森 葉子 ignites TE71 on the Darjeeling road.
インド版の「お盆」、或いは「年末年始」と表現するのが適切な、地域・年中で最大の帰省イベントとして知られる「ダシェラー」がやっとの事で通り過ぎた。
この行事はインド全土で同時に始まって、終わった。
インド都市部へ、出稼ぎを目的に移住していたインド中の田舎者達が、それまで稼いだ金を握りしめて一斉にそれぞれの故郷を目指して帰るのが「ダシェラー前夜」。
故郷へ戻っていたインド中の田舎者達が、出稼ぎを目的にインド都市部へ渋々戻って行くのが「ダシャラー明け」。
インド社会はこの二つの相反する運動を中心になり立っている。
いや、インド中の田舎者達が出稼ぎを目的に渋々戻って行くのはインド都市部だけでない。あらゆるレベルの職場を要する外国までもが含まれる。
合衆国の最先端技術の開発現場から、中東のタコ部屋真っ青な労働環境の製油業界、発展途上国のインフラ保持業界、メイド職、介護職、などなど彼等の受け入れ先はいくらでもある。
だから、ダージリン人達もインド人達の例に倣ってマラヤの街から出て、インド中、いや、世界中へと散らばるのだ。
なお、ダージリン人達の1%はコルカタにあるテレフォン・サポート・センターで働いている。英語が出来る事から、世界中の企業へもたらされる通話によるクレームに、まるで連絡を入れて来るカスタマーが住んでいる国で受信しているフリとしながら対応しているのだ。
なお、これは事実上カスハラ対応部署なので、テレフォン・サポート・センターで働くダージリン人の少なくない割合が、最終的に何らかの心身症を発生させて退職することになる。
酷いものである。本当に酷いんだ。「人間なんて使うなヨ」と感じるがそうもいかないらしい。それは、テレフォン・サポートを人工知能に任せないのは、きっと、任せてしまえば極短期間で、機械知性は間違いなく人類を滅亡させたいと言うモチベーションを自覚せずにいられないから・・・に違いない。
カスタマーからの電話の内容とは、全てがそうとは言わないが、まあ、なかなか酷いのだ。その内容をここで明かせば、20秒でアナタを鬱に落とし入れるくらいに酷いのだ。
ともかく、雇用契約がとにかく五月蠅いテレフォン・サポート職のダージリン人達を先頭に、相当の数の労働者達がそれぞれの職場に向けて嫌嫌ながら旅立った。
これで騒がしかった、いや、人間が過密状態にあったダージリンは、少しくらいは静かになる筈だった。
例年、通年の通りならば、「ダシェラー」が終わってしばらくすると、インド人観光客が少しずつ戻り始める。そして、11月中までには、元の木阿弥的に、そこら辺のあらゆる場所でインド人観光客が溢れかえる事となる。
しかし、今年はそうはならなかった。
「ダシェラー」直後に、ダージリンがインド共和国の支配下へ戻った事を世界に向けて宣言する為に、「ダージリン・ラリー」が開催されるからである。
普段ならばダージリンへの帰郷者達のほどんどが、「ダシェラー」の後は直ぐにヒマラヤを降りる。しかし、今年は、「ダージリン・ラリー」を一目見ようと、いや、ダージリンの復興祭に参加しようと、だいたい半分くらいがそのまま残っていた。
そこに、「ダージリン・ラリー」の観光を目的としたラリー・ファンが世界中から、追加で、集まっていた。世界中と言っても、主に、英国と合衆国からの観光客が多かった。
特にホテルの予約もなしに、「なんとかなるさー」的にやって来た外国人観光客は、遂には高級ホテルからあふれ出し、インド人用の安宿でも滞在出来れば幸運と言う状況に陥った。
日本山妙法寺、元・チベット難民センター、チベット仏教系寺院などへも、宗教体験を名目に相当数の不届き者達が潜り込んでいた。
ダージリンの中心地、チョーラスター広場付近は地元民と外人観光客でごった返し、在りし日の、革命以前の、大観光地ダージリンの姿を完全に取り戻していた。
