あたらしいかぞく。 〜その陸
日本全土(一部離島地域除く)だけでなく、国際政治に注意を払える程に生活が楽な国民が多数暮らす国々にまで、多くの驚きを与えた「血の日曜日事件」。
当然の如く、発信した情報に対して返って来た驚きの反応は、同一のものではなかった。ただし、千差万別でもなかった。
西側諸国と呼ばれる民主義国家の国民の大多数は、テロリズムに対して眉を顰めた。また、使用された機材が自分達の価値観を否定する陣営で製造された軍用品ばかりであると判明した時点で、事件そのものが武器を援助する国外勢力の後押しで行われたと気付いた。
代理戦争ならぬ、代理テロと言う言葉が、それ以後は彼等が参加する社会に定着する異なった。
それ以外の国々、例えば極東アジアの三カ国の政府も、眉を顰めた事までは同じであった。ただし、"独裁国家に虐げられた下層民族による平和的な社会運動が、極右政権が好んで振り回す過剰な暴力によって鎮圧された"との理由で眉を顰めたのだ。
そして、犠牲者に同情し、犠牲者の遺族に寄り添うのではなく、極右政権によって不当に虐殺された琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army(RRA)の平和主義者達へ、有らん限りの哀悼の意を強く表明した。
なお、極東アジアの三カ国の国民が、彼等の言う所の「平和主義者の虐殺」に対して示した反応については明らかになっていない。国外へ漏れ出して来る反応は、明らかに、国家組織が国家メディアを通じで行ったご意見表明の域に留められていた。
そう、極東アジアの三カ国の進歩的な指導層は明らかに憤っていた。今回の作戦に多大な予算を注ぎ込んだに拘わらず、琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army(RRA)の平和主義者達は、目標として定めた超極右政治家指定の"万条 菖蒲"の天誅が叶わなかった。
それどころか、日本国に大した物理的ダメージも与えずに、結果だけ見ればキレイにあしらわれてしまった。何と言う為体か。わざわざ自国内にある大陸奥地の砂漠地帯にまで呼び寄せて、念入りに市内戦と屋内戦の訓練を施してやったに関わらずだ。
人民共和国の人民解放軍・海軍では、更に、想定外に大きな衝撃を受けていた。「血の日曜日事件」の終結宣言が出されてからキッカリ10時間後に、グアムの合衆国領海内深くにまで侵出していた虎の子ステルス潜水艦が圧壊・沈没したのだ。
攻撃を受けて撃沈られたのか、それとも事故で自沈してしまったのかすら解らない。ただし、圧壊・沈没を示す音波と緊急事態を示す短波通信だけはキャッチ出来た。
攻撃を受けれたのであれば抗議と報復の処置が必要だ。しかし、詳細がまったく掴めない。仮に、攻撃を受けれたとれば、どこの組織が実行したのか見当も付かなかった。
失われたのは、御国の最新技術と、被支配民族の労役でかき集めたなけなしの資金を湯水の様に注ぎ込んだ最新装備だった。絶対に仮想敵国には捕捉不可能な高性能と見込んでいた。その根拠は、まだ2隻しか進水してないステルス潜水艦は、港から出航すると、人民解放軍・海軍でも寄港するまで最捕捉出来ないと言う極めて高い静粛性にこそあった。
実際、自国のステルス潜水艦が圧壊・沈没のバカでかいノイズと悲鳴の様な短波通信をキャッチするまで、人民解放軍・海軍は、彼等自慢の鋼鉄の鯨がどこにいる事を知らなかったのだ。
でありながら、あからさまに奇妙なタイミングでステルス潜水艦は行方不明となった。どう考えても、自国が行った国外テロ事件の報復、或いは反応に違いない。
また、人民共和国としては、合衆国領海内深くにまで自国艦が潜水航行していた事実を認める訳にはいかない。だから、ステルス潜水艦の海軍士官達と海兵達は、決して死を悼まれる事なく、それどころか、国家への最大限の忠誠を捧げる為に、"永遠の潜行作戦"へと突入したと評価されてしまった。
