墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜40
紅い皇帝と紅い貴族達からの厳命を受けた、
人民解放軍・全軍が、
"共産主義者にとっての不倶戴天の敵"を確実に葬る為に、
原子力空母を二隻建造出来るの予算を注ぎ込んで、
「奇襲」を、史上空前の規模で懸命に敢行した(そんな奇襲が果たして成立するか? 正直疑問だが、少なくとも当事者としては、徹頭徹尾「奇襲」を敢行したつもりだったのだ)。
それは、民主主義国家群への攻撃の真っ最中に、ラオスの後ろ盾(や前の盾として)、世界で最も正しい自分達h刃向かう、不埒な反革命主義者の群の中に、"共産主義者にとっての不倶戴天の敵"が混じっている事を、偉大なる党を支配する指導者達が気付いてしまったせいだった。
その瞬間、ラオスへの解放(主観の話)へ向けた作業の主導権は、人民解放軍の手中から滑り落ちた。同時に、それは紅い皇帝と紅い貴族達の手中へと転がり込んだ。
その時点で、偉大なる党の小幹部達は、「ラオスの戦場で消費可能な予算の上限を、原子力空母を一隻建造出来る金額から二隻建造出来る金額へと跳ね上がげろ」と言う主旨の指導を偉大なる党の大幹部から御拝領した。
人民解放軍は、一連の政治的な変化を通じて、より巨大な補正予算獲得の根拠を賜った。一方、ラオス・タイ連合軍の方では、予算も備蓄物資も完全に底を突いていた。更に次から次へと枯渇リストへと上っていく消耗品やら何やらを、直ちに補填出来ると言う見込みなんてありはしなかった。
攻め手と守り手は、極めて対象的な、全く異なる経済状況に置かれていた。
巨大な補正予算を獲得した人民解放軍・全軍の方は、直ちに状況改善の憂き目を見た。萎れ気味になっていたラオス・タイ連合軍は、それまで辛うじて保っていた"均衡"を奪われた。潤沢な予算の裏付けで、元気ハツラツに返り咲いた人民解放軍は戦況を一方的に動かし始めた。
その結果、防衛側であるラオス・タイ連合軍は、一気に劣勢へと追い込まれた。
そうならざる得なかったのだ。地獄の沙汰も金次第とは、まさにこの事である。
もっとも初歩的な争いである砲弾の撃ち合いだけ取っても、先に砲弾のストックが尽きるのは、常に防衛側であった。夜の中に補給された砲弾は、残念な事に午前中で使い切ってしまう。だから、午後の早い時間からは、圧倒的な数の砲撃を受けるしかなくなる。当然、自陣へ沢山のクレーターを一方的に掘られるのはラオス・タイ連合軍の陣地の側であったからだ。
防衛側では最前線へと補給される砲弾の数がまったく足りていない。午前の段階で砲弾を撃ち尽くしてしまうんはそのせいだ。撃ち尽くした後は、塹壕の中で首を必死に竦めて、後方へと帰って行った兵站部隊が明日の分の砲弾を出来るだけ多く届けてくれるのを願うくらいしか出来る事はなかった。
これでは、防衛側の指揮官達は部下達の戦闘意欲を保てる筈がない。いや、そうでありながら保つ為に、並々ならぬ苦労を強いられたに違いない。
当初、偉大なる党の幹部達は、ラオスでの特別な軍事行動を「紛争」と言う単なる小競り合いで"戦闘単位"で済ませるつもりだった。
しかし、紅い皇帝と紅い貴族達の都合で、ラオスでの特別な軍事行動の"戦闘単位"を一段上の「戦争」へとエスカレートさせた。実際、最終的には、事実上の局地戦でありながら、そこに投入される兵員や兵器の規模だけは、完全に「総力戦」規模の様相を呈していた。
戦略的に重要とも思えない戦線であるに関わらず、予算と人員が湯水のように注ぎ込まれて行く。
実際、人民解放軍の空軍、ロケット軍、陸軍は、戦闘資源の出し惜しみを止めた。経済的な縛りから解き放たれた。
まずは、大小の砲弾、攻撃ドローン、短距離ミサイル、弾道弾の撃ち込み数で、ラオス・タイ連合軍は圧倒され、押し切られ、苦労して奪還した拠点を次から次へと失って行った。
