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命を継ぐ者。 〜 Inherit the Life. 〜  作者: すにた
第四章 継ぐ命。接がれる命。
19/143

あさがお と あやめ。 〜その壱

 あれは、私、(もり) 朝顔(あさがお)が高校生だった()に起こった事件だ。


 あの()に起こったとか、あの事を記憶している(・・・・・・)、何てサラリと言って退()けるには、あまりに生々し過ぎる事件だった。


 その後の私の人生を決定してしまう程に、極めて重く大きく長い動機与えた出来事であったのだから。


 >>・・・ーーー・・・ーーー・・・ーーー・・・ーーー<<


 その頃の私は、二人の母と、一人の姉と、「あの人」が通っていたのと同じ私立会津高校に無事に潜り込めた事にただ安堵するだけの怠惰な日常をズルズルと送り続けていた。


 私が入学した私立会津高校は、元々はサイバネティクス治療の元祖として知られる"天叢雲会病院"の付属施設として誕生した小中高一貫校である。


 今では名門校として広く知られているが、始まりは形ばかりの特殊学級学校として設立している。多くの人が持っているイメージに反して、私設の塾を母体とする学校法人であると言う意外な歴史を持つ。


 設立目的は、実は学習を主目的としてはいなかった。それは学校生活(スクール・ライフ)を通じて優れた学業(・・・・・)を収めてもらう事では、決して(・・・・)なかったと言う意味である。


 設立目的は、日本全国津津浦浦からだけでなく、世界中の友邦から最先端人工物(機械)置換治療を求めて訪れた、長期療養中の若年患者達に人生の"華"である"学校生活"に参加してもらう事にこそあった。


 折角、()の学童や生徒の適齢であるのだから、真似事でも良いから小学生、中学生、高校生である事を自覚出来る学校生活(スクール・ライフ)を送らせてあげたい。


 成人後に、何か一つでも過去の治療生活を振り返って、笑顔混じりに懐かしめる学校経験を残してあげたい。


 例えば、海外から治療を受けるために会津へやって来て、治療が終わった数年後に帰国した後に、何か一つでも故郷で待つ家族や友人に対して語れる様な"良い思い出"や"誇れる思い出"を得ていて欲しい。


 老婆心的な(そう言う)信念が根底にあった。


 しかし、それを大っぴらに掲げては学校の外に多くの気難しい敵を作ってしまうかも知れない。だから、もっともらしい目標、とてももっともな理念を外野にとってもっとも目に付きやすい所に建てて置いた。


「退院後の社会復帰が少しでも楽になる様に」がそれだ。


 まあ、それもまた、とても重要なテーマであると考えられてはいた。


「もしかしたら、成長期に社会との関わりを持てなかった自分には、社会復帰は難しくて無理かも」と諦めがちな心を不安定化しやすい若年患者達に、長い治療生活の果てに「退院すればこんな楽しい毎日が待ち構えている」と一定の目標を持ってもらう事はなかなかイカしたヴォランティアである筈だ。


 実際、大人達は私立会津高校と言う"特殊な装置"を使って、子供達を人道的な配慮を積み重ねる事で、「人生捨てたもんじゃない」と言う楽観的な未来図を共有する事に成功していた。


 だから、特に天叢雲会病院サイバネティクス研究病棟へ入院中または通院中の適齢者であれば、希望者は誰でも年齢相応の学年・学級へと編入可能だった。もちろん、今でも可能だ。


 一方、病院での治療に参加していない病気や障害とは何の関係もない、外部からの(健常者の)一般入学希望者達であれば、基本的に小・中・高学校入試のどれかを選んで()受験する事が必須となっていた。私個人を苦しめていたのは、入学試験の合格基準が東京にある有力私立小・中・高学校と比べてもかなり高目に設定されていた事実だ。


 だが、それは仕方がなくもあった。一般入学希望者達は、当初は映画やドラマのエキストラ的な役割として極少数が求められていただけだった。学校を学校らしく見せるには、一定数の健常者の存在が不可欠であると考えられていたからだ。


 全員障害者によって構成される社会の民主主義と、多勢の健常者によって構成される社会の民主主義が同一である筈もない。前者が当然であると言う現実離れした価値観の持ち主では、退院後に一般社会にすんなりと適応出来ないかも知れない。


