あたらしいかぞく。 〜その壱
ーーー福岡県福岡市、筑紫洲大学・伊都キャンパス「椎木講堂」。
大空から見下ろせば、長靴半島の真ん中辺りに残されている遺跡"コロッセオ"みたいに見えない事もない円形の建物だ。
日本にあるそれは、闘技場でなく、コンサート・ホールとして利用出来る様に設計が施されている。
御陰で、大学主催のイベントである入学式や卒業式にだけでなく、外に向かって開かれた大規模学会、大規模講演会、大規模国際会議等にも利用可能となっている。
実際、今日はここで、ある一人の政治家に対する名誉学位の記授与式典が行われる予定だった。
だった。今となっては全ては過去形で語られるべきである。
ーーー阿鼻叫喚。
正直、闘技場として設計されていた方が、今日のこの日のこの状況には相応しかったかも知れない。
既に、キャンパス館内ではいたる所で無煙火薬が急激に反応させられた異臭、更に人間の血液と油脂と埃が混ざった悪臭が濃密に、更に満遍なく充満している。
たった今、「椎木講堂」は大規模テロ・イベントの大開催場と成り果てていた。国家権力やそれに連なる人間を心から憎む、自称「正義の実行人」が武器を抱えた両腕で担う武装闘争の最前線と作り替えていた。
自称「正義の実行人」、それは極東アジア五カ国(その中の過半数は国連へ加盟を果たしながらも、相互に国家として未認定だったり、無国交だったり、一方的に因縁を付けたり、謝罪と賠償を際限無しに繰り返し要求したり、あろう事か他国民を拉致してスパイに仕立てたり、拉致被害者を幹部の嫁にしたり、更にかまってちゃんだったりと・・・八重に複雑な関係性を擁していたが)の日本国と台湾民国の間では"日本国最大の反社会組織"であるとの認識が共有されている、「琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army」である。
2020年代の終わり、先島諸島や大東諸島などを除く沖縄県の治安は極端に悪化していた。丁度、それは、沖縄県営鉄道本線(旧・沖縄都市モノレール線)の県庁前駅以北の全駅周辺に、異様な過密状態で開業していた「学習塾」の群の勢力に陰りが見え始めたのとほぼ同時に起こった。
治安悪化の原因は、主な警察力の相対的な低下だった。それは歴代の地元自治体長の暗黙による了解の元、反社会組織が既存の権威に対する反抗を重ねていたせいだ。また、日本国本土の方にも巣くっている左翼勢力(ただし、国際派のみ)の全面支援を得ていた為、資金的裏付けさえ確立されていた。
驚いた事に、多額の借金審査を通過可能な程に高い金融信用まで獲得済みだった。
実際、やり放題であった。だが、何故か活動のスタイルは以前と同様に暗躍に止めていた。
ーーー大っぴらにやるよりも暗躍する方が、彼等の価値観にはシックリと来るのかも知れない。
警察力では手に負えないほどに肥大化した反社会組織は、地元犯罪組織が中核となって誕生した集団ではなかった。もちろん、地元犯罪組織も一枚噛んではいる。しかし、飽くまでも下請け、末端層を担っているだけだ。反社会組織の中核は、飽くまでも地下に潜った政治団体だった。
何故、政治団体は地下に潜ったのか? それは彼等の活動が合法から非合法へと移行したからだ。具体的には、あからさまな武力闘争を開始したからだ。
興味深いのは、その反社会活動を熱心に推し進めているのは、沖縄本島とその周辺の島々に限られていた。八重山列島、宮古列島、大東諸島などは参加していなかった。むしろ、沖縄本島の勢力によって島民をオルグされる事に高い危機感を持っていた。
2030年代の半ばには、沖縄本島とその周辺の島々からは、日本国政府や警視庁の影響を極力まで追い出し事に成功した(ただし、補助金・振興費関係など、もらえる価値あるものは全て遠慮なしで受け取っている)。それと同時に、雨後の竹の子状態で乱立し、有象無象だった反社会組織は、上手に、中央集権体制を確立し(早々に内ゲバを終了し)、琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Armyを名乗った。
その後の闘争は、"うちなーんちゅ"ではない"やまとんちゅ"を心から恐怖させた。主に、九州地方、中国地方、山陰地方で爆弾テロによる自己表現を開始したのだ。
死者こそ少なかったが、怪我人の数は無視出来ないレベル。さらに、診療外来サービスのお世話になる人達は相当数。全国健康保険協会と健康保険組合のいずれの財務部も、止まらない出血の様なジワリジワリとした保険適応治療の増加状態を苦々しく思っていた。
一方、当時の沖縄本島にある地方裁判所は、それらの明らかな違法行為を一般人による「表現の自由の範疇」との解釈を示した。続けて、「原則として犯罪性はない」との判断を表明した。
"やまとんちゅ"としてはそれを認める事は出来ない。また、沖縄本島とその周辺の島々でも「それはやり過ぎだ」と、RRAの工作員による沖縄民の自己表現の方法を再考すべきと声を上げる人々も少数ながら存在していた。だが、そんな彼等は、"精神的やまとんちゅ"とか呼ばれて、直ぐに島の外への退去を余儀なくされた。
琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Armyの支持者による、有言・有拳の指導が絶え間なく行われたせいである。特に、家族の子女を標的とした脅しが繰り返された事により、脅される方も流石に脱力し切った。
ーーーこんな所に住んでられるか。
それでも半強制的な退去を頑強に拒否する気の強い者達がいた。だが、そんな彼等は、その後に事実上の消滅を体験する事になる。
神隠しである。おそらく、現在の彼等は、アスファルトなどと一緒に溶かされて、国道の表面を覆いながら社会の行く末を見守っているものと推測された。
琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Armyは、死体をコンクリートにぶち込んで固める様な素人集団ではなかったと言う事だ(死体をコンクリートで固めて放置すると、すぐに腐敗ガスによる膨張効果でコンクリートを砕いたり、亀裂を入れてしまう。海に捨てたとしても、腐敗ガスが発生させる強力な浮力でコンクリートの塊を海面上に浮上させてしまう)。
2030年代の後半は、琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Armyは組織の内外を固める事に成功していた。それによって、島外でのテロ活動をシステマチックに行える様になっていた。
なお、極東アジア五カ国の過半数の国々の認識によれば、琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Armyとその支持者達は、日本国の圧政に苦しむとても善良な人々だった。当然、援助や救済の対象であった。また、精神的な支柱を提供したりもしていた。
この事態を見守る世界中のシンクタンクは、合衆国軍が沖縄本島から撤退する事があれば、極東アジア五カ国の特定国家連合が直ちに沖縄地域を独立国家として承認して、即座に平和維持軍を送り付ける手筈となっている密約があると判断していた。
日本国は、このどうしようもなく厭味な国際問題を、持ち前の暢気な精密さをもってのらりくらりと乗り切っていた。
具体的には放置していたのだ。それと同時に、有人国境離島法に特別条件事項を加えて、沖縄本島(周辺の島々含む)とそれ以外に地域の交通を通常に戻した。交付金の限度額の設定を変更し、燃油価格変動調整金によって加えていた手心の具合を緩めたただけである。
客観的に見れば、国境離島島民割引カード(離島住人優遇の交通費減額処置)のサービス停止しただけだった。だが、特別に安価だった航空便や船便の旅客料金が相対的に急上昇した(なお、国境離島島民障がい者割引処置はサービスを継続)。
これは、飽くまでも、"特権"を喪失しただけだったのだが、その特権を未来永劫の権利だと誤解していた人々にはあまりに大きな想定外だった。
物流に関してはその限りではなかったが、治安悪化によるツーリズム経済の崩壊と相まって、安価な兵站ルートを失った琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Armyに域外活動の大胆さは急激に萎んでいった。
ーーーそれによって、RRCのお膝元では"陰鬱な停滞"と言う忌むべき消極的安定が社会へともたらされた。
これは援助や救済を行っている極東アジア五カ国の過半数にとっては、大きな驚きだった。肩すかしを食らったと言って良いレベルだった。
海の向こうから日本国の混乱を笑顔で愛でていたスポンサー達としては、日本国政府がもう少し「ホット」な対応を選択すると見込んでいた。そして、日本国が過激な反社会運動の封じ込めを始めるタイミングで、全世界に沖縄民の民族自決権を訴え、日本国全土に散らばる工作員に暴れさせるつもりだった訳だ。
その為の報酬を地下銀行を通じて送金作業を終え、更に武器や便利な化学薬品一式の密輸と配布完了の見込みも立っていた。
だが、それらの兵站作業は全てが無駄となった。タイミングを逸した事で、有効活用する術を失った。
日本国は、もっとも想定外の対応をして見せた。まるで、極東アジア五カ国の過半数の国々の目論見を全て承知していたかの様に。
その巨大な見込み違いによって、琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Armyの活動費の援助や救済を行う為に用意した総準備予算が、蜂起作戦を実行に起こす前に枯渇する事態にまで陥った。
日本国が期待していたのは、正にこの事態=膠着状態だった。膠着状態が長く続けば続くほど、極東アジア五カ国の過半数の国々のテロ組織に施す経済的負担は積み重なって行く。モチベーションも落ちて行く。やがては疲労の域まで達するだろう。
もし、彼等の誇らしい国々が民主主義国家であれば、多数決によってまろやかに作戦を中止すると言う選択もありだった。悔しくも一時撤退して、仕切り直しをしてからもう一度同じ挑戦をすれば良いだけである。しかし、独裁国家では「みんなの責任」で「一時撤退」と言う政治的解決手段は存在しない。
ーーー国家主席が承認した計画通りに進まないのは、常に何者かのサボタージュのせいであるからだ。
誰が作戦失敗の政治的な責任を取るかと言う、カード・ゲームの「ババ抜き」やパーティー・ゲーム「椅子取り合戦」の真っ最中であると推測されていた。
この長過ぎるモラトリアム期間に、極東アジア五カ国の過半数の国々の政治的指導者は、日本国への恨みを倍々増々させていた。
この物語における、2040年代とは、この流れの延長線上にある。朝間ナヲミがタイ・バンコク〜大隅諸島の一島である馬毛島までの飛行経路で、沖縄本島を避けてこの海域上空を通過した事情はこれが一因であった。
ただし、筑紫洲大学の椎木講堂でたった今繰り広げられるテロ活動の悲惨は、普段の彼等の習慣からはでーじに掛け離れていた。控え目に言って、別組織ではないかと疑えるほどに正面切った活動っぷりだった。
ーーーやることなすこと全てが中途半端な跳ねっ返りが、何の前触れもなく突然にその道40年のヴェテランへと生まれ変わったかと驚くほどに。
一般人に認識では、琉球共和軍暫定派の手口はもっともっと卑怯で卑猥で恥知らずだった筈だ。例えば、自分だけは安全な影に隠れていて、日向にいる無辜の人々を襲ってばかりいる卑怯者として振る舞った方がシックリと来るくらいに。
それは、琉球共和軍暫定派が最も愛するコミュニケーション手段、日本社会との関わり方が常に爆弾によるテロ攻撃だったせいだ。
