墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜41
台湾民国と人民共和国を隔てるけしからんモノ。
台湾海峡。
その周辺では、「福建省・三大港湾」と言う、地理的、物流的、政治的に重要な言葉を耳にする機会がある。
「三大港湾」とは、両岸を結ぶ物流システムの、大陸側に置かれた海の玄関口(※1)である。
福建省の特徴の一つとして数えられる長い海岸線。
グーグル・マップを使って周辺部を拡大表示して眺めると、入り組んだ地形が多数、連続的に存在していると読み取れる。
いくつかの半島が大陸より突き出ていて、それらが更に枝分かれする様な、無数の凸凹が所々で見られる。
つまり、台湾海峡の大陸側の海岸線は、拡大表示すれば、単純な真っ直ぐや斜めでないと理解出来る。
この地理条件は、船乗りの視点では、多数の「天然の良港」を見出すには最適である。
実際、無数に存在する小さな湾の内側には、多数の港が既に建設済みである。
開発は徹底されている。
喫水の深い大型の艦船でも自由に入港可能な「深海港」まで整備済みであるのだから。
それらの港湾施設は、三つのグループに分ける事が出来る。
三つのグループを総じて「福建省・三大港湾」と呼ぶ。
例えば、福州港は三大の一角を成す一港だ。
福建省の社会では、昔から今まで、商人家系の男達が幅を利かせている。商社的な国際貿易ビジネスは、チマチマと商売をやっている様な小売り業と比べて、利幅が巨大だ(なお、失敗した時の損失の幅も同様に巨大だ。つまり、ハイリスク・ハイリターンなビジネスである)。
だから、男達は海へ出て行く。それでも、不確定要素がどれほどに多くとも、命懸けで海の向こうの市場を目指したのだ。
海に賭ける男達を多数輩出して来た、そんな地域文化が形成出来たのも、この地理条件がもたらした幸運があってこそである。
「三大」を名乗るくらいだ。周辺の他の自治体が擁する港湾施設よりも、大きく、便利で、信頼性が高いと考えても良いだろう。
とは言え、この台湾海峡は、大陸側の天然の良港に恵まれながら、長い間、在り来たりな海上輸送ルートの終止点の一つである事に甘んじていた。
大陸を支配した歴代王朝の全てが、海の向こう側に向けて解放的であった訳ではない。18世紀頃の支配者は、広大な領土を鎖国に置くことを良しとしていたりもした。
その後、紆余曲折あって、台湾海峡は世界へ向けて開放された。だが、それでも直ちに世界的に注目される、貿易界の特異点へと登り詰めた訳でもない。
だが、高いポテンシャルはあった。だが、チャンスさえ訪れれば大ブレイクする可能性はあったのだ。
そう、チャンスさえあれば、
そのチャンスはある日突然に、向こう側からやって来た。ある日を境に、正確にはある戦争を境に、台湾海峡は、人類の建前と本音が作り出す矛盾を集めてごった煮にして出来た海峡へと変わってしまった。
実は、人民共和国が成立する以前、今となっては大昔、台湾民国政府が大陸全土を支配していた時期もあった。
(当時の合衆国・国務長官だったディーン・アチソンに言わせれば、そんな事実はなかった様だが。←アチソン・ラインで有名なオッサン。)
しかし、大陸を支配した直後、各地で内戦が勃発。ワレワレにとっても何かと面倒臭くて堪らない「偉大なる党」による「革命」が、大陸各所で、同時に多発したのだ。
当時、いろいろたくさんの問題を抱えていた台湾民国政府は、合衆国からの強力な支援を受けながらも、ソ連の援助を受けた「偉大なる党」にあっさりと敗北。敗走を重ねた末に、とうとう大陸から海上へと突き落とされてしまった。
この辺り、パレスチナに建国したエルサレム王国をイスラム勢力に滅ぼされて、中東アジアから地中海へと放り出された十字軍と王国民と、台湾民国政府の立場は少しだけ似ているかも知れない。
(似ているのは本当に少しだけだ。)
行き場を失った十字軍と王国民は地中海に浮かぶ「キプロス島」へ。台湾民国政府の方は台湾海峡を挟む「台湾島」へと逃げ延びた。
海を隔てた場所まで逃げなければ、当面の安全の確保が難しかったからだろう。
(その後、キプロス島へ逃れた後のエルサレム王国の残党は、バラバラになって西欧世界へと散っていった。現在まで生き残っている十字軍の遺産「聖ジョバンニ騎士団」も、キプロス島へ流れ着いた大量の難民の一群に過ぎなかった。エルサレム王国は、そうやって完全に"実を"失い、"名"だけの存在となった。一方、台湾民国は台湾島を乗っ取り、支配し、現在まで存続させて来た。)
内戦で勝利して大陸を支配する様になったのは、ワレワレにとっては実にお馴染みである「偉大なる党」である。
「偉大なる党」は、大陸を完全に手中に収め、人民共和国の建国を宣言した(なお、「偉大なる党」の一部の幹部達が、何となく気に入らないヤツを丸ごと偏執的なまでに血祭りに上げるのは、もう少し後になってからである)。
人民共和国がある程度安定した後に、いや、近くの半島への義勇軍の派遣を終えた後になってから、「偉大なる党」は台湾島までをも手中に収めるべく、党の私兵である人民解放軍を台湾海峡の対岸へと送る決心した。しかし、良く考えてみれば分かりそうなものだが、狭いとは言え、彼等は海峡を渡るのに十分な艦船、造船技術、操船技術などを持ち合わせていなかった。
それでも根性だけを頼りにして、極めて強引に初めての上陸戦に挑戦してみた。きっと挑戦を担当する現場部隊に対して「頑張れ頑張れできるできる絶対出来る頑張れもっとやれるって! やれる気持ちの問題だ頑張れ頑張れそこだ! そこで諦めんな絶対に頑張れ積極的にポジティブに頑張る頑張る!とかなんとか言ってその気にさせたのだろう。
なお、「共産党の指導のもとに台湾を復光させる」と言う無謀な冒険の結果は、当然、大失敗である。台湾島の遙か手前で海に浮かぶ、大陸からは本当に目と鼻の先にある金門島すら陥落させられずに解放軍を撤退させている。
面子を酷く傷付けられて、余程に腹が立ったのだろう。それ以後、偉大なる党と人民解放軍と人民共和国は、台湾民国の分離主義者達を「絶対に蹂躙してやるリスト」の最上位にあるとの共通認識を持ち合うに至った。
だが、今のところ、台湾民国は相変わらず存続中である。つまり、偉大なる党による「蹂躙」と言う見果てぬ夢はまだ達成されないままである。
