墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜39
朝間ナヲミの主観に寄れば、一郎、二郎、三郎、四郎、五郎。
いや、彼女以外の常識的な人類の認識によれば、一機の三菱・F-3Eと四機の三菱・QF-3Eだろうが。
兎も角、彼等、或いはそれらが核の炎に埋もれた瞬間。
その様子を、原子力空母を二隻も追加で建造出来るだけの恐るべき規模の大予算を注ぎ込んだ"罠"が閉じて行く過程を、つまりは人民共和国の支配層の極上澄み達にとっては、"全世界の共産主義者にとっての不倶戴天の敵"へ叩き付けた正義の拳骨の効果を、覗き見している者達がいた。
少なくとも、少なくとも二組。それとも遙か遠く離れた場所から。
二組の一方は、精神的には手に汗握って、戦闘機同士による圧倒的な戦闘、地対空ミサイルによる飽和的な攻撃、核弾頭搭載極超音速滑空体による天地を貫く奇襲への流れを、一喜一憂していた。平たく言えば、ヤキモキしながらもやはり楽しんでいた。
そう。本当に、
ーーー彼等は、ーーー
これから起こるべき事を期待し、ちょっと先の未来を想像する事を心の底から楽しんでいた。
ワクワクした心持ちで、長年の祈願が成就する瞬間を今か今かと待ち兼ねていた。
彼等にとっては、この天罰に相当する攻撃の進展は、思いがけず生涯最高の悦楽へと直結していた。
自分達が、これほどに前向きな気持ちで興奮出来る事に驚く隙も与えない程に、秒単位でアップデートされる状況、閉じて行く"罠"の口の動きを見守れるとは予想してもいなかった。
ーーー何事も上手く行っている。計画通りに進んでいる!!
権力の頂に登り詰めた彼等は、近年では何事も願えば叶うのが当たり前で、成就と言う幸運に感謝する心を完全に忘れていた。また、物事が上手く展開する事に面白みを感じられなくなっていた。
何事に対しても灰色の心しか抱けない。つまり、全てに退屈し切っていた。それだけに、面白いと感じたいと切実に願いながらも、その手段を模索しながらも、その手段については全く検討が付かなかった。
権力の頂に登り詰めた以後の彼等は、揃って、面白く感じられなくなっていた。それまで面白いと感じていた事であってもつまらないと感じていた。そして、何かを楽しんでいる他人を見掛けると、其処は彼とない理由で腹を立てた。
彼等にとっては、億単位の人民を意のままに指導出来る権利の保持者である事と、極当然としか言い様のない"事実"を反芻しながら暇を潰するくらいしかない暇人である事は、まったく同異義語へとなりつつあった。日に日に、いや、刻一刻と同異義語へ昇華しつつあった。
するべきことがない。やるべきことがない。やりたいこともない。それでも、愉しませて欲しい。誰か他人に暇つぶしのネタを定期的に提供して欲しい。
極普通の老人であったならば、優しく気の利く孫が一人くらいて、そんなネタを提供すべく努力してくれたかも知れない。そして、その様を眺めて、心から感謝して、仮にネタが不十分であっても何かと慰められたかも知れない。
しかし、人民の全てを支配する、億単位の人民を意のままに指導出来る権利の保持者となった彼等には、あまりに恐れ多く、そんな緩い干渉を試みる血縁者はいなかった。もし、余計な何かをしてしまって咎められる=御不興を買ってしまえば失敗した本人だけでなく家族もろとも物理的に消されてしまう。運が良くても、悪名高い労働改造所送りとなる事を怖れたのだ。
触らぬ神に祟りなし、的に。
実際、過去に、そう言う事が原因で逆鱗に触れてしまった優しい肉親が、その種の悲劇を賜った事実もあった。だから、極普通の老人とは全く違う立場にある彼等を人間的に扱うと試みる愚者は既に、徹底的に淘汰済みであった。皆が揃って賢くなってしまったのだ。
