廿里ちーちゃん 〜その伍
東京都文京区。
旧帝国大学・本郷キャンパス。
世間話を鵜呑みにすれば、この学徒の楽園は東京ドーム11個分と言う極めて広大な敷地面積を擁するらしい。
らしい。
らしいと言うのは、広さを認識する為に利用した単位。
東京ドームの敷地面積すら、決して自分で測量した訳ではないからだ。
だから、こればかりは人間の性善説に頼るしかない。もし、この主張の根拠とする情報が不正確だとすると、情報をひけらかす書き手に対する信頼性が、その足下から揺らぐ事となる。
実は、この情けない情報効果システムは、人類の知恵の集積行為にも適応される。その証拠に、文理両分野で、過去の常識や定説に対する修正が常に施され続けている。ある時期まで絶対的に正しかった理論でも、その後は敬意を持ってお払い箱にされてしまう事は極めて自然な流れである。
だから、まずは、提示された情報を軽く疑ってみるべきかも知れない(※ 時間的な余裕に満ちた個人的なケースに場合に限る。社会の足並みを意図的に狂わせる事はテロ行為に等しい)。それが科学と哲学の本質である。
一方、疑う事を決して許さないのが、科学と哲学の対岸を征く宗教の本質でもある。神を疑ってはいけない。それは決して許されない行為である(※ 神には人間を試す権利があるらしい。この不平等さは是正すべきじゃないだろうか? そして、無謬性を激しく訴える教義を持つ団体は一概に宗教の一形態としてカウントされるべきではないだろうか?)。
更に、言わせてもらうなら、ある種の信頼性を利用して詐欺行為を働くのが、娯楽物語の本質でもある(※ ただし、意図して損害を与える事は許されない)。
連なる物語の中で、先々に行われ続けた数々の重大な詐欺行為。
それらにお気づきの方も、違和感をお感じの方も、間違いなくいらっしゃられるに違いない。
その本郷キャンパスには、正門から一本の並木道が敷かれている。
その並木道はキャンパスの象徴となっている安田講堂まで一直線で繋がっている。
ここを訪れる者には、普段であれば、外装全面を赤レンガで覆われたゴシックを基調とするのフォルムの歴史的建造物ばかりが目に付くに違いない。
安田講堂を語る為の映像には、強力な圧縮効果をもたらす望遠レンズを使用して撮られた場合が多いのも、そう言った影響を狙ってのことだろう。
意識しようとも、無意識だろうと、映像業界に携わる者であれば、そうせずにはいられない。
並木越しに見える、壁面最上部に施されたコーニス装飾と上昇性もりもりの補助梁的なバットレスの巨塔。
それこそが旧帝国大学を支える権威の源であり、それがこの国の文化にもたらすパワーの大きさを実感させられる光景である。
そう評しても、決して過言ではないだろう(一部の人達に旺盛にディスられるのも、その影響力の強さの証明に過ぎない)。
しかし、師走。年末とされる12月の一時だけ。
安田講堂が醸し出す強烈な存在感が、期間限定で緩和される時期が訪れる。
それは紅葉の季節。安田講堂まで続く並木道の銀杏の葉々が、一斉に黄金色に輝くからだ。
黄金色の落葉が銀杏並木のペーブメントを覆い尽くし、それらが陽光を反射して視界に入るものの全てを黄色へと染め上げる。
それは誰をも圧倒する光景である。
人類の祖先が地球に分岐する遙か以前のペルム紀に誕生した、世界で最古の落葉性高木の裸子植物がここぞとばかりに発生させる圧倒的な存在感の前に見惚れさせられてしまう。
抵抗は無駄である。人類と言う生き物はその様にデザインされているのだから。
万条家の双子達が、茨城県で会合を果たしていた頃の事である。
その日の夕暮れ時も、本郷キャンパス名物の銀杏並木は美しに黄金色に塗れていた。
ただ、たった一点だけ普段とは様相が違っていた。変わっていたのではなく。
二人の少女が、黄金色の落葉を両手で持ち上げて、投げて、散らして遊んでいた。
宙に舞い上がる大量の銀杏の葉々。
それらは、すぐに1枚1枚が独立した軌道を描いて地へと戻って行く。
この星の重力加速度を忠実に示しながら、ひらひらと舞い落ちる。
少女達はそれらを躊躇なく頭から被る。
笑顔と歓声を周辺に撒き散らす。
一度は宙に舞った銀杏の葉々が残念な事に足下へ落ち尽くすと、全身の力を振り絞って、改めて宙に向かって放り投げる。
これの繰り返し。
まるで、それが永久機関であるかの様に、永遠に続くかの様な光景。
可愛らしい。ただただ、可愛らしい。
偶然に周辺に居合わせた者達は、そちらの方向へどうにも視線を奪われずにはいられない。
抵抗は無駄である。人類と言う生き物はその様にデザインされているのだから(或いは、自身をその様にデザインする事を自ら選んでいるのだから)。
周辺環境を全く意識する事なく、ひたすらに落ち葉で遊ぶ。
一心不乱に、可愛い者だけしか持ち得ぬ究極の特権を行使している。
外観的印象からは、二人の少女はそれぞれ高校生と中学生くらいの年頃であろうと見当が付いた。
二人は仲の良い姉妹であろうか?
