廿里ちーちゃん 〜その弐
「ねー。ちーちゃん」
「うん?」
"ちーちゃん"は大きなヨギボーの上で、微塵のバランスも崩さずに、死んでから数時間が経過した魚の様に応える。
果たして、喋るために本当に口元を動かしているのかどうかも定かではない。もし、瞳まで死んだ魚の目の様に白く濁っていたら困るなあ。
ううん。多分、"ちーちゃん"の両瞳が死んだ魚の目の様に濁っているんじゃなくて、私の両瞳の方にこそ鱗が尽きっぱなしな事が問題なんだ。
"ちーちゃん"もそれには気付いている。
そして、その原因が何かも察しが付いている。
あれほど大きなテロ事件として、TVでも全国ネットでハデに、いや、大げさに取り上げられたのだから、気付かずに済む訳がない。
あの日。6月23日。"万条おばさま"がお亡くなりになられた。
前・日本国内閣総理大臣「万条 菖蒲」。これが万条おばさまの公式な呼び方らしい。少なくとも、TVではそう呼ばれている。
ただし、万条おばさまが殺害されたのを知って、まるで子供の様にはしゃいでいる有識者ばかりが登場するTVプログラムが多いのには驚いた。
政治家だったのだから、政治的信条でおばさまと敵対する人が多いのは避け様のない事実だろう。たった一人の反対もなしで、国家運営を実現出来る様な賢人はいない。人類は驚いた事に、反対の為の反対と言う反則技までをも発明している。だから、それは仕方がない。
権威主義国家では、たった一人の反対もなしで、国家運営を実現中であると世界に向けて宣言し続ける指導者が度々登場する。しかし、それは暴力によって全ての反対を物理的に抑圧したり、無理矢理に掃除した結果に過ぎない事を私は知っている。そして、おばさまが生前に治めていた日本国の運営方法は、そう言う乱暴な国家のそれから最も遠い事も十二分に承知している。
にも関わらず、TV番組では、おばさまの退場によって、「日本国が戦後最悪の独裁者の手からようやく開放される」と、「良識を持ち合わせた知識人達」であるとして司会者から紹介されているコメンテーター達は早口で喋りまくっている。ハイビジョン化されて久しい高精細映像である為、コメンテーター達の瞳孔が開き切っているのが見て取れる。
どうして人が一人殺されて、そんなにポジティブな方向で興奮出来るのだろうか。それとも覚醒剤でもキメてからTV番組に出演する様に、演出サイドから厳命でもされての事なのだろうか。
違うな。
一方的に仇敵であるとして嫌っていたおばさまの死に直面して、一切の敬意を払わずに、ただただ自業自得だと口汚く罵っているんだ。
番組の司会者も激しく相槌を打ち続ける。顎が外れたり、首関節がしばらくしてから痛くなるんじゃないかと他人事ながら心配になる程に。
この時に私は、自分は何が何でも政治家にだけはなってはいけないと感じた。
死んだ後になって、これほどに、自分のことがどれだけ嫌いだったかを誇る自慢大会が所々で開催される。この様な寂しく惨めな職種には就きたくない。
誰だってそう思うだろう。
私はTV番組を見えているのが嫌になって、リモコンを使って他局へのザッピングを開始した。しかし、新たに画面に選ばれた放送局でも、結局、放送しているコンテンツの内容に大きな差はなかった。
ーーー彼等が言う様に、おばさまが"戦後最悪の政治的独裁者"であったのならば、こんな放送局に国家のお墨付きで放送許可や周波数帯域の占有を許す筈がない。
(また、コメンテーターとその一族郎党が一纏めにされた上で、労働改造所とか思想学習所に片道切符だけ与えられて送り込まれない筈もないだろう。)
だから、TV番組を見るのを止めてしまった。後で知ったが、一部の全国紙と呼ばれる新聞の社説はもっともっと、情けも容赦もない内容だった。
幸運な事に、多くの地方紙と呼ばれる新聞の政治面では、テロリストの犯罪を全面的に肯定するみたいな酷い記事が多かった事だけは気付かずに済んだ。
ーーーどうやったら、それほどに自分以外の誰かを嫌いになれるのだろうか?