 だから、会津と言う田舎の都市で長期治療を大人しく受けている若年患者達に、出来るだけ病院の外の世界の常識に近いそれ(・・)を維持してもらうと言う目論見もあった。


 長く、鬱屈させられる辛い治療であっても、心の持ち様次第では何とか陽気に(見掛けだけでも)耐え切れるものなのだから。


 ただし、その後に希望者の数は病院側が想定していた以上に増加した。急上昇したと言っても良い。多少の混乱の後、結局は一般入学者枠を改めて新設した。もちろん、それでも入学審査基準は以前程でないにしても、やはり超難関レベルを維持していた。そして、現在に至る。


 結局の所、天叢雲会病院へ入院または通院中の適齢者を最優先で入学・編入させるのが学校発足の根本的な理念であったし、あるし、今後も有り続けるのだ。


 また、義肢や人工臓器などへの置換施術準備中だったり、置換施術後の心身共にやや不安定な生徒達と十分に協調出来る気質を持ち合わせた一般生徒を希望者の中から選別する試験でもあった。


 何の身体的障害も被っていないに関わらず、被っている者達の気持ちを察する能力とそれでいて甘やかさずに根気強く付き合うと言う資質の持ち主は稀少である。だから、求められる資質に近い、または有望であるとされた者達が、その狭き門をくぐって入学を許可された。


 特に、一貫校の出口(・・)である私立会津高校からの卒業をキャリアの一行(一段)に書き込める権利は、社会的にも十分に意義ある行為だった。実際、多くの企業は組織は、私立会津高校の卒業生であれば、学業の優秀性だけでなく、小中高十二年間の学校生活を通じてそれぞれ社会性の高さを十二分に磨き尽くしたエリートであると見做してくれた。


 私立会津高校から先の進路、特に大学受験などでは相当に高い割増し点が期待出来た。海外の大学への進学審査においても、充実した高校活動を送って来たとして高く評価してもらえた。


 また、大学卒業後の就職活動でも履歴欄にも、「私立会津高校 20XX年卒業」の学歴が書かれていれば、競争相手に対してかなり有利な扱いを受けるだろう事は疑い様がなかった。


 社会、企業、組織は、学業だけに優秀な人材には飽きていた。飽和状態あったとも言える。だから、在り来たりな人材よりも、組織その物を中心(タイ)となれる人材を求めていた。


 時々見掛けるでしょう? そこにいるだけで場の雰囲気が良くなる人。あれは、何も"天然"が好きでやっている訳でなく、その場で求められてい社会的な"役割"を読み取った上で人と人の間を意図的に流れている。私立会津高校の卒業生であれば、そう言う素養もまた期待出来ると考えられていたのだ。


 実際、私の家族でも二人の母と一人の姉は、本当にそんな感じだ。どこへ行っても、真正面から受け止めてもらえる。誰でも話をキチンと聞いてくれる。黙っているだけで周辺には人間がどんどん集まって来る。


 本当に羨ましい。人間の格が高く、器が大きいと言う第一印象を周辺に振りまいているのだろう。無意識の中に。


 小学校六年生だった頃は、私も二人の母と一人の姉と同様に、そう言うタイプの人間であると確信していた。しかし、私立会津小学校入試に続いて、私立会津中学校入試と言う()受験活動でも見事に玉砕してしまった。


 どうやら、家族の中で私一人だけが、何かが深刻に違うんじゃないか。


 桜の咲く季節到来前だったに関わらず、"サクラチル"だ。


 合格者一覧表に自分の名前が掲載されていなかった。


 ーーー四人家族の中で、自分一人だけが凡人なんじゃないだろうか?


