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命を継ぐ者。 〜 Inherit the Life. 〜  作者: すにた
第五章 綿津見の随に
28/143

はじまりがおわる。 〜その伍

〜インドネシア共和国領海、インド洋、バトゥルムブン連島。

 イブン・タナカ中佐の操艦によって、日本国・海上自衛軍・通常動力型潜水艦・SS-513「たいげい」は、不審潜行船より一足先にインド洋側へと到着していた。


 それまでの間に水面に近付くまで浮上して、引き込みケーブル式のブイ・アンテナ深度を取った。御陰でGPSシステムとの再接続が適い、慣性航法装置だけで確認していた自艦の位置把握情報のアップデートまでも終了していた。


 艦外が見えない発令室にいながら、自分達の足下にどんな海底地形が広がっているのかをかなり高精度に思い浮かべられる様になっていた。


 イブン・タナカ中佐は、自艦の正確な座標と機械を通じで得られる"神の視界"を的確に利用して、「たいげい」をバトゥカンディカン島とバトゥジネンガン島の海中の切れ間、島の海岸線から突然に切り落ちる崖に沿って上下する水流に影響されない程度に離れた水中、ほぼ深度100mで角度ゼロの自動懸吊状態を取らせた。


 この地形は「たいげい」にとって一方的に有利なものだった。不審潜行船のアクティブ・ソーナーはキチンと届かないが、「たいげい」側のパッシブ・ソーナーは有効となる障害物に潜みながら、「遠征33号」がロンボク海峡を通過し終えるのを待ち構えていた。


 ロンボク海峡を行き交う通常の海流だけでなく、普段は生じないイレギュラーな深層海流の上昇によって、ソーナーが拾える「遠征33号」の"音"は極めて限定的だった。


「遠征33号」の背後という身を隠すには絶好のポジションを捨てて、敢えて小島の反対側と言う異なるを航行した。その為に、「たいげい」は不審潜行船の存在把握を一時的に失っていた。


 しかし、「遠征33号」が珊瑚海ではなく、大スンダ諸島沿いにインド洋を目指しているならば、必ず「たいげい」の船首前をほとんど同じ深度で横切る。絶対に再捕捉出来る筈だ。


 つまり、仮に、「遠征33号」が現れなければ、敢えて襲撃を行う必要性が失われたと言う事になる。


 その場合は、短期間だけこの水域に潜み続ける。「遠征33号」などの不審潜水船が、引き返してこないかをチェックする為だ。念のために現在の水域に張り付いて、"万が一のケース"への配慮の為にこのまましばらく待ち構えるのだ。


 本当に「遠征33号」による襲撃の可能性が消えたならば、その後は、当初の予定通りスラバヤの軍港を目指して、ロンボク海峡を北上するコースへと進路を戻す事になるだろう。


 艦内を歩き回って、状況の把握を終えた艦長の菊池 敬吾二佐は、イブン・タナカ中佐の横に寄り添っているだけだ。操艦を引き取るつもりは、今のところはなさそうだった。


「そろそろだな・・・」


 イブン・タナカ中佐は、左手首に撒かれている腕時計(プロトレック)を覗き込みながら独り言を呟いた。


 イブン・タナカ中佐は、菊池 敬吾二佐の顔を覗き込む。妙に涼しげな表情を向けて来る。その瞳は、「やっちまえよ」と無言で語っていた。それで、中佐は決心がついた。


「副長。音響ホーミングで長魚雷を発射管1番〜4番まで装填。後に直ちに魚雷管に注水を開始」


 副長が艦長の顔色を一瞬だけ窺う。そのまま復唱。音響環境が何かと複雑な沿海・浅海域でに索敵・誘導を得意とする18式魚雷の発射準備が開始される。


 確実に相手を刺せる(・・・)有線誘導を選択する誘惑に打ち勝った。これから何が起こるか分からない、複雑な潮流が近くに存在するこの海域では、18式魚雷本来の追尾能力に素直に頼り切った方が効果的な戦果を引き出せると判断しての事だ。


 聞く所に寄れば、音響画像センサーが極めて優秀で、標的側の欺瞞行行為が困難であるらしい。特に自己判断で働くアクティブ磁気近接起爆装置については、台湾民国海軍が技術供与を強く求めてもいるそうだ。


 魚雷管への注水を会敵前に終えてしまうのは、注水音を「遠征33号」に捉えられない為だ。自艦の近くで独特な水音を察知して、狙われている側の艦の椅子に座っているソーナー・マンの背中からお尻に掛けて、びっしりと汗をかかせない為の紳士的な配慮である。