私は頭が悪い。だから、何がどうしてこうなっているのかが、さっぱり分からない。
それらの「良識を持ち合わせた知識人達」とやらが、万条おばさまの「何を知っているのか」と文句を言いたくなった。その想いをハコ母さんに打ち明けると、瞬時に「何も知らないから好き勝手言えるのよ」とサラッと返してくれた。
それを聞けて、少しだけ、胸の疼きが安らいだ。
頭の良い女と言うものはこういうものなのか。関心せずにはいられない。
自分にはどうにもそんな事が出来るとは思えない。
誰かに伝えたい悶々とした気持ちを、直ちに整理して、言語に落とし込んで、サクっと他人と共感出来る文章に落とし込んでしまう。
ハコ母さんのそういう特技がちょっと羨ましい。勿論、私じゃ絶対に真似出来そうにないけれど。
万条おばさまを襲ったのは、軍用ライフルを使用した長距離射撃、軍用火薬を使用した爆弾、そして、これはTVでは報道されていなかったけれど、海の対岸からの沢山のロケット弾とか言う兵器だったとか。それらが纏めて、たった一人しかいない万条おばさまを目掛けて飛来したそうだ。
その際、護衛任務に付いていたナヲ母さんが盾となって万条おばさまを守ろうとした。しかし、身を挺して、片腕を弾丸の直撃で吹っ飛ばされたと言うのに、守り切れなかった。
きっと、今でも悔しいだろう。ナヲ母さんは。
万条おばさまは、長距離射撃で特殊弾頭を撃ち込まれて、体内を弾丸に仕込まれていた悪性マイクロマシンでしこたま汚染された。結果として、生体脳を摘出する機械置治療を受けることが出来ずに、全身を生身のまま殺されてしまった。
私の身を守る為に公式な記録は存在していないそうだが、私は万条おばさまの最後を見届けた人間の一人なのだと言う。
私はその時は何も知らなかった。万条おばさまとは、また直ぐに再会出来ると信じ込んでいた。しかし、私に特別な愛情を注いでくれた万条おばさまは、もうこの地上にはいなくなってしまった。
例え、地球の裏側まで探しに行っても、世界中の落ち葉の全てを捲って裏側を確かめても、万条おばさまを見つけ出す事は適わない。
その事実に気付いたのは、万条おばさまがお亡くなりになったと聞かされてから一週間後の事だ。
私は頭が悪い。これだけは自信をもって断言出来る。だから、その重要事項を理解するに一週間もの時間を要したのだ。
私は気付いた途端に腰を抜かした。
腰を抜かしたのが自宅で良かった。
そんな事を考えていると意識まで遠のいて来た。
後の事は良く覚えていない。
しばらくしてから、ハコ母さんの膝枕の上で目を覚ました。目と目が合った。私の第一声はこうだった。
「万条おばさまにはもう二度と会えなくなった。それがさっき分かった」
ハコ母さんは、ただ頷くだけだった。ハコ母さんにとって、万条おばさまは付き合いの長い友達だったが、それでも、その時の私にはまったく察せなかったが、私からの配慮が必要な程に複雑な想いの対象だった筈だ。
にも関わらず、涙を一筋だけ頬を伝わらせてから、こう応えてくれた。
「大丈夫。私の娘の中であの女は生きている」
その言葉は本当はとても深いものだった。
例え肉体が滅んでも、人間と言う存在はそう簡単に消滅しない。私が忘れてしまわない限り、万条おばさまは私の中で生き続ける。私が万条おばさまの事を誰かに話す度に、万条おばさまは蘇る。そして、私が話した誰かがまた他の人に話せば、そこでも万条おばさまは蘇る。そう言った情報伝達の連鎖が完全に止まらない限り、万条おばさまは決して死なない。
もちろん、たった今も自分が書類上は実子として育てている養女が、自分の愛する人の心の半分を掠め取った泥棒猫の遺伝子を確実に継承していると言う、憎からずな想いもまた、いや、少なからず混じっていたのだろうけれど。
少し落ち着いてから、私はハコ母さんに我が儘を伝えた。