 その結果を唖然として眺めながら、そんな疑いを密かに持ち始めてしまった。


 その後の不本意な中学生活の三年間を通じて、そんな疑いはどんどん強くなっていった。


 ただし、それでも中学生活を無駄に過ごす事はなかった。


 姉のスパルタ教育を受けたのだ。その御陰で、念願叶ってと言うか、本当にギリギリの成績で外部入学希望者向けの試験をパス出来た。


 だから、何とか外部(・・)入学チャレンジに成功出来て、その達成感と安堵感に溺れてしまったのだ。


 勉強漬けの三年間には、「私だって(・・・)」と言う、なけなしの自尊心を根刮ぎ詰め込まれていた。


 そのせいか、私のやる気はそこで息切れしてしまった。伸びきったゴムがパチンと切れてしまった。完全に気が抜けてしまったと行っても良い。


 そして、一心不乱の受験熱から解き放たれてから、今の自分が置かれている状態を把握し直してみると・・・


 ーーー四人家族の中で、自分一人だけが凡人なんじゃないだろうか?


 と言う疑い(・・)は、救いようのない事に確信(・・)へと変わり始めていた。


 一人目の母は、私と違って(・・・・・)中学校入試と言う()受験を成功させていた。


 二人目の母は、患者枠で無条件に高校へ編入された。


 姉は、私と違って(・・・・・)中学校入試と言う()受験()成功させていた。


 そう、私と違って(・・・・・)幼い頃から成績優秀者だった姉は、小学校の()受験を成功させていたに関わらず、わざわざ一般公立小学校を選んだ。そして、何食わぬ顔で中学校の()受験を成功させて私立会津中学校へ入学。


 その後は、中学から高校への進学はエレベーター式ですんなりと入学を果たしていた。そして、飛び級でさっさと私立会津高校を卒業してしまっていた。


 私の入学を待つ事なく。学生寮では、姉と同室になる事を私が夢見ていたに関わらずだ。


 今でこそ分かる。きっと姉が私が小学校の()受験で失敗すると見込んでいたのだ。だから、敢えて、私と同じ小学校へ通える様にと、私立会津小学校の席を蹴ったのだ。


 私は姉に愛されていた。または、他人に世話を任せられない手間の掛かる子分であったのだろう。


 しかし、当時の私にそんなことは知る余地もない。


 ただ、ただ、姉妹の出来(・・)のあまりにあからさまな違いに怒った。自問自答した。最後に情けなくなってしまって、とてもたいへんな高レベルで(・・・・・・・・・・)鬱屈していた。


 ーーー"私だって(・・・)"。


 これは、あの頃度々心の中で唱えた不満の文句だった。


 私は、何もかも家族と同じでいたかった。だから、何とか同じ高校に潜り込めた。でも、これ以上の先は、同じでい続けるのはちょっと難しいんじゃないかと思い始めた。


 人生初めてのちょっとした(・・・・・・)挫折体験である。今ではそうであると分かる。それは最後でなく、あくまでも最初に過ぎない。それは、人生が続く限り繰り返されるイベントでしかないのだ。


 しかし、当時の私はそれを知るべくもなく。誰もが経験する単純な通過儀礼であっても、それが人生の終わりであったり、世界の終わりであると感じずにはいられなかった。


 私立会津高校は、二人の母と「あの人」が出会った思い出の場所だ。


 在学当時もその事実は知っていた。だが、どちらかと言えばそんな事よりも、二人の母が出会った高校へと入学したいと言う気持ちの方が重要だった。


 二人の母は「あの人」の思い出を頻繁に語る事はなかった。しかし、「あの人」の方は二人の母の思い出を頻繁に語ってくれた。そんな思い出話の数々を聞いていると、私だって(・・・)同じ高校に入学出来れば、母達と同じ様に運命の人と出会えるかも知れないと夢見ずにはいられなくなった。


 いつしか、特に小学校低学年(ジャリガキ)に属していた頃の私にとっては、自分が私立会津高校で学校生活を送る事は、自身の夢であり、権利であり、果たせて然るべき未来であると信じ始めていた。


 そう、私は「あの人」の事が好きだった。当時は何故かは分からなかったけれど、声を掛けられると素直に言葉を聞き入ってしまったのだ。そして、一度目を合わせてしまうと、どうにも反らしがたい衝動が沸き上がって来たものだ。


 あの頃の姉は、どうやら「あの人」の事を密かに嫌っている様だった。その点は、私は姉と同じではなかった。同じでありたい気もした。しかし、それは適わなかった。仕方がないのだ。どうしようもないのだ。その事の自分のあの気持ちにだけは、どうにも抗えなかった。好きはどうしても譲れない気持ちだったからだ。