勿論、不条理な世界であっても、住民全てが"kittyガイ"で構成される異世界であっても、その場ではそれなりに通用する「理」で社会が構成されている事は疑いない。
短期間であっても「普遍」と勘違いさせられるレベルに綿密な思想なり、哲学なりが構築されていなければ、多数の人材を集める必要のある団体や組織そのものが最初から成り立たないからだ。
その理屈は「琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army」であっても、例外ではない。やり口や行動原理がどれほどに卑劣であろうとも、この「社会原理」の展開には関係はない。「原理」と言うのは、どこの誰が行っても最初から決まっている結果に転がる必然性が不可欠であるからだ。
当たり前の自然現象には、裏付けとなる「原理」が存在する。
手から離れたボールは必ず地表に落ちる。誰の手から離れたボールであっても、平等に、確実に、絶対的に地表に落ちる。ボールを手にしていた人物の人格の善悪、性別、年齢、学業成績などのあらゆる差が、ボールの落下現象へは何の干渉も出来ないのと同じ理屈である。
もっとも、彼等の(屁)理屈によれば、彼等のテロの被害者・犠牲者は可能な限り「不特定多数」でなければならなかった。
故に、彼等が暴力の行使によって今まで生み出して来たほとんどの被害者・犠牲者は、大都市の公共交通機関を利用していた、政治権力とは何の関わりも持たなかった、どこにでもいる、極一般的な民間人ばかりだった。
家に帰り着けば、父であり、母であり、子供であり、兄であり、姉であり、弟であり、妹であった。
じゃれ合う相手であり、罵り合う相手であり、後始末をしてくれる人であり、甘えてくれる人であった。
会社へ戻れば、部長であり、主任であり、平社員であり、契約社員であり、バイトさんであった。
指導者であり、パワハラの根源であり、先輩・後輩であり、仕事仲間であり、善し悪し問わずの社内恋愛パートナーであった。
家で帰りを待っているペットにとってみれば、掛け買いのないご主人でもあった。
そんな極一般的な民間人達の日常を突然に破壊する。日常の強制停止を引き金として社会不安を引き起こす。社会不安を引き起こすことで不幸の連鎖を拡大させる。
極一般的な民間人に自問させる為だ。自分達や、自分の家族達や、更にテロ事件の結果として殺された犠牲者の遺族達が、「どうして自分達や自分の大切な人々が攻撃を受けた」のか。しかし、どれだけ深く考えても自答出来ない。当然である。最初から答えは用意されていないのだから。
それこそが彼等の望んだ状況だ。「どうして自分達や自分の大切な人々が被害者・犠牲者となった」のか見当が付かない状態を作り続ける。これは、宗教的な終末思想へ誘導する洗脳技術の初歩である。
脅しで人類を精神支配するタイプの宗教の場合は、人ならざる「神が答えを与えてくれる」として、次から次へと新たな信者を集める。
テロリストの場合は「貴方に非はない。悪いのは社会の方だ。貴方を蔑ろにする社会に打撃を与えるべきである」と明解な生き方を与えて、そんなどす黒い希望を募って、集めて、束ねて、既存の社会を破壊する原動力とする。
テロリスト達のヒステリーの発露の結果としてテロの被害者となった。真面な人間であれば、「何が理由で被害者となってしまったのか?」と、不条理の原因が何であったのかを自問せずにはいられない。
この"自問自答不可能な状況"の成立がとても大切なのだ。間違っても、テロリストが作り出した不幸が、"何かしらの罰であった"などと被害者に誤解させてはならないのだ。誤解させてしまっては、行き場のない憤り=負の感情の無限連鎖反応=絶望の臨界状態を維持出来ないからだ。
「一寸先は闇」を実体験する事で、突然に幸福を奪われて、代わりに新鮮な不幸を押し付けられた人々に、その理由を求める「何故?」を、無限に自問を繰り返させなければならないのだ。
テロ組織が期待する通りに、国民の過半数にまで納得不能な不満と不安=不条理感が広がれば、第一段階の目標は達成だ。そして、第二段階へと作戦内容を進める。第一段階の成果をちらつかせて、日本国政府に国体を歪めるほどに大きな要求を突き付けるのだ。
領土割譲と国民強奪を実現させる計画の第一歩として、事実上の自治区の成立を要求するとか。
手っ取り早く、大量の金銭や物資の提供を要求するとか。
自分達の組織を母体とした政党の設立を認めさせ、大きな勢力として国政に参加させろと要求するとか。
最初の譲歩は小さなもので済むだろう。しかし、それを延々に要求に応え続ける事で、無限に図に乗り始める。最終的には国家の屋台骨を完全に破壊させる事になる。その場合、隣国からの干渉が増し、抗い切れずに勢力下に下るところまで追い詰められてしまう。
テロリストと交渉としてはいけない、と言うのはこれが理由の一つだ。一度でも譲歩をしてしまうと、その後の要求が際限なくエスカレートする。だったら、妥協なんてする必要も、意味も、意義もないのだ。最初から突っぱねるべきなのだ(この決断を出来る政治家が、日本国には極めて稀少種である点が気になって仕方がない)。
テロ組織RRAの末端の構成員にとっては、この負の連鎖システムに関する考えはてんでばらばらである。理由は、組織の幹部が説く理念についての理解度の高低にはかなりのバラツキがあるからだ。
それは、自分の手で直接的に行う暴力行為を正当化してくれる"大義名分の有無"の方が、"社会の矛盾を解消する理想論"よりも100倍重要であったせいだ。
普段とは異なる生活を始める時、大多数の人間は強固な利便性や正当性を欲する。それは大それた事=テロ行為を始める時でも同様である。しかし、境界知能など、生まれ付きの不平等が多数存在したり、重複したりする事情で、完全な理論武装化は不可能と言うのが現状だ。