「東京の"ちーちゃん"に今すぐ会いたい」
私は、二人の母の後輩で、家族付き合いをしていて、同時に私を友達だと言ってくれる高名な物理学者と話がしたいと思ったのだ。
それを聞くと、ハコ母さんは私を膝に乗せたまま、腕をスワイプさせてリビングの電話を起動させた。誰かを呼び出して、身に付けているレシーバーを通じて言葉少な目に二・三の遣り取りをした。そして、電話を切った。
ハコ母さんは唐突に言った。
「ちーちゃんの所に今から送ってあげる。30分でお泊まりセットを用意しなさい」
「え?」
「車で送ってあげる。ちーちゃんも朝顔に会いたいってさ」
「いいの?」
「良いわ。だけれど、特別。今回だけだからね」
私はハコ母さんの膝からそのまま跳ね起きて、一番でっかいバックパックに必要になるかも知れないものの全てを、大急ぎで突っ込んだ。
10分後、用意を終えて、二階の自室からリビングへ駆け降りて行くと、ハコ母さんは車の鍵一つだけ手に取った。
「じゃ、行こうか」
ハコ母さんは、近所のスーパーに買い物に行く気楽さで福島県の会津から東京の"ちーちゃん"の所までドライブする気なのだ。
私は、ハコ母さんの古い車のハッチバックを開けて、中にあるジャングルジムの様に組まれた鉄棒を避けて、パンパンに膨らんでいる一番でっかいバックパックを何とか押し込んだ。
ハコ母さんが車のキーを回す。2T-GEU型とか言う古いエンジンが目を覚ました。直ぐにオイルが定格まで温まって音が安定する。
とても小さい白い車だ。私が生まれる前から乗っているらしい。友達の家の車とはとても違う。でも、私はハコ母さんの車が大好きだ。
車庫の扉を閉めたハコ母さんは、私のシートベルトの状態を確認し終えると、すぐに車を発進させた。そして、郡山から東北自動車道へ入った。
途中、車の中で、私達は一言も話さなかった。途中、一度だけパーキングエリアに寄った時に"ちーちゃん"へのお土産を渡してくれた時も、ハコ母さんは無言で手提げ袋を渡してくれただけだった。
子供ながらにその時に察した。万条おばさまの消失は、私だけでなく、他の大人達にとってもとても大きな心の穴を開けっ放しである事を。
ナヲ母さんと別れて、毛利じーちゃんに送られて会津の家に帰宅して以来、二人の母さんはまだ直接に顔を会わせていない。
ナヲ母さんもそうだけれど、ハコ母さんも、万条おばさまがいなくなった新しい世界に少なからず戸惑いを感じている。
そう思うと、気分が塞いでいる自分の小ささを思い知らされる。その時は、自分に対して、母達の娘であると言う理由だけで優しかった女性ともう二度と会えなくなってしまった事など、きっと二人の母の抱えているやるせなさと比べれば、取るに足らない些事であるに違いないと感じさせられた。
実は、それは大きな誤解であり、私は二人の母よりもずっと深く悲しむ権利があったのだが、それを知らされるのは、この時からずっとずっと先の出来事であった。
ハコ母さんのアクセルを緩めない運転の御陰で、三時間もしない内に車は"ちーちゃん"の大学の駐車場に収まっていた。
ハコ母さんは、巨大なバックパックを背負う私を、"ちーちゃん"が籠もっている穴蔵まで送ってくれた。
駐車場へ引き返す前に、「ちーちゃんによろしく」とだけ喋った。そして、私の背中を強く押した。
ーーー前へ進め。
と言う事なのだろう。物理的に脚を進めるだけでなく、精神的にも魂を成長させろ。強くなれ。そう求められている事を肌越しに感じた。
だから、私は振り向いて車のドライブシートへ戻るハコ母さんの背中を目で追わなかった。穴蔵のドアをノックして、返事も待たずに内へ内へと入り込んで行った。
ハコ母さんが持たせてくれた、「CHEESE CAKE 那須に恋して…。」と「那須高原バウムクーヘン」を詰めた手提げ袋一つを頼りして。




