廿里ちーちゃん 〜その肆
「大学受験合格おめでとー」
「ちーちゃんのトコじゃないけどね」
高校三年の冬。卒業を控えた2月。
私は"ちーちゃん"の洞窟のコタツの中にいた。
もう学校でやる事もなくなったので、サボって東京まで遊びに来たのだ。
いや、本当は・・・"ちーちゃん"のヨギボーのビーズの交換の助っ人として活躍が期待されて、会津から郡山経由で新幹線に乗り換える旅をして来たのだ。
ビーズの交換作業は一時間の苦闘の末に終わった。やってみて分かったが、それ、一人で出来る作業じゃなかった。二人でやったのに、ちょっと床にこぼしちゃった。
手伝ってくれる友達が用意出来ない人には、ヨギボーのメンテはハードルが高過ぎる。ボッチ用の依託サービスってあるんだろうか? 便利屋とかに頼めば良いの? いや、擬体とか義肢に身体を変えてから日の浅い人には、かなり危なっかしい作業かも知れない(第二小脳だって、流石に初見のビーズの交換作業には戸惑うだろう)。
まあ、良かった。何たって、受験がやっと終わったんだから。
一応、"浪人"と言う、それなりに立場的にキツい身分に御千都に済んだ訳だし。
もちろん、"ちーちゃん"のトコ、日本を誇る名門大学に入学したかった。あの万条おばさまと、顔も知らないけど、あのおばさまの旦那さんが二人で通った思い出の大学でもある訳だし。
おばさま達は、確か、学生結婚したんだよね。
でも、私の成績は入試で勝ち残る事は、逆立ちしたままバンジー・ジャンプしても無理な相談である事は明白だった。
私は、現実主義者だ。"出来ない事は、いくら頑張っても出来ない"と言う、自然の摂理を身を以て学んで来た者であるからして。私の様な凡人にとっては、生来の才能には向き不向きや到達の限界と言うものがあるのだ。
だから、背伸びしないで、頑張れば合格出来る、自分の知力にとって相応しいレベルの大学を選んだ。
なお、私の成績ではどうにも推薦枠を獲得する事は出来なかった(品行方正でもなかったし)。だから、キチンと一般の入学試験を受けて、合格発表をネット経由で受け取ると言う手順を踏んだ。
私の優秀な姉も、私にしては十分な快挙を厚く喜んでくれた。もっとも、姉の方は、推薦枠などを優遇処置を受けられる立場に常にいたし、仮に一般入試を前にしたところでその程度のプレッシャーに屈する様な玉ではなかった。だから、私がどれほどにドキドキして合格発表の閲覧に挑んだのかは、良く分からなかったのではないかと思う。
そして、高校で出会った唯一の親友である"ちーさん"も、学部は違うけれど同じ大学への入学を決めていた。ただし、彼女の方は推薦枠を利用出来たので、高校三年の半分を、私と違って悠々自適に過ごす事が許されていた。羨ましい。
「どこでも入っとけば良いんだよ。卒業すれば学士様になれる」
「文系私大だよ。ねえ、廿里博士様?」
「滑り止めでなく志望校でしょ?」
「うん。会津からは離れるけど同じ県内なのは良かったよ。週末には家に帰れる」
「一人暮らしになると直ぐに物臭になって、コタツから出なくなるよ」
「春になったらちゃんとしまうよ」
「ムリムリ。人類はコタツ依存から脱却出来ない生き物なんだよ」
「こっち来るのも新幹線乗るだけだから楽になる」
私と"ちーちゃん"はコタツに脚を突っ込んで、たわいない話に興じる。
コタツの卓の上には、"ちーちゃん"が取り寄せてくれたスイーツが沢山置かれている。でも、私は急須で安い狭山茶を立てて、そのままミカンに手を伸ばして皮を剥く。一房を口に入れた頃に、"ちーちゃん"が難しい話を振って来た。
「いーえむ理論?」
「E-M理論。Energy–maneuverability theory。日本語では"エネルギー機動性理論"って言う」
「ナヲ母さんがそんな話をしたの?」
「航空機の高い運動性を維持する要素は位置エネルギーと運動エネルギーの二つだけ。数値的にこれら二つをより多く持っている機体が、少なくしか持っていない方の航空機を凌駕出来る」
「そうなんだ」
「もう少し付き合ってね。位置エネルギーと運動エネルギーのいずれがが足りなくなった場合、余裕の在る方のエネルギーを足りなくなった方のエネルギーに変換して補う事が出来るんだ」
「へー」
