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命を継ぐ者。 〜 Inherit the Life. 〜  作者: すにた
第五章 綿津見の随に
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はじまりがおわる。 〜その弐

〜インドネシア共和国領海、バリ海北方、バリ島沖50Km。

 日本国・海上自衛軍・通常動力型潜水艦・SS-513「たいげい」が追尾中の不審潜行船の予想進路は、通常の受け持ちの海域よりも明らかに"南"を目指していた。


 当初は、マッカサル海峡方面からインドネシア領海の奥深くへ進入し、その後に、ジャワ海へ西進するかと予想していた。


 だが、西進せずに、南進を続けてアジア側からオーストラリア側、つまり赤道を跨いで広大な深海を擁する南半球の大洋側へと抜けるつもりである事が分かった。


 それを察したSS-513「たいげい」は、闖入者に気付かれぬままに追尾を開始する。


 不審潜行船は、悠然とした態度で、バリ島とロンボク島を繋ぐロンボク海峡を縦断する進路を取り続けた。


 ーーーまるで、自国領海内を航行中であるかの様に。


 ロンボク海峡の先にある広く深い海は、人民共和国にとって自国の戦略原潜を隠すのに理想的な環境であった。もちろん、核抑止における第二撃能力のステーションとしてだ。南シナ海の深海を未だに確保出来ていない事に対する、苦し紛れの対策だ。


 とは言え、ロンボク海峡を踏む周辺海域は、海図を眺めただけでは想像も出来ない程に「深層海流の大循環」の影響を受ける危険な水路だ。


 遙か彼方に位置する南極海で海水が凍結する時、海水は多大な塩分をまだ凍っていない海水へと排出する。その結果、周辺海域の塩分濃度が劇的に上がる。塩分濃度の高い海水は性質上、そうでない海水に対して、面積当たりの重量が顕著に増す。更に凍結温度が相当に下がる。


 本来なら凍結している筈のマイナスの水温を維持した液体のまま、圧倒的に冷たく重くなった海水は、通常の海水を押し退けて海底へと沈下して行く。


 これが深層海流と表層海流の地球規模の大循環と言う、雄大な自然現象発生のメカニズムである。


 インドネシアの島々は、太平洋からインド洋へと移動して行く深層海流の大循環を地形的に堰きとめている。いや、天然のチョーク・ポイントであるので、深層海流はその細い水路を強い圧力を伴って、それまで以上に力強く複雑な海流を作りながら通過して行く。


 実際、海流は深海から表層へ上昇しながら激しくうねり、押しの強い流れを作り出す。バリ島周辺の有名ダイビングスポットで、経験豊富なインストラクターを伴ったパーティーが定期的に行方不明になって救助されたり消失するのは、この海流の大暴れの影響によるところが多い。


 地元の人間の経験と直感でも予防し切れない、海流の激変が不意に起こる。それは、海面でも海中でも変わらない。


 不審潜行船は、行動は大胆だが、周辺海域の精密な海底地図や海流情報を持ち合わせていない。それが、艦長の菊池 敬吾二佐とオブザーバーのイブン・タナカ中佐の見立てだった。


「タンジュンプリオクのポンドックダユンを潜水艦発射ミサイルの射程に抑えてか、またはミサイルを実際に着弾させてから脅しの外交を仕掛けるか、タンジュンプリオク(第1艦隊司令部)スラバヤ(海軍工廠)の封鎖でも命じられていると思っていたんだけれどな」


 潜水艦艦長の経験者であるイブン・タナカ中佐は、海図を指さしながら語る。


「そうだな。だが・・・」


 菊池 敬吾二佐は、最悪の想定を告げる。


「それは、飽くまでも脅しで済ませて、安全にジャワ海から逃げ出せる事が前提になる」


 眉間に皺を浮かべるイブン・タナカ中佐は、菊池 敬吾二佐の想定を一瞬で理解した。


「限定的な武力を行使して、我が国を脅すつもりか・・・」


 菊池 敬吾二佐は、イブン・タナカ中佐に粉コーヒーを溶かしたマグカップを渡す。


「対地攻撃で使えるのは魚雷発射管の巡航ミサイルか対艦/対地ミサイルだ。パンタルバツゥー湾の遙か手前からでも、ジャカルタやタンジュンプリオクやスラバヤをまとめて射程圏に収められる」