 私が通っていた私立会津高校。それらの校舎は、二人の母とあの人達が通っていた頃の物とは全てが別物だ。それは会津大震災の被害を受けて、ほぼ全壊した後に建て替えられたからである。


 2011年に東北地方の太平洋沿岸部を襲った大天災を通じて制定された高度な耐震基準を満たした校舎であっても、当時未発見だった活断層の上に建てられてはどんなに強靱な構造の校舎であっても堪えようがない。震災直後には、私立会津高校周辺では、目に出来る風景は遙か彼方までが瓦礫の海だけだったと聞いている。


 また、震災当夜は月の出ない空だったとも。


 2037年に発生した会津大震災の直後、私立会津高校は廃校と言うか、他校との合併による再建が計画されると言う危機に面していた。


それは、中央官庁の役人と一部の政治家達が、他人が不幸のどん底に落ちたのをこれ幸いと見出したせいだ。


 より具体的に語ると、地域社会の崩壊どころか、家族の生命存続の危機に面した生き残り達(被災者達)の弱みに付け込んで、今まで手が届かなかった利権を根刮ぎ奪取しようと計画したせいだ。


 巧妙にも復興資金とは別枠の、直ちに支給可能な補助金や交付金をチラつかせて、被災地の復興を現地主導ではなく中央政府主導で行おうと画策していたのだ。


 地元の土建屋も復興作業に参加させてはやるが、あくまでも最末端の下請けの立場=もっとも利の薄い奴隷扱いに甘んじろと言う話でもある。復興相などが用意する臨時予算のほとんどを、合法的に中抜きするつもりであった訳だ。


 また、復興後の地域経済の有り様にも強い指導力を発揮するつもりでもあった。例えば、海外から見ても相当な最先進技術の塊である、擬体開発や義肢開発などを福島の会津から最終的には奪い取ると言う思惑があった。


 実際、経済的な旨味の濃い研究に限れば、既に宮城県の松本の方が本場となりつつあった。広い土地を有効活用出来るとあって、同じ地域内に一部の量産施設までを擁しつつあった。一方で、福島の会津の方は、量産施設に限れば全てを栃木の宇都宮にある富士見重工へ依託していた。


 だから、それを宮城県の松本へ移転・一本化する。目的は、ガラガラポンの椅子取りゲームが始めさせて、仲間の役人の天下りなり、子飼いの銀行出身取締役なり、物言う投資家なりを滑り込ます事にある。


 経済産業省の一部の役人達や一部の政治家達も、福島の会津が擬体開発や義肢開発に元祖である事は認めていた。しかし、同時に業界における福島の会津の役割は、既に果たし終えたと判断していた様だ。


 ーーー言い方を変えれば震災被害まで喰らった後の会津の現状は、事実上の「出涸らし」へと成り果てたとでも評価していたのだろう。


 そこで、全身擬体保持者の生徒や義肢、人工内臓へに置換施術を受けた子供達を受け入れる為に病院主導で作られた私立会津高校を潰す事を思い付いた。それらの患者の受付を宮城県の松本の方へと一本化出来れば、「遠からずして、福島県・会津の機械置換技術開発産業を根刮ぎ宮城県・松本の方へ貢げる」と取らぬ狸の皮算用しての事だ。


 どうやら、その邪悪な企ては国土交通省の一部官僚主導と親しい政治家達の間で立ち上がり、金の流れの経路を確保する為に経済産業省の一派を新たに巻き込もうとしていた気配がある。


 その種の、他人の不幸に付け込む事を躊躇(ちゅうちょ)しない人々に共通している傾向は、世界の全てを自分の懐に入る金の分量で測らずにはいられない性向にこそ見られる。手に取って検討している数字やグラフの向こう側に、現実に生きている人間達が存在していると言う当然の事実を結び付ける能力が欠けている。


 私小説などを用いた国語の試験で、「著者の意図を読み取って40字以内で述べなさい」と言う設問に答えるのは得意だが、本質的に求められている著者が敢えて筆を執った動機へ共感する才能の方は持ち合わせていない。