本質的に、人民共和国は、台湾民国がそこに在る強制併合を試み続ける。人民共和国の構成員にとっては、この「夢」は既に固有文化の域にまで到達していると思われる。
そんなどうにもならない事情があって、台湾海峡は、人類の"業"を過積載した大量の艦船が常に行き交うやや複雑な事情を抱える海となって久しい。
常に、つまり、平時であろうと有事であろうと、なかろうと関係無くだ。
何か、煙に巻いたり、騙すために、こんな面倒臭い話を冒頭にぶち込んだとは誤解して欲しくない。
ーーー福建省の地政学的な最大の特徴は、台湾民国の対岸に位置すると言う一点に絞られる。
ーーー沿岸に近接して点在する三大港湾は、福建省と台湾民国の間で行われる貿易の拠点である。
以上二つの、地理的、物流的、政治的な前提条件を、皆さんと確実にシェアしたかっただけである。
この地域は、人形浄瑠璃や歌舞伎で古くから人気を博す演目「国性爺合戦」で有名な、台湾民国側の英雄とされる「鄭成功」が活躍した舞台である。だから、少なくとも「国性爺合戦」や「鄭成功」と言う単語を、生涯に一回くらい検索エンジンで探ってみても損はないと思う。
(1)福建省・莆田市。
台湾海峡に接続する、興化湾、平海湾、湄洲湾に面する行政区画である。
(2)福建省厦門市廈門島、湖里区と湖里区。
副省級の経済特区である厦門市。厦門市は大陸側と廈門島の二つの要素で構成されている。湖里区と湖里区は、その廈門島の南北に別れるた二つの行政区画である。
廈門島は、金門島決戦(※2)で知られる「金門島」に隣接する、今では人民共和国側となった島である。
それら二箇所、莆田市と廈門島は、日本国前首相・万条 菖蒲がテロによって殺害された直後に、合衆国と日本国からの厚い援助を受けた台湾民国・三軍が"復光"に成功している。
台湾民国は、海に浮かぶ廈門島だけでなく、莆田市と言う大陸へ逆侵攻を掛けるには絶好の橋頭堡を確保した。決して楽勝であった訳ではない。どちらかと言えば幸運に助けられた。敵側の不備に救われて、これだけの戦果を上げた。
実際、台湾民国・海軍陸戦隊の"先鋒部隊"と"鐵軍部隊"は、人民解放軍・海軍の陸戦第七旅団の巧妙な罠に掛かってしまった。不意に脆弱な後方に相当する部分を酷く突かれ、2旅団まとめて絶体絶命のピンチへまで追い込まれた。
更に、電撃戦には不可欠な戦闘機材、多数の水陸両用装甲車と対戦車車両への補給線がほぼ断ち切られてしまった。撃つべき砲弾も燃やすべき燃料も尽きれば、どれほど強固な装甲を持つ軍用車両であってもただの「箱」へと貶められてしまう。
これでは貴重な人材を無意味に磨り減らされてしまう。台湾民国では、人民共和国と違って、国籍保持者が圧倒的少ない。また、人間の命の値段が比較出来ない程に「お高い」のだ。
そんな事情もあって、台湾民国は、
ーーー金門島までの一時的な撤退も検討していたのだ。
実は、人民解放軍で効果的な戦闘を行えたのは、陸戦第七旅団のみだった。この奇妙な事実に救われたのだ。
人民解放軍の戦略では、陸戦第七旅団が武力侵入に対する初期対応を行っている間に、態勢を整えた他の部隊が援軍として現場へ急行すると言うものだった。
陸戦第七旅団は先兵となるべき即応部隊である。侵攻時の上陸作戦だけでなく、国内有事にはもっとも早期に対処を行う独立して部隊を展開させられる精鋭部隊である。
陸戦第七旅団も、そのつもりで大きな犠牲を払いながらも、短期戦の構えで台湾民国・海軍陸戦隊との激しい戦闘を繰り返していた。
でありながら、最終的に戦第七旅団は戦地で孤立してしまった。待てども待てども態勢を整えた他の部隊が援軍として現れなかったのだ。それどころか、予定されていた補給部隊も充分な「量」が現れなかった。
榴弾も105ミリライフル砲塔用の砲弾も弾丸も食料も、何かも足りなくなった。榴弾や砲弾を自軍の陣地へ撃ち込まれても、反撃の為に打ち返せない所まで追い詰められてしまった。これでは、現場がどれだけやる気があってもまともな戦闘出来ない。
ーーー竹槍でB-29は墜とせない。当たり前だ。竹槍将軍、聞こえますか?
竹槍に、固体燃料式のロケットブースターでも装備出来れば奇跡は起きるかも知れないが。
結果、陸戦第七旅団は、戦闘の継続を諦めた。最終的にボロボロの状態になって戦場から撤退した。人員の消耗率は50%を超え、事実上の全滅判定を受けるレベルの損失だった。また、装備面でもすべての装輪装甲車と軽戦車を失い、旅団員が安全地帯まで輸送出来たのは個人装備の突撃銃と拳銃だけと言う有様だった。
人民解放軍は物凄い物量の人員と兵器で押しまくる、消耗戦をドクトリンとして採用する軍組織である。人員と兵器は、並みの大国の軍隊ではとても対処出来ない程の大量さで保有している。これは間違いない。しかし、それらを有効的に活用出来なかった。少なくとも、その時の戦闘では宝の持ち腐れのまま戦闘終了のタイミングを迎えてしまったのだ。
陸戦第七旅団による強襲を耐え切った台湾民国は、この将来の復光に向けた橋頭堡を獲得した直後に、どう考えても攻め易く守り難い莆田市を囲う様に、外向きの一帯陣地を急ぎ敷設した。
その後は、野砲、対空砲、対空ミサイルなどでハリネズミの様に強力に重武装した厚い防御を念頭に置いた一帯陣地を利用して、何回か繰り返された"人民解放軍による挑戦"を撥ね除けて見せた。
人民解放軍側は恐怖した。台湾民国が、無限と思われる大量の近代兵器を抱えて、大陸の旧領土の切り取りを目的とした復光戦を直ちに開始すると予想していたからだ。
だが、多くの予想を裏切り、台湾民国司令部側は、上陸軍団にそれ以上の進軍を命じなかった。強気を示したいが余り、常に一方的に因縁を付けまくって手当たり次第に粉を掛けまくっていた人民共和国の偉大なるの振る舞いとは異なり、占拠地の確保に戦力を全振りした。そして、そこから更に先にある土地にまで攻め上がると言う脅し、挑発的な攻撃を自重してみせた。
驚いた事に、強固な橋頭堡を築いた割には、奇妙なまでに抑制的な行動に徹したのだ。これは、現場の末端に到るまで、中央の指示に忠実=シビリアン・コントロールが行き届いていると事でもあった。最前線=現場の暴発は、起こりそうで起こらなかったのだ。
一方、陸戦第七旅団とは完全に入れ替わりで、つまり押っ取り刀で、戦場へ到着した人民解放軍の後続部隊は、特に莆田市包囲戦を通じて一方的に人的損害を負わされた。だが、連日ところか朝昼晩の政治士官から激しいお叱りを受け、少なくとも現場レベルではモリモリと戦意を失いつつも、突撃の繰り返しを強要されていた。