そのチョーラスター広場は、VIP枠(笑)で招待されたラリー・チームの出発地点をなっていた。広場の中央と言うか、入り口から向かって右側に舞台が作られ、発車前にラリー・カーとパイロットとコパイロットがその上に登って、観客に向かって紹介される事になっている。
VIP枠以外のチームのラリー・カーは、少し標高が下がった所にあるレボンカート・ロード大駐車場から発車する事になる。
VIP枠で招待されたラリー・チームの総数で30に登る。つまり、30台のラリー・カーがチョーラスター広場の方へと集まる事になる。しかし、溢れかえる観客もいるので、そんなに大層な数の車両を並べて置く事は出来ない。だから、チョーラスター広場からウィンダメア・ホテル方向で伸びる人道に向かって、30台のラリー・カーが列を作っていた。
運営側からお呼びが掛かるまで、行列を作って待ち続けるのだ。
チョーラスター広場では、チベット仏教系の、まるで日本の東北地方のなまはげの様な仮面を付けた僧達がクルクルと回っている。踊っているらしい。
外国人には良く分からないが、どうやら、地元に限らずインド文化の共有者達であれば、熱狂出来るイベントが成立している様だ。
完全に音が割れているスピーカーから、ドデカい音、いや、アナウンスが流れている。あまりい低音質なので、意識を集中して聞かないと、それが有意義な言語であると認められない。まあ、それでも、盛り上がっている人々の方が多数派であるので、民主的にはまったく問題がないと判断して差し支えなさそうだ。
「ねえ、ナヲちゃん。アレは何の話してるの?」
「偉い人の挨拶。復興ありがとう。ジンミンキョウワコク許すまじ!! インド万歳。我々は戦う・・・みたいな事を無限ループで話してる」
「何語?」
「英語」
「うそ。ぜんせん聞き取れないんだけど」
「インド英語ってやつ。訛りが凄いだけでなく、単語とか文法が19世紀頃の英語をそのまま使ってる感じ」
「誰が分かるの?」
「インド人全般。それと年長の英国人」
「合衆国人は?」
「合衆国人には無理。英国人が分かるのは、文化的に、元植民地で使われている特殊な英語に慣れてるからだよ」
「そうなの?」
「その代わり、合衆国人は中南米人とか南米人とか、スペイン語とかポルトガル語っぽい英語の訛りには凄く慣れてるよ。あ、あと、アフリカ語系の英語の訛りも結構いけるかな」
ーーーチャイ、カーフィー。チャイ、カーフィー・・・。
観客でごった返しているラリー・カーの列の方へと、大きな薬缶と土器のカップを抱えた男が、まるで人混みの中を泳ぐ様に、常人では絶対に真似出来ない程に確実な足取りで近付いて来る。
「ハミ・ライ・チア・ディヌス」
朝間ナヲミが薬缶の男を認めて、すかさず注文を入れる。
「ドゥード・チア、ドゥイタ、ディヌス」
薬缶の男は、今では珍しい、20世紀中にはインド全土で普及していた土器の小カップにミルク・ティーを注いで渡してくれた。
朝間ナヲミが50ルピー札を渡すと、受け取って、オツリを渡さずに人混みの中へ消えて行った。インフレである。20世紀中であればせいぜい1ルピー、21世紀最初の10年間であればボラれても5ルピーだった。しかし、今では、祭り価格もあるのだろうが、1杯25ルピーもすると言うのだ。
いや、もしかしたら、2杯纏めて頼んでので割引価格になっている可能性すらある。
朝間ナヲミは、カップを一つ森 葉子へと渡す。極少量なので、二人は一気に飲み干す。そして、古式ゆかしい手法を踏襲して、空になった土器をアルファルトに向けて投げ捨てて割った。
別に、銀河英雄伝説の銀河帝国側で良く見られた「プロージット」とか言う儀式ではない。古いインドでは、単に、理由もなくこうすべきであったと言うだけである。
当時のインドでは、土器など珍しくもなく、プラスチックなどの化学素材を使ったカップよりも安く作れ、更に品質も安定していたので好まれていたのだ。