 情に薄いと断定する遙か以前の問題である。人類種と多の動物種を区別する為のポイントである「多様で多彩な想像力」の圧倒的な欠如と欠落にこそ原因が求められる。つまり、自分が他人から後ろ指を向けられる様な事をやっていると自覚しながら、後ろ指を向ける他人の価値観を「弱者の戯言」と瞬時に切り捨てられる拙速さにこそある。


 おそらく、よっぽど酷い両親から反社会的な躾けを受けたとか、高レベルの発達障害条件を背負って生まれたに関わらず補正教育なしで大人になってしまったとか、単に後天的な事情でお金だけが大好きな人でなしに成長してしまったとか、悲し過ぎる過去を背負ってのことに違いない。


 少なくともバランスの取れた人格の持ち主であるとは言えない。


 少なくとも友達にはなりたくない人達である。


 本当に食事を同じテーブルで取るのもお断りしたい。


 出来れば同じ電車やバスに乗り込むのも避けたい。


 もっとも、そんな彼等を毛嫌いする私に対して、彼等の方は見下し視線でこうやって抗弁するだろう。


「我々を電車やバスに乗る庶民と同一に扱ってもらっては困る」、とでも。


 これが事実であり、笑えない冗談では済まない。今の私はこの救いようの無い社会構造の真実(神髄)を十分に承知している。


 日本国に限らず、人間が作るどんな政府組織でも、上部構造へ出世するまでのサドンデスな長期トーナメント戦で敗北せずに生き残って来た人類個体には、高確率でそんな輩が混じっている。おそらく、私が好むまともな感性の持ち主は、上部構造まで出世する前に嫌気がさして、早々に逃げ出して(野に下って)しまうのだろう。


 きっと、蠱毒(こどく)と同じ構図だ。小さな入れ物の中に、大量の優秀な人材を閉じ込めて共食いさせ、最後に生き残った者を呪詛の媒体として利用する代わりに、組織の末端幹部候補とすると言う意味で。


 ーーー護るべきでは国家でも国民ではなく、自分達の組織。


 乱立する組織同士が、常にトランブのババ抜きカード・ゲームをしている。組織同士が蠱毒(こどく)していると言っても適当なのかも知れない。


 私立会津高校の廃校に関する、ドロドロとした裏話。


 今となっては、私立会津高校の存続を争われたこの酷い話は、会津周辺に長く住む者達の間では知らない者はいないほどに有名な話として広まっている。


 今となっては、である。震災直後はそうではなかった。


 そんな状況下、「あの人」はたった一人で巨大な中央権力に対して立ち向かった。


 事の始まりは、福島県選出の衆議院議員であった父親からの情報のリークにあったものを思われる。おそらく、父親としては「私立会津高校にさっさと見切りを付けて、早々に身辺を整理を始めろ」と娘に促したかったのだろう。


 しかし、娘の方はそれを承知しなかった。父親を味方に付ける事もなく、母校を守る為に孤立奮闘に徹すると決意した。それは、おそらく、圧倒的強者な他人を出し抜くには、その試みの存在を知る者の数を極最低限に絞る必要があったからだろう。


 ーーー不意打ち以外に、弱者が強者の足を掬う手段は存在しない。


 今となっては、"都市伝説"の一つとなっている、金融と税制の組み合わせで隙を突いた母校の再建計画を独自で作り上げて、最後まで実行し抜いた。しかも、結果として勝ち越してしまったのだ。


 それには、私の二人の母の片方も、実務面で一枚咬んでいた様だ。


 その事を、私の母の一人は詳しく語ってくれない。


 だが、両親達もあの"英雄伝説"の一角を成していた事は間違いないのだ。


 兎も角、「あの人」の御陰で、私立会津高校は今でも存続している。


 二人の母と「あの人」が出会った頃と同じ敷地内に建っている(ただし、新たに発見された活断層を避ける為に、航空写真を見ると奇妙な具合に施設が散らばっている)。


 しかし、だ。「あの人」が、巨大な中央権力を出し抜く形で、彼等のマンホールの下を流れる粘着性な汚水よりも醜悪な欲望を砕いてしまった代償は大きく付いた。


 顔の見えない悪人達による、「あの人」への復讐は、即時に、しかも効果的に実行された。


 悪人達は、故郷が壊滅して茨城県に疎開させれる事で、精神的に相当に不安定化していた私立会津高校の在校生達の一部を道具として選んだ。


 ーーー「あの人」が、決して傷付けたくない、母校を存続させる事で守り切った人々を敢えて利用して攻撃を仕掛けたのだ。


 大した理由もないのに暴れたくて仕方がない人々というのは、どんな社会にも必ず一定数含まれている。そんな彼等は大抵の場合は気が弱い。だから、破壊衝動を実行する上で、一時的に常識を無視するに足りる理由(言い訳)、中二病的専門用語で言う所の「大義」を欲している。


