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命を継ぐ者。 〜 Inherit the Life. 〜  作者: すにた
第九章 日常への遡及
135/143

森 葉子 gives TE71 an ordeal.

 前日と同様に、空は快晴。


 しかし、山岳地形であるから、仰角にして20度から下、眼下を横切る何重もの谷々に沿って、北を眺める場合はだいたい右手から厚い雲やら霧が、途切れることなく流れている。


 青空が広がっているのは何もない天頂方向ばかり。だから、ダージリンを訪れる大多数の観光客が拝謁を望む世界第三位の高峰であるカンチェンジュンガは、一昨日や昨日と同様に、朝からずっと姿を隠し続けている。


 かつては、雨季が開け、乾期が始まっている事は確実視されていた。


 だが、最近ではダージリンからカンチェンジュンガが頻繁に姿を表してくれる時期は、どんどん後の方へとズレつつある。


 ーーー昔は、2000年代には、10月後半になれば、やっと姿を表し、徐々に姿を表す時間が伸びていったものである。


 まあ、昔は昔で今は今。過去を懐かしむ事にかまけて、現実を直視する事を忘れてしまってはいけない。


 探せば何か一つくらい良い事もある筈さ。ポリアナ症候群とか、不幸な人を更にどん底に落とし込む精神学マウンティングは控えて、ハリー・ハーロウ(Harlow、H. F.)が行ったアカゲザルの赤ん坊と代理母のスキンシップ実験(「身体的接触と愛着形成」に関する考察)の方を支持しよう。


 ーーー辛い現実を直視する勇気を振り絞るには、何らかの(非論理的な)愛着が不可欠なんだよ。


 (確実な)実利を与えるよりも、(主観的な)愛着を許す方が、理不尽へ立ち向かう勇気を振り絞る切っ掛けとしては有効らしい。


 カンチェンジュンガの展望台として有名なダージリンだと言うのに、肝心な世界第三位の高峰がまだ一度も姿を見せてくれないと言う不条理。


 しかたなく、世界中から集まっている彼等は、ダーリン・ラリーの観戦の方に注目する事を余儀なくされていた。


 ホテルのレストランで取る旅行者達の朝食の筆頭話題に、ダーリン・ラリーに関する話の種が確実に上る程度には、注目度は上がっていた。


 平たく言えば、思った以上に盛り上がっていたのだ。


 今日走るスペシャル・ステージ2(SS2)の全長は37.3km。


 ダーリン・ラリーの開催コース、つまり走行ルートは最初から最後まで、全てがヒルカート・ロード上だけで完結する。


 本当に、ヒルカート・ロードのほぼ全線を走り切る。


 チョウラスター広場を出発した30台のVIP枠参加車を除けば、本当に終点〜始点までを走る。


 30台のVIP枠参加車であっても、終点からのたった400m程度の短い区間を走らないだけである。


 ラリー・カーは、ヒルカート・ロードの中間点であるカルシャンをスタートする。


 もっとも厳しい葛折りの坂道を越えてスクナへと到達するテクニカル区間。


 郊外と市街の境目となっているダージリン・モール(※1)を右折し、シリグリタウンど真ん中にあるヒルカート・ロード起点を踏めば競技区間は終点である。


 スペシャル・ステージ2(SS2)の構成は、以上の説明の通り、前半部と後半部の2部で成り立っている。


 凄まじいカーブと急な下り坂道が連続する山岳区間。


 それと長い直線と緩い下り坂道ばかりの平地区間。


 急な下り坂道はカルシャン〜スクナに集中している。特に、チンダリア〜スクナ間は、ほぼ全線が、超狭軌鉄道のトイ・トレインですら、スイッチバックやループ橋を使いながらゆっくりとした登坂を強要される、ヒマラヤ・シワリク丘陵の崖部に敷かれている。


 チンダリアの、真に崖っぷちに建てられたチンダリア鉄道駅のホーム沿いに敷かれた鉄道レール。そこから1m先は、いきなり標高差200m以上の絶壁である。


 だいたい、スペシャル・ステージ2(SS2)では、山岳区間のたった27kmの間に、何と標高差にして1,500m〜200mまで休みなく駆け下りると言うエクストリームさが売りのコースである。