莆田市包囲部隊の様は、日露戦争の203高地戦での消耗が著しかった、旧陸軍の白襷隊に相当する惨状となった。そして、莆田市包囲戦で突撃を命じられた攻撃部隊内では、白襷隊の全員とは違って、戦闘理由を十分に共有出来ていなかった。
白襷隊は、旅順港に隠れ籠もるロシア・ウラジオストク巡洋艦隊目掛けて観測砲撃を実行する為には203高地を陥落させるしかない。それが叶わなければ祖国が滅亡の憂き目に遭うと言う理屈をキチンと理解出来ていた。
しかし、莆田市包囲戦に投入された人民解放・陸軍と空軍にとっては、莆田市を何が何でも陥落させなければならないと言う理屈を理解出来ずに戦わされていた。
少なくとも、ここで敗退したとしても祖国が直ちに滅亡の憂き目の遭うとは想像出来なかった。
だから、実質的には、人民解放軍の後続部隊は突撃のフリを繰り返した。複数の砦で互いに守り合うと言う、台湾民国の工作部隊が超特級で築き上げた、極めて現代的な作りの要塞を真正面から攻略する事の困難さを分からせられたからだ。
しかし、鳥は鳥の様に考え、魚は魚の様に考える。偉大なる党から見れば、下っ端中の下っ端である人民解放・陸軍の現場指揮官達は、莆田市包囲戦で積極的な深入りを避けていた。極めてけしからん事にだ。机上の空論を捏ねくり回す貴人達は、命の危険に曝されてる当事者と違って、そう簡単に分からせられなかった。
それが、下っ端中の下っ端が背負わされた不幸であり、不満の種だった。誰だって無為には死にたくはない。だから、高貴な人々の推敲な魂を理解せず、下っ端中の下っ端が「命を守る行動」を選択し続けるのをワレワレは批判しない。
ただし、自己犠牲の精神を大いに発揮した陸戦第七旅団は、後続部隊のこの為体を知って怒り狂った。ワレワレは、多数の戦友を無為に失ったカレラへの同情は禁じ得ない。
莆田市包囲戦は、そんな事情で早々に膠着状態に落ち着いた。
攻守双方が共にそれを望んだ事は疑い様がなかった。
何故、人民解放軍・陸軍と人民解放軍・空軍の現場が採ったサボタージュ行動が容認されたのか。
突撃精神の発露を強要されなかったのか? 台湾民国が送った上陸部隊の10倍の兵員を直ちに後続部隊として編成出来なかったのか?
人民解放軍はお抱えの兵員数だけなら、ダントツで世界最大規模にあったと言うのに。スターリンが指導したレングラード攻防戦がお遊戯に見える程に、人民解放軍は人命軽視の消耗戦を繰り返して来た歴史を誇ると言うのに。
それは、福建省・莆田市や福建省・廈門島と言う台湾民国との戦場以外でも、目立った被害を負っていたからだ。人の目からは見えない海中深くにおいて、人民解放軍・海軍は虎の子の攻撃型原子力潜水艦と核ミサイル搭載原子力潜水艦などの重要な艦艇を立て続けに失っていた。
目も当てられぬ惨劇の余り、ついつい、そちらの方へ気を取られていたのだ。
問題は、海軍が負った被害の原因が、喪失した攻撃型原子力潜水艦と核ミサイル搭載原子力潜水艦が、攻撃であったのか、事故であったのかの特定すらままならない事だった。
だから、被害の原因が攻撃だった場合の、所謂、報復対象を決定する事など、夢また夢という困難に直面していたのだ。
特に核ミサイル搭載原子力潜水艦艦隊が被った損害は深刻だった。どれほどに深刻だったのか? それは喪失の詳細を把握すら出来ていないくらいにである。
全ての行方不明の原子力潜水艦が、調査船や救助船を容易には送れない深海へと沈没しているらしかったからだ。また、重なった複数の被害の全てが、定時連絡が来ない事で判明していた事も事態をさらに深刻にした。どの艦も、自らが脅威に曝されていると言う情報を発信出来ないまま機能を喪失した事を暗示しているからである。
ーーー被害を受けるまでの詳細な足取りを掴めない。
人民解放軍・海軍では、隷属下の潜水艦達の被害発生時刻の特定すら出来ていなかった。
ただし、全てが故意ではなく事故による被害であって、今後の調査で偶然が重なった不幸だったと判明したとしても、ほぼ同じ期間中・同じ海域下で、三つ以上の被害が重なって発生した不自然さ故に、必然=攻撃を受けたと疑った方が自然であった。
被害が発生したのが公海中だけでなく、他国の排他的経済水域である件が含まれていた。だから、該当海域を管理するに国家に対して因縁を付ければ、自国の側の非をも明らかにしてしまうと考えるのは当然だ。
そんなジレンマを抱えた人民解放軍・海軍は、被った被害が人の目に付かなかったのを良い事に、知らぬ存ぜぬと貫く事て、恥辱に塗れるイベントを回避をする事にした。
偉大なる党は人民解放軍・海軍の言い訳に対して激怒したが、黙っていれば面子だけは保てると言われればその通りである。そこで仕方なく、"泣きっ面に蜂"と言う事態を辛うじて避ける、高度な政治判断を受け入れたのだ。
偉大なる党の物わかりの良さの御陰で、人民共和国は世界戦略を支える重要な道具を失った上に、積み増しで面子までも失うと言う最悪の事態だけは避けられた。
しばらくしてから、脱力的な状況が台湾海峡危機の最前線へも到達した。
ーーー停戦の気運が高まったのだ。
その後、互いを国家として承認していないが故に、二組織間(台湾民国と人民共和国間)と言う奇妙な交渉が重ねられた。交渉の経過や結果は発表されなかった。いや、交渉が行われたと言う事実さえ隠蔽された。それを問う者が現れれば、二つの組織は互いに連携して上手に否定して見せた。
台湾海峡で発生したいざこざとその後始末では、こんな、実に人間らしい事情で、何となくふんわりとした、公式な協定など一切存在しない、それでも一応は「事実上の休戦」と言っても差し支えない状況が、少しづつ積み重ねられ、じょじょに拡大していった。
その間、莆田市と廈門島と言う二つの実効支配区域付近では、停戦間際に激化する恒例の「滑り込み戦闘」が発生したりはしなかった。むしろ、台湾民国は、そこを起点として、人民共和国との民間レベルの商談を電撃戦レベルに激しく売り込む事案が多発していた。
また、台湾民国は、海を渡った先である大陸側で新たに獲得した実効支配区域(莆田市)では、上下水道や交流電力などのインフラ・サービスの維持・確立と言う課題が猶予ゼロの問題として持ち上がっていた。金門島からの海上輸送だけで取り除ける障害ではなかった。人民共和国に対して、解決策として、それら全ての公共サービスを破格で購入させて欲しいと申し出ていた。