その後は、中距離弾道弾の様な大型戦術兵器の大盤振る舞いを始め、最後には合衆国の情報部も掴んでいなかった超大型秘密兵器までを惜しげもなく初披露して見せた。
ーーー戦闘規模が、当初の想定を明らかに越えてしまった。
こうなってしまうと、マレー半島の最後の経済的独立国家とされたタイ王国が、総力を絞り尽くしても戦線を支え切れる筈がなかった(※1)。インドシナ半島の唯一の中進国であるベトナム社会主義共和国が如何に援助しようとも、どうにかなるレベルの問題でない事は、誰の目にも、当事者の目からであっても明らかだった。
非常識な規模の「総力戦」の最終局面を飾った戦闘のヒロイン役は、既にタイ王国空軍ではなかった(航空戦力は事実上の壊滅状態にまで追い込まれていた)。だから、「連合スペースガード」の流星迎撃隊や民間軍事会社を隠れ蓑として義勇軍的な援助活動していた、日本国・航空自衛軍の飛行隊が、空席となったプリマ・ドンナ役を買って出るしかなかった。
日本国・航空自衛軍の飛行隊を滅ぼした最後の戦いは、人民解放軍にとって、国史上初の、同時に国史上最後の、そして人類にとって強く記憶に残る「宙戦を兼ねた空戦」の連続となった。
これら軍事的に壮大な大冒険は、やってみて初めて分かる事も多かった。だから、技術史的には高く評価されたイベントとして未来の戦略家、戦術家、戦史家、マニアには記憶される事となる。
しかし、それらが人類社会全体にもたらした社会的な悲惨の度合いについては、個人レベルの感情面で語れば、敢えて分かりたくもなかった真相暴露の連続だった。
そこで使用された兵器群が、後の人類社会全体へ与えた技術的に影響は多かった。だが、個人レベルの感情面で語れば、その大きな効果と高い効用の成果の大きさに反比例して、心に刻まれた印象は極めて後味の悪い戦争として記憶された。
大規模な奇襲。と言うか奇策の連続は戦闘の主導権を取る過程では間違いなく有効に機能した。だが、紅い皇帝と紅い貴族達が狙った真の目標である「朝間ナヲミ」、いわゆる"共産主義者にとっての不倶戴天の敵"は、そこまで徹底的に攻撃を加えたに関わらず、生き残ってしまった。
奇しくも本物の当事者達の中で、ただ一人だけ戦後を迎えられたのだ。
ただし、戦略級兵器による飽和攻撃を逃れて生き延びた代償は、極限までにまで高く付いた。奇跡を呼び寄せる代償として奪われてしまったものは、彼女が今まで大切に育てて来た五柱の息子達であり、その全柱が育ての親であった彼女の目前で核の炎で焼かれた。そして、焼塵へと変換されてしまったのだから。
しかし、紅い皇帝と紅い貴族達が、朝間ナヲミが育てた五柱の人工知性に奪われたものの方も、朝間ナヲミが失ったものと同等に大きく重い被害となった。
ーーー策士達は、知らずの中に、策に溺れていたのだ。
本来であれば、紅い皇帝と紅い貴族vs朝間ナヲミのサシの勝負であった筈が、朝間ナヲミが育てた五柱の人工知性によって知らぬ間に最も重要な部分だけを、変わり身の術的に根刮ぎ掻っ攫われていたのだから。
ーーー紅い皇帝と紅い貴族達が必死に伸ばした長い手は、朝間ナヲミの首を締め上げていたつもりで、結局、最後まで朝間ナヲミの元へは到達してはいかなかった。
紅い皇帝と紅い貴族は、五柱の人工知性に完全に足下を掬われていたのだ。獲物であった朝間ナヲミを気付かぬ中に除かれ、隠された。続けて、消失した獲物の代わりの疑似餌として入れ替わっていた五柱の人工知性の方に、誤って全力で食らい付いてしまったのだ。
その結果、紅い皇帝と紅い貴族は、五柱の人工知性を打倒した事を、朝間ナヲミを打倒出来たと誤認した。そして、誤認を正す閑もなく、幸せの絶頂のまま健やかに生命活動を終了した。平たく言えば、前代未聞の大満足に浸った余り、この世への執着を完全に喪失してしまったのだ。
一人の母親は、知らずの中に、五柱の息子達の犠牲によって生き長らえさせられていた。だが、息子達による渾身の「親孝行」の詳細は、日本国の政治的判断によって、その後はずっとずっと戦史禄上では秘匿され続けた。
