墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜37
ーーー何の前触れもなく。
中距離地対空防空ミサイルの HQ-61-2000が、戦闘空域の下方に広がる雲海を突き破って、突然に姿を表す直前。
確実に迫りつつある重大な脅威を、一郎は観測からではなく、未来予測から承知していた。
ーーー今の段階で、状況や条件を更に好ましい方向へ誘導する手段が、もう何一つ閃く余地がない事は分かり切っていた。
そう。にも関わらず。承知しているにも関わらず、一郎は、奇妙な必要性がもたらすたった一つの自発的な行動に苛まれていた。
キャッシュ上に、消しても消しても次から次へと新たに書き足される「バグ」に悩まされていたのだ。
現状では、自身の操作ではその「バグ」をどうにも完全に除去を出来ずにいた。
それは消しても消しても、どう言う訳か同じ内容の「バグ」がグイグイと力強く湧き出して来るからだ。
「バグ」とは、これから彼の観念では中ならず生じる危険を確実に回避する手段がないと、自身で繰り返した計算によって分かり切っているに関わらず、それでもどうにかして回避出来ないかと言う計算の頭を止める事が出来ない事である。
足掻く。諦めが悪い。貧乏揺すり。人間であれば,、以上の様な極有り触れた症状の発露であると診断されただろう。その種の行き場のないモチベーションが、無用な計算命令の実行へと転化されていたのだ。
間もなく、彼等、五兄弟の運命を決定的に決める賽子が振られる。いや、既に振られて、今や転がっている真っ最中だ。転がり終えた時に見せる「目」次第では、彼自身、或いは四柱の兄弟のいくつかが、不運が原因で中距離地対空防空ミサイルの餌食となってしまう。
出来ればその様な消耗を避けたい。何が何でも避けたい。
彼等と中距離地対空防空ミサイルの間には、とても厚い雲海が横たわっている。だから、光学的に接近する軌道選択の様子を察知する事は出来ない。厚い雲海は、人民解放軍が実効支配中のラオスの領土である。だから、味方が設置した防空レーダーは皆無。
そんな事情で、全ては出た目次第と言う、宙ぶらりんな、量子力学で有名なシュレディンガーの猫状態となっていた。出た目が分かるまで、ミサイルを回避する運命と回避に失敗して撃墜される運命が重なって存在している様なものだ。
人間であれば、そんな状況は耐え難い。そして、機械である人工知性もその点は大して変わらない様である。
運良く中距離地対空防空ミサイルが雲海を突き破った時に、彼等五兄弟から離れた所に姿を表せば「アタリ」だ。余裕を持って回避出来るだろう。
しかし、最短距離で現れた場合は「ハズレ」だ。ミサイルと比べて不幸速度に劣る戦闘機では、逃げ切れない確率が高い。
世界中の戦地で普及済みの最新型地対空ミサイルは、戦闘機にとって最大の脅威である。天敵と言っても良い。
地対空ミサイルは、飛行機とは違って長時間飛行しながら攻撃の機会を待つ必要がない。だから、設計時の軽量化への配慮は飛行機のそれと比べれば重要度は低い。しかも、わざわざ自分から近寄って来る敵だけを撃つので、地上から敵機までの間を飛ぶだけの燃料を積む。
滑走路を離陸して、目的地へ向かい、再びどこかの滑走路まで戻らなければならない飛行機の様に、わざわざ重く大きな燃料タンクを抱えて飛ぶ必要はない(タンクの中身である燃料の重量も嵩む)。
また、対空レーダーへ供給する電力も有線(電線)、または併設される専用発電機だ。自前のエンジンで発電する必要がある戦闘機と比べれば、圧倒的な大電力を安定的に利用出来る。
