開始の瞬間から、ずっとずっと"ラヲソーポーポー"の経済的な面だけでなく、国家基盤そのものを支えて来た。
しかし、そんな事よりも、シエンクワーンは正体不明の石坪遺跡のある土地としての方が、世界の普通の人々にとっては馴染む深いかも知れない。
ーーーシエンクワン県ジャール平原の巨大石壺群。
世界遺産。鉄器時代の多数の石壺が平原から丘の上までに点在している。使用目的など、数々の仮説が提唱されているものも、まだまだ結論が導き出される事はなさそうだ。
すぐ近くの街であるポーンサワンには、プロペラ機を使用する旅客機に対応する国内便専用の空港もある。観光目的で訪れるにはこの空便を利用しない手はない。何故なら、国際流通インフラであるアジアハイウェイ(AH11/12など)に組み込まれなかったこの地域では、国道幹線であっても路面状況が非常に悪いからだ。
正直、普通自動車で走行するには難がある。SUV級の走破性があっても、一時間に移動出来る距離はとても短い。また、公共交通も未発達である事から、個人旅行者にとっては地獄のバス旅行と言う苦行を強いられる。だったら、そんなに高価ではないのだから、空路を利用を最初から見当すべきなのだ。
ただし、航空券には使用機材がATR-42/72であると記入されているに拘わらず、実際には悪評轟くMA60が代替機としてヴィエンチャン国際空港のターミナールに悠々と近付いている事件も多々起こっている。それはそれで辛いね。恐いよ。
そのジャール平原・ポーンサワンの遺跡第一サイトに盛り上がる小さな丘に、監視員の一人が登り切った。南側がやや急で深い草村で覆われている為に、ヴェトナム戦争時代に合衆国がカジュアルな気分で行った空爆が量産してくれた数々の巨大な穴を避けて、北側の尾根からゆっくりと進んだ。そこから北方面には、草村の向こうに住宅地が点々を見える。東には寺院の巨大な黄金仏陀の後ろ姿が見える。
観光客が来るのは11月の乾期に入ってからだ。形ばかりの舗装路や、舗装がほとんと剥げた道路で、雨水のせいで泥んこ状態でグチャグチャになっている悪路を走破してここまでやって来る様な外国人達はとても少ない。だから、この時期のこの場所には農業くらいしか仕事は存在しない(夜の内職である山賊業も、交通量の増える乾期のお仕事である)。
名ばかりの仕事を終えた監視員は、駐車場へ繋がる別の尾根を使って麓に駐輪した自分のオートバイへ戻るつもりだった。ビジターセンターへ戻って、大切な業務の一つであるお茶でも飲むつもりだったのだ。
ーーーヴァーーーンっ!!
突然に南の空の上から物凄い音が響いて来た。
いや。まるで世界の終わりを告げる神仏の怒声であるかの如く、空気を伝ってビリビリと高周波振動が伝わり続ける。鳥肌が全身を覆う。一体、何が起こっているのか分からない。
雨期の厚く低い雲がジャール平原全体を覆っている。遠くを眺めても、どちらの方向も山肌に突き当たって行き止まりだ。
警備員は直ぐに当惑する事を強制的に止められた。
雨期の厚く低い雲を突き破って、無数の光の筋が視界に同時多発的に飛び込んで来た。
それらの半分は見上げている空中で爆発した。
正確には高度2万0,000mで、分割されていた物体がさらに多数の破片へと分裂していた。
それらの破片の全てが超音速で低空大気を切り裂いた。
破片群は、漏れなく大気とのすれ違いざまに断熱圧縮を引き起こし、続いて構成物質そのものに対して凄まじい高温膨張をもたらした。
結果として、一つ一つの破片が、ぞれぞれTNT火薬約300kt相当のエネルギーを解放した。それも次々と。連続的に。或いは同時多発で。
爆発の衝撃波は次々と、まるで繰り返しであるかの様にジャール平原全体を見舞った。
残りの半分は地上スレスレ、または地表に衝突してから爆発した。
巨大な衝撃波は地面をハデに揺らし、強烈な爆風で地上の構造物を根刮ぎ薙ぎ倒した。
警備員は第一撃で吹き飛ばされた。身体を宙に持ち上げられて、次の爆風で丘の下へと叩かれて、地面に向けて続けて転げ落とされた。
最終的に、丘の下にある巨大な洞窟の中へと落ち込んだ。
その度重なるショックの中のどこかのタイミングで、警備員は気を失ってしまった。
だから、当惑する事を強制的に止められた。
持て余す驚きは、身体ではなく心体を破壊し尽くす。
それだけは未然に防がれた。
運が良い。
不幸中の幸いに助けられた。
いや。そうでもないかも知れない。不幸の不幸であったのかも知れない。
ここで死んでしまっていた方が、実は何かと楽だったのかも知れない。生き延びたとしても、残り少ない人生が煉獄より酷いものであるのならば、果たしてそうまでして生きる意味はあるのか? せいぜい、死ぬのが24時間とか48時間遅れたに過ぎないのではないか?
これから、彼が延々を目撃し続ける光景は正に地獄絵図となるだろう。明らかに玄人限定と言って差し支えない程に酷い視覚・嗅覚・味覚・触覚情報の連なりとなる筈だからだ。まあ、両手の指で耳を塞げば、聴覚からくらいならば逃れられるだろう。
ーーー・・・? んっ?