優しい愚者が完全に死に絶え、冷徹な賢人だけが見事に生き残った。その様な文化が何世代が繰り返された結果の「今」である。
そんな、他人の生死の沙汰の覗き見に興じる彼等が生わす場所は、人民共和国の比較的新しい領土の地下に広がる岩盤の下。合衆国製のバンカー・バスターであっても絶対に届かない程に深い、厚い岩盤を刳り抜いて作った、偉大なる党の特大幹部専用の防衛司令部だった。
そして、儒教の最も基本的な経典、経書の一角を成す礼記を諳んじる程に高い教育を受けた者達の正体は、人民共和国を支配する、偉大なる党の幹部を支配する、幹部を支配する重鎮達を更に支配する、通称「紅い皇帝」と「紅い貴族」達である。
その多くは第一世代の太子党のメンバー。主にプロレタリア的「文化超絶革命」の最中に、不運にも下放の憂き目に遭い、その後に奇跡の政治的復活を遂げた者達で構成されていた。
彼等は揃って、既に一世紀を超える人生を送っており、長きに渡る苛烈な階級闘争に勝利し、最終的に社会的構造の頂上に座っていた。
彼等は自分達の一世紀を、過去に自分達の面子を貶めた者達を徹底的に炙り出し、逆に、反革命分子、悪質分子、右派分子、裏切り者、スパイ、走資派、反動的学術権威として告発し、「牛鬼蛇神」を追い打ちするが如くの凌辱し尽くした後に正しく処理して来た。
彼等は、それらの作業が終わると、新たな反革命分子、悪質分子、右派分子、裏切り者、スパイ、走資派、反動的学術権威を探し始めた。もちろん、娯楽の継続の為だ。しかし、それも長く続かなかった。何故なら、大抵の体験にすっかり飽きてしまったからだ。
その後、長い退屈な時を過ごして来た。死にそうなくらいに退屈で仕方がなかった。そんな苦労の末に、共産主義者にとっての不倶戴天の敵との出会いに恵まれた。
それは、彼等にとって、一方的に好都合な出会いとなった(勝手に知り合われた方とっては、一方的に不都合極まりない出会いとなった)。
共産主義者にとっての不倶戴天の敵は、合衆国出身のサイボーグだった。合衆国憲法によれば非合法サイボーグとならなければ命を繋げなかった彼女は、仕方がなく故国を去り、日本国へと向かって、難民審査を通過して帰化を果たした。その直後に度重なるトラブルに巻き込まれて、生き残る為の足掻いた序でに、人民共和国が誇る人民解放軍・海軍の打撃艦隊を行動不能にまで追い込んで見せた。
そこまでなら、まだ許せたかも知れない。
しかし、その敵は、彼等が誇る超軍隊でも屈服させる事が叶わない合衆国・大統領の意思を挫くほどに天晴れな戦果を上げて見せた。そして、その後に合衆国と和解を達成し、共存戦略を採らせるに至った。
それが、彼等の爆発された最初の「憤怒」だった。
その後、そのサイボーグは、老化の傾向を見せずに、まるで永遠に現役に留まり続けるかの様な若々しさを、これ見よがしに、彼等に対して見せ付け続けた。
正確には、彼等が勝手に覗き見ていただけなで、意図的に、好んで見せ付けていたわけではない。だが、その程度に極小さな世間との認識のズレは、彼等にとっては、彼等の怒りの大きさの前では霞んでしまっていた。
彼等は、直ぐに完全にキレた。キレ上がった。
彼等は、人民が誇る科学の「粋」として、自分達の寿命の延長を度重ねていた。他人の血を吸い、他人の内蔵などの器官を奪い、人工組織へと置換し続けた。認知的に問題が生じれば、統合マネージング・システムと呼ばれる高度な量子コンピューターにサポートを受けさせた。
世界中から最先端且つ最末端の延命医療技術を表裏の両ルートから集め、そこら辺に生えている草の如く適当に集めた下民による実証実験を繰り返した。その上で"良好"と判明した治療法だけを追体験する事で100年を超える人生を謳歌して来た。