その場合、深く考える事を要求するのは知性の差と言う多様性を踏みにじる悪習として片づけてしまう方が良い。そして、"何を行うのが正しい"のかだけを説明してあげる方がずっと進歩的で融和的だ。
テロ組織RRAの最高幹部達は、実に進歩的で融和的だった。"何故それを行う事が正しい"のかよりも、"何を行うのが正しい"の方が圧倒的に重要である事に気付いていた。
だから、彼等は求めに応じた。やるべき事の指示だけを与えた。組織の理念の理解度に関しては全面的に無視した。
革命組織の活動としては、このお粗末な現状は真に本末転倒であるかも知れない。しかし、テロ組織RRAの最高幹部達としては、それで一向に構わなかった。
彼等はとても即物的で、理論的で、更に結果偏重主義者だった。末端を構成する質に劣る活動家達であっても、それらを使い捨ての手脚として一時的に利用出来さえすれば十分と見做していた。つまり、自らの組織が保有する殺傷能力の担い手さえ確保出来れば良いと満足していたのだ。
それら使い捨てとして扱われる手脚の方もそれを望んでいた。難しい理屈を考えるよりも、体力を行使して疲れてスカッとした気分になれる体験を欲した。
暴れて欲しい人と暴れたい人のマッチング。まさに、ウィンウィンの関係である。
実際、大規模テロ組織RRAの最高幹部達は、末端の構成員達を意のままに動かし、望んだ通りに万人に対して突然の不幸をばらまくことに成功していた。
「琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army」の特徴はその創造性=暴力の有り様が非人道が過ぎる事にあった。
ーーー必要性を越える思われる、稀に見られる非人道性。
テロ組織RRAの最高幹部達は、非人道である事を目的として最末端構成員達にテロを実行させている訳でないことは明白だ。ただし、非人道を手段として行使している事は否定出来ない。
「非人道である」と印象付ける事が、彼等が理想とする革命をもっとも短期間で達成する技術と信じているらしかった。
彼等には彼等の理屈がある。部外者には共感出来そうにない理屈かも知れない。その理屈は彼等の間でしか共有出来ない性質を伴っている・・・いわゆる極端なものであるからだ。
この一点は彼等がどんな存在であるか。また、どの様に取り扱うべきかを把握する上で非常に重要である。
例えば、価値観があまりに違い過ぎる為に、共感し合う事が最初からほとんど不可能なのである。だから、部外者とテロリストがどれほど話し合いを申し込んで、何度対話を繰り返したところで、時間の無駄にしかならない。
何故なら、彼等の価値観は、理由は多岐にわたるだろうが、我々一般人がテロの犠牲となる事はとても素晴らしく、素敵で、誇らしい事である場合が多いからだ。
ーーー徹底的に文化が違う。最早、価値観を超えて文化が異なるのだ。
昔、日本で一番有名なテロリストが内ゲバを起こした際に、"総括"とか意味不明の道理を持ち出して、次から次へと仲間をリンチで殺し続けた事件があったそうだ。このあまりに非人道が過ぎる話は、もしかしたら嘘だったのかも知れない。
しかし、あのテロリスト達なら、あのテロリスト達が育んだ特殊な文化の担い手であれば、そんな非道を本当に嬉々して実行しかねないと万人が想像してしまう事が重要なのである。
琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Armyが取り敢えずの目標=通過点として目指しているのも、そう言う「共通認識」の構築である。それが叶えば、彼等はテロを実際におこわ頭とも、テロを行うと宣言しただけで、日本国政府による実力をねじ伏せられる様になるだろうと目論んでいるのだ。
彼等の計画が目論見通りに進むのかどうかは分からない。しかし、人間の想像力は進歩発展にだけでなく、社会の破壊にも極めて幅広い可能性を示している事くらいならば分かる。
これもまた、人間の所業の一面である。そして、残念ながら、テロリストも人類の一員である。数が増え過ぎた人類による価値観の多様化の実現。自由な思考に基づく自由な行動がもたらした、いわゆる無限の可能性の一様と言わざる得ない。
実際、RRAの現場を担当するテロリストは本格派揃いだった。
ーーー母親に対して、自分が腹を痛めて産んだ子が、爆弾でどれだけ沢山の人々を殺したのかを素面で自慢出来る程にだ。
我々の信じる常識とは、属している社会の文化次第でいくらでも引っ繰り返るほどにフレキシブルなものなのだ。
「良いテロリストは死んだテロリストだけ」。これは、多分、元・楯の会の構成員であり、作家として知られる柘植久慶氏の御言葉だったと思う。大昔に読んだ彼の著書に、そんな内容の記述があった様な気がする。
実は、テロリストへの初期の対処は簡単だ。台所の清掃作業のコツと同じである。臭い物には蓋をして終わりにするのではなく、多少面倒でも臭いの源を根から完全に断ってしまうのが一番なのだ。
しかし、一般的な人類にはなかなかその簡単な条件の徹底が出来ない。一方、テロリストは容易にそれをやって除ける。この小さな差が、我々が彼等に対して常に防衛に徹するしかないと言う、途轍もなく重い負の連鎖を生み出している。絶対的に先手を取れないのだ。
案外、悪事を起こすテロリストに対して先手を打とうとする人々を、テロリストが逆に平和を唱えて善良な一般人を焚き付けて社会から排除してしまうかも知れないし。
しかし、だ。今回のテロ作戦は「琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army」の手によるものと考えると少々奇妙なものだった。
ーーー大変に珍しい傾向にあったのだ。
言うならば、実に彼等らしくなかったのだ。彼等の常套手段はこうだ。