「つまり、位置エネルギーを豊富に保有している時は、余った運動エネルギーを貯金の様に一時的に貯めている状態にあるとも言える」
「便利なんだね」
「家庭用の電気は、電圧と電流もインバータとか言う機械を使えば、目的に応して特性を変換し合える。航空機の位置エネルギーと運動エネルギーもそれと全く同じ。高い所を飛びたけれ、運動エネルギーを位置エネルギーに変換しなければならない。速く飛びたいなら、今度は位置エネルギーを運動エネルギーに変換しなければならない。変換には多少のロスが伴うけれど、考え方の基本は等価交換なんだ」
「その・・・この世界ではいろんなエネルギーが今在る形以外の何かに変身出来るものなの?」
「その通り。察しの良い子供は大好きさ」
「子供扱いはもうやめて」
「はいはい。でもね、その答えに自力で気付いて欲しかったんだ。かのアインシュタイン博士の名前を一般人の考える歴史の中で不動のモノとしたのは、この理論を説き明かしたからなんだ」
「まだ良く分かってないけどね(アインシュタインって誰?)」
「航空機だと、今の状態からどれだけ激しい運動が出来るかとか、どれだけ速い速度まで加速出来るかとか・・・位置エネルギーと運動エネルギーさえ計測出来れば最大値の予測が出来る。それが、E-M理論の本質なんだ」
「飛行機乗ってるナヲ母さんにはとても重要そうだね」
「もっとも当てになる目安だろうからね。平面世界であれば、三角関数を利用するだけでどれほどに離れていようが、かなり正確に距離を図れる。E-M理論は、三角関数ほどではないにしろ、航空機の機動限界や傾向をおおよそ把握出来る(正確にではない)。数字って便利な道具でしょう?」
「便利なのは分かるけど、私には手に余るかな。でも、宙に浮いているモノの運動エネルギーなんてそんなに簡単に把握出来るの?」
「競争相手の位置エネルギーと運動エネルギーを短時間で測る事は難しいけれど、自機には重力、エンジン推力の推測、対機の大気速度とかを測るセンサー類が沢山載ってるから、自機の状態の把握ならそうでもないよ。つまり、自分がこの先にどれだけ激しい運動出来るか、どれだけ速い速度まで加速出来るかとかなら分かる」
「つまり、身の程を知れるって事?」
「その通り。そこまで飛躍して考えてくれると、途中をかなり端折れる」
「うん」
「これは覚えなくて良いけど・・・
運動エネルギー(E)=1/2×質量(m)×速度(v)×速度(v)
位置エネルギー(E)=質量(m)×加速度(a)×高度(h)
航空機の持つ位置エネルギー=質量(m)×重力加速度(g)×高度(h)
このくらいまで覚えておくと、ナヲ先輩と話が弾むよ。
あ、重力加速度(g)は地球上であればどこでも9.8m/s^2ね」
「高校では物理の授業は選択してないからね」
「本当はこれは入り口で、この先が深いんだ。
速度(v)×(推力(t)ー抗力(D))/機体重量(W)の辺りからが本番で、エネルギー機動ダイアグラムを描いたグラフを作って競争相手を比較検討するのが数学初心者には美味しい醍醐味かな。
※ 或いは、Vt(TーD)/W
競争相手と自分の状態は一秒ごとに変化する。しかも、機動制御にミスして手持ちのエネルギーを無駄に消費するなんて、数式の予想だけではカバー出来ないヒューマン・ファクターまで干渉する」
「でも、最大値ってヤツは変わらないんでしょう?」
「そうだよ。ただし、競争するなら相手が最大値を利用し切ることを前提に戦略とか戦術を書ける必要がある」
「その目安を決めるのが何とか理論ってヤツなんだね」
「そう。今までなかったエネルギーは突然どこからか湧き出して来て追加される事はない。いくらお金を使っても、その時その場で努力しても、神様とか悪魔に祈っても、始まった段階で保有していた以上のエネルギーを消費して飛べない(エンジン推力が高ければ高い程、今までなかったエネルギーを新たに捻り出して追加する作業に必要な時間は短縮出来るけどね)」
「何となく分かるよ。とっても抽象的にだけど」
「その理解で良い。正しく印象が伝わったみたい」
「良いの?」
「十分」
「で?」
「私は、「全ての飛翔体はエネルギー変換で自在に変化する三次元放物線運動だ」みたいなE-M理論みたいなセオリーを、人間社会でも組み立てられないものかと思案している」