しかし、それらをあまりにも繰り返し続けた。結果、彼等はアンプラグ不能な状態でしか生命を維持出来ないくなってしまっていた。中途半端に生身を残しながら、小規模な移植や置換を繰り返したせいで、生命を維持する器が"継ぎ接ぎ"の状態となっていた。
もし、最初から、生体脳だけを摘出して、全身を人工物へ置換する決断を下していれば、幾分はマシな状態で生き延びる事が出来ていただろう。しかし、生体脳まで"継ぎ接ぎ"の状態である事から、今更延命治療の路線変更は困難極まった。
10人いれば、10人とも異なる、個性豊かで多様性に富んだ"継ぎ接ぎ"具合である事から、それらを管理する医師団も相当に苦労していただろう。そして、状態の改善は全く期待出来なかった。
医師団も患者達も、一時期は、天体物理学者の廿里 千瀬 博士が幼少の頃から受けていた、マイクロ・マシン治療による患部の積極的な置換に相当に重い期待を寄せていた。しかし、最終的にマイクロ・マシン治療が不可逆的な暴走を始める事が判明して、完全に意気消沈してしまった。
その状態で、共産主義者にとっての不倶戴天の敵が全身サイボーグとして、人生を謳歌している姿を見せ付けられた。剰え、不老不死なのではないかと言う疑心が持ち上がってからは、猛烈な嫉妬心に捕らわれてしまった。
ーーーまるで、あのクソ女は不老不死の天仙の様・・・。
彼等は、ほとんど全員が不老不死と言う不滅の獲得を心から願っていた。かつて、不老不死の妙薬として水銀を飲み続け、最終的に水銀中毒となって死亡してしまった先人が普遍的に現れ続けた地域に育っただけに、現代人である彼等であってもそう言う欲望から自由でいる事はできなかった。
いつしか、彼等は自分達の正当な権利である「不老不死」を、共産主義者にとっての不倶戴天の敵に不当に奪われたと言う妄想に取り付かれてしまった。
彼等は、既に生きているだけの状態と言えた。一方、共産主義者にとっての不倶戴天の敵の方は、まだまだ尽きる事のない知的好奇心を持ち合わせ、それを満たし続けることに貪欲であり続けていた。未だに知的探究心的な衰えを見せなかったのだ。
その事実に対して、彼等の腸はかなり酷く煮えくり返えった。何故、自分がそうではないのか!! 憤怒を通り越して憤死しそうなくらいに。
不老不死の仙人化志望者である彼等の中で、最長命とされる者は、「卒寿」や「白寿」どころか、「茶寿」を祝われて久しい年齢へと到達していた。もう十分じゃないかと言いたくなる程の長寿であるが、彼等本人はそうとは感じていなかった。
もちろん、その生命の枠を超え、自然の理に反し、それでも生き続けると言う行為に対する代償として失うものも多い。彼等は、人間として不可欠な多くの代償を支払いながら不自然な形で生き長らえていた。しかし、朝間ナヲミだけは何の代償も支払う事なく、自分達よりももっともっと"理想"に近い立場ある。
ーーーこの理不尽を許せるはずがない。
彼等の本音中の本音はこれだった。
ーーー不老不死の仙人になるべきは、自分達こそ。
嫉妬と言われればその通りだろう。しかし、より正確な表現を求めるなら、"嫉妬"を超えて、"妄執に精神のど真ん中まで取り憑かれている"と評価した方が良さそうだ。
おそらく、彼等には自前の生命操作技術による延命処置の限界が見え始めていたのだろう。奇跡的なブレイク・スルーでも達成されなければ、このままでは「大還暦」は迎えられまいと言う落胆。
そして、共産主義者にとっての不倶戴天の敵はこのまま生き続けて、彼等を見送りながらほくそ笑むと言う妄想に発明してしまった。
彼等は、自分達が生きている間に、何が何でも共産主義者にとっての不倶戴天の敵を葬り去らねばならないと考えた。
ーーー八洞神仙の一柱仙女の「麻姑」の様に、"桑田碧海"を眺めて愉しませてなるものか!!