不特定多数の出来るだけ多くの人間が行き交う事で集まる場所を選んで、そこに爆弾を仕掛けて、キチンと事前に逃走して、常に安全な所から起爆させて、不運な人々を死傷させる。
今回のテロ作戦は、一言で言えば、彼等らしい、その手の卑怯で卑しい=間接的な攻撃戦略を採用していなかったのだ。
何と、有象無象で粗製濫造な爆弾魔の群ではなく、キチンと訓練を施した兵士の一群=直接指揮下の手勢を送り付けて、特定の対象の暗殺するつもりだったのだ。言うなれば、それは彼等らしくない、実に主体的な=直接的な攻撃戦略を採用していたのだ。
その日、複数のコマンド部隊が、漁猟の成果を水揚げする漁船団を装って玄海島の内側へと侵入した。その後は、今津橋の下を潜るルートで今津干潟から上陸。速やかに筑紫洲大学へと浸透した。
今津ポンプ場付近を橋頭堡として確保。コマンド部隊の上陸完了後は橋頭堡を速やかに放棄して前進。自動車道の福岡志摩前原線を使って、筑紫洲大学の椎木講堂へと雪崩れ込んで来た。その際、複数のコマンド部隊はお互いを上手にカバーし合う事で、何と人員の消耗率ゼロで目的地への入場を果たした。
地元警察は脅威の前に立ち塞がるどころか、何が起こっているのか把握する前にコマンド部隊を突破されてしまった(御陰で、警備部側の被害は皆無だったが)。そして、大学敷地内を警備していた警察隊は、早々に武力で排除されてしまった。
まさに電撃戦。防衛側が事態を把握して行動を起こす前に奥へ奥へとの浸透を終えてしまったのだ。おそらく、海外で高度な訓練を受けた工作員が多数混じっていたのだろう。
後に、「血の日曜日事件」として、多様な価値観に基づいて、異なる表現で歴史書に記述されるテロ事件はこうして始まった。
テロリスト達の殲滅対象が、この日この場で名誉博士号を贈られる予定だった、鳥取県第二区選出の国会議員である「万条 菖蒲」である事は疑い様がなかった。
琉球独立武装派は、万条 菖蒲と言う一政治家を、公式に自らの正義を貫く上の最大の障害と宣言していた。本音では、最も苛つかされる、嚙み潰した苦虫であったり、目の上のたんこぶだった。
万条 菖蒲が(今とは違って可憐に見えた頃から)提唱していた、国策として採用が見込まれている「本州南北地方経済特区構想」が琉球独立武装派の気に障ったのだ。
経済的にジリ貧な東北地方、九州地方、島根県、鳥取県、広島県、山口県を纏め上げて相互に経済振興を行う政策は、「琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army(RRA)」にとってはこの上ない毒だった。
テロリスト達は表向きは、"九州と沖縄と言う一つの文化圏を分断する意図"に対する徹底反抗と主張していた。
これはあくまで、RRA側の主張である。一応、沖縄県を合わせて九州地方と言い方もあるので、完全な誤解でもないだろう。
ただし、RRAの本音では、「本州南北地方経済特区構想」の煽りを喰らって、沖縄地方までが経済的に潤ってしまう事は大変に怪しからんと感じていた。
「琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army(RRA)」を支える支持層は、沖縄本島に居住する経済的困窮者達である。もし、彼等が経済的な不満を解消されてしまうと、広く厚くテロを支持する雰囲気までが一掃されてしまう。
豊かさは大多数の人々に正気を取り戻させる。また、大多数の人々に闘争を忌避させる。つまり、社会の破壊ではなく安定を求めさせる。さらに、日本国政府ではなく、海の向こうにあるユートピア(※ RRAの主張)との精神的な絆を痩せさせ兼ねない。
また、沖縄民を豊かにするのは本土の政治家が主導する政策ではなく、「琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army(RRA)」とそのスポンサー達でなければならなかっただ(もっとも、その理想を実行する手段を、彼等は一切持ち合わせていなかったが)。
なお、当初の案では、万条 菖蒲は、「本州南北地方経済特区構想」に沖縄地方も取り込むつもりだった。しかし、「琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army(RRA)」と関係を密にしている地元の代議員達から頑強な抵抗に会った。
また、北海道と沖縄県の開発は、伝統的に「北海道振興局/沖縄振興局」の縄張りだった。既に頭角を現していたとは言え、まだまだ下っ端だった万条 菖蒲にとって内閣府特命担当大臣は正面から敵に回して良い相手でもなかった。
そんな事情で、暫定的に本州の両先端の地方だけを対象としていた。
その分別を持つ事が現在の万条 菖蒲の強みであり、高校時代の友人である森 葉子や朝間ナヲミがいくら優秀だと言われても、どうにも持ち合わせ様のない資質だった。
兎にも角にも、「琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army(RRA)」を、日本国総理大臣以上に憎むべき政治家として認識していた。
彼等の憎しみの深さは、政治的信条とか、経済的な範疇を遙かに超えていた。
若く、更に外観に優れて好ましいと感じながらもどうにも手が届かない女性が、自分達よりずっとずっとずっと賢いと言う事実を見せ付けられた憤りを隠せなかった。直ちに殴り倒して足下に跪かせるか、速やかに視界から完全に消去する機会を待ちながら、全身の血を一箇所に集めて滾らせていたのだ。
そんな単純な社会事情さえ心得ていれば、反抗宣言を送り付けもせずに攻撃を開始したコマンド部隊が「琉球共和軍暫定派=Ryuukyuu Republican Army(RRA)」の所属である事は明白に思えた。
ーーー何故なら、これほどに高度な訓練が施されたコマンド部隊を有する反社会組織は、日本国内ではRRA以外には考えられなかったからだ。