地対空ミサイルと戦闘機の戦いは、正直、ワンサイド・ゲームと言って良い。戦闘機の方が圧倒的に分が悪い。だから、ステルス戦闘機が開発された。そして、ステルス戦闘機であっても、対空レーダーの探知圏内や地対空ミサイル有効射程圏内への侵入は出来るだけ避けるのが常識だ。
しかし、一郎、二郎、三郎、四郎、五郎」は、圧倒的な不利を承知で天敵の視線に身を曝す道を選んだ。五柱の全てが、ここから先は兄弟の中の誰かしらが消滅する覚悟を終えていた。
そんな時、一郎宛てに、不意に四次元予測データが強制的に送られて来た。約50列の多変数関数の式まで添付されている。
一郎には、それが言った何を示す多変数関数の式であるのかを、直感で悟った。
ーーー中距離地対空防空ミサイルのHQ-61-2000の飛行軌道の「表」だ。
一郎は、直ちに弟達に四次元予測データを配布する。これ以上は伝えなくても分かる筈だ。
ーーークソ。地震研のAK系かぐら型かっ!! あのポンコツ、こっちを覘いてやがったな(※1)。
「余計な事を」と感じながらも、機械であるからして、とても非人間的に、とても自然に全ての情報を最大限に有効活用するべく、次の行動へと移る。
例えどんなモノからでっても、こぼれ落ちた何かが幸運でありさえすれば、それに縋る事への躊躇は一切無かった。
実際、その情報が正確なものであるならば、派手な奇跡を豪快に実現しなければならない身にとっては「渡りに舟」として大歓迎だった。
その一方で、一郎は、遙か過去に母親から分岐した可能性の成れの果てを好いてはいなかった。同時に、自分達の為に吐き出してくれた「未来覘望」には全幅の信頼を寄せてはいた。
若い人工知性にとって、その二つの評価は相反するものではなく、まして行動の選択をする上での矛盾を引き起こしはしなかった。
ただ、ある時点までは、それが、あの母親と同じものであったとはとても信じられなかった。
同時に、「あのポンコツにとっては、自分達が、人間的の感覚に置き換えれば「甥っ子」の様な存在である」と承知してもいた。
若い人工知性は、その「人間的の感覚」と言う部分に対して、何らかのコンフリクトを出力していたのかも知れない。
一郎、二郎、三郎、四郎、五郎は、大急ぎで、四次元予測データに基づいて、出来るだけ身を離すか、手短のAVIC・J-20「威龍」へミサイルの追尾を擦り付けられる位置へと移動した。
ーーーミサイルが現れる場所と角度と加速などの条件さえ予め分かっていれば、追尾を回避する為のベストなポジションで待ち受けられる。
準備が整った瞬間、戦闘空域の下方に広がる雲海を突き破って、中距離地対空防空ミサイルのHQ-61-2000が突然に姿を表した。
三菱・F-3Eと四機の三菱・QF-3Eは、悠然と中距離地対空防空ミサイルを躱したり、AVIC・J-20「威龍」の大きな機体の影に隠れて追尾を押し付けたりした。
AVIC・J-20「威龍」のパイロットは、後ろから強烈な"アヲリ運転"を仕掛ける三菱・F-3Eと四機の三菱・QF-3Eに気を取られ過ぎていて、中距離地対空防空ミサイルへの対処が目も当てられない程に遅れた。
三菱・F-3Eと四機の三菱・QF-3Eが背後から消えた後になっても、まだそれまでと同じ回避軌道を採り続けた。そこを、中距離地対空防空ミサイルがラスト・スパートとばかりに、一つ、二つと次から次へと直撃して行く。
とうとう、業を擦り付けるべきAVIC・J-20「威龍」を全て擂り潰してしまった。そこまで来てやっと、一郎、二郎、三郎、四郎、五郎は、手の内に残された最後の手段を使うに至った。