そうやって、生き延びる事だけに熱中していた老人達は、新しい情熱を手に入れた。共産主義者にとっての不倶戴天の敵を確実に暗殺すると言う、生きるための目標を手に入れた。いや、生きる張り合いと言う方がより正確かも知れない。
そして、彼等が求め続けた瞬間がとうとう訪れた。
一郎、二郎、三郎、四郎、五郎。
いや、一機の三菱・F-3Eと四機の三菱・QF-3Eが核の炎に埋もれた。
ーーーやった!
ーーーあのクソ女は飛び切りの不幸になった!!
ーーーやっと殺してやった!!
ーーー飛行隊ごと全て消してやった!!
ーーー自分よりももっと不幸になった!!!
ーーーざまあ!!
五機のどれかに、共産主義者にとっての不倶戴天の敵が乗っていたと言う憶測に、疑いは一切なかった。
早期警戒管制機のKJ-2000が送り続け来る情報によれば、一連の核爆発が終了した後に、周辺を飛ぶ飛行物体は皆無。
彼等による大空の消毒は叶った。
念願叶って、あのクソ女が、忌々しい鬼が死んだ!!
紅い皇帝と紅い貴族達を見守る医療スタッフ、偉大なる党のお取り次ぎ階級、日替わりで変わる人民解放軍・各軍の上級将軍、宦官かと間違えてしまうほどに顔が青白い官僚の親玉、その他も、自分達の御主人様がお喜びになっている事実を知って安堵した。
ーーーもう、これ以上、共産主義者にとっての不倶戴天の敵に向けて、常に不足がちな国家予算を振り向ける必要がなくなった。
年を追うごとに、国家を維持する為には絶対に不可欠なリソースの不足が顕著化して行く。しかし、財政負担を強いる"諸悪の根源"が死んでくれたと言うならば・・・。
当事者である紅い皇帝と紅い貴族達以外にとっては、割とどうでも良い戦略目標に向かって、貴重な国家資産を惜しみなく注ぎ込まなくて済む様になれば・・・。
きっと、今後は、本来注ぎ込むべき、技術、精算、経済などの改革や発展の為の支援活動へと振り分けられる。社会保障制度の充実も叶うかも知れない。財政の健全化も夢ではないかも知れない。
だが、こうも心配していた。
ーーーもしかしたら、自分達の御主人様は、朝間ナヲミの後継者="共産主義者にとっての新しい不倶戴天の敵"を探し出してしまうかも知れない。
"共産主義者にとっての不倶戴天の敵"とは、過去には特定個人である朝間ナヲミへ贈った二つ名だった。だが、「初代」の朝間ナヲミが滅んだ後は、その二つ名は、紅い皇帝と紅い貴族達に生き甲斐を提供する「レギュラー・メンバー」を示す専門用語の一つとして上層社会に定着してしまう怖れがあった。
言うなれば、"共産主義者にとっての不倶戴天の敵"と言う、新たな役職が、国外に誕生してしまうと言う事だ。
朝間ナヲミを殺した事が喪失感をもたらし、新たな"共産主義者にとっての不倶戴天の敵"を求めて、見つけ出す、或いは作り上げてしまうかも知れない。
彼等の将来、紅い皇帝と紅い貴族達は今は、"共産主義者にとっての不倶戴天の敵"に対する勝利に満足している。しかし、来週、来月には、再び退屈してしまっているだろう。そして、新たな勝利の満足を求めずにはいられなくなっているだろう。そして、それをもたらすためには第二の"共産主義者にとっての不倶戴天の敵"の登板が不可欠である。
もっとも不毛なチェーン・リアクション。それを止める術は、その国家のシステムには存在していなかった。それこそが、独裁政治、及いては権威主義国家の特徴である。小さな強さでもあり、大きな弱さでもあった。
紅い皇帝と紅い貴族達を見守る医療スタッフ、偉大なる党のお取り次ぎ階級、日替わりで変わる人民解放軍・各軍の上級将軍、宦官かと間違えてしまうほどに顔が青白い官僚の親玉、その他、いわゆる"人民の上澄み達"の「中層の上側」には、紅い皇帝と紅い貴族達を諫める度胸、或いは自己(と一族郎党)の犠牲を覚悟して国家や人民の為に進言するだけの気概はなかった。
