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空六六六  作者: 浮草堂美奈
第三章 鉄血ノ語リ
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子犬2

 東京都。銀座。レストランの個室。光を取り入れるための鏡は黄金の縁。シミもしわもまったくないテーブルクロス。コーヒーカップは二つ。砂糖壺とミルクは最初に断っている。

 テーブルには貴婦人二人。

 白が混じった赤毛の老婦人。ローザ・テーラー。職業、武器商人。オリーブ色でドレスのように裾が長く広がったワンピース。

 黒髪の容姿のみ三十路の女王。メフィスト・フェレス。職業、たくさん。今日も漆黒のゴシック調ドレス。

 この空間だけ、ファンタジー系ライトノベルの絵面になっている。特にあの男が。

 クラシカルスタイルのメイド。の格好をした男。

 納より10センチほど背が低く。エプロンの上からでもわかる筋肉質で。東洋系らしき黒髪黒目。19歳。右の口元から頬にかけて傷痕がある男。

 ユーリ・レッドローズ!

 到着してからずっと英語で話しているので、ほとんど察するに近いが。

 メフィストはずっと「ユーリは立派な男になった」という意味の会話をしている。

 時折ユーリが赤面しているので、昔話が主なのだろう。

 ローザが笑い声を立てる。メフィストも笑う。よく「プリティ」と言う。

 こんな「ふつうの女の人」としておしゃべりするメフィストを、納は知らない。

 自宅でどれだけ気を抜いていても、メフィストは納の主という姿勢を崩さない。それは支配者という意味でも保護者という意味でもあり。つまりは納を頼りない子どもとしか見ていないのだ。

 不快。

 ドアの前で仏頂面になるのを堪えていると、会話の雰囲気が変わった。

 きょとんと突っ立っているのに、ユーリが上から目線で言う。

「こっちに来なさいって言われてるでしょ!」

「ごめんなさい……」

 慌てて謝る。が、メフィストの表情は「あ、忘れてた」だ。思い出したように、いや、思い出して日本語に切り替える。

「これが【ソロモンの小さな鍵】」

 ユーリがうやうやしくテーブルに置いたものを見る。

「……? 瓦?」

「粘土板。と、推察される。鑑定も調査もできないため、実際どういう素材かは不明。壊れたら一大事だからね。とかく、この手のひらサイズの呪物によって、ソロモン七十二霊は弱体化させられている」

「ソロモン七十二霊が本当の力を散り戻したらどうなるの?」

「この中央区が一時間で更地になる。真実でも例えでも」

「このボロボロの板がそんなにすごいんだ……」

 じいっと粘土板を上から見つめる。元は何か彫られていたらしいが、劣化してなんなのかわからなくなっている。

「ほら、確認したんだから、さっさと入り口に戻りなよ。僕らは使用人だよ? まあ、僕みたいな10年もやっているベテラン並みにできないのは当然だけどね」

 またユーリ。納の笑顔がとうとう崩れる。

「女の子の服着てるくせに……」

 得意げな表情がカチンときた、に変わる。

「奥様がくれたお仕着せの悪口言ったな!」

 ヒュンと風切音。次の瞬間、左手を強く引かれ、地面に叩きつけられる。

「糸?」

 左手全体にピアノ線のようなものが巻き付いている。この糸で引かれて地面に叩きつけられたようだ。左半身に痛みを感じる。

 糸の先はユーリの手袋の内にある。あいつが糸を操って転ばせたな、と理解する。

「やったな!」

 立ち上がった瞬間つかみかかろうとする。

「Stop that!(おやめ!」

 ローザの一喝。二人がピタリと止まる。

「時よ戻れ!」

 ついでメフィストの呪文。眼鏡が落っこちる。

「え、え、なんで?」

 眼鏡が落っこちても視界はぼやけない。しかし、低くなっていく。

 目の前のユーリを見る。

「あー!」

 同時に声を上げ、鏡を見る。

「あー!」

 またしてもキンキン声を同時に上げる。

 大鏡には、ちんちくりんのメイドが写っている。

 傷痕から察するに、片方はユーリ。

 と、いうことは……、左目に眼帯をした方は納自身ということだ。

「なんでぇー!」

 腕組みをして怒りを見せるメフィスト。

「肉体の時間を巻き戻した。九歳くらいの体かな。納、仕事中に喧嘩を吹っ掛けるとは……」

 同じくのローザ。

「ユーリ、喧嘩の上に先に手を上げるなんて言語道断……」

 同時。

「その格好でバケツ持って立ってなさい!」


 翌日。

「悪口言ってごめんなさい」

 出会いがしらに謝罪され、ユーリは目を丸くした。どんぐり目が完全に球になっている。

 戻してもらえた(さんざん「見て見て、メイドちゃんが立たされてるー」「かわいいー」と他の客の見世物になった後)ので、納はいつものスーツ。ユーリは今日もまたメイド服である。否。ユーリも「いつものメイド服」なのだろう。

「……帰ってから怒られたの?」

「えっ、わかるの?」

「うん」

「わかっちゃうんだ……。うん、ベッドから落っこちて「うるさい!」って」

「ベッド?」

「え? あ、ああ、ベッドでモダモダしてたら落っこちて」

「モダモダ?」

「いや、ほら、「なんでー! なんで僕、やなこと言っちゃうのー! ユーリ悪くないのにー!」ってモダモダ……。ひょっとして別のことの話してた!?」

「ひょっとしなくてもそうだよ!」

 しばらく腕を組んで空中を見て。

「で、モダモダしたから謝ろうって思ったの?」

「うん。僕が悪かったから」

 ふーん、とユーリはわざとらしく言い。

「まあ、反省していることを蒸し返すのは仕事に支障をきたすだけだからね。ビジネス用の笑顔も表情も作る余裕もないみたいだし。大目に見てあげるよ」 

 えらそぶった口調とボディランゲージでゆるし。

「でも、僕のほうがお兄さんなんだから、ちゃんと言うこと聞いてよね」

 と業務上の注意をした。

「わかった」

 胸を張って頷かれた。もしかしたら、単に先輩風を吹かせられるのが嬉しいだけなのかもしれない。

 では、仕事開始。

 並んで歩きだす。人通りが少ないのに、すべての人が振り返る。そりゃそうだ、日本の住宅地にメイド・ガイだもの。

「ここ、都内?」

「うん。高級住宅地だから少子高齢化が激しいんだ」

「ああ、それで塔しか目立つものがないのかあ。確かにあれは高級ホテルーってカンジだけど、塔みたいなデザインがウリになる地域じゃないよね。ロマンチックじゃない」

「うーん、それはよくわかんないけど。それにしてもへんな仕事だよね。ホテルの周りをぐるぐる歩き回ってこいなんて」

「まあ、新人に与えられる仕事なんてそんなもんだよ」

「そうなんだ……。……やっぱりユーリも新人なの?」

「違う! 僕は新人を監督するベテラン……、待って」

 ユーリの目が鋭くなる。

「死体の気配がする」

 引き締まる空気。

「なんでわかるの?」

「奥様は武器商人だ。そして僕は奥様のメイドだ。死体がある。死因はわからないけど、近くに、必ず」

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