ーーー支配線を跨ぐ、国際的なインフラ・サービス網の有料提供。
もちろん、テーブルの上に積む金とテーブルの下で渡る金を完全に区別した上で。
両組織間で安定・永続的な金の流れを作り出せれば、人民共和国と台湾民国の実効支配区域と言う真新しい関係は長続きせざる得なくなる。流れた金が多くの有力者達の懐へと流れ、地元の民間経済を経由して偉大なる党の中央へも到達し、地元民の生活レベルの向上にも貢献する。一定数の者達が一方的な利益をノーリスクで受け取れるとなれば、その後は取引の受益者となった彼等が受益関係の破壊を望む勢力に対して自動的に戦ってくれる様になる。
これは民主主義国家群による、人間性と言う哲学を良く理解した上での戦略だった。
ーーー資本主義者も共産主義者も、等しくお金が大好き!! (平等。人類皆兄弟)
この一見無茶な交渉の進め方には、物事を真面目い考える人々は大いに驚いた。だが、結果は、案ずるより産むが易し。何と台湾民国の要望のほとんどが、実質的には認められた。つまり、無茶な横車がすんなりと進める程に、インフラ・サービスとインフラ物資を破格の買い取り価格を提示する事で、両組織間の早急な契約合意が成立した。
勿論、かなり強引な手法で予定調和へ漕ぎ着けた事は間違いないだろう。
片方の交渉手はこれを年貢金と解釈し、もう片方の交渉手は正当な国際貿易の対価だと誇った。
双方の認識の間には大きな隔たりがあった。完全な同床異夢ではあった。だが、金が流れが途切れない限りは、関係継続の障害とはならなかった。このあたり、資本主義者と共産主義者が、共に現実政治に目覚めたんだとか、そうではなかったんだとか。
また、台湾民国に占領された莆田市と廈門島と言う二つの実効支配区域は、隣接していなかった。両実効支配区域の間には人民共和国側の都市である泉州市存在していたので、互いの有機的な連携は難しいだろうと考えられた。
また、大陸側に位置する莆田市だけならば、人民解放軍が兵力の犠牲と物量の出し惜しみさえしなければ、好きな時に取り戻せると言う人民共和国側の目論見もあったに違いない。
人民共和国は、直ぐに単純な地政学的な"縛り"にやっと気付いた。
ーーー台湾民国に占領されてる実効支配区域は、海上封鎖さえしてしまえば兵糧的に脆弱な港湾都市と、陸側から切り離された島であっても在り来たりな迫撃砲の射程距離内に十分収まる小さな沿岸の島に過ぎない。
良く考えてみれば当たり前である。面子ばかりを気にし過ぎていたせいで、客観的な実利に対してあまりにも無頓着になっていたのだ。
人民共和国は台湾民国に二つの不動産を貸し出すだけで、多額の資金が定期的に転がり込む経済システム。偉大なる党の地方幹部達は、直ぐに両組織間の新しい関係が非常に儲かるビジネスである理解するに到った(国家同士で承認し合ってはいないので、国家間の関係とは認められない。特に人民共和国は側では)。
莆田市と廈門島を結ぶ公共交通は、金門島を経由するフェリー航路が直ちに新設された。その後も、二つの実効支配区域と台湾本土を直接に結ぶ直行便が設定される事はなかった。
この下手な態度も、偉大なる党の地方幹部達の冷え切った心と懐を同時に温めるのに一役買った。地方幹部達は、中央幹部に対してこれを自分達が主導で行った「圧力の成果」であるとして誇れた。
誰だって、自分の側に常に主導権があると認識出来れば壮大な不安に苛まれずに済む。夜もよく眠れるし、分の悪い勝負であってもそれに挑んだり、ちょっとしたストレスに難なく耐えられる度胸を獲得出来たりもする。
主導権の詳細は、別に客観的なものである必要はなく、ほとんどの場合が主観的であっても構わない。しかし、主導権の獲得がもたらす不安の無さが、自信と言う高い自己評価の獲得をもたらし、自らの決断に対する迷いを取り除く=人間的に太い器を育む効果もある。
根拠のある自信であっても、そうでない自信であっても、自信さえ在れば良いのだ。自信を持つと言う条件を満たしている者は、どちらかと言えば交渉相手としては好ましい部類に入る。それは単純に損得の話し合いにのみ注力出来るからだ。そう言う意味で、台湾民国は、せっせと交渉相手に足りる自信家を産み、育て、数を増やしていった。
もちろん、自らに対して北風ばかり吹き付ける偉大なる党の中央幹部とは異なって、台湾民国は太陽のような暖かい日差しを常に与えてくれる存在であると言う認識を植え付ける努力も怠らなかった。
台湾民国側は、両岸貿易で、時には騙され、キツい損害を被ったとしても、水面下での関係性をより深める努力を積み重ねていった。
ーーー全面戦争をするよりは小さな出費で済む。
つまり、総力戦に発展すれば絶対に勝てない。局地戦に収めたからこそ負けなかった。勝ったのではない。単に一時的に負けなかっただけなのだ。
心の中でそう念じる事で、喉元まで上がって来た罵倒の言葉を無理矢理に飲み下す。それを繰り返し続けるしなかった。
ーーー小国は、大国と違って、好きな時に気ままに戦争を始める自由を持ち合わせていない。
台湾民国の指導者達は、その辺りの政治的な常識を十分に心得ていた。
互いを認め合うことが許されない、二つの組織が非公式な交流を初めてから暫くして。
台湾海峡周辺では砲弾が一発も飛び交わなくなった。
人民解放軍の戦闘機や戦闘艇が、実効支配区域の暫定防空識別圏(ADIZ)と暫定領海が姿を消した。
その頃になると、人民共和国と台湾民国の事実上の国境線上、二つの組織の境界線付近で、非公式ながら常設の闇市が建った。立ったのではない。建ったのだ。
闇市のメイン会場は二箇所。
莆田市を取り囲む防壁の外側。壁門の直ぐ近く。
廈門島の対岸。大陸部の海滄区の沿岸地区。
そこでは、近年ますます厳しくなった輸出規制によって人民共和国が入手し辛くなった御禁制品、例えば、高度な半導体製品、高純度の工業用洗剤・溶剤、高級嗜好品などが大量に取引されている。
この非公式な商取引は、人民共和国にとっても無視出来ないメリットを生み出し続けていた。実際、莆田市と廈門島台湾民国が解放してから、二箇所の闇市が誕生してから、人民共和国内での御禁制品の流通量は確実に増加して行った。
そのせいで、偉大なる党は恥部である筈の二つの"解放区"を、軍事的に取り戻す決断を下し難くなってしまった。