姉よりも、妹の方が少しだけ大人びている様にも見受けられた。
少女二人の、あまりに無邪気な振る舞いを不意打ちで見せ付けられてしまった。
御陰で、遠巻きにその光景を眺める旧帝大生達は、漏れなく各自の表情筋を強く刺激されずにはいられなかった。
ある者は密かに口角を上げ、またある者は優しく目を細めた。
自分達にも、そんな時期があったと言う個人史的な事実を引き出されたのだ。
過ぎ去った、もう二度と戻ってはくれないあの頃への郷愁。
皆が"良いものを見た"と、自分達が既に喪失してしまった"尊さ"を懐かしく感じたのだ。
大学の敷地は基本的に一般人に向けて開放されている。
だからと言う訳ではないだろうが、明らかに部外者に見える二人の少女が自分達が勉学に勤しむキャンパス内で人目を憚らずに遊んでいる事に、その光景を眺める全ての関係者達はネガティブな印象を持つことは決してなかった。
まさに、"可愛いは正義"としか評しようのない出来事であった。
「楽しいね!!」
「これ、一度で良いから絶対にやってみたかったんだよ」
「何で今までやらなかったの?」
「・・・一緒にやってくれる人がいなかった。ボッチだから」
「ここ、自分の大学じゃん。教授なんでしょ」
「キャンパスが違うし。ここまで出向いて来るのも稀の稀だし」
跋が悪そうにしている"妹"っぽい方に対して、"姉"っぽい方が優しげな配慮を示す。
「じゃ、来年もこれやろう」
「・・・そうだね。またやろう」
妙に大人びて見える"妹"っぽい方が、何やら複雑な想いを押し込めた感じで幼く見える"姉"っぽい方が示してくれた思い遣りに驚く。どうやら、素直に胸の奥まで染み込んで来たらしい。
「ちーちゃんっ!!」
森 朝顔が、黄金色の銀杏の葉々を両手いっぱいに持ち上げて廿里 千瀬に目掛けて投げつけた。
見事に廿里 千瀬の顔に直撃する。口の中まで入り込んでしまった銀杏の葉の付け根を日本の指でぞんざいに摘まみ出す。
「ーーーやったな!!」
今度は、廿里 千瀬が森 朝顔目掛けて、怒った振りをして黄金色の銀杏の葉々を投げつける。しかし、力が足りずに朝顔の所まで届かない。途中で失速して、宙から本来はペーブメントである銀杏の落葉で覆い尽くされた路上へと落ちてしまう。
姉に見える方、はるかに年上である筈の廿里 千瀬の外観上の年齢を、とうとう超えてしまった森 朝顔。それでも、まだまだ発育不全というか、産みの母親と比べて成長が大器晩成であるらしく、大学卒業を年明けに控えても女子高生にしか見えない朝顔。
ひたすら、取り残されてしまう廿里 千瀬には、自分が絶対に到達出来ない将来を持つ朝顔がとても眩しく見えた。あまりにも、羨ましく、それでいて頼りがいがあるとも感じた。
廿里 千瀬が、僅かに漏れ出てしまった涙を拭う。それを森 朝顔が驚く。
「ごめん!! ゴミ目に入っちゃった?」
廿里 千瀬のかなり狭窄しつつある視界の、ほとんど全てを森 朝顔が占めた鼻と鼻の頭同士が拗れ合うほどに顔を近付けて覗き込んでいるのだろう。どうやら。
夕暮れ時の、黄金色の太陽光線と黄金色に染められた銀杏の葉々の照り返しに包まれている森 朝顔。その輝かしい光景に、運命に愛された人物の特別さを目の当たりにして、廿里 千瀬は息を思わず飲み込む。そのまま息をするのを忘れてしまう。呼吸を完全に奪われてしまったのだ。
ーーーあまりに、理不尽なほどに美しい。
そこに嫉妬はない。ただ、魅了されるだけだ。
そして、その美しい本人は、自分から溢れ出るその美しさをまったく意識していない。多大な価値をまったくもって自覚していない。まったく、天然と言うヤツは。これでは皮肉が関与する余地すらないではないか。まあ、だからこそ"抵抗は無駄だ"なのである。
