廿里ちーちゃん 〜その参
「ねー。ちーちゃん」
「うん?」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「万条おばさまが死んじゃった」
「そうだね」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「ちーちゃんは悲しくないの?」
「どうだろう」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「?」
「まだ、考え中。気持ちの整理が終わってないんだ」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「整理?」
「何が起こったのかを事象面から捉える作業は終わっている。でも、それが自分にとって精神的にどんな影響をもたらす事だったのかをまだ把握し切れていないんだ」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「・・・それ・・・ちょっと分かるかも」
「朝顔もこちら側の人間なのかな」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「今日、ここに来る直前に、おばさまが死んじゃってもう二度と会えないって、やっと分かった。一週間も掛かった」
「それで私に会いに来たの?」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「そう・・・だと思う。どうしてもちーちゃんと話がしたくなった。いても立ってもいられなくなった」
「そうなんだ」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「私はとても頭が悪いだけじゃなくて、あまりにも薄情なんじゃないかと・・・」
「どうして?」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「家族はみんな、おばさまが死んじゃって悲しんでいる。特に、ナヲ母さんは、今思えば、名古屋で別れた時も背中で泣いてた。でも、私はついさっきまで平然としていた。平然と出来ちゃっていた。家族の気持ちも良く分かってなかったと気が付いた」
「そうかー」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「あんまりに鈍過ぎた。って分かった」
「それは違うと思うよ」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「何で?」
「人にはそれぞれの速度と言うものがある。らしい」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「そうなの?」
「らしい。私もこの歳になってやっと分かった」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「この歳って・・・」
「忘れないで。こんな見た目だけど、貴女のお母さん達と同年代なんだからね」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「そっか。そうだね。ごめん」
「私はね。一般的な診断では間違いなく発達障害だから、朝顔の言うみんなとは、どうにも足並みを合わせて生きていけない。例えば、同じタイミングで喜んだり、悲しんだり、怒ったり、大切な時間を分かち合う為に不可欠な経験を共有する事が出来ない」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「なんで?」
「理解するのに時間が掛かるから、みんなから見たら全部の反応が遅れて、何で今頃? みたいなタイミングで追い掛けて来るの」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「そんなに頭が良いのに?」
「もしかしたら、感受性の器が大きいと、それだけ多くの情報を詰め込んでしまうのかも知れない。それなら、それらを処理するにはみんなよりも沢山の時間が掛かってしまう・・・なんて説明が付くかも知れない」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「そっか・・・」
「悲しくないわけじゃない。悲しまないわけでもない。でもね。中途半端な認識で悲しみ初めても、出会した悲劇を十二分に嘆く事が出来ない」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「十二分に? ただありのままに悲しむだけじゃダメなの?」
「ダメかな」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「どうして?」
「十二分に嘆けないと、襲ってきた悲劇を乗り越えられない。人生を前に進めない。私の場合はね」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「絶対に?」
「そう。絶対に。乗り越えないと、何時までも悲しみとか後悔を引きずって生きる事になる。私達以外のみんなは、才能があるからすぐにでも、有り合わせの理解でも十二分に嘆ける。それでも、みんなに含まれない私達にはその才能がないみたいから、時間を掛けて少しずつ、着実に認識を深めて、悲劇の本質を捉えて、辛さを噛み締められるようになってから・・・それから嘆き始める必要がある」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「私もちーちゃんと同じなの?」
「そうみたい。・・・それと・・・」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「それと?」
「・・・多分、万条先輩も朝顔と同じだったんじゃないかと思うよ」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「そうなの?」
「絶対にそうは見せなかったけれどね。だって、あの人は、ふりが誰よりも上手だったから」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「ふり?」
「生まれながらの政治家だったんだろうね。周囲の人間から求められる反応を大規模演算で割り出して、更にその中の最大公約数を選んで、間違いなく演じられる才能の持ち主だった」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「それじゃ、私を可愛がってくれたのもふりだったの?」
「逆だよ」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「逆?」
「どこにでもいる普通の子供として、朝顔を扱っているふりに徹していた」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応える。
「そうなの?」