 妄想をアクションへ移す為の決心を自分自身ではつけられない。踏ん切りをつけるに足りる「大義」さえ与えなければ、不満タラタラでありながらもギリギリの所で踏ん張っていて普通の人である事をやめない。つまり、妄想するだけで、実行にまで移すケースは極めて少ないと言える。


 しかし、逆に言えば十分な「大義」とか言われる言い訳さえ用意出来れば、いつでも大喜びで、自分が「普通の人でない」と行動で示し始めてしまう。これが我々の社会が抱えている時代を超える共通の問題である。


 ーーー魔法の言葉。「貴方は悪くない(悪いのは社会や他人だ)」である。


 それは、どちらかと言うと黒魔術の呪詛(呪いの言葉)であるかも知れない。


 どんな社会でも、この様に、常に爆弾や地雷的な不安要素を抱えている。どれほどに安定して見えても、見る者が見れば、不安要素へと続く良く乾燥させられている見事な導火線が、どこにあるのかは直ぐに見当が付く。


 そう言った特殊な訓練を受けている者であれば、一目瞭然と言っても良いレベルである。


 鬱屈感に(さいな)まれた顔の見えない悪人の皆様=巨大な中央権力は、「あの人」への報復として、私立会津高校の気弱な不満分子達に自分達が選出した生徒会長を排斥すると言う「闘争(遊戯)」に不可欠な「大義(言い訳)」を与えた。


 自分達の不幸はすべてが「あの人」が原因であると、専門の下請け業者を通じて分かり易く噛み砕いた言葉で吹聴する事で。


 私立会津高校の生徒会長であった「あの人」の足を的確に引っ張るのに必要な理論構築と、その新しい理論を使って新しい集団の新しい指導者となる為の手段を優しく指導していただいた(・・・・・)のだ。


 いや、「あの人」を高校から排除する様にと誘導されたのだ。


 ーーー飛び切りハデに転がされたのだ。


 アジテーター。それは、群れの中から誰が不満分子達を的確に見抜いて、後先考えずに直情的な行動を起こす様に仕向けるだけの簡単なお仕事です。


 承認欲や虚栄心に酷く(まみ)れた人間的な魅力に欠けた者達ほどに転がしやすい人々はいない。そして、そんな悲しげな者達には、この簡単な理屈は、どれほど懇切丁寧に説明しても絶対的に理解してもらえない。


 ローマ帝国最初の皇帝「アウグストゥス」の義父である「ユウリス・カエサル」もこう言っているではないか。


 ーーー人間とは見たいものしか見えない生き物である。


 と。


 承認欲や虚栄心に酷く(まみ)れた人間的な魅力に欠けた者達による暴発行動。それは、一気圧下では水が100度で沸騰するのと同じく、森羅万象の一つであるのではないか。私はそう疑っている。


 しかし、優秀な人と言う人々は、転んでもただでは起きないらしい。


「あの人」の排除を試みた巨悪の方は、「あの人」さえ追い出してしまえば、後からゆっくりと私立会津高校を消滅させされると見込んでいた。初戦の敗北を覆せる。スケジュールが多少遅れるだけで、結局は優秀な自分達の思惑に沿って世界は動くと信じていた。


 しかし、「あの人」は自分が早々に排除される可能性までをも考慮して、金融と税制の技術を複雑に組み合わせる(絡み合わせる)ことで、難攻不落の(自身でも解けない)私立会津高校再建計画を既に完成させていた。