ーーー諫めても進言ししても、自らの悦楽の追求を控えてくれる可能性はゼロ。
つまり、事態は何も変わらず、ただ自己(と一族郎党)が物理的に消滅して終わるだけ。『否認』『怒り』『取引』『抑鬱』の境界の行ったり来たりを繰り返している紅い皇帝と紅い貴族達である。
そんな無駄な事に、大切な度胸は気概を無駄遣いする訳にはいかない。
そんな、日本国の氷河期に生きた若者達の様な、壮大な無力感に押しつぶされそうになっていた"人民の上澄み達"の「中層の上側」。しかし、神だが、運命だが、いずれかは分からないが、その事象の流れを支配する振り子は、日本国の氷河期に生きた若者達へ賜ったような性悪な振る舞いはしなかった。
その意味で、"人民の上澄み達"の「中層の上側」は、日本国の氷河期に新卒となった若者達よりは精神的には恵まれ、報われる事となる。
ーーーああ、幸せだ。
ーーーやり遂げた。
ーーーこれで、あのクソ女が我の年長者となる可能性は消えた。
ーーーもう十分だ。
ーーーそうだな。辛かった。しかし、最後に報われた。
ーーーもう、これで思い残す事はない。
ーーーもう、これで思い残す事はない。
ーーーもう、これで思い残す事はない。
ーーーもう、これで思い残す事は何もない。
紅い皇帝と紅い貴族達のその後の振る舞いは、"人民の上澄み達"の「中層の上側」が予想していたソレとは明らかに違った。
まず最初に、医療スタッフがの周辺が騒がしくなった。
何度、2ダースに上っていた紅い皇帝と紅い貴族達達の御容体に変化が生じた。
ある者は血圧が急低下した。ある者は自発呼吸頻度が急低下した。ある者は意識レベルが急低下した。ある者は悪心を訴え、嘔吐した。ある者は体温が急低下した。ある者は体温が急上昇し発汗した。ある者は内臓器官の機能が急低下した。ある者は脳血管疾患が次々と出血し始めた。ある者は悪性新生物が急増加した。ある者は背中の手の届かない部分が痒いと訴えた。
ーーー紅い皇帝と紅い貴族達は、たった今成立した新しい世界の有り様に心から納得してしまった。
共産主義者にとっての不倶戴天の敵は、彼等にとって唯一保持し、共有していた、生きる目的だった。その目的が、目標が達成された。それと同時に、彼等は生き続ける、意識を今世に縛り付けている『意地』と『目的』の両方を同時に失ってしまった。
ーーー紅い皇帝と紅い貴族達は、彼等の人生に、それぞれではなく、各々に、心から満足してしまった。
9月1日の朝6時に、全ての夏休み宿題をやり遂げた少年達の満足感と同く、壮大で純粋な喜びが理を歪め続けていた紅い皇帝と紅い貴族達の存在そのものを急速に蝕んで行く。
そして、最後の精神ステージは、『否認』『怒り』『取引』『抑鬱』の壁を突破し、『需要』の高見へと辿り着いた。
『目的』を求める『意地』の生起状況。社会的競争心の行き着く果て。
自らの愛着行動に対する期待の念。
自己観を保持する為。
間接的愛着行動に対する恐怖の念。
安全欲求を訴求する為。
社会とのコミュニケーション行動を解して生成される屈辱感や不安を、ポジティブに利用するのではなく、ネガティブにひたすら溜め込み続けた人生の果て。
紅い皇帝と紅い貴族達は、共産主義者にとっての不倶戴天の敵と出会えた。
実は、それは、終ぞ、広い世界へ向けた相互協調的自己観を持ち合わせる事がなかったが為に、当の本人達も気付かなかったが、紛うなき「救い」であった。
自己高揚的動機を生み出す、最も効率の良い概念的な装置となっていた。
認知バイアスの権化である共産主義者の王にとっての不倶戴天の敵は、最初は単なる目障りなクソ虫に過ぎなかった。だが、時が重ねられるにつれ、彼等の意識にとって、全ての不条理の象徴へと巨大化して行った。
