水無月16
「先生、聞いてください、あのねぇ、メフィストが先生のおうちのもの、なんでも持って帰っていいって。でもねぇ、探したけどほしいのなかったのです。きれいな着物とか彫刻した道具とかあったけど、僕にはいらないのです。だからねぇ、代わりに埋めておくことにしたのです」
一刀斎の文机に向かって言う。文机だが、何か書き物をしているところは見たことがない。置いてあるのはだいたい酒瓶や携帯や短刀や手裏剣であった。その背中にのしかかるようにして話すのが納の常で、聞くのが面倒になると一刀斎は片手で納を床に転がし、しっしと犬を払うように追い払った。
「やっぱりただの独り言だ」
死んだ人間は消滅する。この梅雨の京都で、大事な人が二人消滅した。
カッパのぬいぐるみを右手に、歯車さんを左手に庭に下りる。
かなり激しく草ぼうぼうである。縁側にカッパを置き、園芸用スコップで庭を掘る。長いことほったらかしだったスコップは錆び切っていて、納のネクタイと同じ色になっている。
納は黒一色のスーツ姿である。もう学ランは小さいし、道着も「ひどい」らしい。ちょっと体をきゅっと締める服じゃないと落ち着かないと言ったら、メフィストが目を輝かせて仕立て屋さんを呼んだのだ。
「近頃はスリムな仕立てが流行です」と仕立て屋さんの見本を試着したら、メフィストが顔をしかめた上、「少しセクシーすぎますね」と仕立て屋さんまで却下したのは少し傷ついた。ユキに「胸とお尻が大きいからぴっちぴちですネ」とストレートに言われたのはかなり傷ついた。「容姿にこだわるのは男らしくないんじゃなかったデスカ?」「だってそれ女の人の体型だもん! 男らしくない体型だもん!」最近気づいたが、ユキはたまにいじめっこになる。蛍はいつも僕を甘やかしてる。「そんなに都合よく痩せねえよ。ま、それでも痩せたいんなら止めないけどさ。もうちょっとでレーズンクッキー焼けるけど、いらないんなら」「いるー! 絶対いるー!」
ざっくざっく。
それなりに大きい穴ができた。
そこに歯車さんを入れる。
土をかける。
歯車さんが見えなくなったとき、ちょっと掘り返したくなる。でも、土をかけ続ける。
「こういうのも納骨っていうのかなぁ」
父親を焼いた火葬場の風景が蘇る。
納の熱はまだ下がらず、メフィストが隣で姿勢よく立っていた。
死体が炎に入っていくとき、知らない老婆が納に言った。
「最後に、お父さーんって呼んであげなさい」
何も知らない老婆を憎らしいと思った。
その瞬間、メフィストがはねつけた。
「一緒に焼却炉に放り込まれたくなくば、疾く失せろ」
信じられないという顔をして、老婆は逃げていった。
納がメフィストの刃となる根拠は、その一言で充分である。
歯車さんはすっかり埋まってしまう。
「かがり火、先生、さよなら」
室内に戻ろうとしたとき、家の前で車が停まる音がした。
また女の人だろうか、と玄関に向かう。
予想外に男の人だった。かなりおじさんだった。
「君が七竈納君?」
「はい。おじさんは先生のお知り合いですか?」
「うん。昔お世話になったんだ。お線香をあげてもいいかな?」
「お線香はないのです。でも、おあがりください」
「お線香はないか。やっぱり一刀斎さんは一刀斎さんだなあ」
おじさんはそう言って難儀そうに車から降りようとする。
納は肩を貸す。杖の片方を持つ。柔らかいおなかが当たる。
「ありがとう。しかし、君、ずいぶんと泥んこだねえ」
「粗茶ですが」
おじさんの前にお茶を置く。湯呑みには事欠かない。夫婦茶碗の婦の方だけないのがいっぱいある。
おじさんは床の間の手前を見る。
「そのカッパは君の?」
納はちょっと慌てる。
「違うのです。ぬいぐるみだけど、女の子やちっちゃい子のぬいぐるみじゃないのです。コレクションなのです。……それしかないけど」
「そうなんだ。男前のカッパだと思って」
嬉しくなる。
「あの、おひるごはん食べますか?」
「え、いや、いきなりきてそんな……」
「そうですか……」
「……。君、おなかすいてるの?」
「そうなのです」
「ごめんね。いただくよ。実はおじさんも昼ご飯を食いっぱぐれててね」