もし、人民が五柱が行った盛大な親孝行振りを知れば、五柱の人工知性を高く評価せずにはいられなかっただろう。あの文化圏では、人物評価において親孝行はとても大切な要素である。確か、三国志の物語で劉備玄徳の最初の出世の切っ掛けとなった要素も、劉備の母親に対する親孝行振りが世間で評判となった事ではなかったかと思う。
もしかしたら、紅い皇帝と紅い貴族達もその狡猾な親孝行振りを知れば、五柱の人工知性の狡猾さに感嘆を示したかも知れない。しかし、幸か不幸か、彼等は人工知性が見せた高度な親孝行を評価する機会に恵まれずにあの世へと旅立っていた。
結局、紅い皇帝と紅い貴族達の生命は、全員で共有していた大願が「成就した」と誤認識し、極めて主観的な幸福の絶頂の中で果てた。
共産主義者にはイデオロギー的に、天国や地獄の存在も許されていないので、果てた生命はただ単に消滅した違いない。少なくとも、今後は、「恨めしい」とかほざきながら、資本主義社会へと化けて出て来る事はないだろう。
だが、実際の所は、紅い皇帝と紅い貴族達の大願は成就してはいなかった。これでは、万が一にでも生き返りでもしたら、悔いても悔い切れないだろう。或いは、顔を真っ赤にして雪辱の機会を求めて叫ぶかも知れない。この世界には人の手による「復活の呪文」が実装されていなくて、本当に良かった。
兎も角、面子の問題もあり、こればかりは"知らぬが仏"である。いや、"仏"は彼等が阿片と定義する迷信の偶像であるので、侮辱を意図していないのならば"知らぬがマルクス"か"エンゲルス"としておくべきだろうか。
だが、客観的には壮大に夢に破れた彼等は、皮肉なことに、自身が想定もしていなかった方面で求めていた成果の半分を得ていた。
彼等は、一郎、二郎、三郎、四郎、五郎を同時に、それも目前で朝間ナヲミから奪って見せた。
その邪悪な行為は、朝間ナヲミの心を手折った。見事なまでに真っ二つに折った。これ以上にない程に、魂の核を砕くことに成功していた。
紅い皇帝と紅い貴族達は、それまでの朝間ナヲミの人生で、生き方を運命付けていた「未知なる将来を強引に手元へとたぐり寄せてみせる」と言う気概を完全に奪い去ってしまった。
それまで何よりも重要だと考えていた色々な沢山が、一瞬で色褪せて見える様になってしまった。
朝間ナヲミが今まで培って来た価値観を、紅い皇帝と紅い貴族達が完全にたたき割る事に成功したと言い直しても良いかも知れない。
乗りに乗っていた一人の大天才が、どこかの阿呆に冷や水を浴びせられて、そのショックでふと我に返ってしまった。
貴重な才能を持つ人間が、今後も今まで通りに成果を出し続ける事に疑問を抱いてしまった。または、自身にとっては全く意味がなかったと言う真実に気付いてしまった、
その結果、過去の使命感に満ちあふれた朝間ナヲミは、もう世界の何処にもいなくなってしまった。
それ以後、とても先鋭的な価値観を体現して止まなかった朝間ナヲミは、どこにでもいる極々普通の人へと変わり果ててしまっていた。
もちろん、外からの観測では朝間ナヲミに生じた変化は一切発見出来ない。しかし、内から眺めると言う思い遣りさえ持ち合わせていれば、彼女の為人を深く知る者であれば、一目で見抜ける程に激しい印象の変化が生じていた。
事実上の別人の様な印象。
ーーー憑き物が落ちたかの様な変化。
朝間ナヲミは、その両肩に僅かに残存していた、若い日に体験した神懸かりの残滓を、紅い皇帝と紅い貴族達からの攻撃を通じて完全に祓い落とされてしまった。
それまでのぶっ飛んだ人生を恥じ入る様になり、これからは地に足を着けた人生を歩もうと決心しさえした。
その意味で、紅い皇帝と紅い貴族達は、自らが強く執着した朝間ナヲミの輝いている部分を殺す事には成功していた。
だが、それは今の朝間ナヲミにとっては願ったりだった。