 山岳区間中のコースのいくつかのポイントで、勢い余ってコース外へと転げ出てしまえば、パイロットもコパイロットもとても無事では済まない。


 ラリー・カーの制動系が坂道コースを耐え切れたとしても、ラリー・カーのパイロットの集中力までも最後まで耐え切れるとも限らない。スクナ手前のラントン周辺で気が抜けてしまって、思わぬ、信じられないようなケアレスミスによって深刻な事故を引き起こし兼ねない。


 ランタンの森林区間を無事に抜けてスクナへ入ると、後はダージリン・モールまで長い直線が続く。多少の緩いカーブはあるが、ほぼ直線コースばかりだと考えて良い。だから、ここから先は基本的に、ラリー・カーのエンジンのパワー次第で勝敗が決まる。


 大馬力を発揮する重量車でダージリン・ラリーへ参加する場合、ここまで先行車に引き離されずに食らい付いて来れれば、シリグリ・タウンど真ん中にあるヒルカート・ロード起点までの区間で、先行車のに前に出るチャンスは十分あるだろう(言うは易く行うは難し、であるが)。


 逆に、山岳区間で最大のメリットを引き出せる様なチューニング、またはベース車選びを行ったチームは、平地区間へ入るまでに十分な距離、またはタイムを稼いでおく必要がある。だが、これはあまり考慮しなくても良い可能性だろう。


 つまり、スクナへ着いた時点でダージリン・ラリーの成績はほとんど決まっている様なものである。


 このあたり、コース選びとレギュレーションの規定を見れば、明らかにインドの国産車、民族系のメーカーが送り込んで来るワークス・チームを優遇している事は間違いない。その一方で、欧州の自動車競技組織が好んで使う、いやらしい、嫌でなくスケベっぽい意味でのイヤらしい優遇措置でない事も分かる。


 ーーー少なくとも、特定の域外(・・)メーカーや団体を狙い撃ちしてはいない。


 なお、マルチ・スズキに関しては、あまりに現地に溶け込んでしまっている為に、民族系のメーカーの一つとして数えられている。


 ーーー日本車が、アジアン・カーの枠の一つとしてどうしても数えてもらえない様に。


 ダージリン・モールから先は、完全な市街地内の幹線道路となる。インド国鉄とダージリン・ヒマラヤ鉄道の鉄道路線を陸橋で越えて、更に高架を潜って、最後の右折を行う。


 後は、直線の末に見えるマハナンダ大橋を走り抜けて、ビタン・ロードとヒルカート・ロード(それとコートモア・ロード)が合流するヒルカート・ロード起点にたる。そこで競技タイムの計測終了となる。


 最後に、ゴールまで走り抜けたラリー・カーは全車が、ニュー・ジャルパイグリ(NJP)にある連邦政府庁舎敷地内に設置された、表彰式会場へと誘導される。


 まさに栄光の時間となるだろう。成績、順位に関係なく、完走した事実をもって祝福を受ける事が出来るに違いない。


 日が昇り、と言うか、尾根を越えて姿を表し、カルシャンの街並みを力強く照らしている。


 午前9:00。


 ダージリン・ラリー2日目が開始される。


 直ぐ近くに建ってているユニークな評判による有名様「ヒマリ・ボーディング・スクール」の悪ガキ達の歓声に背を押されて、ダージリン・ラリーのトップ・チームがカルシャンを出発して行く。


 ーーー悪ガキ達と言うのは、この学校は(しつけ)の厳しさで知られる全寮制がウリであるからだ。


 首位にあるマルチ・スズキのスペシャル・カーが最初に出発する。これは、"日光いろは坂最速"と走り屋業界を震撼させた初代カルタスをベースとした車両だ。


 初代カルタスはとにかく安い乗用車だった。軽自動車よりも安いんじゃないかと言うくらいに。例えば、人気漫画家「川原泉」は自身が描く漫画の中で、知人がボーナス一回分を全て注ぎ込んで子牛を購入して、それを親に頼んで自宅で飼育させて、十分に育っでから、肉牛として一頭丸ごと売り払って、その金で初代カルタスの購入してみせたと言う逸話を紹介してくれた。