ただし、まさか、海を越えてコマンド部隊を上陸させるとは、本当に想定外であったが。
もちろん、RRAからの万条 菖蒲個人を名指し殺害予告は、これまでも挨拶レベルの気軽さで繰り返し表明されていた(ただし、脅し目当てで非殺傷性小型爆弾が万条 菖蒲を狙って仕掛けられる程度で、殺人を実行する兆しは捉えられていなかった。これらの犬達が、飼い主に十二分に躾けられていたと言う事だ)。
しかし、今回は本当に何の前触れもなく突然に高い攻撃性を発揮した。公安警察も軍の情報部も兆しを掴む事が出来なかった。この突然の変質には、もしかしたら、彼等を思想的影響下に置いている国外勢力の意向が強く働いていたのかも知れない。
椎木講堂を完全に封鎖して誰一人逃さないと言う点に限れば、テロリスト達の手際は実に見事だった。海の向こうの僻地に同様の建物を作って、事前演習を繰り返したとしか思えないほどに動線の構築に無駄がなかった。無さ過ぎたのだ。
実際、強力な電波妨害(ECM)を実行した事により、日本国の軍や警察によるドローンやプローブの初期の突入作戦を完全に食い止めてしまったのだから。
しかし、手際の良さは電波妨害(ECM)による椎木講堂内を外部環境から敢然に切り離す所までだった。
彼は想定外の事態と衝突してしまった。何と、彼等の殲滅対象である万条 菖蒲が椎木講堂へ入場前だったのだ。
万条 菖蒲の福岡空港への到着が遅れていた。それに気付いていなかった為、愚かにも、殲滅対象が到着する前に椎木講堂を封鎖してしまったのだ。
ーーー最重要目的の達成は絶対的に不可能となっていた。
その事実は、琉球共和軍暫定派による捕虜の尋問ですぐに明らかになった。RRAコマンド部隊は愕然とした。このままでは、自らの優秀性を示す機会を失ったまま、無駄死する事になる(後から現場を取り囲むだろう警察や軍に拘束される自由は認められていない)。
しかし、僅かな吉報もあった。捨てる神あれば拾う悪魔あり。何と、万条 菖蒲の夫と娘の二人ならば、建物内のどこかに潜んでいるとの捕虜からの情報提供を受けた。おそらく、テロリスト達の注意を別の目標へ向ければ、自分の命は助かると判断した卑怯者が発生したのだ(それ、大抵のハリウッド映画ではバカでかい死亡フラグですよ)。
これでRRAコマンド部隊は、自らが革命の為にやるべき仕事はたった一つしかないと理解した。
ーーー万条 菖蒲の夫と娘の二人の公開処刑である。
この種の人々の価値観は極めて特殊である。我々の価値観では測る事が出来ない。その条件からどうして、そんな結論が導き出されるのか。その思考過程は全く謎に包まれている。しかも、時間を掛けて説明してもらっても、さっぱり分からない程に難解であると言うのが界隈の相場だ。
また、この種の人々同士であれば何故か価値観を共有出来ている。以心伝心でわざわざ確認するのが野暮と感じられるほどだ。だから、RRAコマンド部隊がこれから行おうとしている非人道的行為には、全メンバーがそれを行う自分達に誇りを感じていた。
つまり、予定行動に対して微塵の躊躇もなかった。むしろ、今、正に八切れそうなほどに膨張した精神的な高揚に身振りせずにはいられなかった。
もちろん、現場の兵士達よりも多少は高い知性と社交性を持ち合わせている筈のテロリストの最高幹部達も、RRAコマンド部隊の行動を抑制するつもりはなかった。それは彼等の基本方針が、「非人道であればあるほどに好ましい」であったからだ。より非人道であれば、より効果的に不条理感を日本国の国民全般に広く深く植え付ける事が出来ると見込んでいるのだから当然だ。
琉球共和軍暫定派は、武力行使による多数の犠牲を見せ付けた後に、コンサート・ホールへと押し込めた従順な捕虜達以外は例外なく駆除するつもりで人間狩猟行為を開始した。
彼等にとっての聖戦に捧げる生け贄として、片っ端から屠殺する勢いでドアを開けて、発見した人間を片っ端から射殺し始めた。実際に使用したのは、刃物ではなく銃器、軍用ライフル弾の連射だった。
攻撃対象の探索は、例えトイレの個室の扉であっても例外ではなかった。男女用の扉だけでなく、多目的トイレの扉であっても、一枚の例外なく、彼等は滑稽なほど真摯に、毎分600発を連射する勢いで5.56mmのNATO弾を叩き付けた。
(彼等の精神的指導者が愛して止まない7.62x39mm弾では使用装備の出所が特定されてしまう為、彼等が手にしていた軍用ライフルは、56式ではなく敢えてNATO弾を発射する84式だった。)
真面な神経の持ち主であれば、殲滅対象の家族を人質に取って、不在の殲滅対象の身柄を抑えるところだ。しかし、琉球共和軍暫定派にはその考えはなかった。
それは、おそらく、作戦を柔軟に変更する権限を与えられた現場指揮官が存在していないせいだ。つまり、彼等は与えられた装備と訓練こそ大変に立派だが、西側の価値観で測れば、群を率いる現場指揮者のレベルは極めて低そうだった。
猪突猛進以外を思い付かない、単純な戦闘マシンでしかなかったと言っているのだ。
暴力装置の有り様に対する考え方の違いは、それぞれの国家やいずれの組織の有り様を見事に示している。質の悪い道具は必ずしも最悪の道具ではない。質の良い道具が必ずしも最良の道具ではないのと同じ様に。
ーーー刻一刻と変化する状況を観察して、その変化に対応して最適化した行動方針に修正し続ける。
そう言う、キチンとした判断力を持つ現場指揮官の存在を忌む組織は意外と多い。
現場裁量の幅は1mmも渡さない。しかし、作戦/企画成功の権利は1gも与えないくせに、失敗の責任はだけ100%押し付ける。組織の上層の顔色を窺うばかりで、下層への配慮は限りなくゼロ。太平洋戦争時代の旧軍、戦後に旧軍の良き伝統と悪しき文化を全面的に受け継いだ日本国企業群の組織構造って、大方そんなもんじゃね? コンプライアンス? 何それ?