主観的には、今の朝間ナヲミは過去よりも幸せになっていた。
客観的には、今の朝間ナヲミは過去の幸せを失っていた。
だが、過去の幸せに捕らわれる事なく、自分にとっての今の幸せの追求を優先する事は決して悪いことではない。誰にもその権利がある。いや、義務だってあるのだ。
人より優れた能力を運命的に与えられていたとしても、気が向かないのならばその幸運を磨く為に切磋琢磨したり、幸運を人類と共有するべく努力を続けなければいけないと言う義務は負っていない。
素晴らしい事に、朝間ナヲミが属する世界は資本主義社会であった。能力の大小に応じて厳しい労働の定義が変わる共産主義や社会主義を掲げる理想の社会ではなかった。
仮に、そんなちょっとした我が儘によって、人類社会がより良い未来の獲得がちょっとばかり遅れた所で、自分の幸せを犠牲にしない人物の振る舞いを責めてはならない。
それは、真の資本主義者にはあるまじき、自由を博愛しない不平等な行為だ。
だいたい、自分の幸せを犠牲にしない人物の振る舞いを責める権利がある者は、過去に自分の幸せを公共のために犠牲にした経験を持つ人物だけである。
そんなヤツとは、イエスの目前で、マグダラのマリアを相手に石打の刑をスポーツ感覚で楽しむ権利を持つ人物像とは、清く正しすぎる聖人ほどに非現実的な人格の持ち主だろう。社会的な絶対的に超稀少な少数派だ。所謂、憐憫の情を持ち合わせない、共存と共栄が不能な種類の生き物である。
だが、人間社会で、過去に、それを責て来た人物達の九割九分九厘は、公共のために何の犠牲を払う事もなく、むしろ誰か他人の払った犠牲の恩恵に無償で授かって来た者である。
犠牲を強いる者の多くは、犠牲の何たるかを知らない者ばかりである。もし、知っていれば強いるなんて非道をそんなに恍惚とした表情で強要出来る筈がないのだから。
ーーー他人に厳しく自分に優しい。
助け合いを口にして頻繁に援助を求め続ける者が、将来的に助ける方、つまり援助をする方に回ったと言う例は甚だ少ない筈だ。美談として取り上げられるほどに希有な筈だ。
ーーーつまり、フリー・ライダー。
だいたい、一方的に助けられているだけでは、絶対に彼等が口にする"助け合い"の定義には当てはまらない様な気がしないでもない(※2)。
ところで、朝間ナヲミの五柱の息子達が消滅して行く過程を覗き見していた者達は二組いた。
一組目は絶頂の真っ最中に、白濁した意識の中で果てた。今では、三途の川の向こう側の住人である。
二組目は前者ほどに、素朴で純朴で単純な、そして言い逃れと言う態度を採るに当たって木訥なヤツラではなかった。
そして、朝間ナヲミとは違って、折ろうにも折れる"幹"を持ち合わせない、その上で"気概"を持ち合わせる軟体動物の様なヤツラだった。
それは太平洋・インド洋周辺に存在する国家群に対して、「現状の維持」=「力による現状変更の阻止」を強く求める合衆国と違って、お土産持参でアポ有り訪問し、懇切丁寧に説明した上で、「嫌い同士でも表面上は仲良く振る舞った方が得する事が多いですよ」と説いて、民主主義勢力への支持をお願いして回ってる日本国だった。
特に、後者である日本国は、国際システムのパワー・バランスの変化に応じた「現状の維持」を平和裏に構築すると言う外交方針を一貫していた。
別に、日本国は、特別に道徳的なコミュニケーションだけを偏愛している言う訳ではない。ただ、合衆国と違って、「力による現状変更の阻止」を防ぐ為に、それ以上に巨大な軍事力で脅しを掛けても「政経両面でメリットは無い」と考えていただけである。
だが、それは「政経両面でメリットがある」なら、合衆国と同様に「力による現状変更の阻止」を防ぐ事も選択から完全には除外しないと言う事にでもある。
何事にも時と場合はあり、イデオロギーに縛られて時流を無視して道徳や正義を貫かなければいけないと信じるほどに向こう見ずではなかった。いや、そんな夢を見られるほどにお花畑な環境で「戦後」を始められなかったトラウマを抱えていただけなのである。
