あさがお と あやめ。 〜その肆
私、森 朝顔が、どう言う訳か深い眠りから目を覚ます。
すると、そこは海風の香りが強い飛行場と場所が変わっていた訳だ。
実に突然のことだ。
控え目に言って、大変に驚いた。
私何をしてたんだっけ? 何でここにいるんだっけ?
ああ、ナヲ母さんに呼び出されたんだっけ。そっかー。
どうやら、うとうとどころか、しっかりと眠っている間にここまで来てしまったらしい。そして、多分、ここが目的地なんだろう。
そんな訳で、ここまでの道中の記憶は何もない。
折角、念願だった、ナヲ母さんの青い飛行機に乗せてもらったに関わらず。
何の思い出にもならなかった。これは、とても物凄い損をした気分だった。
そこで、前の席に乗っている筈のナヲ母さんを探す。しかし、その気配は全くない。
飛行機は完全に動きを止めている。エンジンは止まっているから五月蠅い音はしない。ただ、後ろの方でキンキンとかパキパキ言う感じの音が時々聞こえる。
キャノピーが完全に上げられる。大気へと開放されていたコックピットの座席に、私はシートベルトとそれ以外の色々な固定具で雁字搦めに縛り付けられていた。
これだと飛行機が逆さまになっても、全身で重みを受け止められそう。勿論、頭に落ちて堪る血流の悪影響は、そんなことで緩和出来ないだろうけれど。
どうしてこなった? 首の左右への振り向きも困難どころか、全く不可能だった。だから、前しか見えない。辛うじて顎をちょっとだけ下へ動かせたくらいだ。
そんな「どうして」を考えていると、ガイジンさんがコックピット横から梯子を登って顔を出した。
私に向かって何か喋っている。私だって、ナヲ母さんの娘なのだから、ガイジンの血が半分くらい入っている筈だった。だから、英語だってしっかりと話せても不思議はないのだ。しかし、私の中高を通じた外国語の成績は、一貫して赤点ギリギリに収まってた。
つまり、ガイジンさんが何を話しているのかさっぱり分からない。きっと、優秀な姉であれば最低限の会話どころか、ここで軽口を挟む気の利いた世間話でもしていたにだろう。挙げ句の果てに、話相手に自身の存在感や良い印象を強烈に焼き付けたに違いない。
しかし、私にそんな芸当は絶対に無理。戸惑いながら、薄笑いを浮かべてガイジン圧力を受け流そうと努力するのが精々だった。
それでも、「大丈夫か?」とか「これから下ろしてあげる」と喋っているんだろうなあ、くらいの予想は出来た。案の定、こんなに沢山あったのか!! と驚くほど沢山の固定具を、要領よく私全身から外していく。そして、それらを前席に放り投げている。
どうやら、ナヲ母さんは今はそこに座ってはいない様だ。一足先に地上へ降りてしまったのだろうか?
ガイジンさんに丁寧に誘導されて、コックピット横から梯子に全身でへばり付きながら地上へと降りる。登る時は良いけど、降りる時は進行方向が見えない。だから恐い。
降りている途中で巨人の弁当箱の様にでっかい箱を背負ったたくさんの緑色のトラックが、そこら辺の都合の良さそうな場所へ駐車しようと右往左往していた。
周辺に漂う鼻腔を付く悪臭も、どこからか何かが燃えた臭いや、燃やした臭いである様に思えた。それから、不穏当な破裂音が立て続けに遠くから聞こえて来る。
ハリウッド映画で人気の戦場物みたいな切羽詰まった雰囲気が漂っている。そう考えると、私の相手をしてくれている以外のガイジンさん達の気配は揃って妙にピリピリしている。
クソ重いヘルメットやハーネスなどから解放されて、地上で自由になった。すると、私は即座にガイジンさんの運転する、まるで戦車みたいにごっついバスみたいな自動車に乗せられた。車内から外は見えない。荷室なんだろうか? ただし、あんまり平和的でない振動が、断続的にお尻から腰まで伝わって来る。
その時の私は、そこが日本国領土の最南端に位置する、いわゆる地方自治体の、政治と経済両面での中心の島にいる事を知らなかった。
途中で一度、私が座っているの逆の車両左側の方で、「ガンっ!!」とでっかい音と衝撃が起こって驚かされた。近くで遊ぶ子供に、金属バットで打たれた野球の硬球でもぶつけられたんだろうか? その後で、車両左側のちょっと遠く感じる位置から、金切り声みたいな甲高い、場所が移動する動く音が聞こえた後で、大きな爆発音が聞こえた。