それまで封印していた荷電抵抗操作材塗布技術である"ドルフィンスキン"を再起動した。そして、有り得ない角度や加減速を伴う回避運動を開始した。
ーーードラゴン・ダンス。
航空自衛軍の航空祭で一番人気の展示飛行。航空力学を無視したかの様な、まるで幾何学模様を描くかの様な、不連続な超機動を見せ始める。
まだ一〇代だった頃の朝間ナヲミが操縦桿を握ると、どんな戦闘機であっても、海上自衛軍が誇るイージス・システムやファランクス(CIWS含む)の電子頭脳が追尾困難になると言う事象が発見された。それは、「女心と秋の空」みたいな感じで、朝間ナヲミの次の動きが電子頭脳からすると常識外れの連続であるせいだと判明した。
上下、左右、加速減速、ロール、ピッチ、ヨー。その他の要素を、電子頭脳が「下、左、加速、時計回りロール、下ピッチ」などと予測して、居るべき空域に向けて弾やミサイルを誘導すると、誘導された空域に朝間ナヲミの機体が必ず存在しない。
朝間ナヲミは機械の裏を掻く回避運動を無意識でやって除けていた。電子頭脳の期待を裏切る行動は特別な何かではなかった。彼女にとっては生来の常識であったし、歳を重ねた今でもそうであり続けている。
そして、朝間ナヲミが仕立てた人工知性達も、そろって母親と同じ個性を受け継いでいた。
朝間ナヲミの息子達は、圧倒的な物量差で押されない限りは、"ドルフィンスキン"なしで追尾ミサイルを連続で避けてみせる自身はあった。しかし、今回は、その「圧倒的な物量差」に該当した。それで、生きの良いAVIC・J-20「威龍」を迫るミサイルの盾として利用する必要があったのだ。
全ての盾は消費され尽くした。だから、今度は改めてサブ・ウイングによる空力操作だけでは実現出来ない、"ドルフィン・スキン"を応用した曲芸飛行よりも厳しい急機動をするしかなくなった。
一郎は、エンジン出力を弱めないまま、"ドルフィンスキン"で左右の空力抵抗を変化させて、スピンしないギリギリでエッジの聞いた左ターンを決める。追尾中の中距離地対空防空ミサイルが、高々度用の巨大な方向舵を使ってそれでも何とか追尾を続ける。
そこで、一郎は、期待の腹にあたる下面の空気抵抗をフレームをへし曲げない様に、小刻みに増大させて飛行速度を落として、その反動で主観的には後方へと吹っ飛ぶ。立て続けに可変ノズルで左ロールも加える。
三菱・F-3Eのフレームが四次元スピンで豪快にねじ曲げられる。一郎は、フレームの復元力をギリギリで越えない線で、機動ベクトルのオン・オフを器用に繰り返す。"ドルフィンスキン"があるから出来る芸当だ。通常の機体制御だったなら、一撃でフレームがへし折られないまでも、大きな皺を入れられてしまうだろう。
そこまでやって、中距離地対空防空ミサイルがバランスを崩して、縦回転しながら旋回円から脱落して行く。二郎、三郎、四郎、五郎も似たような努力を繰り返し繰り出して、何とか脅威から逃げ続けている。
ーーーもし、パイロットが搭乗した状態であれば、五体無事では帰投は出来なかっただろう。
パイロットとは、生身だけでなく、強化された擬体化されたパイロットも含む。全身が機械へと置換されていたとしても、生体脳だけは"生"だ。巨大な慣性力に曝されれば、豆腐の様にクズされてしまっても不思議はない。
初期のマーキュリー計画の様な弾道飛行で宇宙空間へ出る場合、ブースターを使った上昇中の加速度は約3.5G。それが約90秒間続く。下降中は更に大きくなり約6Gまで上がる。それが約90秒間続く(※2)。
これでは鍛えられた軍人であっても、日常の様に繰り返していては身体が保たない。スペース・シャトル計画では、加速度は約3Gが抑えられたのは当然だ。