もちろん、何事も話し合いや協議で問題が解決する筈がない。日本国はそれを本当に良く知っている。
例えば、沖縄県の地方自治体と、それを下支えする有権者達などを含めた、日本国周辺の隣国に対して過度な信頼と共感を示し、日本国政府(正確には支払った努力の対価として、自分達と違ってそれなりに満ち足りた生活を送っている一般的な日本国民)への決して薄れる事の無い憤怒を一方的に蓄え続ける「こんな人達」が、日本国の行動選択の幅を狭めるために努力を精力的に継続している。
人類には二種類いる。言葉によるコミュニケーションが取れるグループとそうではないグループが共存している。
後者のグループである、隣国を「本国」と呼ぶことを好み、そちらからの指示に従う事に悦びを感じる「こんな人達」。2038年に岐阜航空基地周辺で、彼等が引き起こした内乱行動以後、更に沖縄県で目的が達成された日本国・首相暗殺テロ作戦以降は、「こんな人達」の側の行動選択の幅の方が相当に狭められていた。
「こんな人達」が一般的な日本国の国民の眼前で見苦しく暴れ続けてくれた御陰で、世論と言うものはアップデートの繰り返しを強いられた。結果として、一般的な日本国の国民は、自分達の私生活を脅かす「外患」と言う脅威の存在を認めるに到った。結果、日本国政府としても、一時的であればだが、相当に無理を出来る政治的指導力を整え、蓄えるに到った。
しかし、だから言って、日本国の指導者達は、一般的な日本国の国民に甘えて、好き好んで「大日本帝国モード」と言うハード・モードで国際政治ゲームを戦おうと、ハデに羽目を外してしまう程に愚かでもなかった。
軍事行動を採るにしても、出来だけ矢面に立たないようにする。群の先頭に立つ、旗振り役となる事を出来るだけ避ける。そして、自国が払う犠牲と効果の比率に対する査定は徹底しながらも、表面上の最大の受益者となる事を避けると言う基本方針を貫くと決めていた。ただし、それが許される限界点までは、であるが。
朝間ナヲミの五柱の息子達が、核の炎に包まれて消滅させられるまでの様子。
流星として迎撃した人民解放軍・ロケット軍の核弾頭搭載の中距離弾道弾、その後のAVIC・J-20「威龍」の大群との航空戦、最後の一発を撃ち漏らした核弾頭搭載の極超音速滑空体。
それらの巨大な脅威の前に、たった一つの飛行隊だけで立ちはだかり、文字通り生命と身体を犠牲にした日本国・航空自衛軍が奮闘する勇姿は、編集が加えられた後で、事実よりも10分遅れで全世界に対して公開された。
たった五機の戦闘機で、圧倒的に強大な"敵"に立ち向かい、"敵"を繰り返し撃退し、最後の最後で力及ばず"敵"に蹴散らされてしまった。
その高潔な勇気と悲惨な結末を目の当たりにして、世界の少なくない、居住する自治体での投票権を有する者達は、驚きを表す事も隠す事もできなかった。
ただ、単に、信じ難い光景に圧倒される余り、リアクションを取る事も忘れて、ただ呆然とし続けてしまった。
ーーー人民解放軍・ロケット軍が打ち上げた核弾頭搭載の中距離弾道弾の迎撃作戦の経過で一喜一憂する。
ーーーAVIC・J-20「威龍」の大群との航空戦を凝視して、手に汗握るエキサイトに引き込まれる。
ーーー無差別で襲い掛かる地対空ミサイルからの回避飛行を、固唾を呑んで見守る。
ーーー核弾頭搭載の極超音速滑空体を四発まで迎撃に成功し、最後の一発で力尽き、炎に包まれて敗北に喫する。
名も無き飛行隊が見せてくれた、誰もが憧れる英雄的な戦い振り。
ーーー失われた五機の戦闘機が、実は全機が人工知性搭載の無人機であったと言う事実は伏せられていた。
勇気の爆発と自己犠牲の末に、巨悪に完全に敗北に対する悔しさ。
その物語的なストーリーを、ソシャゲ空間での激しい戦いに敗北した直後であるかの様に、まるで自分の無念であるかの様に耐え難い不合理として追体験する。
