表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空六六六  作者: 浮草堂美奈
第一章 出逢ノ語リ
9/56

妙高蛍の出逢い1

 蛍はカレンダーを見る。

 ガリ版刷りのそれは、昭和二十八年四月と誇らしげに示している。

 その前は昭和二十八年三月だった。その前は昭和二十八年二月だった。その前は昭和二十八年一月だった。その前は昭和二十七年十二月だった。

 この村には空襲はこなかったが、蛍は八歳の八月に玉音放送を聞いた。

 この春、村は祭りの支度にと紙の花作りに忙しい。

 なのに。

 掌の中の、小さな箱状のものは、こんな事を言う女の姿を映していた。

「新入社員が平成生まればかりになりましたが、昭和世代との意識の差はあるのか!? ここ、渋谷にてご意見を覗ってみました!」

「なに……これ……」

 蛍は口元に手をおし当てた。心臓がばくばくと鳴った。吐き気がこみ上げてきた。

 土間から駆け出し、田んぼの端で吐いた。

「意味わかんねえ……」

 野良着の五十がらみの男が慌てて駆け寄ってくる。

「ホォたる様! どないしなさっただね!」

 この男は村では二人いる三郎であることと、蛍を呼ぶときにみょうに伸ばしてホォたる様と発音するので「ホォちゃん」と呼ばれている。

 野良着は擦り切れ、もう何年も買い換えていないことがわかる。

「ホォちゃん!」

 蛍はホォちゃんの胸元に縋るように掴む。

「俺にさ……隠してることない……?」

 ホォちゃんはにっこと笑った。

「蛍様もそんなお歳になったんだね」

「は……?」

 にこにことほたるの長く伸ばした髪を撫でる。

「もう十六だもの。大人のいう事なんか嘘ばっかりに思えるでね。おらもそうだったよ。なんつったかなー、しーしー、ああ、思春期っつたかなあ」

「思春期……?」

「誰でもそうなんだあ。気にするこたあねえ」

 のっぽのホォちゃんは、蛍の頭を二度撫でると、「ああ、福をもらった」と言って去って行った。

 

 北陸新幹線の中。

「次で乗り換えや」

 窓際の席のメフェイストは、膝に置いていたシルクハットをかぶった。

「随分と山の中だな」

「こっから更に山の中に電車で行って、それから更に山深くバスで行って、それからはたぶん歩く」

「わかった」

 納は手元の文庫本を閉じた。文庫の表紙には「蜜のあわれ 室生犀星」の表記。

「だけどメフィスト、地図に存在しない村、なんて存在できるのか?」

 メフェイストは細い指を顎にあてる。

「法律上は不可能。心理的には可能や」

「どういう意味?」

「たとえばな、あるところにA村とB村があって、それが合併してC町、という町ができたとする」

「うん」

「法律的には、もうA村もB村もあらへんわな」

「うん」

「だけど、住んでるもんが、C町の中で「お前さん、どこに行くねん」って聞かれた時、「ナカニシの家や」「どっちのナカニシや」「A村の郵便局の前の方のナカニシや」って言い方をするのは誰も止められへんわな。行政上も法律上もA村は存在せえへんが、人々の意識の中にはきっちりA村は存在する。これが心理的に存在するいうことや」

「なるほど。薔薇菩薩村もそういうことか」

「せや。市町村合併の際、A市の一部となっている」

「だけど、住んでいる人はずっと薔薇菩薩村に住んでいる、という心理で生活している訳か」

「せや。せやけど、奇妙なことに、昭和二十八年の合併以降、薔薇菩薩村は周囲の行政等とのかかわりを一切絶っている。電話、ガス、水道の配線も断り、電気も町長が村全体の分を月に一度、まとめて振り込みに来る」

「なるほど。奇妙だね」

「なおも奇妙なことがある。昭和二十八年以降、薔薇菩薩村で出生した人間はいないことになっている」

「……それだと、老人しかいないはずだ」

「ああ、だが、電気代を払いに来る町長はどう見ても五十代後半らしいわ」

「おかしい」

「出生しても届けを出してない。まあでも、村民の現金収入はどうしたかて生存している、とされている老人の年金にかかってくるわな」

「うん」

「そんなん、後三十年も経たへん内に死んでまう年齢やろ。しかし、昭和二十八年以降に生まれた人間は出生届が出てへん。現金収入どないする?」

 納は車内のアナウンスの中、答える。

「不正受給か」

「将来あると見込まれる多額の不正受給。これを阻止するために、お鉢が回ってきたわけや」

「メフィストは行政の仕事をしているのか?」

「うん? 行政っちゃ行政やけどな。政府の表ざたにできない仕事をやるのが基本や。悪魔殺しとかな」

「僕はそれを手伝えばいい?」

 メフェイストはぐっと身を乗り出し、納の顔を見つめた。

「手足となって、刃を振るえばいい」


 蛍は村長むらおさの家に上がった。

 フランネルのシャツの裾をズボンに仕舞、正座する。

「なあ、村長様」

「なんじゃい。こんな夜中に」

「昔はこの村にも若い人がいっぱいいたんだよね?」

 後二年で還暦、が口癖の村長は目を細めた。

「戦争でなあ、みんな軍隊に行ってしもうてなあ……。蛍様は覚えとらんじゃろうなあ」

 ランプの灯がゆらゆら揺れた。

「じゃあさ、なんで女もいないの?」

「おんなじじゃ。若い娘も村を出て、工場へ働きに行かされてな。全員空襲で死んでもうた」

「子供は、子どもは一人もいないのはなんで?」

「今日の蛍様は知りたがりじゃのう。村の小学校にはな、弟妹を子守しながら通っとったんじゃが……。そこにだけ焼夷弾が落ちてな。全員亡うなってしもた。蛍様はお家にいたからの」

「じゃあ……じゃあさ……母さんは……なんで突然死んだの?」

「去年のことか」

 悲しげに村長は紙たばこを巻き始めた。

「突然じゃと思ったのは蛍様が幼かったからよ。いや、わしらも気づかんかったじゃがのう。母様は病にかかっちょったが、誰も気づかんかったんじゃよ。本人もな」

「じゃあさ……最後にさ」

「なんじゃあ」

「母さんが俺に言ったんだ……死ぬ前に。「あたし東京のギャルだったんだよね」って。あれ……どういう意味?」

 村長はかっと目を見開いた。

 しかし、すぐに元の悲しげな目に戻った。

「かわいそうに気付いてやれなんだわ」

「どういうこと?」

「病じゃ。病でうわ言を言うたんじゃ。母様は村の娘じゃ。神様の子を孕んだ……村の娘じゃ」

「ねえ……俺ってさ……」

 ランプの灯が揺らめいた。

「ホントに神様なの……?」

 灯りが消えた。

 村長はただ黙っていた。

 真っ暗闇だった。

「ごめん、俺、帰るね」

 一人で住む小さな家。

 壁土と床の隙間が少しだけ剥がれるようになっている。

 その隙間から取り出す。

「母さん……この……テレビっていうの……いったい何?」

 遠くからフクロウの声が聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