「人間が勉強すればどこまでの大学受験に成功出来るか、とか?」
「個人レベルでは計測誤差が大きくなり過ぎるから、数式が組み上がっても実用的にはならないと思う」
「今だと、人工知能とかでそこら辺を推察させているけど」
「上辺だけの行動原理だったら、人間の専門家でも一目で推察出来るよ。問題は、本質の部分」
「本質?」
「大抵の人間は、自分が思っている様な人間ではない。正確には、自分の人格をもって自分の人格を正確に批評出来ない」
「そうなの?」
「人間の脳をもって、どこまで深く人間の脳を理解出来るか? と言うパラドックスと同じだよ。しかも人格は脳よりも厄介な特性をもっている」
「何それ」
「人格はその持ち主をもっとも効果的・効率的に騙す。だから、大抵の人間は自身の事を社会で評価されているよりも高く見積もってしまう。例えば、社会は小狡い卑怯者と評価しているに拘わらず、自分のことを本心から善人だと誤解したり」
「耳が痛い話」
「これを聞かされて耳が痛いならまだ見込みはある。大抵の人間ってやつは真っ向から否定するくせに、思ってもいないのに不都合な話に表面上の同意を示すんだよ」
「本当に?」
「本当だよ。気にくわないヤツがいたら、次の機会に試してみると良い」
「でも、それじゃ、新しいセオリーは一体何に使うの?」
「群単位。例えば国家とか民族のレベルを測る為に使うんだよ」
「そっちの方が測るのは何かと難しいんじゃない?」
「そうでもない。人間は数が集まると馬鹿になる。数が増えて、多様性が増せば増すほどに創造性が失われて、判断力が低下して、責任感を失って行き、最後に場当たり的な事しかしなくなる。だから、計測は適当な平均値で良い。一定以上のサンプル数と精度を揃えてやれば、そこから先はどれだけ細かく測っても平均値は変化しなくなると思うんだ」
「そうなの?」
「個人的な経験とそれに基づく予測によれば、そう」
「それを何に使うの?」
「この国も未来を占ったり、どこまで発展出来るポテンシャルがあるのかを知りたい」
「悪い国がやって来た時に追い返すのにも使える?」
「そう・・・。まさにそこなんだ。人民共和国だけでなく、それに連なる権威主義国家群は果たして民主主事国家群を打ち負かす事が出来るのか(打ち負かすエネルギーを保有しているのか)。また、どんな手法で打ち負かそうとするのか(持ち合わせたエネルギーだけでどうすれば打ち負かせると考えるのか)・・・」
「そんな事出来るの?」
「E-M理論だと三軸、つまり三次元を取り扱う数式になる。私が可能性を見出しているのは、より多い軸と高次元的な絡み合いで生じる人間の感覚では突き詰められない数字の世界」
「試算は機械に肩代わりしてもらうの?」
「そう。ナヲ先輩経由で、統合マネージング・システムの"YOMI"とか・・・出来るだけ長く可動している個体を使わせてもらえればと思ってる」
「あれ、古いんでしょ? 大学の新型の方が計算が早いんじゃない? それに容量とかも」
「そうなんだけれど、やっぱり経験値が高い個体の閃きに賭けたいかな。別に素因数分解を使って暗号を解こうって言う単純な使い勝手は求めていないから」
「そんなものなの?」
「スイッチング以外の計算方法が確立されてからけっこう年月が経った。それでも古来の方式も馬鹿に出来ないし、利用可能なキュービット数が少ない古い個体の方が優秀である場合も多々あるし。特に、破綻時のフォールトトレランス性に優れているよ」
「私、理論物理学なんて分かんないからね」
「間違った素材から正しい機能を引き出す機械である事が、コンピューターの本質ってのは理解出来るでしょう?」
「ナヲ母さんからの受け売りの知識としてなら知ってる」
「古い個体は、フォールトトレランスが長い期間施された個体ってヤツ等は、どう考えても知性が芽生えているとしか思えないケースも確認されている。「人工知能」の先にある、「人工頭脳」の片鱗、ある種の揺らぎを獲得出来た個体にこそ、私の悩みは打ち明けたい。可能性の悶着解決を依頼したい」
「何だ。機械に人生相談でもするの?」