 実は、潜水艦同士の戦闘と言うのは、そう頻繁に発生するイベントではない。だいたいの場合、潜水艦vs水上艦と言う異種艦バトルとなる。だから、潜水艦vs潜水艦と言う戦闘は、ほとんどの海軍が経験を持ち合わせていなかった。


 それもそうだ。潜水艦同士では、基本的に近距離での遭遇戦となる。その場合、潜水艦が保有するもっとも上等なカードである、隠密性と言う有利をかなぐり捨てて、敢えて獲物無しで殴りかかる様なスマートさに欠ける戦いに甘んじるしかなくなる


 −−−そう言う不効率を、好んで採るのは馬鹿だけである。


 本来なら、インドネシア海軍に通報して、対潜水艦訓練を積んだ多数の水上艦艇に追っかけ(ネットワーク中心)(ASW)してもらうべきなのだ。


 しかし、今は有事。民主主義国家群と権威主義国家(+α)が低強度紛争(LIC)(= Llow intensity conflict)の真っ直中。


 敢えて、そんな不効率を採る馬鹿にならざる得ない場合もある。


 東シナ海、インド洋、太平洋などの水下では、知らぬ間に戦闘が一方的に終了済み。


 東シナ海の水上では、両陣営の打撃艦隊同士が、有利な攻撃位置の取り合い的なマウントの取り合いを演じている。


 民主主義国家群へ、非正規メンバーのオブザーバーとして、更にその末席的にふわふわとした状態で参かしているインドネシア海軍は、多くない手持ちの海軍戦力のすべてを地政学的なチョーク・ポイントへ既に配備済みだ。


 だが、インドネシア共和国海軍の場合、手持ちの防衛戦力が少ない。数の上では圧倒的に劣る人民解放軍・海軍を相手にするには不十分が過ぎる。


 インドネシア共和国海軍も、ある程度の危機感を持ってチョーク・ポイントに防御線を展開している筈だ。だが、全ての穴を塞げる筈もない。その穴を利用して、すでに"脅威"が潜り抜けていた。


 この事実は、インドネシア共和国海軍としても、イブン・タナカ中佐本人としても、極めて大きな想定外だった。だが、もし、ここで領海線近くへ構築した防御線へ割いた戦力を呼び戻して忍び込んだ"脅威"の捜索を始めてしまうと、ただでさえ目の粗い防御網にさらに大穴を開けてしまうかも知れない。


 もし、防御網の向こう側で浸透を狙っている別戦力が待ち構えているのならば、その隙を突いて大量の雪崩れ込んで来るに違いない。


 元の木阿弥である。動きたくても動けない。動く様に仕向ける事こそが、"脅威"が狙っている目的である可能性も高い。


 ーーーインドネシア共和国海軍は、駒落としのハンデを奪われた状態で戦う事を余儀なくされている。


 こうなると、運悪くその脅威の対処は、自国領海内で発見してまった友軍に頼り切る方がマシとなってしまう。しかも、相手側は「やってくれる」と言っている。


 だいたい、潜水艦の有利を全て捨てて殴り合う事になるのは、自国の軍人ではなく、友軍の軍人なのだから、インドネシア海軍としては、この判断を下すのに躊躇する理由はなかった。


 まあ、ポーズとして、友軍のリエゾンの自尊心を過大に刺激する言葉を贈るなどの努力は払ったのだろうが。


「ーーー感あり」


 ソーナー・マンが雑音を除去しながら、オシロスコープを模した波形ウインドウを比較する事で音源の正体を特定した。


「音紋が一致します。例の不審潜行船「イー」です。ロンボク海峡を抜けました。距離21海里(40km)。水深200mの下方。こちらへ向かって来ています」


 イブン・タナカ中佐は、「やはり」と唸った。いつの間にか、海峡通過直後に深い海に潜っていた。それで再捕捉見込み海域への到達が遅れたのだ。その態度からも、不審潜行船「イー」が、極めて高い確率で不埒な命令を本国から受けていると確信した。


 実際、不審潜行船「イー」の本国と覚しき人民共和国は、日本国への陸上兵器による直接攻撃を実行済み。これに対して、海中兵器よる攻撃が行われなかったのは、不審潜行船を送り出した本国が、何も自重したり配慮した訳ではない。