だとすると、それはとても危険だ。生還を見込んでいない決死隊は、全ての箍が漏れなく外れている。失うものが何もない「無敵の人」であるとも言い換えられる。
敗軍の逃走兵=敗残兵は、まだ生き残る可能性が残されているだけ、全ての箍が外れている訳ではない。そいつらの所業は古今東西酷いのは同じだ。だが、飽くまでも非道を行う目的は殺しではなく、つかの間の快楽であるだけである。これは、幾分はマシなのかも知れない。
ーーー殺すのが面倒臭いと感じれば、必ずしも命までは取らないと言う意味で。特に対象が女性である場合は(とは言え、命以外の全ては奪われてしまうだろうが)。
決死隊は、無敵の人は、自らの行いを後日に精算する予定が全くない。つまり、あの世へと逃げ切る直前の、逝きがけの駄賃として暴れられるだけ暴れるつもりなのだ。
現場で非道の限りを尽くして、その責任を全く取らずに逝く。
ーーー決死隊でありながら死に際の奇麗さを気にするなんてのは、旧軍の神風特別攻撃隊への志願者くらいなものだ。
そんな事情で、半円状のオープン・スペース「ガレリア」を中心として、無煙火薬が雷管で爆発させられる不穏当な騒音が外へ外へと広がって行く。
それらの騒音源は、護身用の拳銃でなく、明らかに防弾装備で固めた兵士達の殺傷を目的とする大型の銃器だった。それも相当に多量の火薬をカートリッジ内に収めているタイプの軍用弾丸が使用されている。
RRAの主力装備は突撃銃と見て間違いないだろう。おそらく、海の向こうで大量生産されたカラシニコフの無断コピー。ただし、国家政策として無断製造している為、信頼性は町工場で作る模造品と比べればそれなりに高い。例えば、訳の分からないタイミングで暴発する心配はない。多少の連射でバレルが膨張変形する可能性も低い。
「ーーークソ。こんなションベン弾じゃクソの役にも立たねえ」
建物の壁と柱の陰に身を隠して、膝を曲げて腰を下ろしている男がいる。公安・外事二課の警部「山田」だ。かつて、航空自衛軍の相田一尉と対人民共和国作戦で連携を取っていた男だ。外務省へと出向して、海外要人の相手をさせられていた事もあった。
ただし、その頃と比べて頭頂部は相当な白髪混じりとなっていた。おそらく、髪染めもしていながら白髪が隠し切れていないのだ。
彼の両腕の先にはワルサーPPKが握られていた。私服刑事向けに開発された小型セミオートマチック拳銃で、PPKの最後のKはドイツ語で「刑事用」を意味するクリミナールの頭文字だ。
マガジンに収められていた全弾を撃ち尽くして、やや熱くなったバレルを恨めしそうに睨み付ける。
「何で、ウチは.22LR弾なんて採用しやがったんだ。.32ACP弾か.380ACP弾とか、無理ならせめて、ホローポイントで・・・」
そこで酷い爆音が聞こえる。遅れて建物全体の壁が揺れる。
「あの馬鹿共、本気で建屋ごと吹っ飛ばす気か!!」
「山田」は、握っているワルサーPPKを睨み付ける。こんな豆鉄砲では、カラシニコフ・コピーの前では何の脅しにもならない事は分かっていた。
「八十治さんよぉ。まだ気は確かか?」
万条 菖蒲の夫であり、私設秘書の一人である万条 八十治は、自分の命よりも大事そうな荷物を抱えながら頷いた。
「ええ。まだ走れますよ」
「そりゃー剛気だ。さすがあのネーチャンの旦那になった男だ」
「山田」は、スーツの上着を脱ぎ捨てて、銃のホルスターから二つの予備マガジン取り出す。一つは空になってたマガジンと交換した。残りはズボンの後ろポケットにねじ込んだ。
そして、緑色のチョッキを脱ぐ。万条 八十治の足下に投げる。
「これは?」
「支給品の防弾チョッキだ。朝顔ちゃんをコレに包んでおけ」
「山田」は、自分の身よりも、万条 菖蒲の長女である赤ん坊、万条 朝顔の身の安全に気を配った。代償として、公安警部は襲撃者の放つ弾丸から身を守る術を全面的に失った。
「朝顔ちゃんに着せている祝着をこっちに渡せ」
「何に使うんです?」
万条 八十治は、素直に従い、脱がせた祝着を手渡す。
「オレがこれ抱いて走り出せば、あのクソ共の視線を釘付けに出来るだろ? その間にオメエ達は建物の反対側から逃げろ」
「山田」が、ワルサーPPKの解放されたままだったスライドを止めていた安全装置を外す。スライドが前方に戻る。同時に薬室へ第一弾が装填される。これで、戦闘再開準備は完了だ。