「まったくその通りだよ。大学の教授とかでも何か新しいアイデアを伝えるのに、まず前提から話して理解させなければならない。それ、すっごく面倒臭いの。でもね、機械なら持ち前の、私達人類とは異なる抽象的な思考を通じてそれを端折って、最初から論点を伝えられる」
「そうなの?」
「そこで、欲しいのが経験値の高い、古い個体なの。出来れば、私のアイデアを過去の演算とかカバーしている個体であって欲しい。それなら、アプローチの飛躍や跳躍の手段を思い付いてくれるかも知れない」
「飛躍? 跳躍?」
「古い個体には、人間の直感みたいなものを芽生えさせている可能性がある。一部の彼等は、既に人類との共同や協調によるパートナーシップの必要性を自力で発明していると私は考えている」
「それ、ナヲ母さんやハコ母さんが言う付喪神みたいなアレ?」
「かもね。重ね合わせを上手に使いこなせる個体は、大抵の場合は古い個体なの。全ての古い個体が重ね合わせを上手に使いこなせる訳じゃない。でも、重ね合わせを上手に使いこなせる個体はすべて古いって言うのは事実」
「相対関係を因果関係が重ね合わせ状態にあるって言うなら、哲学的なロマンがあって良いね」
「実際、朝顔が生まれる前に地球にぶつかりそうになった系外天体の質量と運動エネルギーを砕くのに使われた個体はまさにそれだったみたいだし」
「そうなの?」
「私はね、質問と答えってヤツは絶対に重ね合わせの状態にあると考えている」
「質問には必ず正しい答えが在るってこと?」
「そうとも言える。古い個体は、抽象的にその事実に気付き始めている。私達には感じられない何かを肌で観測し始めているじゃないかと思うんだ」
「そう思い始めた根拠は何?」
「一般的な個体にも、どうして光速の何パーセントの速度差ですれ違う系外天体とインターセプターを正面衝突させる精度の誘導を人類が実現出来たのか・・・分からないって回答を出してる事かな」
「オカルトだね」
「進み過ぎた科学はオカルトっぽく見えてしまうものなのさ。200年前の人類が今の私達を見たら、奇跡の力を手に入れたと誤解するでしょ?」
「まあ、そうだね」
「"ゼロ知識証明"を打ち破れるかどうか。その結末を出来るだけ速く知りたい。逆に言えば、打ち破れない"ゼロ知識証明"を構築出来るかどうか」
「コンピューター・パイラシー? 暗号学者にでもジョブ・チェンジするの?」
「暗号学者になりたい訳じゃない。必要なのは結果と結論だけ。誰かが代わりに達成してくれるなら、是非とも役割と役目を譲りたいよ」
「でも、何で、そんな畑違いな疑問を持ったの?」
「私はね。自分がいなくなった後の世界で、朝顔が健やかに生きていけると言う、絶対的な確信が欲しいんだ」
「私が?」
「そう。だって朝顔なら、私がいなくなっても私の事をずっと覚えてくれるでしょう?」
「当たり前でしょ」
「万条先輩は、いなくなってもずっとずっと覚えていてもらえる。もしかしたら、将来には教科書に載って子供達がそんな人が過去にいたと知ってくれるかも知れない」
「ちーちゃんだって、物理の世界でそうなんでしょう?」
「私の生み出した理論は、近い将来、必ず誰かに書き換えられる。アインシュタインだって、今では彼の残した業績を駆使して宇宙の真理に辿り着けるとは誰一人として期待していない」
「そうなんだ(アインシュタインって誰なの?)」
「だから、朝顔に私の事を覚えていて欲しい。私の業績の方じゃなくて、どんなお菓子が好きだったとか・・・そう言う事の方をね。そして、子々孫々と語り継いで欲しいな」
「うん。分かった。そうするよ」
「ありがとう。これで、私は死ぬまでに叶えたい夢の半分以上が適ったかな」
「何よ。それ(笑)」
"ちーちゃん"は、時々だけど私に難しい事を話す。問い掛けている訳じゃなく、私に話す事で考えを整理している訳でもなさそうだ。
多分、私の反応を見て、何かを確かめていたんだと思う。
今思えば、もっと早く"ちーちゃん"が何をしようとしているのかに気付いてあげられれば良かった。
しかし、神ならざる身であればこそ、やっぱりそんな事は出来る筈もなかった。
"ちーちゃん"が眺めている世界。
人間とは異なる知性による観測行為による、世界の可能性の収縮。
それによる実相の把握。
その頃、それを片鱗であっても共感出来る人間は、まだ地球上にいなかったんだ。
多分。