どのくらいの間気を失っていたのか分からないくらい後に、警備員は目を覚ました。
どうにも身体中が痛い。膝小僧から血が流れている。腕の骨も折れているかも知れない。
しかし、何が起こったのか知らなければならない。仕事が終わった後に、今晩は悪友達とタイ・カラオケで弾ける予定なのだ。アイドルグループ「ロー・ソー」のヒット曲(20世紀の)である「アライ・コ・ヨーム」を意中の女の子に聴かせて、精神的な距離を縮めたいのだ。物理的な距離を詰めるのはその後になるのだ(逆となる場合も往々あるが)。
耳が良く聞こえない。フラフラする。警備員はそれでも洞窟から外に出た。
「ーーー!!」
警備員は驚いた。どうやら自分は異世界へと転生したらしい。と錯覚した。
別に、首都ヴィエンチャンと北の国境線の間を、一日24時間遠慮なく暴走する巨大トラックに身体をぶつけられた訳でもないのに。
しかし、それは無理もない事だった。
目の前に広がる風景は、自分が知っている故郷、ポーンサワンのものではなかった。
絶対に。
雨期であっても考えられないくらいに薄暗かった。
低い空を覆う雲が厚いのではなく、地上の所々にから雲が空に向けて巻き上がっている様に見えた。
空気が妙に乾燥していて、嫌な刺激臭が鼻腔の奥を突いて押し広げている気がする。
肌も妙にピリピリと刺されている様に感じる。
良く見ると、埃よりも小さな、まるで粒子のような粉末で、辺り一面が覆われている。
その粉末は、少しだがまだ降り続けている。
どうやら、空から落ちてきている何からしい。
明かりが届かずどうにも暗く感じるが、それでも周辺の風景は近くだけでなく遠くまで見通せる。
それはきっと、柱のような雲の中で物凄い雷が繰り返し光って、まるで蛍光灯の様に周辺を照らし続けているからだ。
雷光に気付くと同時に、耳の感覚が戻っていた。
雷の強引が四方八方から聞こえ始める。この凄い轟音だ。
最後に、色々なものが燃えた臭いが混ざり言って、気味の悪い刺激として緩い風に押されて来た。それは鼻の穴の嗅覚ではなく、口の中の粘膜によって味覚として感じられた。
慣れ親しんだ雑味も口腔にあった。ちょっと鉄っぽい味もする。どうやら、口の中のどこかが切れているらしい。
大天使ミカエルが誤ってラッパを吹いた程度では、これほどに間違った意味での"アポカリプス"は引き起こせない。
さっきまで彼が目にしていた光景は、以上の条件の通りに"一変"と評するのが烏滸がましいほどに、豪快に描き換えられていた。
世界遺産であり、自分の飯の種でもある巨大石壺群が一つもない。合衆国がホーチミン・ルートを潰すために、問答無用で交戦国でもないラオスに加えた空爆で生まれた無数の大穴も見当たらない。
ゆっくりと進む。地面付近は所々が掘り返され、草群が燃えて煙を上げている。
右手に目を向けると、見覚えのあるモノが目に付いた。
巨大黄金仏像の背中だけが見えた。ただし、肝心の頭部が完全に消滅してしまっていたが。
「ーーーえ?」
警備員は突然に嫌な予感に襲われる。
もしかして、ここは異世界じゃないのか?
これから「始まりの街」とかに命からがらで辿り着いて、ギルドに冒険者として登録して、苦労の末に魔王を倒して世界を救うって筋書きじゃないのか?
確かに、地面は一掃されているが、地形や稜線だけなら見覚えがない訳でもない。
警備員は、先ほどゆっくりと登った丘の上で続く尾根道を、今度は走って登った。良く見ると両足のサンダルがなくなっている。足の裏はまだ火が燻る草原だ。だが、熱さや痛さも忘れて展望の良い頂上に辿り着いた。
本当なら小ぶりな樹木と小さな精霊台がある筈なのだが、まったく見当たらない。
だが、そんな事は気にならなかった。
何故なら。
そこから見渡せる360度の展望はたった二つの事実を物語っていたからだ。
ここは故郷、ポーンサワンである。
異世界ではなかった。何てこった!!
そして、彼の故郷であるポーンサワンは、既に壊滅状態にあった。
残念な事に勇者召喚イベントではなかった。チクショウ!!
足下から遠くまで広がる風景は、爆風で全てが吹き飛ばされたネットで見た戦場映画の風景そのもの。
そこら彼処で火の手を煙が上がっている。しかし、人の声やサイレンは全く聞こえない。
それは、この謎の災害への公共的な対処がまったく行われていない事を意味していた。
ポーンサワンの社会そのものが機能不全に陥っているか、停止しているのだ。
甚大な被害。
いや、自分以外に誰か一人でも生きているのか?
それが、故郷を見下ろした警備員の率直な印象だった。
それでも・・・。警備員は丘を降りた。
無限ローンと言う無計画で購入し、まだ三回しか支払いを行っていない中古オートバイは駐輪した位置にはなかった。
愛馬を発見したのは、駐輪場所から50m以上も離れた所だった。
ただし、見る影も無いほどにグシャグシャに潰れていて、更に漏れ出したガソリンに着火してほとんど真っ黒に焦げになっていた。御陰で修理不能。もう二度と乗れそうになかった。
警備員は落胆した。しかし、すぐに気付いた。毎月欠かさずに債権を回収しにやって来るインド系タイ人の金貸しが、今月も先月と同じ様にキチンとやって来れないかも知れないと言う可能性に。
正直、あの大嫌いな金貸しヤローであっても、今この場で突然に出会えたら・・・即座にハグして互いの無事を喜び合いたい気分だった。
これからどこへ向かったら良いか。全く思い付かなかった。
突然に、うなじから上を何らかの事情で吹き飛ばされている、巨大な黄金仏陀が目に付いた。
警備員は、取り合えず、神仏の奇跡を当てにして、そこからすぐ近くにあった寺院へ向かって歩き始める事にした。