とんでもない所に来たものだと、以外に冷静に考えていた。
こうなると、自分ではどうにも何にも出来ないと自覚して、そうそうに諦めてしまった。
そうなると、以外と気は楽になった。私、馬鹿だから事の重要さを理解出来ない。
その御陰で、実は恐いと感じる物があまりないのだ(※ テスト前に個人指導中の姉は除く)。
ただ、顔を見せてくれないナヲ母さんが何をしているんだろう? とだけ、不思議に感じていた。
ガイジンさんの運転する戦車みたいにごっつい、大きさ的にはバスみたいな自動車が停車した。さっきよりもごっつい服を着たガイジンの兵隊さんが周辺を取り囲む中、私は物々しい雰囲気の花道を即されるままに小走りで抜けた。
途中、振り向くと、さっきでっかい音と衝撃がした車両左壁が大きく凹んでやや黒くなってる事に気付いた。
野球ボールでなく、でっかい石でも投げられて傷付いたのだろうか? 酷いイタズラだ。
日本国内によくある建物とはぜんぜん違う雰囲気の、妙に簡素なコンクリート地の通路を即されて小走りで通過する。最後に、巨漢の壮年男性に引き合わされた。その人は妙に熟れた日本語で私に話しかけた。
「私はハリー・ブライアント大佐。在日合衆国第3海兵隊遠征軍所属です」
私は何となく流されて握手した。でっかい手だった。
「貴女のお母様達が学んでいた頃に、私立会津高校で短期間だけ教師をしていた事もあります。そう言えば貴女もあの学校へ通っているのですね」
「はい。あの・・・」
ああ、お母さん達の知り合いなんだ。その一言で安心したり、信用出来そうなんて感じてしまう。慣れないところに連れてこられて、ちょっと、心細いみたいだ。
「ナヲミは今、アヤメ・・・・万条 菖蒲首相と一緒にこの部屋の中で貴女の到着を待っています」
おっきいオッサンは、状況説明をしてくれた。
「え? 菖蒲おばさまも一緒に?」
その一言を聞いて、私の気分は持ち直した。一瞬で笑顔になって、大切な事なので念のために聞き返す。
すると私とは対照的に、ハリー・ブライアント大佐は、隠しきれない苦渋を表情に湛えて言葉を続けた。
「実は、万条首相は負傷されています。お願いします。どうか、驚かないであげてください」
「あ、はい。分かりました」
その時の私は、菖蒲おばさまの怪我はせいぜい骨折くらいだろうと考えて安請け合いした。ハリー・ブライアント大佐は、私の思慮の足りない考えに捕捉を入れた。
「アサガオさん。首相は現在大変な大怪我をされています。どうしても貴女に会いたいと希望されています」
「え?」
「だから、どうか、首相の姿をご覧になっても驚かないであげてください」
戸惑う私を無視して、ハリー・ブライアント大佐は、一秒を惜しむかの様に急いで扉を開けた。
「万条首相、アサガオさんをこちらにお連れしました」
室内には、ベットに横たわる菖蒲おばさまとその横に立つナヲ母さんがいた。そして、それ以外は医療関係者と覚しきガイジンさん達が、とても賑やかに、シッチャカメッチャカでそれぞれの仕事に従事している様に見えた。
菖蒲おばさまは微動もしない。天井を見詰めたまま首も動かさない。普段なら、すぐに私を発見して、視線で捉えると、お別れの時まで一瞬も放さないのだ。にも関わらず、彼女は私を無視するかの様にこちらに顔を向けてくれない。
何か、理由もなく傷付く。しょぼーんと言う感じで。
だが、私はすぐに事情を察した。菖蒲おばさまの首からは、太いチューブが何本か伸びていた。きっと、治療の都合で首を動かせないのだろう。
そう思うと、私の心は少し穏やかになった。決して、無視されている訳ではないと分かっていたかだ。
どういう訳か、私は二人の母や姉だけでなく、菖蒲おばさまからの興味を欲していた。自分に対して、出来るだけ大きく深い注意を払って欲しいと感じていた。
もちろん、当時の私にはその理由は一切分からなかった。
ナヲ母さんが近付いて来た。私を強く抱きしめた。その時に気付いた。母さんの右の義手は普段使っているものではなくなっていた。
自分の首の回されて一周する腕の先に付いている義指や義掌には、人工皮膚の貼り付けが一切施されていなかった。高分子ポリマーによる疑似皮膚ですらない。ただの、関節部の金属剥き出しの樹脂系と覚しき"カバー"が駆動部を覆ってだけだ。
壊れて交換したのだろうか?