「私の目には、痛いほどにその葛藤が見て取れた。もちろん、みんなにとってはそうでなかったろうけれど、私にはあの人の拘りの深さと強さが尋常でないものにしか見えなかった」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「どうしてだったんだろう?」
「それは、もしかしたら、朝顔
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「そう言うものなの?」
「飽くまでも些末で有り触れた仮説の一つだよ。だって、私には子供を産んだり、育てるなんて未来を体験出来る見込みはないから自力じゃ実証や検証は出来ないんだから」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「・・・ごめんね」
「謝らなくて良いよ。私の人生
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「うん。ありがと」
「だから、この仮説の検証は任せたよ。もし、その結論が出たなら、墓標の前からでも良いからでも良いから私にキチンと報告して欲しい」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「うん。そうする。忘れないよ」
「期待してるよ」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「ちーちゃんと母さん達は、万条
「その話
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「どう言うことなの?」
「私が好きだったのはナヲ先輩。万条
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「ちーちゃんはおばさまの事が嫌いだったの?」
「嫌いじゃない。でも、苦手だったかな」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「苦手?」
「ほとんどの人からも一人の人間として評価してもらえなかったあの頃の私には、誰からも高く評価されて好まれている万条
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「どういう事なの?」
「あの頃の私はナヲ先輩にへばり付いていなければ、誰からも素通りされちゃう面白みのない子供だったんだ。壁
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「Wall flower?」
「パーティーに参加しても、誰からも声を掛けてもらえないから最初から最後まで壁際に立っている女の子を指す言葉。古いアメリカ映画で良く見掛ける文化知識だよ」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「そうなんだ」
「そう。だから、万条
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「それ、私にもちょっと分かるかな」
「朝顔
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「うん。お姉ちゃんの事は大好きだけど、一緒にいると、不意に自分がとても惨めに感じるんだ。どうしようもないくらいに」
「そうなんだ」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「でもね。万条
「・・・・・・だろうね」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「え?」
「いや。ね。うん、そうだな。万条
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「どうしたの」
「あの頃の私は、万条
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「完璧超人だったでしょ?」
「うんうん。今では誤解だったと感じる。今考え直してみれば、あの人だって、どこにでもいる人間の一人だったよ」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「どこにでもいる?」
「そう。私や朝顔
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「そうなの?」
「もっと早くこの事実に気付いて、こちらからキチンと話しかけてみれば良かったな」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「?」
「実はね。私の方から万条
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「何で?」
「自分を一人の人間として見てもらえていると言う自信が無かったから。多分、ナヲ先輩のオマケ
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「ちょっと驚いた」
「私も驚いてるよ。こんな事をナヲ先輩以外に話している自分にね」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「ちーちゃんは、私の数少ない何でも話せる友達だよ」
「ありがとう。こう言う遣り取りを万条
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「ふ〜ん・・・」
「その辺りの葛藤があったから、社会へ参加するモチベーションが物凄く低かった。天体物理学の事なら人並みに分かるけれど、人間と人間の関係の構築とか駆け引きとはか今でも十分に分かっているとは言えない」
"ちーちゃん"はヨギボーの上から応
「それは私も同じ」
「朝顔
"ちーちゃん"はヨギボーの上から成就的予言を下してくれた。
その時、私は気付いた。仰向けになってヨギボーに覆い被さっている"ちーちゃん"の瞳から、一筋の涙が流れ落ち始めているのを。
きっと。何で今頃? みたいなタイミングで、おばさまが亡くなられた悲しみが追い掛けて来たのだろう。
私と"ちーちゃん"の気持ちは完全に重なった。
"ちーちゃん"が言う通り、私達は本当に同
そして、もしかしたら、万条
おばさまがテロに倒れた。
彼等は心の底からその暴挙を満面の笑みで祝福しているけれど、テロが日本国の社会的な流れを少しでも彼等が好き勝手出来ていた過去
TVの画面に次から次へと登場する、「良識を持ち合わせた知識人達」とされるコメンテーター達は、そんな明白な事実を絶対に認めないだろうけど。
歴史の世界では、テロがテロリストが社会を望んだ方向へ誘導出来た例はないと言うのが有力な見方らしい。
つまり、おばさまを殺害した努力は、テロリスト達にとっては、今となっては大した意義も意味もなかったと言う事になる。
それはそれで、腹立たしい。
命を奪われた方も、命を奪った方も等しく不幸であり、幸福にもならなかった。
だったら、どうしておばさまを殺す必要があったのだろうか?