 初代カルタスは安い。小牛を一頭買って、ちゃんと飼育して、然るべき後に食肉として売りさばいて、その売却費用を全て注ぎ込めば、追加金ほぼなしで購入出来るほどに安い。安いと言うことはつまり、だ。鉄をあまり使っていない。だからこそとても軽くもあるのだ。


 ダウンヒルでは軽さこそが正義。チューンの世界では、軽量化こそが最強のチューンナップと言う名言もある。つまり、初代カルタスは軽さだけで、競合メーカーが誇る走り屋用名車をぶち抜いて見せた(下り道限定)。


 マルチ・スズキは、その車両を敢えてAWD化=四輪駆動化してダージリンへと持ち込んだ。更に最高の足回りを与えた。この選択は大当たりで、下馬評では優勝の最有力候補として太鼓判を押されていた筈のタタのワークス・チームの全車を完全にぶっちぎりと言う戦果で初日を終えている。


 また、タイからわざわざ参加した、いすゞのワークス・チームが送り込んだ刺客、ツイン・エンジン化(総排気量は1949cc×2である)したピアッツァXEを全く寄せ付けない(おそらく、ブレーキの強化もキチンと行われている。彼等が、東條誠がキャノンボールで犯した最大の失敗の顛末を知らない筈もないので)。


 マルチ・スズキは、ラリーで優勝出来れば、限定モデルとして、今回の参加車両を再現したスペシャル・カーをインド国内で発売する予定もあるとか。


 (もり) 葉子(はこ)のTE71は、棄権車が発生した事から、16番目にカルシャンをスタートした。


 インチアップしたホイールの中には、前日よりも一回り大口径のブレーキ・ディスクと大型のキャリパーへと変更されている。フェンダーを掠めないギリギリまでホールを大きくした為に、タイヤの方がとても薄くなっている。


 TE71は、ヒールカート・ロードをアクセル全開で下る。すぐにカルシャン市街へと入る。ダージリンと同じく、英国時代に建てられたビルとその後に建てられたビルが、見事なカオスを生み出している街風景だ。


 普段ならばカルシャンを突っ切るヒールカート・ロードは、市街の出入口の所で登り専用と降り専用に二本に別れる。本線が登り専用で、トイ・トレイン用のレールもそちらの方に施設されている併用道路である。また、迂回路にしか見えない降り専用は、登り道よりも細い自動車道となっている。


 だからだろう。ダージリン・ラリーのコースでは、登り専用の本線を逆走させてくれる。


 競技車両全車が、緩いカーブの先でキツい右カーブ、左カーブを通り抜けている。


 先行車を追っている(もり) 葉子(はこ)は、意図的にフルブレーキで車体を完全に横に向けて、カルシャン市街のコースを抜ける。新たに組み替えられたブレーキ系のチェックを兼ねていた。


 ハデなドリフト・シーンに、沿道やビルの上層階から観戦している観客達が大喜びする。


 (もり) 葉子(はこ)は、新しいブレーキ・システムがキチンと、いや、素直にタイヤをロックさせてくれた事に満足した。パッドがまだ新しいので、とても唐突な掛かり具合だ。だが、すぐに削れてアタリが出てくれる事だろう。


 スイッチバック状の鉄道レールの先にあるカルシャン鉄道駅をパスする。レールを薄いタイヤで踏むので、圧力を下げる為にアクセルを抜く。シートに伝わってくる衝撃は、薄いタイヤを通過してホイールのリムへ直撃してはいないと語っている。


「ブレーキ系、大丈夫だね」


「うん。ダージリンまで登る時に付けてあったセットを付け直しただけだしね」


「パットだけは新品だから気をつけて」


「ガヤバリ越えるまでにアタリ出すよ」


 シリグリへの近道である、最近の地元民はこちらしか使わなくなったロヒニ・ロードの入り口をパスする。ここで、最後の上り坂は終わる。


 住宅、商店、軽食屋、床屋、家電修理屋などの小さな建物が次から次へと現れるラリー・コースを凄いスピードで走り抜ける。沢山の観客がダージリン・ヒマラヤ鉄道のレースの上に集まって歓声を上げている。