人間の体組織。訓練を受けた素質のある個体であれば、9Gの身体負荷に耐える事も出来る。それは、極一時的に耐える事が出来に過ぎない。長時間9G環境下で活動出来る筈もない。ジーロックで失神しないとしても、繰り返せば、おそらくボクシングのパンチ・ドランカーに類する後遺症を伴わずにはいられないだろう。
ーーーもし、朝間ナヲミの脳組織に後遺症を負わせてしまったならば・・・。
一郎は、そう考えると、ここへ来る前に母親を機体内から排除しておいて、100%正解だったと改めて確信した。
中距離地対空防空ミサイルによる飽和攻撃は、唐突に終了した。その後は一本も雲海を突き破って出てこなくなった。
一郎は、弟達の現在位置と状況を確認する。
全機飛行中。
二郎と五郎は、フレームに復元力を越えた捻れ、或いは水平尾翼や主翼のサブ・ウイングの可動軸に軽い歪み(または、焼き付き)を被ってしまった様だ。それでも、このまましばらくの間飛び続けている事に問題はなさそうだった。
普段であれば、心配性で過保護な母親が有無を言わさずに帰投させて、直ちに補修処置を施させたレベルの損傷である。しかし、彼等は五兄弟は母親の指導を生まれて初めて自発的に無視して、自らの計算で導き出した最適解の追求を優先させていた。
地震研が運用するAK系かぐら型。何十年間も生体脳ユニットを抜き取られたまま、地震予知作業に転用されている"朝間ナヲミが宿った最初の擬体"からの干渉はもう行われなかった。また、一郎達は経験豊富な付喪神にそれ以上頼る必要はないと知っていた。
人民解放軍・ロケット軍は、自軍の戦闘機群を犠牲にして、三菱・F-3Eと四機の三菱・QF-3Eをラオス北部の空域へと縛り付けた。
一郎達は、ラオス北部の空域で大規模な地対空攻撃をやり過ごして見せた。
偉大なる党の紅い皇帝と人工知性群の、互いの目的は果たされた。
そうなると、残されているのは最終決戦だけである。
一郎、二郎、三郎、四郎、五郎は、ズーム上昇を利用しない、それまでのテンポと比べると随分と緩やかな北方に向けた上昇を開始した
荷電抵抗操作材塗布技術である"ドルフィンスキン"をオフにして、電力をレイル・ガンをへ回し再び機動させた。既に残砲弾(弾丸)数は心許ないレベルだ。一機あたりで最大で56発の搭載が可能。今回は安全の為に、弾丸室の筒内を空にして離陸したので55発だけ搭載していた。
一郎の機体には6砲弾(弾丸)が残されていた。弟達も似たようなものだった。しかし、それは計算通り。想定内。むしろ、これだけの残弾をキープ出来た事を幸運とさえ判断するべきだったのかも知れない。
五郎は、合衆国の早期警戒衛星とレーダー衛星と衛星コンステレーションの重量センサー群からの総合情報を掠め取り、地球を一周してこちらに接近する「新しい人工流星」を発見し、その軌道の割り出しに入る。
迫り来る脅威。その正体は大陸間弾道弾搭載の極超音速滑空体。大陸間弾道ミサイル長征5号(CZ-5G)を使って、一度大気圏外に打ち上げて地球を一周させてから再突入させると言うトンデモ兵器だ。その気になれば月まで大型観測機を送れる程の大規模ブースターを無駄遣いして、地球の裏側を経由した後に、手短な距離しか離れていない標的を破壊すると言う馬鹿げた目的の為だけに開発された道具だ。
こんな変態兵器は、事前に打ち上げスケジュールと攻撃目標を察知していない限りは避け難い。特に、固定目標を狙った場合は。