 イブン・タナカ中佐はマグカップに口も付けずに、吐き捨てるように言った。


「そのままインド洋に出て、大回りでスリランカ(シーランカ)から奪った補給基地(真珠の首飾り)を目指す訳か」


「そう。いくら何でも、あちらの艦長だってジャワ海からマラッカ海峡の浅瀬を潜行して抜け出られると判断する程の馬鹿ではない筈だ。タンペラン諸島を抜けてカンボジアのシハヌークビルを目指すにしても、武力行使直後の不審潜行船を自国の脅威と判定するだろう、ASEAN海軍の双璧・・・シンガポール海軍やベトナム海軍が素通りさせてくれる筈がない」


 シンガポール海軍やベトナム海軍は、潜水艦や水上艦だけでなく、潜水艦の捜索に特化した哨戒機も保有している。また、人民共和国であっても、水面下ではなく水上でも睨み合うだけの強い意志を持ち合わせてもいる。


「そうなると、懐の広いインド洋へ出てから神出鬼没を気取って暴れるのがもっとも賢いな」


 イブン・タナカ中佐は粉コーヒーを喉を通じて胃へと流し込む。菊池 敬吾二佐は、その様を見詰めている。彼としては友人であるイブン・タナカ中佐が、艦隊司令部からどんな暗号命令を受け取ったのかを知りたいと考えていた。


 内容の方はある程度予想は付いていた。しかし、命令の内容の細部を確認して、自身が志摩家(しまか)海将補経由で、日本国・自衛三軍の統合作戦司令部(海上自衛軍艦隊司令部ではない。この時代では既に常設されている)から受け取った命令を擦り合わせを行う必要があると感じていた。


 何故なら、これからしばらくの間、自身はイブン・タナカ中佐と一蓮托生となる可能性があったからだ。


「単刀直入に窺う。貴国の肝は据わっている(・・・・・・)のか?」


 菊池 敬吾二佐は、極めて抽象的に、しかし核心を突く形で同位の軍人に尋ねた。


日本国の方(統合作戦司令部)は、"友邦(貴国)の重大な危機を回避する為に、司令部の地理的な境界を無視してでも、貴官へ最大限の便宜を図れ。ただし、何事も隠密の内に収まるように最大限に効果的に協議・調整せよ"と言う命令も同時に受けている」


 イブン・タナカ中佐は、自分が()(ただ)されてる最中に、質問が手持ちのカードを全て明かした事に驚いた。


「貴国はあの不審潜行船を何が何でも撃沈するつもりではないのか?」


 菊池 敬吾二佐は、真意が伝わるようにと首を左右に大きく振って見せた。なお、インドの風習ではそのジェスチャーは、"否定"ではなく"肯定"を意味する。


「まさか!! ここはインドネシア共和国の領海だ。こちら側の都合だけで勝手に戦闘を始める訳にはいかない。貴国が明らかな(・・・・)脅威の排除に対して難色を示すようならば、「たいげい」でない別の戦力が貴国のEEZや接続水域から抜けてから何らかの対処をするだろう」


「なるほど」


「ただし、不審潜行船が貴国の海から抜ける前に何もしなければ良いのだが・・・」


 菊池 敬吾二佐は、イブン・タナカ中佐に「自分で決断しろ」と言う真意を送った。


「不審潜行船が何かしらの非友好的な活動を行う根拠は?」


「不審潜行船が、もし、あの国(・・・)の所属であれば、面子を保つために最も武力行使を行いやすい国家が貴国であると判断しているからだ」


「我が国を馬鹿にしているのか?」


「違う。ベトナム、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドのいずれかの領土に武力行使をした後に、無事に逃亡し母港まで帰還するのは大変に困難だ。ほぼ不可能がと言っても良いだろう。しかし、海軍戦力の近代化に立ち遅れている貴国だけ(・・・・)が相手であれば、十分に捜索網の穴を突い逃げ果せられると考えるかも知れない」