 単に、日本国側の積極的(・・・)防衛行動によって、そのパワーを使用する前に無効化されてしまったからだ。


 日本国は、自国の周辺だけでなく、東シナ海やインド洋などでも、人民共和国の原子力潜水艦を常に監視していた。自国の領海内や排他的経済水域に無断侵入した原子力潜水艦が、潜水艦搭載弾道ミサイルに発射準備状態に入るようならば、するべき対応はたった一種類(BM戦闘阻止)しかない。


 日本国は、実際にその決断を無言実行してみせた。戦う前にやたらにマイク・トークでバトルする芸人プロレスラーの様な権威主義国家とは違って、予告して置いた一線を越えた瞬間にトークではなく、ナックル(フィスト)によるバトル(コミュニケーション)を一方的に開始した。


 それでも、それほどに統一された意思を持ってしても出来る事と出来ない事がある。防衛線の穴は完全に塞がれていた訳では無い。チョーク・ポイントや水中固定聴ポイントを通過した、全ての仮想敵国の通常動力型潜水艦の追尾までは対応出来ていなかった。捕捉した仮想敵国の艦の数があまりに多過ぎて、流石にそこまでは手が回らなかった。


 ーーーやはり、戦いは質より量である。


 現在、インドネシア共和国領海内を彷徨(うろ)いている不審潜行船「イー」はそんな、放置された艦の一隻だった。


 もっとも、通常動力型潜水艦は、対地攻撃に限れば、脅威判定はそれほどに高くなかった。何故なら、搭載出来る武装も少なかったし、艦そのものの航続距離も、原潜と比べれば海図上で回転させるコンパスの角度もかなり限定的だからだ。


 更に、通常動力型潜水艦に、最大の懸念となる核弾頭を搭載する"究極の飛び道具"が搭載される見込みは薄い。"究極の飛び道具"とは、飽和攻撃の中に混ぜ込んで打ち上げなければ、攻撃対象国側が用意している迎撃ミサイルによって、比較的簡単に処理されてしまう可能性が高いからだ。


 21世紀になって加速した、パトリオットに始まる迎撃専用ミサイルの進化は伊達ではない。だから、打ち上げた数が少なければ、攻撃ミサイルは十中八九は海上を抜ける前に迎撃ミサイルのもてなしを受けて、敢え無く海の藻屑とされてしまう。


 また、飽和攻撃を行わずに、仮に一発や二発の飛び道具がまぐれで陸地まで届いたとしても、もし通常弾頭であれば、その効果はせいぜい嫌がらせくらいにしかならない。


 そうなると、通常動力型潜水艦に搭載するハープーン擬きを使用して、効果的な戦果が引き出せるのは、イブン・タナカ中佐の母国の様に「中進国へ達する見込みのある発展途上国」のいずれかと言う事になる。


 ミサイル防衛設備が充実しておらず、大した破壊を起こせないミサイルの攻撃でも現地政府を脅す事が出来ると言う、不名誉な評価故に。


 更に。


 自国を守るだけでなく、カンボジアを封鎖するだけの余力があるベトナムはその不名誉国からば除外される。


 合衆国が防衛に関与して(肩代わりして)いるフィリピンにも、敢えて手を出せないだろう。


 消去法では、インドネシアやマレーシアならば効果的に脅しが掛けられる。


 ただし、マレーシアは本土とボルネオ島の間を必死になって哨戒機を往復させているだろうから、少なくとも集中運用されているだろう要員や機材が消耗して息切れするまでの間は手を出せない(十分な、交代要因や交代機材や必要な燃料備蓄を持ち持ち合わせているのは、先進国でも一部の軍隊だけである)。


 そうなると、やはりイブン・タナカ中佐の母国であるインドネシアの沿岸都市が攻撃し易い唯一の攻撃目標となる得る。


 更に、インド洋側から攻撃すれば、攻撃実行後に近海から急いで姿を消して、ほとぼりを冷ました後でスリランカから奪った補給基地(真珠の首飾り)に逃げ込めると言う安全な逃走ルートオプションまで付いてくる。


 イブン・タナカ中佐は決断した。今度は、艦長である菊池 敬吾二佐の顔色を窺わなかった。


 やるしかないのだ。ここは自国領なのだから。


 無断侵入して来る海賊に対する攻撃なのだから、正義はこちらにある。


 しかも、船のに残骸を深海2,000mまで続くトラフに転げ落とせれば、攻撃そのものの証拠隠滅も成る。


 更に、大スンダ列島とオーストラリアの間には、広大な深海エリアへ流されてくれれば、艦体はもう誰にも見付けられなくなる。そうなると、厚い海水と言う電波減衰要素に阻まれて、救難信号の電波は水上まで届かない。