 ーーートイ・トレインが通り掛かったら、避ける為にラリー・コース上に降りてくる予感。


 その後、迂回するためだけにΩコーナーを作り出す程の超大岩ポイントをパス。本来はダージリン・ヒマラヤ鉄道を好む撮り鉄(主に英国人と日本人)が好んで登る撮影ポイントだ。だが、今日はラリーの観戦者と撮り鉄が熾烈な縄張り争いをしている様に見える。


 きっと、ラリー・カーとトイ・トレインを同じフレームに収めて撮りたいとか、まあ、そんな感じなのだろう。


車窓からタライ平原が一時的に見えなくなる。これで、新しい環境へと移り始める。


 谷で分けられている丘陵から突き出たいくつかの腕、あるは枝の様に生えている複数の山稜。ヒルカート・ロードは、先ほどまで匍っていたカルシャン・サイドの山稜から、チンダリア・サイドの山稜へと移り変わった。


 最後の上り勾配路、クネクネと山肌が生み出す標高戦の模様に忠実に沿って敷かれた自動車道が続く。


「前方、クアトロ・A2のレプリカ。画像処理推測で312m」


 朝間ナヲミが、前方を走る先行車を捉えた事に気付く。


「ガヤバリのコーナーまでどのくらい?」


「3km」


「仕掛ける」


 (もり) 葉子(はこ)は、何も考える事なく、今後の方針を即答した。


「おっけー」


 朝間ナヲミが義四肢で座席の壁に突っ張って、今後に起こるだろう未来の不幸に備える。


 (もり) 葉子(はこ)は、一速落として、最大トルク発生域までエンジンの回転数を上げる。カーブを抜けるごとに先行車に近付く。すぐに、テール・トゥー・ノーズの争いに持ち込む。


 クアトロ・A2レプリカ。つまり、アウディー・クアトロ・A2のレプリカ車。WRCで最大の人気を誇ったグループBを牽引した車両だ。この車両が沢山の勝利を手にするまで、ラリー・シーンでは、摩訶不思議な事に、四輪駆動の優位性に対する懐疑派で埋め尽くされていた。


 何と、国際自動車連盟(FIA)によって、四輪駆動車によるWRCへの参加は禁止されてさえいたのだ(※2)。


 しかし、アウディー・クアトロが四輪駆動の可能性をあからさまに示すと、ルノーなどが直ちに後追いした。そう意味でとても歴史的なクラシックなラリー・カーでありあがら、21世紀になっても、欧州のラリーでは複数の参加常連車両が存在している。特に、スポーツクワトロS1は良く見掛ける。


 アウディー・クアトロ・A2は、生粋のラリー・カーである。5気筒ターボのエンジンはオーバー300馬力を発揮する。おそらく、前を走っているアウディー・クアトロは、排気量2,144ccのエンジンを搭載する軽量化(アロイ採用)モデルなのだろう。しかし、それでも、TE71と比較して重すぎる。また、ヒルカート・ロードで順位争いのバトルを繰り広げるには、はやり車幅が大き過ぎる。


 アウディー・クアトロの車幅は1,800mm以下なので、外車としては巨大とは言えない。しかし、それでも、ヒルカート・ロードでは大きい。故に、アウディー・クアトロ自身が、Rの厳しく道幅の狭いコーナーを通り抜ける際に選択可能なラインがかなり限定されてしまう。


 だからだろう。格下のコンパクト・カーであるTE71に尻を突かれてしまっている。


 ーーーおそらく、ダージリンで行われる記念ラリーに参加する事が目的であって、全力で勝ちに来ているチームではないのだろう。


 にも関わらず、スペシャル・ステージ1では(もり) 葉子(はこ)が一度も尻を拝めなかった車両だ。間違いなく、速い事は速いのだろう。ただ、走っている環境がインドであって欧州ではない為に、その類い希なパワーを潜在力化、或いは矮小化してしまっているのだ。逆に、欧州のコースへ移れば、TE71ではまったく太刀打ち出来ないマシンである筈のだのだ。