50年後か、100年後、母国のピンチを察知した潜水艦が突如に海面に浮上。直ちに敵国に向かって正義の手鉄槌を下して、また隠密任務へと戻る。そんな自己犠牲の塊である"救国作戦"に就いた潜水艦クルーの数が、かの国では一個師団に達する程に達していた。
人民共和国の人民解放軍・海軍としては、おそらく人民解放軍・陸軍のしでかしただろう無茶な作戦のとばっちりを受けた事に腹を立てていた。何より、そんな微妙なタイミングで国外テロを起こすならば、事前通達を徹底して欲しかった。
寝耳に水と言う事情で、貴重な最新鋭艦と極めて練度の高いクルーをまるごと失っては、何時になっても太平洋西側での自由諸国との見えない紛争を善戦出来る様にはならない。
更に人民解放軍・海軍が頭を痛めていたのは、貴重な最新鋭艦の動向をどこのどいつがどうやって捕捉していたのか判らないと言う点だ。製造して運用している、自分達がもっとも実体を詳しく知っているにも関わらず、捕捉不能なほどに高度なステルス性を誇る潜水艦を、どこかのどいつがどうにかして捕捉・探知・追尾する能力を保有しているらしいのだ。
人民解放軍・海軍は、直感で、事故ではなく攻撃が原因であると見ていた。
果たしたて、撃沈したのは、合衆国の艦か。日本国の艦か。英国の艦か。まさか、インドの艦ではないだろう。いや、慣熟訓練と称して、世界中の友邦の領海に出没しているオーストラリアの艦ならば・・・。
もちろん、西側諸国と呼ばれる民主義国家の政府や海軍は、知らぬ存ぜぬだ。そんなヒントを与えてくれるほどに優しい奴らではない。
ーーーおそらく、これは警告だ。
もし、偉大なる党や人民解放軍・陸軍が、反省もせずに再び無茶を試みたならば、これと同じ反応を立て続けに受ける可能性が高い。人民解放軍・海軍としては、第二第三の"永遠の潜行作戦"へ貴重な戦力を割けるほどに潤沢な予算や兵員を持て余している訳ではない。
国外テロと領海内への無断侵入の両方を、「二度と試みるな。次回の報復はもっと苛烈になる」と言うメッセージなのだ。
人民解放軍・海軍は、仕方なく、隷属化にある潜水艦の全てに仮想敵国の領海内へ冒険的航行を禁じた。問題は、何隻かの原子力推進搭載艦が定時連絡まで動向を捕捉出来ない事だ。だから、彼等は、所在不明の全ての潜水艦が公海を航行中である事を確認出来るまで、眠れぬ夜を繰り返す事となった。
一方、その頃の朝間ナヲミには、そんな国外の海面下で繰り広げられている激しいドラマへ気を配る余裕はなかった。
「血の日曜日事件」から一夜が明けた今、彼女は、福島県・会津美里市にある自宅の前に到着している。
馬毛島から大阪・伊丹空港まで自社で特別連絡便を仕立てて移動した。そこからは民間旅客機で会津国際空港まで移動した。会津国際空港からはタクシーで自宅まで移動した。
そこまでの道程は極めて順調で快適だった。しかし、タクシーを降りてから。公道から自宅の扉までの残りたった2m程度の距離が極めて険しかった。走破の可能性を疑うべき、難所中の難所として、二人の目前に横たわってた。
そう、朝間ナヲミの腕には、万条 菖蒲から託された赤ん坊、朝顔が収められていた。
表情の硬い朝間ナヲミとは対照的に、朝顔の方はご機嫌で目をキラキラと輝かせている。とても、前日に死にかけて、さらに実父と生き別れた子供とは思えない貫禄を示していた。この一事を挙げても、間違いなく万条 菖蒲の娘であると確信出来た。
「あーーーー」
まるで、朝顔の歓声が前へ進もうと催促している様に聞こえた。それで、朝間ナヲミも退路を断たれたと観念した。
門の扉を音が出ないようにそっと開けて、意を決してチャイムを鳴らしてから、物理鍵を鍵穴へと差し込む。回してみると抵抗力がない。実は、ロックされていなかった事を悟った。
ーーーやばい。
ドアを開けると、案の定、そこには嫁が仁王立ちで待ち構えていた。
「おかえり」
抑揚のない声で出迎えてくれた。
「ただいま」