「・・・ううん。うん。ちょっとだけ」
自分がもう既にいないかも知れない、ちょっと先の未来。不愉快な可能性の高さを再認識せずにはいられない。
心中がモヤモヤする。
それは、この美しい"もの"を愛で続ける権利を剥ぎ取られる運命に抗いたいと言う願うからだ。そう言った願いを、医療用ナノマシンを使って再構成を繰り返している心臓の中心で握りしめる。
「反撃〜!!」
廿里 千瀬は、不意を突いて森 朝顔の顔目掛けて銀杏の黄金色の葉々を投げつけた。今度は、至近距離だったこともあって見事に直撃した。
「ちーちゃん卑怯者!!」
「賢いを言いなさい!! 賢いと!!」
二人はそれから暫く、完全に太陽が沈むまで銀杏の葉々を投げ合って、仲睦まじく遊び続けた。
その美しい光景を遠巻きに眺めて、目尻を細めたり、口元に笑みを湛えて通り過ぎて行く学生達。彼等は、決して目の前の遊んでいる小さい方の少女が、自分達が通っている旧帝大の名物教授であるとはまったく、想像だにしなかった。
ただ、微笑ましい光景の尊さに心が洗われただけだった。ただし、それだけに記憶に残った。
そう遠くない未来に、新聞などに掲載された廿里 千瀬の顔写真を初見して、「あ、あの子だ!!」と思い出して驚くくらいには、強い印象を与えられていた。
そして、敷地内で営業を長く続けているカフェ「CAFETERIA HAMOREBI」の店長は、森 朝顔の姿を見て一人の古い常連女性客の事を久しぶりに思い出した。
森 朝顔の見た目の印象が、二昔前に常連だった女性客の生き写しと言って良いほどに似ていたせいだ。ただし、朝顔の方がかなり年下である様に見えた。
自身がまだバイトとしてカフェで働いていた20年くらい以前、その常連女性客は、いつも同じソファーで眠りこけていた。眠り込んでいたとも言えた。そして、毎度の様に相棒であるらしい青年が迎えに来た。すると、青年が用意した一杯だけの新しいコーヒーを半分くらい口にしてから、二人で、青年の方が会計を済ませてからキャンパスのどこかへと消えて行った。
それはさも当然で、まるで自然の摂理に逆らわない行動であるか様に。
しばらくしてからその二人は学生結婚した。風の噂でそうだと聞かされた。
お幸せにと言う気持ちを抱いた。それを思い出した。
その後も、院を卒業するまで、二人はカフェ「CAFETERIA HAMOREBI」を頻繁に利用してくれた。
ーーーもしかたしたら、あの二人の娘さん達なのだろうか?
カフェ「CAFETERIA HAMOREBI」の店長は、そんな平和な想像をした。そして、あの二人の築いた家庭で、二人の少女は何不自由なく暮らしているに違いないと勝手に結論を付けた。
元バイトさんは、その常連女性客が、あの有名な、6年くらい前にテロリストの凶弾に倒れた元・現職の日本国総理大臣と同一人物であったと言う事情には通じていなかった。一般的な日本国の国民と同様に、世情に疎かったのだ。
現店長が足を止めて、古い記憶に更けっていた僅かな間に、夜の帳が降り終えた。
気が付くと、二人の天使はいつの間にか銀杏並木から姿を消してしまっていた。
本来いるべき場所へと帰天したのだろう。
きっと、そうに違いない。カフェ「CAFETERIA HAMOREBI」の店長はそう考えて、"ご家族揃ってのご来店"を期待しつつ帰途に付いた。
「帰天」とは、ローマ・カソード教会の専門用語では、信者の死亡を意味する。
正しくは、"昇天"または"被昇天"と言う異なった言葉を選ぶべきだったろう。
無神教を自負する彼には、そう言った宗教的な専門知識には疎かった。
しかし、それ故に、物事の本質の片面を、極めて端的に思い当ててしまっていた。