 (もり) 葉子(はこ)は、道路脇に立つ、地域住民の健康維持に多大な貢献を果たしているヘルス・センター手前の一本目の横断歩道の所で仕掛ける。


 TE71がアウディー・クアトロの真横に付ける。すぐに両車両の左右は10cmの隙間もなくなる。地上の後続物に車体を懲り付けるこらいならば構わない。しかし、どちらか片方でも引っ掛かってしまうとバランスを崩してスピン。結果は、両車両が一緒にクラッシュしてしまう。


 二本目の横断歩道の所までで、両車両は完全に鼻を並べている。仕掛けた(もり) 葉子(はこ)の側には道路脇の側溝がある。仕掛けられたアウディー・クアトロの側にはガード・レールがある。


 両車両はそのまま本当に最後の坂道を全力で登り続ける。やがて、トイ・トレイン用の鉄道レールがヒルカート・ロード横断している、遮断機無しの踏切が見えた。


 ーーー勝った!!


 (もり) 葉子(はこ)は、側溝で脱輪する可能性など懸念を無視してフル・アクセルで加速を続ける。アウディー・クアトロも続いて来るが、トイ・トレイン用の鉄道レールが作り出す罠を認めた。ギリギリのところで、アクセスを緩める。TE71の先行を許した。


 TE71がトイ・トレイン用の鉄道レールを跨ぐ。アウディー・クアトロがTE71の真後ろに付けて、0.2秒差で鉄道レールを跨ぐ。


 ちょうど、トイ・トレイン用の鉄道レールがヒルカート・ロード横断箇所では、自動車用の道路幅がそれまでギリギリ2台分あったに関わらず、1.5台分に狭まる。ほんの一瞬だが、物理的に併走が不可能なチョーク・ポイントとなる。


 朝間ナヲミと(もり) 葉子(はこ)は、レッキ帳作りの際にこのポイントを発見していたのだ。


 アウディー・クアトロは、TE71の真後ろに付けて、抜き返すポイントを待っている。しかし、道幅狭過ぎる。踏切を越えてからは車幅は拡張されたが、それでもアウディー・クアトロとTE71併走するには不十分だった。そして、再びチョーク・ポイントが現れ、車幅はアウディー・クアトロ一台分となってしまった。


 その後、車幅はアウディー・クアトロとTE71が併走出来るところまで回復した。アウディー・クアトロはパワーを活かして、TE71を抜き越そうと試みる。だが、スピードが乗ったところで再び踏み切り。そして通過後、アウディー・クアトロの右車輪側がアルファルトではなく土の道へと突入してしまった。タイヤが激しく空転する。トルク分配システムでロスは最低限で抑えられているが、この場ではそれは顕著な推進力、或いは牽引力不足を生み出している。


 ーーーアクセルを踏んでもぜんぜん前に進まない(パイロット主観)。


 沿道に生えているバナナの葉や刺草(イラクサ)の葉が、アウディー・クアトロのコパイロット用の助手席(右側)を次から次へと打つ。真に泣きっ面に蜂である。


 アウディー・クアトロがもたついている間にTE71が再びアウディー・クアトロの前に出る。三度目、トイ・トレインの踏切がコース上に現れた。そこで、(もり) 葉子(はこ)が愛車を道路の右側に寄せる。アウディー・クアトロは、左側からのパスを試みる。すると、今度は土の道が左側に現れた。すぐに、鉄道レールはコンクリート製の土手で持ち上げられた。これで、コース幅が再びアウディー・クアトロ一台分しかなくなる。


 四度目の踏切が現れる。TE71の左後輪が一瞬だけグリップを失う。アウディー・クアトロは一瞬のチャンスを使って前で出ようとする。併走までは持ち込む。そのまま、両車両の走りはデットヒート。


 五度目の踏切が前方に見えた。そのカーブはほぼ直角で、カーブの外側には遙か向こうに聳える山稜が見える。つまり、ここでカーブから外側で飛び出てしまうと、一発で大事故になってしまう。