朝間ナヲミも首をすくめて、まるで借りて来た猫の様に神妙に応える。
「お土産を期待していたんだけれど・・・」
森 葉子が、実に巧妙に棘を各所に差し込んだ声で語りかける。
「実は、昨日は大変でさあ」
「知ってる。TVで見た」
森 葉子が朝間ナヲミの視線を睨み付けて、完全に同期状態にロックする。こうなると、もう恐くて目を反らす事も出来ない。
「万条さんの旦那さんと娘さんが犠牲になられたのは知っている」
「そう。そうなんだ・・・」
朝間ナヲミは、完全に出鼻を挫かれて、親友の娘を連れて帰って来た事の釈明に挑戦する機会を失っていた。
「で・・・その右腕にいる子供は?」
朝間ナヲミは、防御陣を構築できない、本当に無防備な状態で激しい弾幕攻撃を受けた。弾幕を繰り返し張られ、その度に歩兵が送り込まれてこちら側の戦線が後退させられる。
しかし、このまま敗走する事は許されない。親友である万条 菖蒲の願いを拒絶出来る程に自分は薄情ではない。それに、嫁にしてみても、そこまでの分からず屋ではない事を知っている。
朝間ナヲミは、ここで戦線の押し戻しを試みた。
「えーーー。朝顔ちゃん、1歳6カ月です。この子が今回の出張のお土産です・・・」
愚かな策だった。しかし、朝間ナヲミらしいと言えばとても朝間ナヲミらしくもあった。
森 葉子はと言うと、反応は完全に凍り付いていた。まさか、自分の伴侶がこんな馬鹿な言い訳を述べてくるとは夢にも思っていなかったのだ。
ーーー想定外に苦し紛れな言い分だった。
森 葉子は、息を止めて、両目を閉じて、顳顬を右手の指で押して、大きな息を吐いた。
「あんたねえ・・・。また、外で勝手に子供を作って来たって言うの?」
これは森 葉子の真意ではなかった。朝顔を一目見ただけで、切羽詰まった状況は推測がついていた。しかし、何の相談もなく、こんな大事決めて来た。それに対する抗議なのだ。
ーーー長女を産んであげると決めた時に、何となく感じていた予感が当たった。
こいつは、自分達で育てる子供だけで野球チームだか、サッカーチームを作りたいタイプの馬鹿だ。
「いや。違う。違う、作ってない」
思い切り慌てる朝間ナヲミ。ばつの悪さが先立って、嫁の真意を読み損ねた。自分と万条 菖蒲が不倫関係にでもあった、と誤解されたと誤認したのだ。
「これは・・・これは・・・えーーー」
朝顔は、腕の中で興味深そうに二人の大人の遣り取りを眺めている。そして、この場をキレイに収められるのは自分だけだと直感したのかも知れないと気付いた。
朝顔は、少し朝間ナヲミの腕の中で暴れて見せてから、森 葉子に向かって両腕を差し出した。
ーーーだっこして。
朝顔は、生まれてから経験したたった1年6カ月の生活で、大抵の大人はこれで精神的な腰砕けになる事実を看破していたのだ。
森 葉子は、朝顔の誘いに乗った。伴侶から朝顔を奪い取って自分も両腕に抱く。
これで勝負は決まった。この場の勝利者は、朝顔ただ一人だった。朝間ナヲミに至っては、この場での配役は、滑稽な振る舞いを見せた道化師に過ぎなかった。
森 葉子に一瞬で懐いた朝顔の様子を目にして、朝間ナヲミは全身の力が抜けた様に玄関の扉に寄り掛かった。
「はいはい・・・。事情はだいたい察してるよ。万条さんに押し付けられて断り切れなかったんでしょ?」
「押し付けられた訳じゃないけど・・・だいたい、そんな感じ」
森 葉子は、玄関から奥へ引き返す素振りを見せた。しかし、それを一瞬思い止まって、伴侶に一つの要求を伝えた。
「外の物置から、向日葵の時に使ったベビー用品を出して来て。特にベビーチェア」
「はい!! わかりました!!」
朝間ナヲミは、大急ぎで今入って来たドアから外の物置へと向かった。
「そんなに急がなくて良いわよ」
そう言うと、森 葉子は向日葵がTVを一生懸命に見ているリビングへと引き返した。
リビングへ入ると、向日葵と視線が合う。向日葵は、見知らぬ赤ん坊が母親に抱かれている事に気付く。