軍事物資として入手が困難な物品の大量な一括購入は、全てを合計すれば相当な支払額に達していた。これは、英国との阿片戦争に繋がった貿易不均衡と言うトラウマを刺激しかねない両岸問題へは発展しなかった。
そこは偶然か必然か、うまく調和が取れていた。何と、人民共和国が莆田市に商業提供しているインフラ・サービスの対価して受け取る代金を考慮すれば、眉間に皺を寄せるほどの収益不均衡は、帳簿の数字上ではほぼ解消出来ていた。
また、対岸からもたらされる高度な半導体製品や高純度の工業用洗剤・溶剤などの密輸品の品質は極めて高く、しかもほぼ契約通りのタイミングで納入されると言う実績があった。もし、受け取りのスケジュールの乱れがあるとすれば、在庫の欠品や悪意による詐欺が原因ではなかった。
台湾本土から大型フェリーで運ばれて来た荷物が、金門島での小型フェリーへの積み込みにもたついたり、二つの実効支配区域周辺の海域で突発的に生じる天候の乱れで小型フェリーの出港の見合わせが起こったり。全て、負不可抗力。人間の力では避け様のない不運が原因となっていた。
両岸の流通が本格的に安定してからが、両岸貿易は密輸品であるに関わらず、FOB(Free on Board=本船渡し)、CIF(Cost, Insurance and Freight=運賃・保険料込み条件)などの商業サービスを受ける事が出来る様になった(ただし、引き受けてくれるのは台湾民国側の銀行と保険屋だけ)。今後は、EXW(工場渡し)制度の実現に向けた調整に入るとさえ、見込まれていた。
高度な半導体製品や高純度の工業用洗剤・溶剤は、人民共和国が自力で無理して不自然な生産を続けるよりも、"タイワン・ルート"を運営するシンジケートに調達を全て任せる方が経済的だった。しかも、それらを利用すれば、自国生産品でも不良品発生率が低下するので、生産品の出荷前検品作業も捗った。
この不適当な関係は、初期に想定していたよりも、長く深く重い絆へと成熟して行った。偉大なる党の大幹部がこの流れの変化を、両岸関係の変化を知らなかったわけではない。しかし、台湾民国発行版の少年ジャンプ(デジタル版ではなく紙媒体)が、大陸沿岸部に限れば、台湾本土発売と同じスケジュールで配達可能な現実に対して思わず拳を握って持ち上げながらも、紙雑誌の少年ジャンプを手にして目を輝かせる長男を愛でると、黙って下ろして握りをゆっくりと解いて頭を撫でてやる事しか出来なくなっていた。
偉大なる党の大幹部や福建省の共産主義エリート達は、先鋭的な共産主義的価値観を一時的に封印して、不都合な事実を見て見ぬ振りしていたのだ。
台湾民国が敢えて、戦略物資を含む御禁制品の大量密輸を許しているのは、軍事力だけで新たに獲得した二つの実効支配区域の維持が不可能であると理解しているからだった。
敢えて、共産主義者達が二つの実効支配区域を自ら好んで維持せざる得ない状況を作り出した。そうする事で、大量の要塞をいくら築いても、絶対に守り切れない要害・要衝の地を、穏当な手段で自らの手の内に収め続けたのだ。
また、台湾民国は、占領後には人民共和国の面子へは十分に配慮を示した。例えば、実効支配中の"解放区"の獲得・維持と言う大成果を海外の国々へ向かって積極的にアピールしなかった。
更に、島内に建つ廈門高崎国際空港を、自国・空軍の航空基地として改装する様な愚も犯さなかった(ただし、人民共和国内から到着する旅客機の乗客は、全員がパスポートを持参する必要がある国際便となった。なお、人民共和国側の空港では往路の出国と復路の入国のスタンプは捺印されなかった)。
当然、10年を軽く超える長期間に渡って実効支配されているに関わらず、該当地区を指導するべき偉大なる党御指名の行政担当ポストが定期的に任命され続けている(担当者が担当地区へと立ち入ったと言う記録はないが)。
人民共和国に対する、台湾民国が、いや民主主義国家群が大陸へ挑むために欠かす事の出来ない橋頭堡は、この様な複雑な事情で今まで何とか維持されて来た。
台湾海峡の両岸で暮らす人民と国民の両方は、このふんわりとした、根拠も希薄な、にもかかわらず掛け替えのない関係が永遠に続くと考えるほどに浅はかではなかった。だが、永遠に続けば良いとは願っていた。それは、見せ掛け上の平和であっても、何だかんだで得になる場合が多かったからだ。
特に、台湾海峡の大陸の岸の実効支配区域周辺で暮らす人民の収入は、実効支配区域爆誕前よりも確実に上がっていた。購買力も上がり、その上で貯蓄率まで上がっていた。更に、極めて貴重な人口の自然増加地区の筆頭であり、就学率や就職率などの面でも国内上位を占めていた。
幸福である者は、その幸福がこの先もずっと、可能な限り長く続いて欲しいと願うものである。
「幸福の継続」を願う。それが「現状の維持」を願う、の真相である。そして、「現状の維持」を願う事は、「力による現状変更の阻止」を願う事と並立可能などころか、ほとんど同じ願い事でさえある。
なお、幸福である者とは逆に、どういうわけか、不幸である者は、自分を襲う不幸が出来るだけ短期間で終わるとか、通過してしまう様にではなく、自分よりも幸福な者が自分と同じ不幸に塗れる様にと願う。
その日、福建省・莆田市と廈門島・湖里区と湖里区で暮らす新国民ではなく、それらの周辺で暮らしている人民=新たに「幸福である者達」の末席に加わった人民は、一つの選択を迫られた。
「現状の維持」を捨てて、「力による現状変更」を傍観の末に受け入れるか。
それとも、「現状の維持」を求めて、「力による現状変更の阻止」を積極的に支持するか。
それは、「連合スペースガード」が、合衆国のフロリダ州にある本部に緊急で集められた参加国の大使達(或いは不在の為に代理で参加した領事達)の前にして、全世界のネットワークへ接続可能な人類に向けた「ラオス紛争」についての発表した事から全てが始まった。
台湾海峡に大陸側に暮らす人民は、人民共和国と人民解放軍が、ラオスに対して行った非人道な振る舞いを知った。そして、民主主義国家群だけでなく、人民共和国以外の、権威主義国家群であっても、その非人道を強く非難していると知った。
そして、台湾海峡に大陸側に暮らす人民は、民主主義国家群で自由を謳歌する国民に同調して、人民共和国と人民解放軍による非人道を強く非難しようとした。だが、その直前で、自分もまた、そんな納得や共感の出来ないヤツラの一員であるという、どうにもならない不都合な事実に気付いてしまった。
ーーーオレはヤツラの一員ではない!!