 だが、それでもアウディー・クアトロとTE71は一歩も退かずに加速を続ける。


 鉄道用のレールがヒルカート・ロードの右側にあるので、これ以上右に膨れる事が叶わない。こうなると、チキン・レースである。どちらが先にブレーキを踏んで、相手の先行を許すかと言う意地の張り合いだ。しかし、ブレーキを掛ける距離が物的に不当な程に短ければ、一時的に先行したところで結局はカーブを曲がりきれずにコースから飛び出て大クラッシュと言う運命になる。


 だから、ブレーキを踏むのが遅れれば遅れる程に勝てると言う訳ではないのだ。要はバランスだ。自分の車両の重さ、ブレーキ性能、タイヤと路面の摩擦係数、ドライバーの技量など。これらの要因で、ブレーキを掛ける最適な位置が割り出せる。だから、競い合っている二両にとってのベストばブレーキング・ポイントがまったく同じである可能性は限りなくゼロに近い。


 やはり、車重が圧倒的に軽いTE71がブレーキング勝負に競り勝って前に出た。物理的な摂理を精神力(大和魂)でねじ曲げ様とはせず、潔く後ろに退いたアウディー・クアトロが作ってくれたスペースを使って、車体全体をカーブに対して真横に向ける。グリップ走行の対極を行く派手なフル・ブレーキング。


 アウディー・クアトロに車両側面(ドア・パネル)を惜しげも無く曝しながら、五度目の踏切を越える。越え切ったと同時に、路面が平らに戻ってグリップ走行が可能である事を悟って、アクセル・オン。前輪でカウンターを当てながら、後輪ドリフトを維持したままカーブに対する車角を正確に調整しながら、難所を切り抜け終えた。


 TE71は、急制動を行いながらも、旋回中にエンジンの回転数を維持したままだった。だから、そのまま、何の苦も無くスピードを乗せて、車道右下が崖となっている狭いコースを進み続ける。


 一方、アウディー・クアトロの方は対象的に、回転数を落としてしまい、さらにターボ・ラグが重なって、少しだけ出遅れてしまった。だが、まだモチベーションが落ちていない事は見て取れた。


 TE71は、そのままガヤバリ地区へと入る。ガヤバリ鉄道駅前を走り抜ける。アウディー・クアトロはまだ尻に食らい付いている。


 しかし、下り坂であるだけでなく、ガヤバリから先は道路の道幅が更に狭く、カーブ(R)がキツくなる。


 トイ・トレインの鉄路も兼ねた鉄道車併用道を敷くには、地理的環境があまりに過酷である。


 実際、カーブの最中の道幅は今まで以上に狭くなるので、例え小さな車両であっても、描きたいラインからちょっとでも外へとズレてしまうと、すぐに崖から落ちたり、岩壁に激突してしまう。


 道路脇の、何故か似た様な商品ばかりが並んでたくさんある販売スタンドに、太い枝ごとぶら下がっているバナナ。房ではなく枝の状態でで売られている"ケラ"は、(もり) 葉子(はこ)が座っている運転席から手を伸ばせば届く距離にある。


 そんな環境で、競技車両の重量がもっとも勝敗を決める要因となってしまう危険な区間へ既に突入している。言い換えれば、ダーリン・ラリーでもっとも過酷な区間でもある。


 ガヤバリ。それは英国がダージリンを支配する以前から、一つの「境」であり続けた。もちろん英国がダージリンを支配した以後から、現代に至るまでである。


 シリグリから見てガヤバリの手間だと、まだタライ平原に住む平地住民との交流のある民族である。しかし、ガヤバリの先だと下界とは隔絶された山岳民族達の縄張りとなる。二つの文化の交差点であり、二つの文化圏の住人はガヤバリで定期的に市場を開いて、物品の交換を行って生計を立てていた。


 そして、そこから先は本当に下り坂しかなくなる。それに気付いていないと、ブレーキを掛けた時に想定以上に制動距離を伸ばしてしまう。観光客による運転が最も難しいエリアが始まると言える。