意味の無い事の為に、私達はおばさまを永遠に奪われてしまった。
何と言う事だ。何と言う取り返しの付かない事をしてくれたと言うのだ。
ここに、十二分に悲劇を嘆く為に必要な条件が、今、やっと整った。
御陰で、私は鬱々とした悲劇を存分に乗り越える事が出来た。
いや、私達は。か。
私、森
その食っちゃ寝は三日間以上続いた。
何日間も連絡が来ない事に、スマホが電池切れのママ放置されて久しい事に見かねたハコ母さんがナヲ母さんに事の詳細を伝達した。すぐに、ナヲ母さんが仕事の帰り道の途中で、東京の大学にある洞窟
途中、ナヲ母さんはナーヴァスになっていた。それは、ハコ母さんにいろいろな事を、それらが深く積み重なった状態を、どの様に言い訳するかを考えて頭を痛めていたからだ。
それに気付けたのは、"ちーちゃん"の御陰で心のバランスを取り戻していたからだ。だから、今の私は、大人のナヲ母さんよりもずっと沢山の余裕が心にあった。
「大丈夫。なんとかなるよ」
私がそう伝えると、ナヲ母さんは硬くなっていた表情を少しだけ緩めた。
「そうかなあ?」
「大丈夫だから」
私は、この何の根拠もない保証役を、強く強く引き受けた。
「そうだなあ」
ナヲ母さんは、少し落ち着きを取り戻して、郡山で降りる予定の新幹線のシートを後ろに倒した。
「郡山駅到着予告のアナウンスが流れたら起こして」
ナヲ母さんは、擬体を椅子の背もたれに完全に預けた。
「分かった」
「・・・」
ナヲ母さんは、私の回答を聞くことなく睡眠モードに入ってしまった。
「まったくもう・・・」
私は、その時、自分が少しだけ大人になった様な気がした。
そして、気が付く。この三日間、どういう訳か、万条
人間と言う生き物は、悲しみをこうやって乗り越えるものなのか。
その救いようのない苦しみに対する、ある種の救済が用意されていると言う制度
私は、その時、自分が、更にもう少しだけ大人になれた様な気がした。
自分にも、大人を助ける事が出来ると考えると、少しばかり自分の成長を誇らしく感じられた。
この時の私は、ナヲ母さんが、おばさまの仇敵
そして、万条
今となっては、とてもとても浅はかであったと分かっている。地団駄
子供が大人を救うと言う構図の本質は、きっとその浅はかさにこそあるのではないかと思う。
そして、今、改めてあの頃の事を考え直すと、大人と言う生き物は、「自分が大人になった」とは考えない生き物であると感じて、その恥ずかしさのあまり睡眠前に枕を少しばかり渾身の力で殴りたくなる。
つまり、「自分が大人になった」とは考えている様では、まだまだ子供のままだったと自己紹介するに等しいと言いたいのだ。
もしかしたら、この矛盾に富んだ経験こそ、万条
最近になって、自らを"一人の大人"と称する事に一切の遠慮を感じなくなった"一人の女"は、その様に感じ始めている。




