あさがお と あやめ。 〜その弐
その日、6月23日は、会津全域が真っ白な空で覆われていたのを覚えている。
ただし、猪苗代湖と会津盆地を区切る背あぶり山の尾根にぶつかる様な、すぐに雨が降りそうな程に低い雲ではなかった筈だ。
その出来事の直前、私は、私立会津高校の校庭で体育の授業を受けていた。
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私、森 朝顔は、体育の時間がとても嫌いだ。
学習と言う活動は押し並べて嫌いだ。
別に、嫌いな授業の中で、体育が際だって嫌いな枠だった訳でもない。
正直、好きな教科と言うものは何一つなかったのだから、体育だけを嫌いと言うのは平等ではないかも知れない。
どうして体育がとても嫌いなのか。それは、何事にも優秀なお姉ちゃんと違って、私には奇妙なまでに鈍くさいところがあったからだ。
とても同じ両親から生まれたとは思えないくらいに、だ。
個人競技よりも団体競技が特に苦手だった。かと言って、徒競走などの個人競技でも下の上と言う感じだった。
だから、いつも、授業中には人陰に隠れて、角の方に引っ込んでいて、出来るだけ先生に指名されるのを避けてぼーっとしながら授業終了のチャイムが鳴るのを待ち兼ねていた。
校庭の隅で棒高跳びの授業が行われている。体育座りで授業の様子を見学していると、同級生の一人が、ベリーロールでバーを見事に越えて行った。身体をバーと水平に保ってキレイに回転しているのが見えた。
「やっぱ、委員長はすごいねー」
隣で私と同じ様に首をすくめて、授業の時間が何事も無く過ぎていくのを待っている友達の「ちーさん」が言葉を漏らした。
「ちーさん」が、体育が苦手なのは仕方がない。プラ素材のビス一本、耐久性重視の半導体一つ押し込められていない超生身の私と違って、全身擬体の生徒であったのだから。
しかも、全身を機械置換施術を受けて退院してから、まだ一年も経過していない。未だ、病院通いのリハビリの真っ最中。そして、擬体の操縦技術の習得作業は上手く進んではいないそうだ。まあ、仕方がない。誰にでも向き不向きはある。擬体と上手に付き合える人がいれば、そうでない人がいるのは当たり前だ。
最近の擬体技術は進歩が著しいと聞く。だからと言って、誰もが短期間でそれを生身と同じ様に自由に扱えるようになる訳じゃない。
しかも、「ちーさん」には、機械置換施術を受ける以前にも、体育の授業に相当する激しい運動を経験していなかった。激しい運動と言う活動そのものが、擬体を保持してから、つまり生まれて初めての経験となっている。
例えば、棒高跳びと言う運動技術を全身擬体で実行する為に有益な基礎経験となのだ。言い換えると、生身での経験がゼロなのである。これは難題だ。
擬体医師であるハコ母さんからの受け売りだが、一般的に、新たな擬体保持者は、生身だった頃の記憶を足掛かりにして、機械化身体の操縦へと感覚を置き換えて行く。これが出来ないと言う事は、物凄く不利であると言わざる得ない。
もちろん、施術後のリハビリ・プログラムは20年前と比べて相当充実している。多分、ナヲ母さんが受けていた頃と比べれば別次元に楽で、支援も至れり尽くせりである筈だ。
しかし、「ちーさん」の様なケースに当てはまる、一般的な身体運動そのものが擬体に宿ってから初体験である、みたいに紛う無き重度障害を擬体によって克服した患者さん達は、ゆっくりと時間を掛けて、一つ一つの運動技術を確実に獲得していく以外に社会に適応する手段はない。
どうやら、「ちーさん」はそっちの方でも、私と同様に鈍くさい個体であるらしい。つまり、学習要領が悪い。私達は、それぞれ異なる理由で社会のセーフティーネットからこぼれ落ちてしまう者同士らしい。
だから、友達をやっていられるのだろう。"類は友を呼ぶ"と言う社会法則に乗っ取って。
「うん、すごいね」
私は「ちーさん」に同意した。出来る人は、それを極簡単な努力の結果だと言う。そして、私達の様な鈍くさい個体にも同じ極簡単な努力を要求する。ふざけんな。誰にもお前らと同じ事が出来ると考えるな。
我が家は、私以外はみんな出来る人だ。
ハコ母さんは有名な擬体医学博士で、会津にある機械置換施術の研究部門では中心的なポジションにあるらしい。
ナヲ母さんは飛行機のパイロットで、日本国でも飛び切り優れた技能を有しているらしい。
憧れのお姉ちゃんは、二人の母さんの才能のすべてを引き継いで生まれて来た。だから、この高校で生徒会長を務めた後、飛び級で背中を必死で追っていた妹の入学を待つことなく、さっさと優秀な大学へと主席入学を果たした。
私の見立てでは、私は森家の"出涸らし"だ。きっと、優秀なお姉ちゃんを作った時の"絞り滓"で出来ているのだ。
過去に、やりたいことは何でも試させてもらった。その度に失敗して結果を残せなかったけれど、二人の母さんとお姉ちゃんはそれを良しとしてくれた。
自分以外に悪者はいない。誰かのせいに出来ない不満ばかりの現状。
私だって。だって何だと言うのだ。あ"あ"。
これはこれでキツい。せめて、何も試させてもらえなければ、ここまで駄目駄目な自分自身を確認せずに済んだだろう。もし、挑戦できない不満が残されていれば、やれば出来る子と言う逃げ道的ポジションが、まだ残されていたのかも知れない。
ーーーやっても出来ない子というのもいるらしい。
現実とは過酷である。誰もが優しい世界で、自分一人が駄目人間であると悟るのは辛いものである。