 (もり) 葉子(はこ)は、それまではパワー不足に悩んで来た上り坂と決別して、下り坂が始まった事を喜んでいた。


 緩いカーブなので、まだアウディー・クアトロは必死にTE71の後を追って取りすがる。だが、それも長くは続かない。最初のペアピンカーブを抜けると、アウディー・クアトロはTE71のバックミラーから姿を消し、二度と現れることはなかった。


 重量級のアウディー・クアトロと軽量級のTE71では、この周辺のカーブ通過速度が圧倒的に異なるからだ。つまり、アウディー・クアトロはTE71の平均速度を上回って走る事が出来ない。これでは開いた距離を詰めるどころか、一秒ごとに開いて行く距離を出来るだけ小さくする事しか出来ない。


 ーーー最新の電子補正機器の数々を用いても、慣性の法則そのものを完全にねじ曲げる事は出来ない。


 あまりに幅の狭いコース、大き過ぎるカーブと坂道の傾斜角度、低すぎる路面の摩擦率。どれをとっても、アウディー・クアトロには極めて不利な条件となっていた。


 そして、ここから先は坂道の傾斜角度が更にキツくなる。一般ドライバーが普通車両で走ってもたった25分程度で通過出来る短い区間で、400mも標高を下げる葛折りの急坂が始まるのだ。


 もし、アウディー・クアトロの、TE71に対して二倍以上の車重と言う悪条件(制限要素)を無視して(もり) 葉子(はこ)のドライブに挑み続ける様なら、ゴールした後にこれら二台のパイロット同士が握手を交わす機会を永遠に失う事になるだろう。走行は必ず破綻して、車両が壁に突き刺さるか、崖から飛び出て弾道軌道を描いてペシャンコになってしまう未来しか有り得ない。


 言い方を変えれば、アウディー・クアトロとTE71は、車重的にこのコースで走り抜けられる速度的な制限に大きな差があると言う事だ。だから、多くの参加チームは軽量車両を選んでベース車としているのだ。その鉄則を無視した時点で、アウディー・クアトロに最初から勝利の芽はなかったと言う事だ。


 一方、アウディー・クアトロの事などもう忘れてしまった(もり) 葉子(はこ)は、老輩キ"ッコロからの贈り物(プレゼント)である、移植用(流用目的)にもらった他の車種用の純正品である、


 昭和の時代には有り得なかったとは言え、それでもちょっと古い(・・・・・・)令和世代に部品カタログに初掲載された「高精度大口径ブレーキ」と、更にそれを収める事が出来る大きめのホイールがTE71へ与える新たな運動性能の高さに、過去に経験した事がない巨大な制動力に心を奪われていた。


 ーーー高級品はやっぱり違うな!!


 それまで、メンテ費用を気兼ねなく捻出する為に、DQN文化へと繋がり金無い無駄に高価な交換部品の数々は積極的無視して来た。そんな無駄な金があるなら、オイル交換だろ。的にだ(※3)。


 それにこのスペシャル・ステージ2では、たった一回の走りで使い切る覚悟でタイヤを酷使している。次から次へと現れるペアピン・カーブでは安全マージンを稼ぐ為に、微妙に走行タイムが落ちようとも、ドリフトを駆使して進入している。


 何が何でも麓のスクナまで辿り着きたいからではない。この無茶苦茶なダウンヒル・コースを最大限に楽しみ尽くしたいからである。


 ーーーもう、こんなヤバいレースなんか楽しむ機会がないだろうか。


 最初で最後。だったら、悔いが無いように全力で挑みたい。


 これこそが刹那的な楽しみを()大好物な、大人の人生の愉しみ方である。


※1= ダージリン行きの乗り合いタクシーの操車場としても有名。


※2= 1973年に合衆国製の四輪駆動車がWRCで優勝した後に、何故か四輪駆動車の参加が禁止された。まーたくふーしぎーだーなー。


※3= 俗に言われる旧車貧乏は、メンテ諸費用だけが原因ではなく、我が子についつい余計な部品を度を超して買い漁ってしまうなどの人情も加味された事情でもある。旧車維持に必要なのは、一に節度、二に自重心、三に正確な家計簿である。最後に、リリースして他人に維持を任すタイミングを見切る胆力である。

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