ーーーああ、もう思い残す事はない。
ーーー何と愉快な気分だ。
ーーーああ、世界の全てを許せる。
紅い皇帝と紅い貴族達は、
ーーー既に、どれが紅い皇帝で、どれが紅い貴族であるか、誰にも見分けが付かない程に、彼等の身体は人類と呼ぶのも憚る程に奇妙な有り様へと変わり果てていたーーー
一人一人。また一人。次から次へと、緩やかに今際の際を迎え、我先にと往生を果たした。
主観では。
ある者は極楽浄土行きを確信し、ある者は待ち望んだ永遠の終わりを安らかに迎え入れ、ある者が女神が現れて異世界へ勇者として迎え入れられる瞬間(の到来)をワクテカしながら待機した。
客観では。
ただ、生命科学的には、臨終を迎えていた全ての動物の群は例外なく生命活動を停止し尽くしただけだった。
ただし、こういうのは自己満足で良いのだ。思想と信仰の自由を支持する人々であるならば、勝手に満足して救われてしまえば良いのだ。
だいたい、そんな事、満足しようが、救われようが、そうでなかろうが、知った事ではない。残される者達である、こちら側は、日々を生き抜くのに忙しいので、そんな些事に構う余裕などまったくないのだから。
消えて行く深過ぎる業の発生者達は、本来であれば、もっと以前に生命活動を終了して然るべきだった。だが、本人希望三割、組織の都合六割五分、不明一割の事情で、倫理を完全に無視して生命活動を強制的に継続させた果てに到来した幕引きだった。
まるで、全10巻でキレイにまとめられる見事な物語を、資本主義的な要求に屈した余りに、全100巻まで強制的に無理矢理に話を拡げ続けて、記念すべき最終回には何の盛り上がりもなく、それ故に読者からの惜春・愛惜も送られず、人知れずに退場する様な・・・著者的には残念な、読者的には名作に成り損ねた、だが営業利益的には大満足なコンテンツに類似する呆気ない最後だった。
人民共和国を長年支配して来た紅い皇帝と紅い貴族達。
闇に潜み、例外として紅い皇帝以外は名前も顔付きも公開されていなかった、究極の「Hind Most」、或いは「ピアスンのパペッティア人」と言う概念しか外の社会から与えられていなかった彼等は、たった今この世界から退場したばかりだった。
ーーー後継者をいっさい指名する事なく。
実際の所、"共産主義者にとっての不倶戴天の敵"を滅ぼしたと言う認識は、誤認識であり誤解であり誤情報であった。
ーーー核の炎が五機の三菱・F-3Eを覆い尽くした時、搭乗者は既に人工知性の独断によって、機外へと放り出された後だった。
しかし、そんな事は、彼等にとってどうでも良い事だったのかも知れない。彼等は、ただ単に切っ掛けを求めていただけだったのかも知れない。
そして、当人達以外は誰一人として、そんな彼等の心情を理解しないどころか、興味も持っていなかった様である。
そう、彼等は人間として、たくさん塊の中の一個人として区別して取り扱われるには、あまりにも大きな権力を体現し過ぎていたのだ。だから、人道的に取り扱われなかったとしても、取り扱わなかった者達を攻めるのは、いや、攻められるのは大変な筋違いである。むしろ、彼等が自身を人道的に取り扱わせなかったと言う要因の方が遙かに影響力が大きかったのだから。
ソ連のロケットの父であった「主任設計士」は、死後に初めて情報統制が解かれ、「セルゲイ・コリョリョフ」と言う実名が公表されて、盛大な国葬で送られた(天国へではない。共産主義は神、しいては死後の世界を否定する)。それによって社会的なキャラクターを確立され、21世紀になってもその名を讃える者達の数に苦労はしない。