 それを覆すには、経済産業省に続いて、金融庁までを巻き込む必要があった。しかし、金融庁は内閣府の外局である。そこまで手を広げてしまっては、ビジネス的には大きな赤字となってしまう。そこで、巨悪の皆さんは潔くこの件から手を引く事にした。誰だって、儲からない仕事に関わり合うほどに閑じゃあない。そこで儲けられないなら、もっと儲かる新しいの鴨葱(かもねぎ)種子(ネタ)を探し出さなければならない。


 そう意味で、巨悪の皆様は間違いなく優秀ではあった。見返りが求められない計画に、これ以上自分達の貴重な時間を注ぎ込むほど愚かではなかったのだ。


 そして、私立会津高校を巡る隠謀から10年以上が経過した後、「あの人」は、自らを自主退学へと追い込まれた悲劇さえも利用して衆議院議員選挙を戦った。会津選挙区から衆議院議員選挙に立候補して、見事に勝利を勝ち取った。


 しかも、一族が代々後ろ盾としていた政権与党に組みすることなく、無所属議員として政権与党が推す候補者を完全に下したのだ。彼女を支持した有権者層は、一部で老害と呼ばれる事もある高年者達ではなく、驚いた事に彼女を高校から追い出した()不満分子達であった。


 後になって、若い頃の自分の所業を激しく後悔したに違いない。かつての敵は、もっとも忠実な支持者へと完全に転じていた。彼等が草の根ネットワークと言われる、マスコミには目立たない形で「あの人」の支持者をどんどん増やしてくれた。


 地元商工会でも、本会と青年部で激しく対立の状況を見せていた。


 老人層vs若年層(現役層)と言う構図で争われた選挙戦の結果は、会津周辺に有力者達の総入れ替えをもたらした。人口構成比から考えても圧倒的に不利と言われていた若年層の大勝利は、会津地区のビジネス界と投資家界隈を巨大な中央権力から、更に引き離すと言う効果があった。


 もちろん、会津周辺における権力構造の再構築には多少の混乱はもたらされた。特に、他の野党勢力との協調路線の成立にはそれなりに長い時間が費やされた。しかし、一度ハデに転がされたと言う痛い経験を持つ元不満分子達の支持者グループは、最初から最後まで一枚岩であり続けた。具体的には、複数ある「あの人」の後援会の行動方針は一切揺らがなかった。


 そうやって、「あの人」は盤石な権力基盤を会津に手に入れた。彼女にとっての祖父や父とはまったく違う形で。


 その後は、突然に実妹に会津の守りを任せて、新たな戦場である鳥取県へと旅出った。「あの人」には、巨大な中央権力(東京都市圏)を、南北の田舎から挟み込むと言う生来の野望があったからだ。


 ーーー経済的な事情による故郷崩壊を阻止する。


 ただし、問題があった。会津だけでなく東北全体を集合させたとしても、その程度に小規模な経済規模では、巨大な中央権力による地方交付税交付金の支配下から抜け出せないとの試算が出てしまったのだ。その唯一の解決策として、九州を含む本州西部を含めた小規模な経済圏を自分の企てに巻き込む選択をした。


 ーーーそちらの方だって、自分達と同様に故郷を守る手段を欲しているだろうと期待して。


 二つの小規模な経済圏を束ねれば、中央官庁の官僚達と対当に(互角に)取引(殴り合い)出来ると見込んでのことだ。


 これは経済的なスケールの問題だった。富はある一定の量を越えると勝手に自己増産を始めると言う性質を持っている。


 また、無限機関の様に永続的に投資・出荷・利確を回し続けようとすると、一定の水準に達する流動的な金融資産による裏付けがある事が望ましい。


 更に、一つの経済圏の回し続ける資金を、実体よりの遙かに大きな規模に見せる事に成功すれば、大きな期待的観測を背に受ける商売が出来る。


 その為には、九州を含む本州西部と徹底的な協調路線を取る必要があると結論付けた。例えば、いずれか片方の経済区で稼いだ金を、互いに繰り返して投資し合えればいわゆる錬金術的な効果を引き出せる。


 つまり、1980年代に大都市圏(東京・名古屋・大阪)で起こったバブル経済を21世紀に一時的に引き起こそうと言うのだ。ただし、当時と違うのは土地信仰や突っ込み先に困った大量のあぶく銭に頼るのでなく、知的財産を軸とする=物理的に存在しないが為に、仮に無限に膨れ上がった後に弾け飛んでも実体的にゼロである物が本当にゼロに評価されるだけの話となる。