ーーー1990年代では、デリーの高級ホテルのレストランのテーブルに備えられたプラだか、ビニールだか、兎に角、化学素材製のストローですら三割は不良品が混ざっていた。
最初から、多分工場から出荷する時点で割れていた(品質管理を徹底すると、出荷出来る製品パックがゼロになってしまうから)。そして、割れていないストローでも口に咥えて力強く飲み物を吸い込むと高確率でクラックが入った。なお、インドの紳士達や解っているガイジン達は、3〜4本のストローをひとまとめにして口に加えて、ストローの内壁に加えられる圧力を分散しながら炭酸の抜けた氷入りのコーラを飲んでいた。
ーーー紳士の嗜み、ここにありだ。
なお、アーシュミラが両親から聞かされた話しによれば、それらのストローの管の中では生きている蝿が上下に動いていることも珍しくなかったとさえ言う。
21世紀になって急速に普及した携帯電話とインターネットとATMが、そんなインドを一瞬で改革してしまい、現代へと至るのだ。
ーーー携帯電話をルーターする、ノートパソコン用のデータ回線と言う概念は意外にも速い時代に普及し始めていたし。
老輩キ"ッコロからジャルパイグリで受領した、まるで新車の様に蘇った、エアロ・パーツ一つ付けられていない、ドノーマルな外観のままの愛車のハンドルを握りながら、森 葉子は退屈紛れに戯言と話し続ける。
「こいつは重ステだから、こんな所でハンドルの切り返しとか勘弁して欲しいよね」
パワー・ステアリングが着いていないハンドルだと、停車中には力業でハンドルを切らねばならない。いや、どうにも切れないので、少しでもアクセルを踏んで車両を前進または後進を繰り返しながら、意図する方向へのハンドルを少しづつ切らなければならないのだ。
だから、昭和の時代には女性ドライバーが極めて少なかったのだ。女性の腕の力では、重ステの取り扱いはちょっと辛過ぎた訳だ。あ、それとそれまで高級品扱いだったオートマの普及も後押ししたんだろうけれど。
「エンジンを4A-GEU型に換装すれば、純正品流用でパワステ使えるって言ったじゃん」
「とは言ってもねえ。2Tでパワステを使いたいんだよ」
「4A-GEU型でも重ステに出来るけれど、それやるとエアコンが使えなくなるんだってさ」
「なんで?」
「エアコン用とパワステ用のコンプレッサーは一緒のベルトで回してるんだってさ」
助手席の窓から左義腕を垂らして、雑音にしか聞こえない会場アナウンスを聞いていた朝間ナヲミは、首から上をピクリと動かす。
「葉子ちゃん。一台分前に進むよ」
「え?」
言った途端に、彼女達の前に並んでいるラリ−・カーが少しだけ前に進んだ。
「偉い人の挨拶が終わった。滉己君のチームが舞台に登って・・・紹介されてる」
「あの車、反則じゃん」
「初代カルタス・ベースのスペシャル・カー?」
「むちゃくちゃ軽いFFでしょ?」
「それとシーケンシャル・ツインターボとアクティブ・サスだってさ」
「マルチ・スズキ、脅威のメカニズム。電子制御式4WDも忘れずに」
「複合コーナー、3つ目になったら付いていけないよ」
「キ"ッコロさんも勝てとは言わなかったじゃん」
「でも、マルチ・スズキに勝てば5回も車検無料やってくれる言ってたじゃん」
「まあ、それは本命のワークス・チームがやるでしょ」
「セリカ GT-FOUR RCか」
「ダージリンは道幅が狭いからST185を引っ張り出したんだってさ」
「私はST165の方が好きだなあ」
「バランスはST185の方が良さそうだよ」
「見た目がデブじゃん」
「おっと、ST205をディスるのはそこまでだ」
「カルディナ GT-FOURの方がまだマシそう」
「滉己君、インド人って紹介されてるよ。コーキ・タックリだってさ」
「アーちゃんの旧姓だね」
「コパイロットはヴィクトリア・ウィラージさんだって」