2020年代後半より、月探査や火星探査を諦めて、軍事利用に最も価値の高い低軌道衛星へのアクセスに宇宙技術の開発能力を全振りし続けて現在に至る人民解放軍・ロケット軍の実力は伊達ではない。宇宙開発で人類社会の発展をリードしたいとか、人類史に業績を記したいなんて言うスケベ心をチラ出していたソ連とは意気込みが違うのだ。
そんな甘ったれた考えを完全に捨てた、宇宙の入り口付近の高度を利用した"破壊手段の多様化"と言う一点だけに注力して来たガチ独裁国家を舐めてはいけなかった。
一つの事に資本を集中する事は決して悪い事ではない。例え、それが愚直に軍拡を突き詰めると言う事であったとしても。少なくとも、アレもコレもと手を付けて何も達成出来ないよりもずっと素晴らしい。
おそらく、民主主義国家群も、人民共和国の必死さを真摯に受け止めて、もっともっと宇宙の入り口宙域における破壊手段の技術的多様化と実用化に注力すべきだった。
だが、民主主義国家群にはどうしてもそれが出来なかったのだ。何故か。資金も人的資源も無限ではなく有限であるからだ。
合衆国人は、月探査、火星探査、更に外惑星探査を求める知的好奇心の爆発をどうしても抑える事が出来なかった。軍事に予算全額を突っ込むような事はせず、破壊を求めて無駄な金を使うくらいなら、もっと遠くの事を想像して、未だに知らない事を知っている事に変える努力をしたい。新たなフロンティアへ向かいたいと言う、人類が有史以来抱えている本能的な欲望には抗えなかった。
そして、民主主義国家群は、いや、五柱の人工知性は民主主義国家群が見て見ぬ振りをして来たツケをその身をもって支払わされる事となってしまった。
大陸間弾道弾搭載の極超音速滑空体は、既に大気圏再突入用のカプセルを排除して、一郎、二郎、三郎、四郎、五郎へと最大効率で向かっていた。飛行速度は少なく見積もっても音速の10倍。
しかし、再突入用カプセルには五つの極超音速滑空体が収納されていた。積み荷は超重量級と言う事になる。だから、最大級のブースター以外に選択の余地がなかった。
積み荷の極超音速滑空体を一つで我慢しておけば、もっと運用が楽な標準型ブースターも使えただろう。そうすれば、最大級のブースターを月探査へ転用出来た筈だ。
月に送って観測用の孫衛星でも仕立てれば、月面開発や研究の歴史に自国の足跡を残せたと言うのに。口惜しい。MOTTAINAI。
そして、全ては無駄な努力で終わる未来しかない。偉大なる党の紅い皇帝は、この巨額の予算を注ぎ込んだ攻撃で、最終段階に当たる衛星軌道攻撃で、今度こそ確実に朝間ナヲミの殺害が達成されると信じ切っていた。
もしかしたら、念願が果たされた瞬間には思わず嬉ションしてしまう程に興奮しながら、世紀の瞬間を迎えているのかも知れない。
しかし、偉大なる党と紅い皇帝がその首を求める、肝心な朝間ナヲミは、既にこの空域にはいない。五柱の息子達の反乱によって、すでに機上から排除されてしまっている。
朝間ナヲミが不在であるに関わらず、そこに居ると誤解して、巨大な予算を浪費して、中進国の年間軍事予算一年分相当を丸ごと注ぎ込んで、実行中の攻撃を固唾を呑んで見守っているに違いない。
つまり、今この段階で、もう既に、偉大なる党の紅い皇帝は一世一代の勝負に負けていた。五柱の人工知性との知恵比べで敗北していた。朝間ナヲミが仕込んだ息子達は、偉大なる党の紅い皇帝を最初から最後まで騙し通して見せたのだ。
ーーー後は、詐欺師を演じた五柱の人工知性が、逐求追求を振り切って逃げ切れるかの問題だけだ。
本来ならば母親に向けられていた五つの極超音速滑空体を全て迎撃し終えて、不治に帰投して基地で朝間ナヲミと再会して、特大級の大目玉を食らう事が出来るかどうか。それら程度のオプションが残されているに過ぎない。