そんな「イニシエーション」を通過した者達は、ほぼ例外なく、自分達が見守っていたに関わらず核の炎に呑み込まれて消えた英雄の心持ちを、勝手に想像し始めた。そして、たった五機のか弱い戦闘機が立ち向かった相手である圧倒的な"パワー"を、自分達にとっても許し難い"敵"であると悟り終えた。
敗北した英雄を完全無欠の正義の側であると確信して応援する。一方で勝利した"パワー"を、例え何を犠牲にしても、仮に追加で今まで以上の大量課金を要求されたとしても、必ず勝負に挑んで滅ぼさなければならない、絶対的な不義の側であると確信して呪い怨む様になっていた。
端的には、不義を懲らしめて正義を世界に取り戻したいと言う願いを持った。
そして、不思議な事に、不義の象徴である"敵"の正体が人民共和国と人民解放軍である事は、著名な軍事ブロガーによる速報的な解説を待つまでもなく、どう言う訳か"明白である"と感じられていた。
そう言った、大衆の心の変化は、メタモルフォーゼはとてもすんなりと実現した。
さらに、その直後、まるでタイミングを見計らったかの様に、地球接近天体の排除を目的に設立された世界的な互助機関「連合スペースガードから、フロリダ州にある本部に緊急で集められた参加国の大使達(或いは不在の為に代理の領事達)の前にして、全世界のネットワークへ接続可能な人類に向けた大きな発表が行われた。
それは、ラオス北部で行われている「ラオス紛争」について。
紛争を引き起こしている侵略軍が、人民共和国の人民解放軍であるとこの時点でやっと、初めて、「連合スペースガードよって公式に認められた。
そして、「ラオス紛争」が始まる直前に、アポカリプス(299942 Apocalypse)と小惑星番号が割り振られた地球接近天体が発見された事、
150分後に人民共和国の"昆明"へ落下するとの予測が発表された事、
落下軌道コース領空を担当する「連合スペースガード」参加国の迎撃チームが昆明防衛の為に緊急出動作業を実行した事、
迎撃宙域へ到達した迎撃隊が人民解放軍から電波妨害を受けて迎撃作戦を注視せざる得なかった事、
その後に人民解放軍が独自に迎撃作戦を実行した事、
迎撃作戦に失敗した事、
その末に自国への被害を避けるために流星を手前に位置していたラオスへと意図的に落下させた事、
などが詳しい資料付きで、立て続けに発表され続けた。
「連合スペースガード」による発表は、以下の二点を示唆していた。
ーーー人民共和国の迎撃隊は、流星迎撃に手慣れた「連合スペースガード」からの援助を断った上で、流星迎撃に失敗した。
ーーー人民共和国は、流星迎撃に失敗しただけでなく、流星被害を隣国へと押し付けた。
それらの事の核心については、直接的な言及を敢えて避けていた。何故なら、この手の事象に対する印象は語って聞かされるよりも、自力で発見した方がより強く精神へと刻まれるからだ。
そして、そこで先鋭的なネット動画閲覧者達が、タイ国の、少し旬が過ぎた有名動画配信者が配信した謎動画の内容を思い出した。
大河であるメコンの、ラオス領岸側で撮られたと言う実況動画。
円筒形の何かが折れた様に見える奇妙な物体。
金属質の素材が強く光を反射しているので、涼んで濁った色ばかりで覆われてる本物の自然色の背景からは浮き立っていた。
4K画質の御陰で刻まれた模様は克明に判別出来た。
その中で一際眼を引いたのは、黄色と黒色のシンボル・マーク。
中心にある黒の円を、三つの黒色の葉が取り囲んいる国際放射能標識指標。
放射性を示す三葉と「小心」や「核弹头」の表意文字。
そこまで条件が整えられれば、誰だって、不自然なまでに散りばめられていた、わざとらしげなヒント同士が勝手に繋がり合い始める。
ラオスで発見された円筒形の何かの正体は、人民解放軍が流星迎撃の最中に打ち上げた「破坏缸」の不発弾。
それも、核弾頭搭載!!