しかし、おそらく、彼等は「主任設計士」の様にはならないだろう。何故なら、個人として扱われるには、あまりにも大きな権力を体現し過ぎていたのだから。死後の栄誉までも生存中に前借りしていたのだから、仕方がない。むしろ、生前の前借りに対する取り立て騒動が死後に起こる事を心配するべきかも知れない。
残された者達は、幸いであり、不幸でもある。しかし、先詰まりを起こしていた社会の"栓"は外れた。つまり、その地位に収まるべき次席が格上げされ、その下も、そのまた下も、地滑り的により、今まで以上に大きな義務と責任を負う立場へと進んだ。
人民版の、
ーーー氷河期世代の若者達の多くが、それを待ち望みながら、まだ見ぬままに、既に三途の川を越えた。ーーー
そんな彼等の無念を果たすそれ、"社会的な構造変化"の時が到来したのだ。
あからさまなまでに皮肉な事に。
それとは単なる変化に過ぎない。好転や改善とは限らない。そんな都合の良い保証はされていない。逆に悪化や後退であっても、それは変化である。しかし、何かは明らかに「変わる」のだ。
それまで美味しい思いをしていた既得権者としてはとんでもない事だろうが、社会の底辺でのたうち回ってる無産者としては全面的にウエルカムである。何故なら、既得権者と違って、無産者には何が起ころうが失うものなど何もなかったからだ。
ーーー持たざる者達固有の自由がそこにある。持つ者達固有の不自由がある。
とは言え、残念な事に、当事者であるはずの自由な無産者達は待ち望んでいたにも関わらず、その変化の到来を直ちに察したり、理解する者達は、人民共和国にはほとんどいなかった。
それでも、人民共和国の氷河期人民達は、知らずの中ではあるが、棚ぼたで、せめて、三途の川渡る為の船賃である六文銭くらいは自力で貯蓄してから死ねる健全な社会を実現する為の切っ掛けを得られそうだった(そうなると確定したわけではない。得られたのは飽くまでも「変化」の切っ掛けだけである)。
たった今生じた社会変化の兆しが生じる過程を、ずっとずっと至近距離から見守っていた"ほとんどの人民の上澄み達"であっても、自分達の目前に転がって来た幸運を直ちには認知出来なかった。不思議な事に、ほとんどの既得権者も無産者その意味では平等だった。
しかし、既得権者には「ほとんど」に含まれない者達も極少数存在していた。それら"人民の上澄み達の頂点"の予備軍は、偉大なる党のお取り次ぎ階級、日替わりで変わる人民解放軍・各軍の上級将軍、宦官かと間違えてしまうほどに顔が青白い官僚の親玉だった。彼等は、所謂「介護職」と暗喩されていたスタッフの動きに変化が生じている事に気付いた。
そして、たった今現在の自分達には、人民共和国を指導する権限の根源を何一つ付与されていないと言う、行き当たりバッタリで走り続けた大帝国建国の興隆期にしばしば発生する大問題に気付いた。
ーーー全人民の誰一人として、全人民を指導・支配する明確な権限を持ち合わせていない。
つまり、誰もが事の当事者ではない、無責任者であると言い換える事も出来る。
億の桁に昇る全人民は、支配者、或いは所有者を失ったとも解釈出来る。
新たに"人民の上澄み達の頂点"に最も近付いた者達は、足下、眼前へと転がって来たこの幸運を、単なる"大きな不安"として受け留めるだけに終わった。
突然に"人民の上澄み達の頂点"に最も近付いた者達は、あまりに長く続いた現状とその維持に慣れ過ぎていた為に、紅い皇帝と紅い貴族達による支配には終わりが訪れないものとして感じてしまっていた。また、彼等の跡に座る後継者の不在に気付いたとしても、つい最近成立したばかりの民族的イデオロギーによれば全知全能とされる御主人様達がそんな事に気付いていない筈もなかった。ありえない筈だった。だから、それが行われないのは、下知されないのは、その必要がないのだろう、としてその先を考えるのを止めた。