 もし、自分の判断に問題があるなら、菊池 敬吾二佐が操艦と指揮を即座に奪い取るに違いないだろうし。


「10海里まで寄せてから、魚雷、1番と2番を同時発射だ」


 副長が復唱する。寄り添って立つ菊池 敬吾二佐は何も言わない。それは、イブン・タナカ中佐の判断が日本国の国益にも適っていると言う評価であるに違いない。


「距離、17海里まで・・・ん?」


 ソーナー・マンは、不審潜行船「イー」方面の音の中に奇妙な音を捉えた。


「異音。海流? 同士がぶつかって、深海で大量の泡が発生? 「イー」下方の深度から泡の渦が上昇?」


 次の瞬間、イブン・タナカ中佐と他の乗組員も異常な音を艦体の耐圧殻越しにその音源が作り出したと思える衝撃を立て続けに襲われた。


「たいげい」の揺れは大したことはない。だが、低周波な刻む振動が足下から伝わって来る。


 何かが割れる様な。


 ぶつかりあって擦れてスリップする様な。


 湖一面に張った氷面が春の訪れで、一瞬で罅だらけになる様な。


 その直後、イブン・タナカ中佐は有らん限りの声で、日本語を使って怒鳴った。


「魚雷発射中止。魚雷発射管急速閉鎖。魚雷は固定させなくて良い!!」


 イブン・タナカ中佐は、周辺の海中の温度と塩分濃度を再確認した。物凄い速度で水温は下がり、塩分濃度は上がっている。


「魚雷発射管を閉じたら直ちに魚雷室を放棄。魚雷発射要員は水密扉を閉じた後、艦中央部へ待避!!」


 菊池 敬吾二佐が何か言いかけたが、イブン・タナカ中佐は鬼気迫る視線で黙らせた。


「緊急浮上用意!! 全バラスト・ブロー!! 最大角度で浮上!! 水面ならどこで飛び出ても構わない!!」


 副長が魚雷室の放棄を完了したと告げた。イブン・タナカ中佐が、艦内放送で怒鳴る。


「緊急浮上!! 対ショック姿勢!! 全乗組員、手近な物に捕まって身体を固定しろ!! 吹っ飛ぶぞ!!」


「たいげい」の全バラスト・タンクへ凄まじい勢いで圧縮空気が雪崩れ込む。


 潜望鏡の取っ手の左側をイブン・タナカ中佐が掴む。反対側を菊池 敬吾二佐が掴む。


「ソーナー、可能なら「イー」にアクティブ・ソーナーを打て。ヘッドホンを耳から外せ。分析は浮上後で良い。復唱不要」


 ーーーカーン。と大きなアクティブ・ソーナーが周辺の海域に鳴り響く。


 しかし、その音は直ちに、たった今生じつつ在る海中の地獄絵図によって掻き消された。


 内部孤立波(水中波)だ。


 ロンボク海峡を中心に、表面海流と深層海流がたった今入れ替わった(位置的逆転)のだ。しかも、前代未聞の規模で。


 もし、空の上から今のロンボク海峡の海面を見る事が出来たら、まるでとこどろこのに真っ白な泡と青い水面が互い互いに入り交じる模様()を作り出しているに違いない。


 スケールを無視すれば、海面一面をクラゲの大群で埋め尽くされていると言う印象を得たかも知れない。


「たいげい」は、次の瞬間、まったく勢いを殺さずに水中から海面を突き破って浮上した為、物凄い慣性力を残したまま水面を突き破って来た。艦体が水上の宙に浮くような事はなかったが、まん丸い船首を持ち上げたまま水面を長距離滑った。


 途中、艦前方で凄い音がした。発生源は艦内だ。思い当たる事はあった。魚雷発射要員の安全を優先した結果、固定されていない管内の魚雷が管の蓋を突き破って逆流して、魚雷室で暴れたのだろう。もしかしたら、魚雷室が海水に浸かりきってしまったかも知れない。


 日本国から預かった艦を傷付けても、その乗組員まで傷付ける訳にはいかない。


「たいげい」は、「遠征33号」を魚雷攻撃する為に深度100mまで浮上済みだった。そして、直ちに緊急した。これらが幸いした。


「たいげい」は、危ういところで、間一髪で内部孤立波(水中波)を躱す事に成功した。


 2021年に内部孤立波(水中波)の影響で沈没させられたKRI402「ナンガラ」の(てつ)を踏む事は避けられた。かの西ドイツ製カクラ級潜水艦(+自国と他国による改装を一回ずつ実施)は、21世紀中盤になって変わらぬ姿でもバリ島沖、バリ島北方、水深約800mの海底で横たわっている。