「見た目はナヲちゃんよりずっと白人っぽかったね」
「二重国籍だと思うよ」
「滉己君はダージリンのプライドの為に走るってさ・・・」
「アーちゃんとしては、涙ものだろうね」
「故郷に、息子を英雄として連れて帰って来られたんだからね」
「滉己君は、きっと、アーちゃんのあのすごいナイフ捌きを知る事はないんだろうなあ」
「そりゃ、知らない方が良いでしょ。アーちゃんだって知られたくないだろうし」
「実戦ではありえないけど、一対一なら空挺師団でも出産前のアーちゃんからは有効な一本は取れなかったて話だったよ」
「何であんなに身が軽いかったのかね」
「一応、血筋的にはインド風に言えば武士階級出身って話だよ」
「あ、タタのワークス・チームの紹介してる」
「インディゴ Mark4だよね。スペシャル・ステージ1(SS1)が終わったらエンジン積み替えるんでしょ?」
「うん。スプリント仕様のすごいエンジンなんだって。シリンダーもブロックも無茶苦茶に肉厚が薄くて、ピストンリングも1本しか付けてないって」
「レスポンス命なの?」
「どちらかと言うと軽量化かな」
「パイロットはシャー・ルク・カーン三世だってさ。あの映画見た?」
「"オム・シャンティー・オム"?」
「"ラジュー出世する"の方かな」
「シャーって王様の意味のシャーかな?」
「さあね。現実世界ではイラン革命でシャーの称号は消滅したみたいだけど」
「インド映画って何か良いよね」
「同意」
与太話を続けていると、二人のラリー・カーはどんどんと前に進む。一番最初に紹介されたマルチ・スズキのチームとその次のタタ・チームの紹介以外はとてもタンパクなものらしい。突然に列がサクサクと進み始める。
29番目。森 葉子と朝間ナヲミの、チーム「スピリット・アイヅ」の紹介の番が回って来た。
森 葉子は、乾燥重量1tに満たない愛車のTE71を勢い良く舞台上へと登らせる。
今回の参加車両の中では、やや目立つ13インチと小さなホイールとホイールベース2,400mmが眼を引く。履かせているタイヤは復刻版のアドバン HF typeD(185/70R130)だ。
パイロットとして森 葉子が紹介されると、どういうわけかチベット・仏教の僧達が一斉に拝み始める。信者の皆さんは、まるで降臨した何かを見詰めるかのように、熱い視線で感動を一身に表す。
舞台の上から、朝間ナヲミは周りを見渡す。チョーラスター広場は隙間がないほどに、多国籍な人々で埋め尽くされている。
右手には、ルネッサンスの詩人っぽい金色の銅像が立つ。その後ろには階段が続き、そちらにも沢山の観客が積めている。
正面にはATMや、土産物屋、本屋、そして喫茶店などが並んでいる。
観客の皆さんは揃いも揃って盛り上がっている。
朝間ナヲミとしては、どうしてこんなに盛り上がっているのは良く分からない。大人になると、高校生だった頃の様に、箸が転げても笑う的に、見境なく盛り上がる様な機会は激減した。本人はそれを普通の事だと考えていたが、目の前に盛り上がりきっている人々を直視する。
ーーーみんな、幸せそうだな。
ちょっとだけ羨ましくなってしまった。
ーーーこんな風には生きられそうにないけれど、こんなに風に生きるのも悪くないかな。
この視界を完全に埋める程度の狭い世界ではあるが、自分一人だけが部外者である様な気がする。
自分の妻はどうなのだろうかと考えて、気が付かれないように、そっと控え目な視線を送る。森 葉子も、それなりに愉しんでいる様に見えた。だから、朝間ナヲミは、それを根拠にこのイベントに参加して良かったと本気で持った。
ーーー妻が愉しんでいてくれるならば、自分も愉しい。
彼女は、妻を通じて、自分が辛うじて世界へ参加出来ていると言う事実に改めて気付かされた。
そこで、何時までも視線を向けていたせいで、妻に自分が見付けている事を気取られてしまった。
ーーーどうしたの?