駄目なままでも良いと言ってくれる家族。しかし、駄目なままではいたくない自分。しかし、現状変える力は自分は持ち合わせていない。
私にも何か一つくらい"誇れる自分"があれば・・・。
無いねえ。何にも無いねえ。
とても情けない気分になって、空を見上げた。
すると、突然に緊急校内放送が始まった。
ーーー校庭にいる全生徒は至急に校舎内、または校庭の端へ移動してください。校庭中央のヘリポートを緊急使用します。緊急着陸機あり。繰り返します・・・。
20年前の大震災の教訓を活かして、会津全域にはヘリポートとして救急使用出来る簡易飛行場が多数設定されている。重量級のヘリが脚を下ろしても陥没しない構造で作られているのだ(ただし、ジェット・エンジンの高温排気へは対応していない)。
私立会津高校の校庭もその一つだ。しかし、防災の日の訓練以外で、本当に緊急着陸機が降りて来るなんてのは始めてだった。
先生の素早い指示を受けて、力持ちの男子達が高飛び用のマットを校庭の端の方へと引きずっている。他の女子達はバーなど軽い物を運んだり、グラウンドに倒したりしている。
鈍くさくない生徒達は、自身の判断で勝手に社会的な行動を始めている。気が付いた時、私は完全に出遅れていた。だから、せめて、皆の邪魔にならない様にと、立ち上がってから「ちーさん」に手を差し出した。
「取り敢えず、校庭の端っこに行こう」
「ありがとう」
「ちーさん」は私の手を取って、逆の手で校庭で支えてぎごちなく腰を上げた。多分、第二小脳の制御に任せてしまえばもっとすんなりと立ち上がれるんだと思う。でも、何故か彼女はそうしない。多分、意地なんじゃないかと思う。
すぐに、上空から頭の上で棒がクルクル回転しているヘリコプターが見えた。ずいぶん小さく見える。回転棒は一つしかついていない。ヘリコプターは校庭の真上までは落っこちてくるみたいなすごい速度で飛んでいたが、最後でものすごい減速を掛けた。そして、民間ヘリポートへの着陸手順に従って着陸地点を十分に確認してから垂直に降りて来た。
それは海の青色を纏った、航空自衛軍のヘリコプターだった。ナヲ母さんの飛行機と同じ色だったから分かった。
ヘリコプターは、着陸しないで校庭の上空でホバリング。つまり凄い風を私達に叩き付けながら、宙に浮いている。生徒の頭にローターを引っ掛けるのを怖れているんだろうか。
そんな事を考えているとヘリコプターに付いているらしい大音量スピーカーを通して、自分の名前を呼ばれてしまった。
「森 朝顔さん。お母様がお待ちです。至急、校庭中央までいらしてください」
なんだそりゃ。だいたい、どっちの母さんが呼んでるんだよ。
何が起こっているのかを理解出来ずに、ぼーっとしてと「ちーさん」腕を引っ張った。
「ねえ、呼んでるよ」
気が付くと、同級生達の全員が私を見ている。驚いているのは私も同じなのに。
先生と視線を合わせると、無言で首を縦に振った。つまり、「行って良し」と言う事なのだろう。
私は同級生達と「ちーさん」の視線の圧に押されて、校庭の中央へとゆっくりと歩いて行った。何か、校舎の窓からもたくさんの生徒達が何事かと、日常の退屈の中に生じた非日常に対して好奇心丸出しで眺めている。
あーもう。こっち見んな。悪目立ちしたくない。
ーーー森 朝顔さんですか? 御本人でしたら右手を挙げて下さい。
がなり立てるスピーカーに応える形で、私は仕方なく右手をノロノロと挙げる。
すると、ヘリコプターがもう少しだけ降下する。降下を終えると同時に、人がロープで下ろされる。ホイスト懸架とか言うものだろう。
「森 朝顔さんですね」
でっかいヘッドフォンみたいなのを私の頭に被せてから、ロープの人が再確認する。
「あ、はい。そうです」
「固定具を装着します。誘導に従って下さい」
ロープの人は、私に両足を挙げさせて二つの輪っかを通した。その後で、胸の辺りとかでロープをキツく引っ張った。そしてフックみたいなので自分と私の身体をくっつけた。
「それではまずは空港までお連れします」
ロープの人は、上のヘリコプターに合図を送る。すると、ロープが自動的に巻き取られる。あっという間に、私は宙ぶらりんだ。
「ーーー!!」
悲鳴の一つでもあげたいが、鈍くさい私はそんなに機敏に反応出来ない。下の方では「ちーさん」が手を振っている。しかし、私には手を返す余裕なんかない。
その時の私にはわからなかったけれど、一連作業はぜんぜん無駄のない、ものすごく見事なクルー・コーディネーションだった様だ。
気が付くと、ヘリコプターの中へと引き込まれていた。カーゴ・ドアが閉じられる。私は壁際にある椅子に座らされて、今度は頑丈なシートベルトできつく固定された。
私はそのまま会津国際空港の半分を占める会津航空基地へと連れて行かれた。何が何だか分からないままに。
そして、会津航空基地でごっつい服を着せられてから、ナヲ母さんの飛行機の後ろの席に押し込められた。
以前から、一度乗せてとお願いしていて、「大人になったらね」と断られていたあの飛行機だ。
こんな形で乗せてもらえる事になるとは・・・。そう言えば、運転するナヲ母さんは?
ここでも再びシートベルトで身体をシートにガチガチに固定されてから、「喉は渇いていませんか?」と女性士官から、チューブ突きのドリンクを勧められた。
それをいただくと、そのまま気持ちよくなって目を閉じてしまった。
次に気が付くのは、何か、火薬が反応を終えた様な、妙に埃っぽい土臭さと海の臭いのする、とにかく回りが五月蠅い飛行場に到着してからだった。