 バブル経済を引き起こしている間に、新しいビジネス・インフラを次から次へと作り上げる事を目的としている。その後でバブル経済が弾けて一文無しになったとしても、過去に作り上げたビジネス・インフラ、例えば、工場、港湾施設、輸送機関、研究施設、高度な教育を受けた人材などは全て確実に残る。


 そして、バブル経済を上手くソフト・ランディングさせられれば、失われた何十年とか言う悲劇は繰り返さずに済む。その為にも、1980年代末期に何故か敢えてハード・ランディングを選んだとしか説明出来ない、金融庁などを支配する奇妙な価値観を封じ込めるだけの政治力も確保して置く必要がある。


 これはデカ過ぎるギャンブルである。しかし、これに勝てなければ日本国の地方はこのまま枯れ果てるだけだ。主治医に余命宣告を受けたならば、未承認治療法だろうとなんだろうと試してみるべき。そう言う考え。死なば諸共。だったら、最後の挑戦を試さないなんていう手はない。


 会津側のこの(・・)誠意を確実に伝える為に、または自分がその企ての当事者となる為に、「あの人」は敢えて不利な鳥取県での衆議院議員選挙の戦いに身を投じた。


 最初のギャンブルの結果は、"終わりよければすべてよし"と言えば栄光に満ちた戦いだったと出来るかも知れない。しかし、現実は散々なものだった。


 選挙では一度敗れた。しかし、その後に当選者が突然に病死した末の繰り上げ当選で、二回目の衆議院議員議席を獲得した。


 その直後に、「あの人」は、無所属の看板を捨てて、政権与党へと正式に入党した。本州西部で大きな影響力を誇る、大政治家"因幡(いなば) 陽葵(はるな)"の仲介によって実現した大きな変化だった。


 実は、「あの人」は、当初から、政権与党と組みする事は必然と考えていた。好きこのんで無所属の看板を掲げていたわけではない。会津での初戦の対決候補が政権与党承認候補者を名乗っていたために、仕方なく無所属を名乗っていただけだ。


「あの人」は、「革命を起こすなら権力外からではなく権力中から」である事が必須と考えていたからだ。


 それは私も正しい考えと思う。王道とも言えるだろう。社会に変革をもたらす大変化を起こすなら、保守の立場にある政権が起こした方がより多くの国民からの理解を得やすい。また、非保守の立場からそれを行うと、最終的な落とし所不在の社会破壊をもたらしかねない。


 ーーー誰一人として、フランス革命やロシア革命の様な最凶・最悪の国家再構成を経験したくはないだろうし。


 保守の立場であれば、事前に足下を固めた上で社会変革に没頭出来る。しかし、非保守の立場であれば、保守政党だけでなく、自分が属する非保守政党とも対立しなければならなくなる。外との戦いだけでなく、内との戦いまで強いられる様では最初から無理ゲーである。しかもクソゲーでもあろう。


 権力を保持する経験に乏しい非保守の立場にあった人間は、とても暴走し易い。例えば、人生経験不足がもたらす青臭さに捕らわれる人々が沢山巣くっているせいで、政策選択の多様性が壊滅的に確保出来なくなるからだ。思想面や理想面での原理主義者が陥りやすい暗黒面である。


 本来は仲間である筈の彼等を無視すると、ルサンチマン的身内殺し攻撃で自滅しかねない。改革を唱えて政権を奪取した非保守政党が、その後に何の功績も残せず無残な瓦解を繰り返す原因の一つはそこにある。


「あの人」はおかしかった。一介の高校生だった頃から、こんな大人でも理解し難い人類の恥部を象徴する屁理屈をしっかりと(真正面から)理解出来(受け止めて)ていたのだから。


 そして、自分の身を犠牲にする事を厭わず、人類の恥部をねじ伏せて自身が進むべき道を邁進していたのだから。


 そうやって、夢と怖れのいずれをも克服する生き方を貫き通したのだ。


 それも、その死の寸前までも。


 仮にそれが瘦せ我慢だったとしても、成し遂げた偉業を汚すものではない。


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