ーーーワタシはヤツラの一員ではない!!
愕然とするしかない。自分達が、民主主義国家群を滅ぼそうと鋭意努力中の国家の人民であった事実を、たった今まですっかり忘れていたのだから。
ーーー隣国のラオスの同志が、民族自決して何が悪い。
と叫びたい。
偉大なる党から、あまりに酷い仕打ちを受けたラオスが、人民共和国を見限って、民主主義国家群へ追随したくなる気持ちは分かる。共感出来る。
彼等の大多数は、ウッドロウ・ウィルソンが「十四か条の平和原則」の第五条で「民族自決(ただし、制限付き)」を語り、それが「ヴェルサイユ条約」の原則となった事は知らない。きっと、どこかの主席が提唱したんじゃないかと、「なんとなく」思っている。だが、その民族自決の思想が「植民地独立付与宣言」の根幹をなしていることは何となく「そうだな」と感じていた。
しかし、「ヴェルサイユ条約」の原則に乗っ取って行動すれば、直ちに政治的な生命を完膚なきまでに断たれてしまう事を「絶対にそうなる」と知っている。即ち、今享受している、自由が制限されているので何となく物足りなくはあるが、経済的にはそこそこ満足可能な生活を続けられなくなってしまう。
ーーーこの国では。
はっ!!、と気付いてしまう。バカではないのだから当然だ。民衆の直感は、意外にも正解へと直結している場合が多い事は、歴史的に証明されている(気がする)。
ーーーもしも、対岸にある国でならば?
そんな心の声が、台湾海峡に面する人民共和国の沿岸部のアチコチでチラホラと爆誕・爆縮し始めた。
ーーーワレワレは、あんなヤツラの一員と思われたくない!!
幸福である者が革命を志し、最後まで貫くと言う例は、歴史的に希有である様に思えるかも知れない。しかし、注意深く歴史の真実であればそうでもない事を察する事が出来るだろう。例えば、ロシア革命。あれは貴族が中心的な役割を最初から最後まで果たした。
ロシア革命後に成立したソ連。その指導者達はほぼ元貴族で占められていた。間違っても労働者階級出身者ではなかった。何故? 有象無象の無教養者には新しい秩序を建てるどころか、革命の成功も覚束無いからである。ただ、それは彼等が掲げるイデオロギー的に都合が悪かった。だから、注意深く隠蔽が徹底され、世界中に存在していた共産党支持者もその事に気付かなかった。或いは、知りながら、知らなかった事にした。
フランス革命でも同じだ。こちらはその方面での歴史の真実は隠蔽はされていないので、ちょっと調べれば直ぐに分かるだろう。ミラボーやラファイエットのwiki参照。
しかし、ロシア革命では何故、貴族達は元貴族になる事を選んだのだろう。過去を捨てて、未来を手に取る方が現実的であると言う状況に追い込まれるからである。
現在の人民共和国において、過去を捨てて、未来を手に取る方が現実的であると言う状況は如何なるものだろうか。それは、幸福者である彼等が、既得権=彼等が受益して当然なと考える幸福が、不当に奪われつつある事への不満だろう。
だから。幸福である者が抱いてしまった革命への志は、強く、長く、大きく、重い。そうならざる得ない。
結果、幸福である者が抱いてしまった革命への志は、不幸である事が日常である者が抱く志に対して圧倒的に強固なものとなる。その程度は「不退転」と言って良いくらいにだ。
幸福者が不幸者よりも、押し並べて栄養摂取状態が良好であるから「不退転」であると誤解して欲しくはない。志を捨てる事が、既得権=彼等が受益して当然なと考える幸福の喪失を支持する事に他ならないと、キチンと理解出来ているから「不退転」なのである。
逆に、不幸な者の志が不安定で、多くの場合「不退転」とは言い難いのは何故だろう? それは栄養摂取状態が不良であるからと言うが唯一の理由ではない。幸福者と違って、いろいろな理屈を理解出来ないなら、思考や方針がコロコロ変わる=振る舞いが自由・気紛れに見えるからである。
何故、理屈が理解出来ないと志が定まらないのだろうか? それは、不幸な者を革命へ引き込む条件と言うモノは、ひょんな事から、割と簡単に満たされて解消してしまうからだ。ちょっと小金が懐に転がり込んだ。暴れて誰かを傷付けたり、モノを壊して体力を消費したら、いつの間にかストレスが解消された。或いは、幸福だったヤツラが不幸に落ちたのを察して、何か気分がとてつもなくスッキリした。などなど。
それで、不幸な者が主導する革命と言うものは、社会を混乱させるだけと言う中途半端な状態で、革命へ邁進するムードが霧散してしまう場合が多い。革命や改革が、気が付くと骨抜きにされてしっている事が多々あるのはこのせいだ。
そうでなくても、暴れてフラストレーションが解消されると熱狂はアッサリと去る。冷める。つまり、正気に戻って、小心者であればプレッシャーに耐えられなくなったり、恐くなっりして、実際に社会を変化させる前に同時に、大多数が個別に、それまでの生活へ回帰してしまうのだ。
ーーー一抜けた!!
ーーー一オレ知らね!!
みたいな感じで。
つまり、熱しやすく冷め易いのである。鍋でも、そう言う安物は煮込み料理や大陸料理には向かない。例えば。ペラペラの薄いステンレス製のフランパンでは、その特性は焼き物料理とは最悪の組み合わせとなる。
ーーー一ペラペラの薄いステンレス製のフランパンで炙ったチャーハン。アナタは好んで食べますか?