(その先を考えた者もいるにはいた。だが、そんな者達はふと気が付くと、どういう訳か全員が所在不明となった。)
一つの時代が終わった。だが、だからと言って、無条件に新しい時代が始まるとは限らない。
一人のワンマン社長がたった一代で築き上げた大企業があるとする。
自分が余りにも優秀であったが為に、ナンバー・ツーを不要としていたとする。
そんな社長が急死した場合、二代目社長となる者は地獄を見るだろう。
大国家であっても同様だ。
アレキサンダーの大帝国、チンギス・ハンの大帝国。それらは、ワンマンな王が倒れると同時にバラバラに分裂してしまった。後者の方は、その後の後継者がけっこう頑張ったが、最終的には全てがご破算となった。
偉大なる党のお取り次ぎ階級、顔ぶれが日替わりで変わる人民解放軍・各軍の上級将軍、宦官かと間違えてしまうほどに顔が青白い官僚の親玉は、大慌てだ。医療スタッフに状況を確認し、ある者はその場に残って"流れ"をもう少し見守ろうとした。
例外的に、自分達の目前に転がって来た「火中の栗」に正体が「幸運」或いは「機会」に朧気ながらも気付けた極々少数の者達、"人民の上澄み達の頂点の超点"へ登り詰めると言う劇レアな挑戦権を手中に収めた目覚めた者達は、大急ぎで自分達の権力基盤である本拠地へと帰還してこれから起こる劇的な"流れ"に乗るべく、全力で備えようとした。
ただ一つ確実な事はたった一つ。
臨終を看取った筈の全員が、極々少数の者達、"人民の上澄み達の頂点の超点"への挑戦者をも含めて、誰一人として、約半世紀に渡って人民共和国を完全掌握して来た、紅い皇帝と紅い貴族達の死をまったく悲しんでいなかった事だ。
中には、清々したと言う者達も極少数いた。だが、そんな少数派の彼等は、幾人かの人間の死を真正面から受け止めたと言う論点から語れば、とても人間的な情に満ちた善人だった。
ーーー天下有道則見、無道則隠。ーーー
それは、そこにはなかった。
多くの者達にとっては、かつての支配者が人間社会から退場した事実が、たった一つの政治的な「記号」が今後は使用不能となったに過ぎなかった。
これが、
ーーーその様子を、原子力空母を二隻建造出来るだけの予算を注ぎ込んだ"罠"が閉じて行く過程を、つまりは共産主義者にとっての不倶戴天の敵の行く末を覗き見している者達ーーー
二組いた者達の一組目の方の様子である。
ところで、
ーーー危邦不入、乱邦不居。ーーー
こちらの方ならば、そこにはあった。
共に、孔子の言葉である。
果たして、極々少数の者達、"人民の上澄み達の頂点の超点"を目指す挑戦者達は、孔子の言葉を受ける当事者としての覚悟を持ち合わせているのだろうか?
そればかりは、事の真相は今は誰にも分からない。ただ、覚悟を持ち合わせていて欲しいと願うだけである。
人民共和国には、今の時点で、仰点して時間を無駄にしている様な猶予はない。
対処が遅れれば、一分一秒ごとに状況は悪化する。対処を間違えば、一事一事が状況を悪化させる。
取り返しの付く付かないと言う、牧歌的な分水嶺はとっくに超えている。今設定すべき新たな分水嶺の内容は、取り返しの付かない事がもたらす大被害をどこまで軽減出来るかと言う事に変わっている。
人民共和国の不幸は、この問題の責任を負うべき明確な担当者=次代の支配者を持ち合わせていない事だった。
何故、そんな事が起こった?
それは、前代の支配者がそれの指名を行わなかったからである。
それは、被支配者がそれの選出を怠ったからである。
無責任。
だが、それを生み出す状況もまた多彩な文化の有り様の一つ、人類が長い歴史を通じて獲得した政治的多様性の一つであるのかも知れない。