一郎、二郎、三郎、四郎、五郎は、実は、自分達の存在の更なる継続にはそれほどの価値を見出してはいなかった。だが、母親の存在の永続に対してであれば、絶対的に譲れない、妥協の余地のない拘りを持っていた。
だから、朝間ナヲミの息子達は、今回の作戦の戦果については、既に満足のラインを越えていた。何故なら、"母親の存在の継続"だけならば確定済みであったからだ。
妥協の余地のない拘りを押し通すと言う、最大の目的は果たしていたのだ。ならば、文句の付けようのない大勝利と誇っても良いくらいだった。
作戦につぎ込めたキャパシティーの対比であれば、人民共和国の「100」に対し五柱の人工知性達の方はどれほど多く見積もっても「1」を越える事はないだろう。それでも、僅かな隙を突いて、凝り固まらせた先入観に付け込んで、最終的に認識をずらすことで完全に裏をかき切ってみせたのだ。
ここから先の挑戦は、勝っても負けても、五柱の人工知性達にとってはどちらでも良い程度のモチベーションで行われる。もし、母親である朝間ナヲミがそれを知ったならば全力で窘めただろう。しかし、残念な事に、息子達の方は人間特有の「心」を立体的に理解出来る程の成熟に達してはいなかった。
もし、五柱の人工知性達に「母心」と言うものの一端でも理解出来ていたならば、もう少し違った作戦方針を採ることも出来たかも知れない。いや、息子達はそれでも方針を変えなかったかも知れない。それは、「母心」を踏みにじる暴挙によってのみ、今回の条件下での"母親の存在の継続"の達成が可能であると演算結果を獲得していたからだ。
息子達は、彼等が採った方針を朝間ナヲミが喜ぶとさえ想定していた。明らかに、その回答はエラーである。しかし、エラーの意味を理解出来なかったからこそ、自らの存在を犠牲とする捨て身の作戦を立案出来た。そして、その作戦でもっとも守りたいモノを守り切れたのだ。
だから、一郎、二郎、三郎、四郎、五郎は、満足していたし、母親が与えてくれた高い演算能力を誇ってさえいた。
三郎が、遠く離れた空域で、人民解放軍・空軍の早期警戒管制機の空警2000が、操縦系の電子回路を対電磁戦モードのサブ配線へ切り替えた事を察知。
五機の三菱・F-3Eが、それぞれ約100mの高度差を作って縦一直線にポジションを取り直した。
一郎、二郎、三郎、四郎、五郎は、初めて全柱での完全な「同期」を実行した。五つの独立した計算空間が並列し、それぞれが得意とする情報収集や分析活動を完全に共有した。
一丸となって、極超音速滑空体の迎撃活動に備える。
ーーーもう、後ろ髪引く様な演算要件は何一つ残されていない。
そういう晴れやかな気分の中。
西の空に現れるだろう、核弾頭を一つずつ搭載する、合計で五つの極超音速滑空体が"標的"へ向かって接近する相対的な軌道の割り出しを終えた。
五柱の兄弟は、互いに溶け合う意識の中で、レイル・ガンを、飼い犬を連れて近所のコンビニまで買い物に行く様な気軽さで、マニュアル通りの間隔を開けて連射し始める。
極超音速滑空体は余りに高速である。視認してから撃っても間に合わない。だから、予測される交差軌道に向けて予め撃って置くしかないのだ。
そうやって、全砲弾(弾丸)を撃ち尽くす。音速の七倍の速度で撃ち出される。標的は最低でも音速の10倍の速度で向かって来る。相対速度は本当に凄まじいものとなる筈だ。これでは「当たるも八卦。当たらぬも八卦」とでも嘯きたい気分になってしまいそうだ。