「はーい、ヒマリちゃん。貴女に妹が出来たわよ」
「イマリのいもーとー?」
四歳と少しになったばかりの幼児は、母の言葉を不思議に感じた。
「そう。ヒマリちゃんは"ねーねー"になったの。お姉ちゃんね」
向日葵は、突然に目を輝かす
「イマリは"ねーねー"になったの?」
「そうよ。お姉ちゃんは妹に優しくするものなの。わかった?」
向日葵は、少し悩んでから、良くわからなかったので、元気良く「わかった!!」と返した。
「イモートーの名前は朝顔。呼び方は「あーちゃん」で良いかな?」
「イマリのあーちゃん!!」
向日葵は、人生の新展開に戸惑うことなく、少しばかり興奮していた。まるで、突然に夏祭りとクリスマスとお正月が訪れたかの様に。
森 葉子は、左腕に朝顔を、右腕に向日葵抱いて、二人を一緒に持ち上げた。
「これから、姉妹二人で仲良くね」
「うん!!」
「あーーーっ」
向日葵と朝顔がまるで意気投合したかの様に、同じタイミングで声を返してくれた。
森 葉子は、朝顔を守る為に命を落とした万条 十治の事を想った。高校の頃の、副会長時代の彼しか鮮明な記憶はない。結婚式にも参加したが、決して目立つタイプの印象の強い男性ではなかった。
そんな彼は、自分の子供である朝顔が、これから末永く育って行く姿を目にする権利を不当にも奪われた。
そして、この子供も。自分の父親に見守られて成長する権利を不当にも奪われた。
誰が奪ったか。それは伴侶の朝間ナヲミに任せておけば良い。
自分がするべき事は、死んでしまった朝顔の父親が、三途の川の対岸から娘を眺めても安心出来る生育環境を提供すること。そして、娘が父親から受ける予定だった深い愛を、父親に代わって与えてあげること。
そして、今までの人生そのものだった家族を自身から断腸の思いで切り離して、それでもなお戦い続けなければならない運命を選んだ元同級生の万条 菖蒲に心から同情した。
ここで、手折られてしまえば楽だったのだ。娘と共に、伴侶の不慮の死を想い、庇い合う。互いに寄り添って生きて行く、と言う穏やかな人生も選択も出来たのだ。しかし、そうしなかった。勿論、その理由は分かる。
ーーーそれは、彼女が"万条 菖蒲"その人であるからだ。
「本当に馬鹿ね・・・」
たった一筋、森 葉子の頬に涙が流れ落ちた。
「ママ、どーしたのー?」
向日葵が小さな異変を察して、恐い物を見たかの様に心配気に声を掛けて来る。
「何でもない。何でもないから・・・」
森 葉子は、涙を拭いたくても両手が塞がっていて、どうにも出来ない事に気付いた。
そこに、朝間ナヲミがベビーチェアを抱えて現れた。
「ハコちゃん、ベビーチェア持って・・・」
そこで、伴侶の異変に気付く。流れたに違いない涙の筋に気付く。ベビーチェアを床に置いて、両手が塞がっている森 葉子の頬を義手で拭う。それで、涙の跡が消えた。
「ありがとう」
子供二人を抱いたまま、森 葉子がお礼を言う。
「こちらこそ」
朝間ナヲミもお礼で返す。
たった今、四人の家族が一つ屋根の下に揃った。
朝間ナヲミが、二人を抱いている森 葉子を外から抱きしめる。
四人で一つの家族。
全身擬体保持者が一人。
生体脳を半人工生体ボディに移植した者が一人。
単性生殖で生まれた地球で初めての人類が一人。
何の変哲もないけれどもとても普遍的な人類が一人。
これらが、たった今成立したばかりの"あたらしいかぞく"の形だ。
全員がバラバラの自我同一性を持つ。
唯一の共通点は、おそらくは"互いを必要とし合っている"と言う事だけ。
21世紀後半を見据える時代であって、こんな家族は普通ではない。
しかし、それでも。
そうであっても、一つの家族であり、紛れもなく身を寄せ合って生きる人間同士の集団なのだ。
この日、森 朝顔が家にやって来た。
森 向日葵は、この日初めて姉妹を得た。
行き止まりに突き当たってしまった命が、真新しい迂回路の方へと誘導された。
これは、たった、それだけの話である。