撮影用ドローンが動画の配信を停止したのは、被写体の放った電磁放射線に焼き尽くされた結果だ。
つまり、核物質を遮蔽するべき遮壁は破損し、核物質は大気への曝露状態にある。
ーーー我的天啊。
台湾海峡に面する沿岸に住む人民共和国の人民多くのは、同時多発的に、思わず、絶対に漏らしてはいけないとても危険な何かを口から漏らしてしまった。そして、公共スペースや自室内に点在している社会信用システムやその評価端末が組み込まれた家電器具類に、社会秩序を乱す間違った言動が証拠として記録されなかった事を祈り、自らの政治的な甘さを怖れて口を精一杯に噤んだ。
彼等は素早く口を噤んだ。一方で、意識下では「何故」と「回答」が繰り返し行き交い続ける。そして、突然のラオスへの侵攻の初期の達成目標が、隣国に落下してしまった「破坏缸」の不発弾の回収であったと言う推論に達した。
これが大きな国際問題である事は明白だ。民主主義国家同士であれば加害国は「ごめんなさい」と「被害を補填させて下さい」と申し出て、被害国から「今度は気をもっと付けて下さいね」を言われるだけで解決する。
だが。
口を噤んだ彼等には、自国ではそうはならない不合理を、肌を通じて伝わる冷気の様にダイレクトに感じていた。
ーーー自国の核弾頭搭載ミサイルが不発で、更に(人口密度が低いとは言え)人間が住んでいる地域のど真ん中に落下して発見されたなんて認められない。面子の問題で。
ーーーそれで酷い因縁の付けて、ラオスへ大した準備もなしで侵攻したと言う訳か・・・。
おそらく、第一に、陸上戦の前線に用いられた主戦力は初期は少数民族。
第二に、「農管」や「文管」に追われて都市部へと流れ出るしかなかった元農民。都市部では新たに「城管」に追われる元農工民。
第三に、それでも戦力が不足したので、寝そべり族と漂流族。
それらを多様な手段で集めたのだろう。
集められた全員は等しく摂取カロリーだけは十分であった。だから、飢餓を日常としていた者達とは違って、変なスイッチさえ入ってしまえばとても活動的な不満分子の集まりとなる事は最初から分かってた。想像の通り、ヒャッハー!! な侵略軍が即席で誕生した。
最後の、寝そべり族と漂流族までもヒャッハー!! な侵略軍へ加えた件は、少数民族や非都市戸籍保持人民達(農民)が抱きがちな不平と不満への対策と言う一面もあっただろう。都市戸籍保持人民であっても、"圧迫面接付きヴォランティア"の募集対象であると言う平等性アピールでもあった筈だ。
少し賢い人民は、この事実用の強制徴兵が、同時に、平原、沿岸部、東北部での過剰な男あまりの国情を少しは軽減させるだろうと推測した。
何故ここまで、偉大なる党や賢い人民は、男性全般が普遍的に抱きがちな不満に対して敏感に反応するのだろうか?
それは、飢えていない不満分子ほどに、社会維持する上での厄介な脅威は存在しないと知ってるからだ。
飢餓を日常とする不満分子であれば、消費カロリー節約の為に余計な運動は避ける。そして、鬱状態にある場合が多いので、あまり活動的にならない。革命や反革命に熱中したりしない。
だが、困った事に、人民共和国の不満分子は、食事のメニューにさえ文句を言わなければ食物には困らなかった。特に炭水化物に限れば、過剰摂取も可能なレベルで。オマケに、大半が長期失業中だった。有り余るヒマと若さまで併せ持っていた。
十分に摂取済みのカロリー。これから永遠に続くと思われるヒマ。圧倒的な娯楽の不足。この三つを、既に不平や不満に苛ついている人々を掛け合わせて反応させてしまうと、本当にとんでもないことになってしまう。
整備十分なトラックが大量にあり、その燃料タンクは満タン。しかし、運ぶべき荷物はない。
いや、整備十分な戦車が大量にあり、その燃料タンクは満タン。砲弾も湯水のように潤沢。ただし、指揮官は皆無。
こうなっては、力が有り余る者達が、行き場のない生殖本能を持て余すことは避けられない。だったら、その興味を国外へ向けさせるしかない。もし、解消不能な本能がもたらす不満が、万が一にでも国内の政治へと向いたならば、それはそれで面倒な事に発展してしまう。
ガス抜きと言えば理解が早いかも知れない。
そして、新しい希望にも満ちていていた彼等は、一種の躁状態にあったと推測出来た。
その希望の正体は、きっと、新しい兵士達に戦闘終了後に、
ーーー現地にうじゃうじゃ生息する"年頃のラオスの娘達"の一人を嫁として故郷へ連れて帰る事が許されるーーー
と言う甚だ人権無視な報酬。
一縷の希望に釣られた上の行動だからである。
命懸けであっても、生き残れれば、老いた両親に初孫を抱かせてやれる。一部ではあるが、そんな素朴な夢を見る親孝者達も男達の侵略軍の群に混じっていたに違いない。