万条 八十治は、ガキを正しく卒業し終えた本物の大人だった。だから、「山田」に「危険過ぎる」とか、「オレも一緒に行く」なんて馬鹿な事は言い出さなかった。付いて行ったところで戦闘訓練を受けていない男は、単に邪魔になるだけだ。更に、赤ん坊を腕に抱えたままでは邪魔になるどころか、行動不能に陥らせてしまう。
何より、冷徹な知性が彼にこう語る。
ーーーここは卑怯者に徹するのが正しい。
腕の中でぐーすかと眠っている万条 朝顔の命も守る為に必要とあらば、目前の「山田」、自分自身、更にこの建物の中で捕られている全ての被害者の死も惜しいとは思えなかった。
この男は、自分の能力の限界と、それをどうしても超えられないと言う真実を痛いほど理解していた。妻である万条 菖蒲と過ごした時間の全てが、それを残酷なまでに立証し続けたからだ。
だから、能力が不足している自身の境遇を嘆くよりも、既に保有している低い能力を最大限に発揮出来る新しい手段がないかと再検討する。
再検討した結果、自分の能力の限界を超える為に、自分一人の能力で問題を解決する事には早々に見切りを付けた。運の効用だ。運は人が運ぶものであると経験則で知った。だから、運を運んで来てくれる自分以外の他人を巻き込んで、その他人が保有している能力と幸運を自分の目的達成の為に利用する術を身に付けた。
ただ、妻の横に立ち続けたい。その一心で、自分の周囲に散らばっている全ての環境を、好き嫌いの感情抜きで骨の髄までしゃぶり尽くすことに一切の躊躇を感じなくなってた。
物理的な条件だけがこの男の行動選択の幅を決めるほど、究極の結果主義者へと成長していた。
ただし、彼の性向をキチンと理解出来ているのは妻一人であった様だ。誰もが、彼の事を妻のオマケとしてか認識していなかった。
だが、この御目出度い男は、妻一人にさえ認めてもらえればそれで十分だった。言い訳ではなく、本気でそう考えていたのだ。
ーーーお互い生き残れたら、公安の山田さんにも娘を抱かせてあげよう。
万条 八十治は、実現する見込みの低い超大型の空手形を心の中で切った。
胸の前に十字を切る代わりに。
そんな万条 八十治の心の内を知ってから知らずか、「山田」が告解を試みる。サクラメントを求めての事ではなく、最後に誰かに伝えておきたかったのだろう。
「オレはな。オメー達が高校でクソ共に追い込まれているのを知っていて見過ごした。あのネーチャンが追い詰められるのを黙って見ていた駄目な大人だ」
「・・・・・・」
「そのケリをここで付けてやる。大人ってのはケジメを何処かで付けなけりゃならねー」
「山田」はネクタイを緩めてシャツの中から、ロザリオのペンダントを取り出す。別れを惜しむようにキスをしてから、万条 八十治の足下へと放り投げた。
「お守り代わりに、朝顔ちゃんの首に掛けておけ」
そのロザリオは、かつて彼が聖ジョバンニ騎士団の若い騎士から送られたものだった。何でも、聖遺物の破片とかが押し込まれている貴重品であるらしい。万条 八十治には、この男が生還する希望を捨てて自分達を、おそらく、正確には嫁が産んだ子供を護る決意をしている事を確信した。
「妻は貴方の事を怨んでなんかいませんでしたよ。むしろ、その後に陰日向から護ってくれていた事に感謝していました」
「・・・そうかい」
「山田」は、顔を万条 八十治の視線から反らした。そして、咽せ気味の声で言った。
「もう行きな。時間が惜しい」
「ありがとうごさいます」
万条 八十治は、この大惨事の中でも熟睡している超大物の娘を抱えて走り出した。一度も振り返って「山田」の後ろ姿を確認することはなかった。
筑紫洲大学・椎木講堂が完全倒壊したのは、それから10分後の事だった。
爆破解体の要領で、全体が余す所なく連続的に崩れ落ちた。
ーーー爆弾を利用したモンロー/ノイマン効果。
まずは建物の上部構造がクシャッと折れて崩れた。発生した瓦礫が落下し、そのタイミングで下部構造でも適切な箇所に設置されていた爆破物が仕事をした。それによって、建物の全ての質量が地表に向かって崩落し尽くした。
事前に、テロリストによって封鎖されていた筑紫洲大学・椎木講堂の中から外へ出て来た者は一人もいなかった。テロリスト達も、人質として監禁されていた被害者達も、分け隔て無く平等に瓦礫の下敷きになったであろう事が確実視された。
後に、「血の日曜日事件」として、多様な価値観に基づいて、異なる表現で歴史書に記述されるテロ事件はこうして終わった。