こんな事は始めてだ。良く見ると、母さんの髪の毛の端にも所々に燃えた跡がある。
いったい、これまでにここで一体何が起こっていたのだろう?
菖蒲おばさままでがベッドの上で動けなくなっている。
理解不能な状況に戸惑っていると、ナヲ母さんが私を菖蒲おばさまのベッドの横にある台の上に乗せてくれた。そこからなら、身長の小さな私でも天井を向いたままの菖蒲おばさまの顔がちゃんと見えた。
少し疲れている様に見えるけれど、いつもの人間を喰う勢いの宿った笑顔は健在だ。将来、私もそんなカッコイイ女に人になれればあ、と言う憧れる姿のままだった。
少なくとも、部屋の外にいるオッサンが言うよりもずっと元気そうだ、とコロリと騙されてしまった。そこにこそ、この女性の真価があったのと悟るのは、その日よりもずっと先の未来の話だ。
「朝顔ちゃん。こんな所まで良く来てくれたわね。ありがとう」
菖蒲おばさまは、瞳だけ私に向けてゆっくりと話しかけてくれた。お互いの視線が結び付いた。私はそのことをとても嬉しく感じていた。
「ちょっと怪我をしてね。驚かせてごめんなさい」
「大丈夫です。早く良くなってください。出来れば秋の文化祭には学校に遊びに来て下さい」
私は、その時、知らずの中に、もっとも残酷な言葉を菖蒲おばさまへ送った。しかし、この女傑はそれを物ともせずに、自分の言葉を続けた。
もっとも伝えなければならない言葉を紡ぎ続けた。
おそらく、残された時間を惜しんでの事だろう。
「ここに貴女に贈り物があるの。今は身体が動かせないから、私の手の中からそれを取り出して受け取って欲しい」
菖蒲おばさまの両手が、ベッドの毛布の上に組まれていた。
「これですね」
私は、菖蒲おばさまの組まれた不自然なほどに冷たくなっている掌と指の中から、二つのアクセサリーを見付けた。
それは、一つの銀製の女性用の指輪。もう一つも銀製の指輪。こちらは男性用と思えるほどに大きかった。
菖蒲おばさまは、待ち構えていたかの様に早口で喋った。
「二つの指輪を、将来に貴女が産むだろう子供に渡して欲しいの。お願い出来るかしら?」
その時の私には何故か「どうして?」と言う印象が皆無だった。そして、それがとても当然であって、自分が引き継ぐべき義務であり、運命でもある様な気がしてやまなかった。
「分かりました。おばさまの言う通りにします」
二つの絆の証を受け取った私は、一度降りた台の上に再び戻ってから、神妙な口調である様に意識して返答した。
「ありがとう。良い子ね」
ナヲ母さんが、二つの指輪をネックレスに纏めて、私の首に掛けてくれた。そして、飛行服と体操服の中へと放り込む。これで紛失する心配はなくなった。
その様を見届けて、菖蒲おばさまは、満足そうに溜息を付いた。
そして、何故かその瞬間から、私は、おばさまの身体がベッドのマットレスにどんどん沈んで行くかの様な錯覚に曝された。
まるで、菖蒲おばさまが、まるで、このまま自分の見えない深い底まで沈んでしまい、二度と今いる世界まで上がって来ないんじゃないかと言う恐怖を感じた。
菖蒲おばさまは、そこから話相手をナヲ母さんへと切り替えた。もう私の方を見てはない。だから、お母さんに向かって、とても厳しい口調で命令をした。
「自衛軍最高指揮官が命じる。朝間ナヲミ一等空尉。私の護衛任務から貴官を外す。防衛出動に基づき、直ちに貴官本来の役割へと戻りなさい」
ナヲ母さんは、直立不動の姿勢の敬礼で応えた。
菖蒲おばさまは、そこで表情と語気を緩めた。
「それから、これは友人としての言葉。今は時間が惜しい。可及的速やかに、朝顔と連れてここを離れて安全な場所へ向かいなさい」
ナヲ母さんが頷く。菖蒲おばさまも視線で頷き返す。
一瞬の沈黙の後、ナヲ母さんの菖蒲おばさまの頬の辺りにキスをした様に見えた。背後から見ていたので、詳細は良く分からなかった。でも、その様子をまるで今生の別れであるかの様に感じた。その時の私には、それがどうにも不思議に見えて仕方なかった。
「ナヲミ、今までありがとう。私の代わりにハコちゃんに謝っておいて」
ナヲ母さんは、菖蒲おばさまの耳元で何かを囁いた。すると、菖蒲おばさまを包んでいる重苦しい空気が、幾分か華やいたものへと変わった。それも瞬時に。