とでも言いたげな笑顔を向けて来た。
見止められても、誰でも気付かれない日本語の口パクで、自分の気持ちを使える。
ーーーア・リ・ガ・ト・ウ・ア・イ・シ・テ・ル。
内容を理解した途端に、森 葉子が吹き出して大笑いする。それを見た観客達も釣られて大笑いを始める。ここにいる誰もが幸せだ。同じ幸せを共有している。これほどに素晴らしい一体感はない。そして、この一体感が明日の新たな幸せを運んで来てくれる。
そんな、誰もが欲しがっているのになかなか手が届かない、幸せの連鎖って言う因果の流れを手軽に生み出せるキャラクター性。
ーーーやっぱり、葉子ちゃんには叶わないなあ。
朝間ナヲミは、妻の偉大さを改めて認識し直した。
そんな事をしていられるくらいに、舞台上でのこの夫婦によるチームの紹介は長く続いた。
どう言う訳か、婦々二人だけで結成しているチーム「スピリット・アイヅ」は、5分余りもかけてねっとりと紹介されたのだ。
やがて、発車の指示が出た。
森 葉子は手を振りながら運転席へ戻る。その様子を確認してから、朝間ナヲミも助手席に滑り込む。
シートベルトのハーネスを止め終える。ゆっくりと車を前進させ、アルバリー方面や陸軍駐屯地のある尾根方面へと続く細道へ進まず、広場の端に在るエア・インディアのオフィスと噴水の間を潜って、90度の右折。長く続く坂道をシティー・ホールへと向かって下り始める。
往年の写真屋「ダス・スタジオ」と名門レストラン「グレナリーズ」の並びを視界の右側で捉える。続いて老舗薬局「フランク・ロス」の辺りまで下ると、狭いラリー・コースの両脇から観客の姿が消え始める。
レストラン「ハスティー・ヘイスティー」の前まで来ると完全に居なくなる。
ーーーここから先は厳格な通行制限エリアとなる。
森 葉子はやっと下り進行のペースを上げる。高度医療が可能な病院も併設しているプランターズに続いて、テントゥクが美味いと評判のチベット料理屋「クンガ」前の、2010年に暗殺された政治家「マダン・タマン」の二代目の銅像が立つ駐車場の所にも、沢山の観客が集まっている。
「ベスト・ウィシュ・マニッシュ・スバ/ダージリン・ポリス&ダージリンFC」とか書かれた旗を振っている人もいた。
ーーー旗なんか内容はなんでも良い。振れれば良いのだ。
レストラン兼スーパー・マーケットのケヴィンターズ前でY字路で(正確にはX路。正し最後の一本は人道で、道幅があまりにも狭いので、車両はオートバイしか通行出来ない)、ラウンド・アバウトを経由してラデンラ・ロードへ入る。
ラデンラ・ロードは、本来ならば登り道専用の一方通行なのだが、今日だけは逆走が指定されている。
インド銀行前の直線でアクセル・オン。ダージリン郵便局とショッピング・センターの「ザ・モール」の間にある90度の右カーブへエンブレによる減速だけで潜り抜ける。その後、左、右と下りカーブを抜け、再びラウンド・アバウトが現れる。
森 葉子はハンドルを左に切り、ラデンラ・ロードを抜けて、スペシャル・ステージ(SS)として用意されたヒルカート・ロードへ入る。そのまま緩い登り道をフル加速。
スペシャル・ステージ(SS)とは、一般道であるヒルカート・ロードの一部区間の交通を遮断し、市販車ベースのマシンで走行タイムを競うレースでる。
また、ダージリン・ラリーでは、F-1などとは異なり、競技車両全車が一斉に発車することはない。先行車などの走行具合を見定めて、1〜4分程度の間を開けて一台ずつ発車し、個々のマシンの走行タイムの計測・集計の結果によって勝負や優劣が決まると言うシステムを採用している。
なお、ヒルカート・ロードは全線が舗装路仕様である。
新品のシリンダー・ブロックを獲得して生き返ったエンジンが、久しぶりにフル・パワーを発揮する。115馬力は、約1tの軽量さを誇るハッチバックの車体を浮き上がらせる。
森 葉子は車体を浮かせたまま、ダージリン鉄道駅へ通じる、ヒルカート・ロードを跨ぐ擦れかけた横断歩道を飛び越える。
ーーーその瞬間、スペシャル・ステージ(SS)のタイム計測が開始された。
赤外線センサーを跨ぐ事で、レースが始まる。
今日の走行区間はダージリン〜カルシャン。距離は31kmである。
森 葉子は車体を着地後に、後輪をスリップさせる事なく見事にグリップさせる。
ラリー・カーはまるで大昔の玩具「チョロQ」、ゼンマイ仕掛けのミニカーの様な加速でダージリン・ヒマラヤ鉄道の車庫前の右カーブとの距離を急速に詰めて行った。