革命の本質は実は暴れる事ではない。それはただの前期のイベントだ。後期のイベントは実際に変革を行うための各勢力の意見の調整イベントへと移る。それは、暴れるのと違って、面倒臭くて、愉しくもない。真摯な努力を長期間続けなければならない。そんな辛さを十二分に覚悟した上で、腰を据えて革命へ参加してくれるのは不幸である者ではなく、十分な教育を受けていたり豊富な知恵を持ち合わせる幸福である者の方が圧倒的に多い。
幸福である者は分厚い鉄製のフライパンの様なものである。分厚い鉄製のフライパンであれば、十分に熱した後であれば、分厚いステーキ肉を放り込んでも、熱面の温度が一瞬で冷めてしまう様な事はない。キッチンの火を止めても余熱で相当に暫くの間食材への過熱を続けてくれる。一方で、ペラペラの薄いステンレス製のフライパンでは、キッチンの火を止めると同時に食材への過熱は終わる。蓄えた余熱なんて皆無である。
革命の成就までの道筋は一筋縄では繋がっていない(むしろ、こんがらがっていたり、途中で千切れそうになっていたりする)。だから、冷や水を掛けられる様な苦難に陥っても、なかなか冷めない革命の情熱が不可欠となる。
一方で、大抵の絶望や不満は、衣食住が満ち足りれば勝手に四散する。
大抵の絶望や不満は、寒くない服装をして、餓えを忘れる程に食べ、寒さを避けられる部屋に住めば、少なくとも深刻なもの(※4)ではなくなる。
それでもダメなら、追加でイケメンor可愛い娘とのお見合いと十分な収入が保証される職業をセットで用意してやり、例えば、家族を作らせてやりさえすれば、燃えさかっていた革命への情熱は簡単に消散する事になる。
そんな、絶望や不満を抱きやすい環境=不幸の魔の手から逃れられた元不幸者。或いは新たに誕生した幸福者は、直ちに激しく強く「現状の維持」を求める様になる。「力による現状変更の阻止」を本気で、全力で、総力で、必死に食い止める側へと鞍替えしてくれる。
それは、革命途上で偶然に手に入れた幸福を微塵でも失いたくないからだ。
失いたくない何かを手に入れた時点で、不幸者は不幸から脱する。幸福者とは言えないかも知れないが、不幸者とは確実に一線を画す立ち位置を手に入れる。
不幸でなくなると、それまで暴れたくて仕方がなかった、フラストレーションのネタを失ってしまう。すると、心から攻撃性が見る見るうちに失われていく。そして、不幸でなくなってみると、社会革命運動の社会的継続は自分にとっては百害あって一理なしであると閃いてしまう。
どう言う訳か、幸運は誰の元にも平等に届けられる類いの運命ではないと、不幸を経験した者達は信じ切ってている。だから、幸福に餓え、手に入れた、或いは手に入れられそうな幸福に対して極めて貪欲になれるのだ。ハングリー精神ってきっとそう言うもの。
ーーー幸福の要素は掛け替えのないものと信じてる。
それは、おそらく、幸福の種を撒かれることではなく、幸福の種の発芽する例とは、無作為に選ばれた者にのみ届けられる奇跡であるからだ(幸福の種その物は広く薄く撒かれているので決して珍しいものではない。しかし、多くの者達は種が自分達にも蒔かれている事に気が付けていないだけである)。
そして、意地の悪い事に、この社会の鉄則では、仮に奇跡的に幸福の種の発芽させる事に成功るす=選ばれた者であっても、それを、永遠に保持したり繰り返し届けてもらえるものではないと信じている。
ーーー奇跡的に手に入れた幸運と言うものは、たった一度でも手の中からこぼれてしまえば、二度と手に入れられない。
金や女と違って幸福は天下の回り物ではないって?
誤解である。意外とそうではないのだが、それでも生きるのに不慣れ過ぎる者には、幸福を手にする事に慣れていない者達には、「今手にしている幸福が失われるかも知れない」と言う可能性が頭の片隅を過ぎっただけで、心の全域が不安だけで占められてしまう。
一期一会と構える余裕が持てない。一期ニ会だから仕方がない。日はまた昇ると直感出来ない。だって始めての幸運体験だんだから。がっつくのも無理はない。次も機会は必ず訪れるなんて、まだ経験出来てないし、周辺でもそれを学ばせてもらえる社会環境がない。残念な事に、感受性って言うレーダーは経験で磨かなければ生涯鈍いままで終わってしまう。
もちろん、同じ金、同じ女、同じ幸福は二度と帰ってこない。これは正しい。しかし、違う角度から、異なる種類の金、女、幸福であれば、新たに手に入れる機会は絶対に訪れる。伸るか反るかは、無作為に振りまかれる機会が訪れている事に気付いて、腕を伸ばして掴み取れるかの違いだ。
しかし、こう言う生活の知恵を持たない者が多数派となる社会では、こんな話は夢物語として、ソクラテスの如く説明を尽くしても相手にもされない。手に入れたものが全て。今、手の内にあるものが最初で最後。そう言う、信仰めいた妄信が芽生えてしまっても仕方がない。
だから、手に入れた幸福を守る為に、革命を通じて始まりつつある社会の変化を止めてしまうべきだ!! なんてアイデアが閃く。保守派と言われる人の半分くらいはそうやって生るものじゃないかな。
社会の流れが凍り付けば、永遠に幸福を手中に収めておける(※3)。そう言う前提を踏まえて検討すれば、そんな結論に達するのは極自然な成り行きだ。さらに、広く共感される余地も十二分にある。
こう言う考え方や恐怖感は、実は多くの人間が心の奥底で共有している。いや、出来ている。これは人間の持つ普遍性の一角でもある。伸るか反るかの違いは、この種の普遍性を発露してしまっているかどうかだけである。
否定不可能な自然的事実でありながら、この種の社会思想は、あまり肯定的に、積極的に、扱われないので、この方面からの社会の幸福増進政策・改革はほとんど提案・採用されない。
どの時代でも、あらゆる社会でも、現実政治とその体現者は、極普通の市民達からは嫌悪、少なくとも揶揄の対象となる。人気商売である政治家にとっては、仮に共感していたとしても、自分達の支持者の意向を無視して提案・採用するにはハードルが高過ぎる。
にも関わらず、不思議な事に、古今東西を隔てなく、こんな風に社会は流れるものである。この謎のメカニズムが上手に機能している健康的な国家では、あちらこちらに矛盾を孕みながらも社会が適切に回っている場合が多い。
不幸と同じく、幸福も共に等しく、激しく根強く連鎖する(※5)。
不幸と幸福は互いに激しくぶつかりあったり、突然に入れ替わったりするだけでは終わらないのだ。
今起こりつつある変革、改革、革命は、不幸者ではなく幸福者達によって支持され、行われ、詰められていた。有象無象の無責任な者達によってではなく、しっかりとした絶望と覚悟と戦略を持ち合わせる者達が担い手であったと言う点が、人民史的にとても珍しかった。