私はその起こり得ない風景を目にして、この世界は、誰か一人の言葉で有り様をどうとでも変えられる。
そう言う自分の目を疑う事実を目の当たりにした。
言葉。
誰が、誰に、どう、何時、どの様に伝えるか。
そんな単純な要素の組み合わせ次第で、どれほどの悲劇であっても、誰をも納得させる得ないほどに良質なドラマへと昇華させる事が出来る。
ナヲ母さんは直ちに、私の手を引いて医療要員が騒がしい部屋を出てしまった。菖蒲おばさまを置いたまま。
私は、菖蒲おばさまに「それじゃ」とか「また」と言うお別れの挨拶も出来なかった。
視界の片隅で、入れ替わるかのように、巨漢のハリー・ブライアント大佐が室内へ入って行く姿が見えた。
屋外へ通じる扉へ近付くと、来た直後に目にしたでっかい箱を背負ったたくさんのトラックから、槍のような棒が長い煙を吐きながら、騒がしく飛んで行くのが見えた。
その時の私には解らなかったが、"PAC-3"とか呼ばれる地対空誘導弾「ペトリオット」による応射行動だったらしい。
海の向こうから放たれた"DF-16シリーズ"のどれか。戦術兵器を用いた大規模攻撃。つまり、中距離弾道ミサイルによる在日本・合衆国空軍・嘉手納基地を目標とする先生奇襲の飽和攻撃が始まっていたのだ。
おそらく、那覇や知念や恩納にある全ての航空自衛軍基地でも同様の光景が広がっている事だろう。
十中八九、台湾海峡でも何らかのアクションが起こされている。この件だけは疑う余地はない。
私は、ナヲ母さんの青い飛行機の中に大急ぎで詰め込まれた。そして、「喉が渇いただろう」とか言われて、日本語を話すガイジンさんから渡されたゲーター・レードとか言うドリンクを飲むと、心地良い眠気に改めて襲われて目蓋を閉じてしまった。
それっきりだった。
次に気が付いた時は、航空自衛軍の岐阜基地の格納庫の中だった。屋根があるので暗い場所だった。青い飛行機の横には、毛利じーちゃんが待っていてくれた。
毛利じーちゃんは、ナヲ母さんを両腕で抱きしめた。その後、私の事を抱っこしてこれた。
私はナヲ母さんとぜんぜん話す時間が取れない事を不満に思っていた。何が起こっているのかくらいは、しっかりと説明して欲しいと望んでも、何にも悪くはないと思ってもいた。
しかし、ナヲ母さんは毛利じーちゃんと真剣な表情で話し込んでいて、ぜんぜんこっちを向いてくれない。
腹立ち紛れに、何か蹴っ飛ばすものでもないかと物色しながら後ろを振り向くと、ナヲ母さんの青い飛行機がそこにあった。
「えっーーー?」
ナヲ母さんの青い飛行機の後ろの方の翼が真っ黒くなっていたり、小さな穴が無数に散らばっているのが見えた。向こう側が見える物まである。
行く時にはこんな傷はなかった。付くならば帰り道でに決まっている。スーパーの駐車場に愛車を止めておいて、買い物が終わって戻ったら車両側面に他人の車の赤い塗料が一筋付けられている・・・みたいな不運にでも出会したのだろうか?
気が付くと、私も首や関節が変な風に痛い。
菖蒲おばさまの所から毛利じーちゃんの所に帰ってくるまでに、一体何かあったのだろうか?
私は、今。
ーーー世界は自分が予想だにしなかった方向へ向かって動いている。
そんな違和感を、一週遅れになってやっと感じ始めていた。
ただし、まだまだ馬鹿なガキだったので、違和感は感じても恐怖感の方は一切感じていなかった。
ちょうどその頃、自衛軍最高指揮権が、万条おばさまの手から、顔も知らない誰かの手へと移譲されていた。
もちろん、そんな政治の世界の話はその頃の私には知りようもない。何より興味が無かった。友達と話して、ゲームして、美味しいお菓子でもあれば、それだけで満足してしまう安い人生を満喫していたのだから。
ただ、一つ言える事がある。
もし、その事実をその時に知っていれば、私は体験した事の重要さと、その意味の深さに気付けていたかも知れない。
ーーー自衛軍最高指揮権の移譲。
何故なら、それは、日本国内閣総理大臣である万条おばさまの死亡、意識の消失、行方不明が内閣によって確認された証であったからだ。
私の大好きだったおばさまは、その日、私と別れた直後に永眠されていた。