おにぎりを食べながら、おじさんは納の頭から足元まで見る。
「おいしいおにぎりだね」
「ありがとうございます。卵とお味噌があれば、卵焼きとお味噌汁も作れるのですが……」
「一刀斎さんが教えた?」
「そうなのです」
「あの人、それしか作れないかったよねぇ」
「そうなのです。それも作り方を蛍に教えてもらったのに変えても、ぜんぜん気づかないのです」
「馬鹿舌だったよねえ。蛍って?」
「一緒に住んでる同い年の男です。すごいのです。なんでもできるのです。卵焼きも菜箸とフライパンだけで作れるのです。お味噌汁も野菜を皮ごと切って、ことこと弱火で煮たら野菜の出汁が出るから味付けは味噌だけでいいって教えてくれたのです。すごいのです」
「それはすごいな」
「はい。ユキもすごいのです。すごく賢いのです。一か月とちょっとで中学生くらいまで勉強することを全部わかるようになったのです。あと、絵もうまいのです。それからお友達もたくさんいて、オフ会にも3回行ったのです。賢いのです」
「そうかあ……。それが聞けたらおじさんの用事はほとんど済んじゃったな」
「おじさんのご用はなんですか?」
おじさんはにこにこのまま暫く黙った。
「一刀斎さん、剣客みたいなことしてただろ?」
「してたのです」
「おじさん、昔、仲間と悪いことしててね。でも、するのがあんまり悪いことだから怖くなっちゃって、仲間から抜け出したかったんだ」
「はい」
「それで、一刀斎さんにこう、なんというのかな……そこまでたいへんなことにならないけど、歩くのは不自由になるような斬り方で、うまく片足を斬ってもらって、やっと抜けられてね。そのとき、一刀斎さんの言うことならなんでも聞く約束をさせられたんだ」
「……」
今度は納が黙る。じいっと話に聞き入る。
「それでおじさんは田舎に帰ってね。在宅の仕事をしてるんだ。だけどね、6月の……いつだったかはっきり思い出せないな……一刀斎さんに呼び出しを受けてね。なんだろうと思って駆け付けたら、君のことを頼めないかって、頭を下げられたんだよ」
驚く。
「先生が!」
「うん。俺もびっくりした。あの一刀斎さんが頭を下げるんだからね。刀を突きつけられて脅された方がびっくりしなかった。でも、一刀斎さんが頭を下げられるようになったんだから、引き受けなきゃなって」
日の光が大きい。もう夏。
「君も齢をとらない?」
「え、えと、あの」
「いや、詳しくは聞かないよ。一刀斎さんと初めて会ってから四十年経ってるからね。よくわからないけど、そういうこともあるんだろう。
一刀斎さんが薬品で君の顔を手足の皮膚を焼けって言ったから、そうなんだろうなって。
家事でひどい火傷を負って、そのせいで心も病んでしまった子を引き取った。それなら話も通りやすい」
「……おじさんはどこに住んでいるんですか?」
「うーん、地名を言っても知らないだろうなあ。山奥の過疎の村の一番不便なところに住んでる」
またじっと聞く。
「こういう体だと、田舎はある意味住みやすい。一人前の人間と見られないから、しがらみのためだけにやる仕事や付き合いをやらなくていい。僕は仲間どころか、誰とも一緒にいない日が一番好きなんだ」
「先生が言ったことと反対のこと……」
「ガッカリした? そうなんだよ。僕もびっくりした。一刀斎さんは見下されるのが一番嫌いだし、見下されるのを我慢する人間も大嫌いな人だったから。
でも、なんとなくだけど、誰にもないしょで君に戦わない道を作ってあげたかったんろうなって」
驚く。
「なんで……なんで知ってるの?」
「いやあ、そりゃあおじさんも悪いことしてた時期があるし、なによりあの一刀斎さんの弟子だろ? 命がけで戦ってるに決まってるよ。これはたぶん、じゃない」
「……おじさんは僕を迎えに来たの?」
「半分くらいそうだったかな。亡くなる前の日にいきなり電話がかかってきて。「あの頼みは取りやめにしろ。いいな?」ってだけ言って切れたから、ああ、あの人死ぬんだ、ってわかったし」
納の頭を脂肪で柔らかい手が撫でる。
「死んだんだから、君本人の希望があれば連れて帰ってもいいかなって思ってたけど、やめた」