事もあろうに幸福者達が反抗した。偉大なる党にとってこれは致命的な失策であった。選りに選って、衣食住が満ち足りている幸福者が、インテリが陶酔しがちな単なるロマンや好奇心からではなく、況して心の隙間を埋めたい代替行為としてではなく、絶望を通過した事がもたらした本物の革命を志した。
普通の国家では、大抵の場合、民衆の政府からの離反=革命の先頭には軍隊が立つ。武力を手にしている者達が民衆の不満を背に権威者へ半旗を翻すのだ(例えば、タイ王国の場合、民主政治が完全に機能不全の状態に陥ると、軍が重い腰を上げると言う印象がある。度々クーデターが起こるのは多分そう言う事である)。
例えば、日本国では平将門(平安時代の豪族。平将門の乱としてよりも、日本三大怨霊の一つとして有名)などが良い例だ。重税に苦しむ民衆の暮らしを少しでも向上させ様と、中央=国家権威に立ち向かった。結果は失敗ではあったが志ならば評価出来る。
更に、フランス革命では、国軍が市民を支持して革命を成功させてしまった(正直、成功したのは国家の転覆だけな気がする。その後の迷走振りと恐怖政治を見ると「う〜ん」と唸らざる得ない。ロシア革命も然り)。
何より、誰かが自分達民衆の為に立ち上がってくれたと言う事実が、弱い者達の心を慰めてくれる。よって、日本国では歴史を広く眺めてみても民衆が絶望へ到る例は稀である。
しかし、大陸、人民共和国の領土周辺と歴史では、どれほど過去へ戻っても、平将門の様な、民衆のために国家権威に立ち上がってくれる軍人が見当たらない。民衆から一方的な略奪したというイベントが詰まった歴史ばかりである。更に、人民解放軍に関しては、あれは民衆の公的な軍ではなく、偉大なる党の私兵であるので、まったく当てに出来ない。
だから、人民共和国の領土周辺の民主は、国家の変革=革命を誰かに頼って行ってもらえるとは信じていない。もし、どうしても必要なら、自力でやるしかない!! と魂の奥に刻まれている。
ーーー頼れる者は自分だけ。
大人に成るまでの成長期に、助けてくれる、頼りになる、精神的な保護を受ける事が出来ないままに、しっかりとした大人になってしまった人間。そんな彼等は、徹底的に妙に他人事には無干渉で、妙に現実的で、不思議と共感しながらも情に流されず、驚く程に即断即決で、持続する意志がとても強い、みたなパーソナリティーの持ち主達と共通する性向を持ってると思われる。
ここに到って、偉大なる党は、幸福者達を絶望させてしまった。こうなってしまった以上は、幸福者達は偉大なる党にとって極めて厄介な、極めて有能な革命者としての自身を自覚するかもしかない。
それは、もし、生活の質の低下を少しでも防ぎたいと願うなら、社会的停滞の原因を取り除くしかないと察しているからだ。
幸福者達がそんな志を同時多発的に抱いてしまうと、革命の嵐は始まり、乱れた国はもっと乱れ、どうにも収まらないくらいに荒れてしまう。そして、仮に、偉大なる党が革命者の全員の抹殺に成功したとしても、闘争が終わる保証はもう既にない。革命者は、雨後の竹の子や春のつくしの様に、折っても折っても次から次へと新たに生えてくるからである(切りがない。永遠に新世代が発生し続ける言う事だ)。
ーーーもうどうにも止まらない。後戻りは出来ないところまで来てしまった。
現実主義者達の手による闘争を支えるモチベーションは幻想的ではなく、むしろ、冷徹な戦術、や理路整然とした戦略に裏付けされていたりもする。また、幻想的な人達にありがちな娯楽の一環では決してない。だから、退くべき所では退き、進むべき所では進むと言う分別を発揮出来る。○○は××である「〜べき」なんて理由で無茶はしない。
しかし、そんな、幸福者達が最初から最後まで主導し通す社会的変革は稀である(多くの場合、始めるのは不幸者達である。だから、大抵の革命は中途半端に終わる)。だが、その「稀」が大陸全土で大量に出現し、溢れて「稀」ではなくなってしまった。さらに、「稀ではなくなってしまったもの=時代潮流へと昇華したもの」へは、海峡の向こうから巨大な援助を受ける事も出来た。結果、津波のような持続力を持つ革命圧力が、大陸側で急速に醸成されて行った。続いて、人民的には受け入れたくない事情もなかったので、革命の波は大陸側全域の隅々まで伝播し、偉大なる党が言う「反革命潮流」が同時多発的に横行する様になって行った。
所謂「反革命潮流」は同時多発的でありながら、まったくオーガナイズされない形で、しかし各所で同じ様な動機と目標を持った者達が、個別に大量発生した。つまり、全ての革命家が不特定多数な個別主義者。ゲリラ的でもあった。だから、所謂「反革命」は広域な活動へと成長を遂げながら、全くネットワーク化されていなかった。そればかりでなく、しがらくも革命運動には「頭」に相当する弱点が存在しなかった。当然、個々の集まりの行きを出ない=上位下位の概念すらなかった。
だから、偉大なる党が、どれを、どこを、誰を「反革命主義者」と指名して物理的に擦り潰しても、運動そのものに陰りは生じない。繁華街の裏道を行き交うのゴキブリと同じで、何十匹叩き殺しまくっても絶対に根絶出来ない。
こんな事になってしまった理由は、人間性を完全に排斥した統治を長く恩賜し過ぎたせいである。
失敗の根底にあったのは、ソ連と同様に、人間性を無視し過ぎた統治システムの弊害であると言っても良い。
行き着く先は、そう言う事であろう。多分。
※1= 福建省は、ヴェネチュア共和国市民であったマルコ・ポーロが滞在した事もある。同省の東部は海がちな地形だが、西部は逆に山がちな地形となっている。海の幸だけでなく山の幸の方も有名。
※2= 旧陸軍中将の根本博氏が終戦後に一個人の立場で参戦した事が、一部のマニアの間は広く知られている。
※3= ただし、その後にどこかで間違うと、「現状の維持」は「既得権益層の特権の維持」へと変化する。これもまた取り扱い注意の劇物の一つである。社会の衰退は、権益層の入れ替わりと権益の変化が滞った時から始まる。んじゃね? 何にせよ、キーワードは流動性。金と幸運が、以前そうであったのと同じ様に、この先もずっと流れ物であり続ける様に・・・と願うばかりである。
※4= 生命の維持に直結しない、どちらかと言うと嗜好に由来する、どうでも良い悩みとか憂鬱へと昇華する。
※5= だから、金は金を呼ぶ。幸福が幸福を呼ぶ。金は金のあるところへと集まる。貯まるのではない。幸福者は幸福者とつるみやすい。だから、幸福である者は今以上に幸福になり易い。金持ちは今以上に金持ちになり易い。シチュエーション・コメディ「 ファミリータイズ(1982-1989年)」で、マイケル・J・フォックスが演じたアレックス・P・キートンが、ドラマの台詞として語っていたお金に関する話は、実に当を得ていた。