「・・・!!」


 イブン・タナカ中佐の怒りを込めた視線に、菊池 敬吾二佐は揺らぐ事無く言葉を続けて行く。


「インド太平洋の海域で「クアッド・プラス」とその理念の一つである「自由で開かれたインド太平洋」への明確な支持を表明していない、レッド・チーム以外のインド・太平洋地域の島嶼国家は貴国だけだ。だから、ここで武力行使を伴う脅しを掛ければ、現状をこのまま維持出来るかも知れないし、もしかしたら自国側(レッド・チーム)へと引き込めるかも知れないと期待しているかも知れない」


 イブン・タナカ中佐は、菊池 敬吾二佐の言葉に嘘はない事は知っていた。しかし、常にフラフラと権威主義国家グループと民主主義国家グループの間を行き来して一番美味しいところだけを食べようとしている自国のネイチャーを、他国の人間から指摘されるのは我慢がならなかった。


 そして、怒りをぶつけるべ対象が菊池 敬吾二佐ではなく、たった今も自国に脅威を与えようとしている不審潜行船の方であるとも知っていた。


 良く考えてみれば、菊池 敬吾二佐と「たいげい」は、窮地にある自国を救ってくれると言っている。現状で、自軍の司令部に意図の確認をする事は不可能だ。だから、直前に手にした命令書を根拠に状況判断をするしかない。


 しかし、もしそれが自国への寄港後に司令部の意図に反していた場合、最悪の場合は軍事法廷に引っ張られる事になる。この場合、純粋なインドネシアの血脈を持ち合わせていない彼の場合、致命的な結果をもたらしかねない。


 ーーー伸るか反るか。こればかりは賭けてみるしかないな。


 イブン・タナカ中佐は、コピ・ルアクとは比べものにならない程に実戦向けの風味を誇る粉コーヒーを飲み干して、覚悟を決めた。


「事前に受け取っている暗号指令書の内容は、"不審潜行船が深刻な脅威となった場合は、他国に頼って排除するもやむなし"だ。そして・・・」


 イブン・タナカ中佐は、図々しい事を伝えている事を恥じ入りながら、それでいて敢えて横柄な口調で続けた。


「"すべての武力行使をインドネシア海軍の指揮下で行ったと記録せよ"なっている。この条件は貴官や貴国にとって飲めるものなのか?」


 これは、今後の「たいげい」の戦果はすべてインドネシア海軍のものであり、逆襲を喰らって沈んでしまった場合は不幸な事故として片付けられると言う、インドネシア海軍にとって一方的に都合の良い話であった。


 まるで傭兵の様な扱いである。イブン・タナカ中佐は、菊池 敬吾二佐の顔色を窺った。すると、菊池 敬吾二佐は、即座に右手を差し出して来た。


「その条件を飲もう。"貴国の重大な危機を回避する為に、貴官への最大限の便宜を図ろう"じゃないか」


 イブン・タナカ中佐は、気圧されて、菊池 敬吾二佐に右手を奪われた。


「この襲撃が終わるまで良い。私の副官に就いて欲しい。この海域の環境について随時のアドバイスが欲しい」


「良いのか?」


 イブン・タナカ中佐は、未だに驚きから抜け出せていなかった。


 これは、自国では艦長経験がある自分に対して、他国の軍艦内でオブザーバーの域を激しく超える権限を与えかねない申し出であり、その打診だった。


「この度、我が国は首相を失うと言う大損害を被った。だからと言ってこれは単純な弔い合戦ではない。しかし、懲らしめるべき敵国の海軍戦力を()ぐ機会があると言うなら、その機会を出来るだけ有効に活用しておくに越した事はない。仮に、それに対して、どの様な条件や制約があったとしても」


 イブン・タナカ中佐にとっては、菊池 敬吾二佐が、この申し出をどこまで本音で語っているのかは計り知れなかった。しかし、「貴国の国民の命と財産が不法に奪われるのが分かっていて見過ごせずに済むのは嬉しい」と告げられると、その通りだと頷く事しか出来なかった。


 相手がどんな腹芸をしているのかは分からない。しかし、自国への攻撃を防げるのならば、もっとも回避すべき事態は回避出来るのだから構わないと言う結論に至った。


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