そんな馬鹿なと思うかも知れない。しかし、結婚時に女性が多大な持参金を要求される社会では、21世紀になってから深刻な女性不足(女性人口の減少率の急加速)が始まっている(体感では、そうなっていないのは日本国くらいではないだろうか?)。
こんな無茶でもしなければ、圧倒的に均衡の崩れた男女人口比率をミクロ的に是正できない(マクロ的には是正不可能である)。実行する方であれば、これも必要悪だと訴えるだろう。しかし、無理矢理に連れ去られる方としては単なる誘拐、犯罪である為に許容出来ない。
しかし、被害者がその不幸を許容するしないはあまり検討されない。何故なら、法治主義、立憲主義、民主主義を体現する社会でない限りは、拳で撲る力が強い方の要求だけが満たされ、相対的に弱い者の訴えは常に軽視されるからだ。
不条理に対しては常に屈する。そして、非積極的に許容する以外の選択はない。その価値観が共有されている社会(地域)は、この地球上では珍しくない。いや、それが不幸であると知っている社会(地域)の方が遙かに希有だ。
そして・・・、公共メディアでは戦闘が始まってから戦闘被害報告が一度たりとも発表されない。これは、彼の地で大量の妻帯候補者の骸で死体の山を築き上げている真っ最中である事を意味する。それもまた、余りに余っている数多の男減らしとしては有効な政策かも知れない。
人民共和国のイデオロギーでは、余ってる男同士の男色も許されない。偉大なる党価値観は、"野獣的陰无"を反革命的として目の敵にしている。行き場のないリビドーの一方的な弾圧は、社会不安の"種"として、"今そこにある危機"化して久しい。だから、適度な男減らしは、防犯対策としては、非道徳でありながらも、根本的な解決をもたらす画期的な政治決断と言う側面も持ち合わせていたのだ。
ーーーたった一つの政策を以てして、複数の問題解決を同時に達成する。
一粒で二度三度美味しい。政治としてはとても正しい選択だ。エコでSDGsな社会の実現にも通じる。しかし、防犯対策の為に減らされる側の心持ちを想像してみれば、割愛される者が愛国心に満ちていたとしても目前で生じる新しい時流に対して不満を持ち不平を漏らさずにはいられない事は想像に容易い。
ーーーどうしてこうなった? 誰がこうした?
とめどなく、現状への疑問があふれ出してくる。今まで閉じ込めていた不平が水深1千,000mの水圧の様に、心の潜水用の耐圧殻をきつく締め上げ、多数の皺を折り、無数の罅を入れ続ける。
口は噤んだ彼等は、自らが辿り着いた推測が、極めて自国のやり口らしくある事を確信した。
ーーーきっと政治的には正しい。
少なくとも、不幸に落ちる人民より不幸を免れる人民の数の方が相対的に大きい筈だ。だが、そうであっても、納得や共感は出来ない。
そして、自分もまた、そんな納得や共感の出来ないヤツラの一員である事に気付いてしまった。
開明的であると自認する自分もまた、軽蔑するべきヤツラの一味と見做される。今回の事件の顛末を知った全世界は、文化的である事を熱望する自分自身をも、深く軽蔑しているヤツラの一員であると認定する。眉を顰めながら後ろ指で指される存在である事を否定する術はない。
ーーーオレはヤツラの一員ではない!!
ーーーワタシはヤツラの一員ではない!!
自分だけはヤツラとは違うと、どれほど深く否定したとしても、国際社会では、民主義国家群の国民からは同じ穴の狢として扱われてしまうだろう。
そう自覚して、深く絶望してしまった。
ーーーワレワレは、あんなヤツラの一員と思われたくない!!
そんな心の声が、台湾海峡に面する人民共和国の沿岸部に限らず、極東アジアから中央アジアに渡るアチコチでチラホラと爆縮し始めた。
ついさっき、支配者である紅い皇帝と紅い貴族を失ったばかりの、偉大なる党のお取り次ぎ階級、顔ぶれが日替わりで変わる人民解放軍・各軍の上級将軍、宦官かと間違えてしまうほどに顔が青白い官僚の親玉は、たった今、長期間に渡って維持されて来た全体主義国家体制の"綻び"が、自分達の足下で生じ始めたいる事にはまったく気付いていなかった。
目前で起こった支配者達の全滅と言う、人生最大級にショッキングな出来事への心理面の対処に没頭していた。
それが故に、それ以外の事象へ差し向けるリソースを割けなかった。だから、仕方がない。
※1= シンガポールは半島の先にある島である。あくまでコーズウェイで人為的に半島のジョホールバルへと繋げただけである。
※2= 助ける。助け合う。一方通行と双方向は異なる概念である。似ても似つかない行為でもある。当然、同異義語でもない。