 インドネシア海軍は、その後に同様の事故を回避する為に、内部孤立波(水中波)に関して友軍と共同で詳細に調べ上げていた。


 表層海流の沈下が始まる前に浮上を実行していれば、浮力と海上へ向かった慣性力がある程度稼げていれば、水深800mまで引き釣り込まれずに済むかも知れない。


 また、沈下速度が抑えられれば、「たいげい」級の沈降能力(耐圧殻の抗力)のある艦体をもってくれば、海底に叩き付けられない限りは行き着いた先が水深800mであっても圧壊するとは限らない事も分かっていた。


 ただし、西ドイツ製潜水艦を原型とする小型艦体、または旧ソ連製(元祖)を原型とする艦体、人民共和国製(インスパイア系)を原型とする艦体では、せいぜい水深300m程度で艦体が悲鳴を上げる。仮に水圧の変化(積み増し)が穏やかだったとしても、水深400mに達する前に圧壊してしまうだろう。


 気難しい高張力鋼材を使って真円を作り出す技術が、如何に困難な事であるか。それを知る者は、間違いなく謙虚と洞察力の二つのいずれをも兼ね備える人類の中でもマイノリティー個体であるに違いない。


 だから、インドネシア海軍やオーストラリア海軍は自国の潜水艦に日本製を採用する事を検討した過去があった(ただし、最新型の艦体の国外輸出に関しては、製造キャパの問題も解決見込みが立っていなかったので、日本国と建造企業としては、本音では非積極的だった様だ)。


 イブン・タナカ中佐の見事な操艦で、危険海域の水面に出て来る事に成功した「たいげい」には、航行支障が出るほどの損傷は受けていない。


 しかし、未だに艦内のフロアーが揺れているし、振動っぽい運動も脚の下から伝わって来る。


 おそらく、水面下では二次的な作用として、水中衝撃波まで広範囲に生じたのだろう。ただし、内部孤立波(水中波)の深刻な影響は、海水の本当の表層までは到達していない。


 そう考えると、水深200mを潜行中に、ロンボク海峡へと連なる深々海へ引きずり込まれた「遠征33号」が、その後にどうなったのかは想像に難くない。考えたくもない。


 単に、海底の深遠へと海流に超高速で引きずり込まれるだけでなく、水圧に耐えようと頑張る耐圧殻を衝撃波を伴う鋼鉄を呆気なくねじ切ってしまう程に強烈な水圧で攻撃されるのだ。


 空中分解と同じ(ことわり)に従って、水中でも構造体の繋ぎ目と言う繋ぎ目の全てが、一瞬でバラバラに(ほど)かれてしまいそうだ。


 イブン・タナカ中佐は、結果的に魚雷を撃つことなく、母国にとっての脅威の排除に成功した。もしかしたら、彼と「たいげい」がここにいなかったとしても、「遠征33号」の運命には何の変化もなかったのかも知れない。


 しかし、それでも、イブン・タナカ中佐にとっては重要な体験となった。蓄積された経験は、更に、その後の新しい人生の始点となった事は間違いない。


「転進。進路をバリ島のベノワへ」


 イブン・タナカ中佐は、現在漂っている海域からもっとも近くにある民間港、外海からもたらされる強力な海流の影響から逃れられる地形、ベノワの湾内へと一時的に「たいげい」を避難させる事にした。


「このまま水上航行を継続する。湾に入ってからこの艦の被害の確認と応急処置を行う」


 魚雷が暴れただろう魚雷室がどうなっているのかを、最優先でチェックする必要があった。あの時は一分一秒が惜しかった為に、打ち出す為に発射管へ移した魚雷の十分な後始末をせずに、大きな傾斜角度の付く緊急浮上を行ってしまった。


 イブン・タナカ中佐は、今となっては、破棄目的で魚雷を発射してしまってから浮上を掛けた方が良かったかも知れないと、自身の行動を疑う余裕まで取り戻していた。


 実際、あのまま「遠征33号」の追尾をロンボク海峡で続行していたとすれば、「たいげい」の運命も「遠征33号」と同様となっていたかも知れない。


 だから、イブン・タナカ中佐の進路変更は、「たいげい」とその乗組員の命も救ったことになる。


 ただし、日本国と言うか、菊池 敬吾二佐から預かった艦を自身が操艦中に傷付けてしまった。しかも、主兵装を使用不能としてしまった。


 これにばかりは、艦長代理だか臨時艦長として、大きな自責の念を禁じ得なかった。


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