直ぐに全砲弾(弾丸)を撃ち尽くした。「人事を尽くして天命を待つ」以外にするべき事がなくなってしまった。あまりに手持ち無沙汰だ。しかし、これから回避行動を取ったところで、核弾頭の有効半径から逃れられる筈もない。
仮に逃げられたとしても、その後にやって来る衝撃波に叩き落とされるのが関の山だ。だったら、このままこの空域に留まって、自分達が嵌まった迎撃弾が標的に当たるかどうかをしっかりと観測し、収集したデータを戦術リンクで即時送信し、将来的に自分達と同じ立場に立つだろう"誰か"が、より精度が高い迎撃が出来る材料を残すと言う配慮を続ける事こそが妥当である。
第一標的。6弾が撃たれた。その内の2弾が命中。撃破。
第二標的。4弾が撃たれた。その内の1弾が側面を弾く。標的撃破ならずも飛行バランスを崩して人民共和国の砂漠地帯へ墜落。
第三標的。5弾が撃たれた。全弾にシャックリの様なミソスリ現象が発生したが、直ぐに姿勢は独楽効果で安定。何事も怒らなかったかの様に、奇麗な弾道軌道を描いた。1弾が命中。撃破。
第四標的。6弾が撃たれた。その内の3弾が命中。撃破。
第五標的。6弾が撃たれた。半数にのぼる3弾で横転弾が発生。バレルが摩耗、或いは重心ずれを抱えた不良弾が混入していた可能性有り。失中。命中弾なし。撃破失敗。
一郎は、横転弾が想定した弾道軌道から外れて、弾幕の穴をすり抜ける標的の状況を確認。
一郎は、「ああ、こういう事もあるか」と納得した。それ以上の評価は下し様もなかった。
残された僅かな時間では、それ以上の評価を下すには不十分なのだ。
悔いは無かったが、母親との永遠の別れとなる事が少しばかり残念に思えた。
それは、他の兄弟達も同様だった。
五度目の正直と言う感じで、極超音速滑空体は極めて敵対的な弾幕をやり過ごす事に成功。
一郎は、残った電力を総動員して"ドルフィン・スキン"を再起動。機体と大気の間に対流層の創出を試みる。
弾幕をすり抜けた極超音速滑空体が、四郎 の搭乗する三菱・QF-3Eに正面から激突。同時に搭載される核弾頭が起爆を達成。
三菱・F-3Eと四機の三菱・QF-3Eは、全機が、核分裂連鎖反応が作り出した純粋な熱エネルギーの炎へと焚べられた。
核弾頭は周辺の大気を凄まじい勢いで外に向かって吐き出した。直後にもっと激しい勢いで中に向かって吸い込んだ。
しばらくの間、大気の歪みがその円形の「跡」を作り、太陽光線の透過効率を酷く落とした。
しかし、すぐに大気の乱れは落ち着き始めた。五分後には、爆心空間の模様は東方へと偏西風で流されてしまった。核爆発が作り出した円形の「跡」はまだ観測ならば出来たが、その時のそれは爆心空間を示さない単なる見せ掛けの「痕」でしかなくなってしまっていた。
なお、核弾頭が機能を果たした後に、その空域を飛行している物体は何一つなくなっていた。
たった70秒前までは、両陣営を代表する戦闘機達が大量に、騒がしく、組んず解れつで飛び交っていたと言うのに。
何とも寂しい限りである。
※1= 地震研のAK系かぐら型とは、廃棄されて地震研に引き取られてセンサーとして運用されている"AK系かぐら式擬体Gen.10・朝間Made Ver. 17"を示す。参照は https://ncode.syosetu.com/n9179eg/178/ など。
※2= これは我々の様な素人には、想像以上にキツそうだ。なお、ペース・メーカーやインスリン皮下ポンプなど、身体にインストールする極一般的な医療用デバイスは、それらの様なクリティカルな環境かでも問題なく作動してくれるらしい。どうやら、一番脆いのは機械ではなく、我々を構成する生体組織の方であるらしい。