一刀斎先生の頭をかき回すのとは違うし、メフィストの甘えるなでなでとも違う。ただの太った親切な人が優しくしてくれている。
「友だちと別れるのはさみしいもんな」
納はぽつりと言った。
「友だちは……いないのです」
「ええ?」
おじさんは納にもびっくりする。
「友だちは死んじゃったのです。友だちはその子だけだけど、死んじゃったのでもういないのです」
おじさんは首を傾げる。
「ほたる……っていう人とゆきっていう人は友だちじゃないの?」
「じゃないのです。優しくしてくれるだけなのです。優しくしてくれる人でも、友だちになってもらえそうになったら、なぜだか急に僕が嫌いになるのです。いつもそうなのです」
おじさんは納の顔をのぞき込む。
「そっか。納君はその人たちが大好きだから、嫌われたくないんだね」
「そうなのです」
「向こうもそうだよ」
「なんでわかるんですか?」
「おじさん、あの一刀斎さんとの付き合いが長い大人だから。気難し屋にも怒りん坊にも慣れてるもの。君は案外嫌われ者じゃない」
納またじーっと黙って考える。
「先生が言っていたのです。僕は敵に突っ込んで行くのに向いているって」
「うん」
「お友達が言っていたのです。ひとりぼっちや、のうなったんやろって」
「うん」
「なので、蛍とユキに聞いてみます」
「うん。今から?」
「今からでもいいですか?」
「うん、俺はお暇するよ」
「なんのお構いもできませんで」
「気にしないで」
おじさんは頭を撫でてくれた。
「元気でね」
荷造りがほぼ終わったマンション。飛び込む。まっしぐらに。
蛍が口紅を塗り直している、その脇でユキがアイスをかじっている。
「ただいま!」
「おかえ……お前っ。スーツもう泥っ」
「おかえりデスヨー。冷凍庫の最中アイス食べていいデ……」
息せき切って問う。
「蛍! ユキ! お友達になってくれる!?」
「……」
無言。
二人があぜんとする。
もう嫌いになっちゃったのだろうか。
数十秒の無言の後、蛍が驚いてるのか怒ってるのか両方かの顔で大声を出す。
「お前……今までただの他人にあんだけベタベタしてたのかよ!?」
蛍の言っている意味がよくわからない。
その間に、ユキが腕を組み、にやりと笑う
「ふっ……、気づいてしまったのデスネ……」
名探偵が犯人を指さすポーズをとる。
「実は納、あなたは私たちのペットだったのデース!」
「えっ知らなかった」
こちらもあぜん。
「知らないのも無理はありまセン……。安心しなサイ。ペットの自覚が出たところで待遇に変化ナド……」
「いい加減にしろ」
ぺしんと蛍がユキの頭をはたく。
「モー、だって今じゃなきゃこのネタいつ使うデスカ」
「一生使わなきゃいいんだよ」
あの、えと、と納が狼狽する。自分でも意味がないとわかる身振り手振りをする。
蛍がボソッと言う。
「なりたきゃ勝手になれよ」
「え?」
「友達でもなんでもなりたきゃ勝手になればいいじゃん」
ぶっきらぼうに言い放ち、口紅を塗る作業に戻る。
「ウー、蛍はツンデレだネー。でも、納もおバカちゃんダネ!」
げらげらおなかをおさえながら、ユキはさっきのポーズを繰り返す。
「なんと! 私たちは既に友達だったのデース!」
納はぽかんとする。言葉を理解しようと考える。
理解。
直後、蛍に抱き着く。
「ありがとうー! 蛍、ユキ、大好き!」
「ウー! 蛍ばっかりずるいヨ! 私にもカモンダイブ!」
「ユキは女の人だから勝手に触っちゃだめ」
「なんと! ならばこちらから首を極めてあげるヨ!」
メフィスト・フェレスは少し驚く。
何千年もの歳月を生きた悪魔でありながら、こんな子供に驚かされる。
帰宅しただけなのに、三人とも笑っている光景に遭遇するとは!
七月十五日
いろんなことがいっぱいあったので、眠くないときに書く。
≪空六六六ぷらす!≫
ユキ「そういえば、納が一刀斎センセーに基本敬語なの意外だったヨ。あんまり敬語使ってるトコ見たことナイ」
納「むぅ……僕だってちゃんと敬語使えるもん。もう16歳だもん」
蛍「ちゃんと敬語……?」
だいたい「のです」「なのです」って語尾なだけだよな?
2018/6/1初稿




