水無月13
大神神社行き前夜。
ジョーイ・ラスボーンは祇園の一室であぐらをかいていた。
「どうしたんだい? 酒も女もなしなんて。出家でもした?」
鏑木一刀斎は正座している。その目がきかとジョーイを見る。
「おぬし、ラバウルにいたな?」
ジョーイは、はは、と口に出す。
「えらく昔の話をするね。南方前線はあっちこっち移動したからなあ。ラバウルねえ、いたって言うほどいたとは」
無言で一刀斎はジョーイを見つめ続ける。脅しの中に悲痛を感じ、ジョーイもしばし沈黙する。
「わかった。本当の話をする」
無言。
「君の弟子たちを殺したのは、僕だ」
当時はまだ歩兵だった。
「補給のためのキャンプを作る任務だった。そこには日本兵が1人だけ突っ立っていた。撃ち殺してから尉官だと知った。僕らは彼の部下を探した。見つからなかった。妙だと思いながらテントを張ったその夜だ。見張りがすべて殺された」
……これは斬り傷だ!
あの尉官の部下か?
本部に連絡!
返答ありました! キャンプを捨てるなとのことです!
「それから僕らは狩りを始めた。自分たちの周囲のどこかに潜んでいる、日本兵狩りだ」
また殺された!
おかしいぞ、また斬り傷しかない。
銃はどうしたんだ?
レニーの方は撃ってる。
わかってる! ジャップの銃に決まってんだろクソッタレ!
「つらい狩りだった。僕らの方は少しずつ数を減らしていった。昼夜を問わず、ほんのわずか少人数になった時間、仲間が死体になって見つかった」
斬り傷だ! 斬り傷しかない!
あいつらはどこにいる? 何人いる?
そもそもあいつらの補給はどこからだ?
なぜ一斉襲撃がない?
『全員で4人だ』
本当かニガー?
4人? たった4人?
何をしているんだ? そいつらは?
いいじゃないか。これは希望の導だ。
「僕だけが知っていた。彼らがなぜ、このキャンプ地にこだわるのか」
『相手は人間だ。生きていれば生活の痕跡が残る』
足跡。
果物の食べかす。
捨てられたマッチ。
『ここが彼らの水場だ』
待ち伏せろ。
待ち伏せろ。
待ち伏せろ! 全員で待ち伏せろ! 化け物どもをブチ殺せ!
「彼らの方が先に来ていたんだ、あの土地は。僕らが気づかずテントを張ってしまった真下に、その箱は埋まってた」
来た。
来たぞ。ほんとに4人だ。たった4人だ。
撃てェエエエエエエ!
「箱というより空き缶だな。ただの空き缶。大事に封がされていただけの」
「……中には? ……その中には?」
「彼らの本当の名前と年齢。そして、「センセエ、サヤナラ」の一文の書かれた紙。エの部分を×で決してイに書き直していた。きっとラバウルに来るまでに、生きて帰れないことを知ったんだろう。そして、彼らにはさ、一刀斎。あなたしか別れを告げる相手がいなかったんだ」
「その紙をどうした?」
「燃やした。知ってて殺したとなれば僕らが困った。殺さなければ僕らは死んでいた。怖かったよ、あんたの弟子たちは」
一刀斎の力が抜けた。
「阿呆どもが……。せっかく見張りがおらんようになったんじゃ……。泳いで逃げればよかろうが……。どこまでも、どこまでも、遠くへ行けば、生きられようが……」
静まった空気に、三味のべん、という音が響いた。
べん。
「なぜ、少年兵を?」
べん。
「飢えて死ぬと決まっているのなら、戦に出た方がよい。そちらの方が死ぬ率が減る。あの頃の軍隊はそういうガキがしょっちゅうきた。志願兵の名を借りて、歳を偽って、ひもじいガキどもが」
べん。
「あんたもそうだった?」
「いいや。儂はそれより先に喧嘩を覚えた。殴ることを、奪うことを覚えた。気付けば死刑囚になっていた」
軍令陸第三號 劍術教範
第一 劍術ノ目的ハ白兵ノ使用ニ習熟セシメ――。
「便所紙にでも使え。こんなん」
一行目の途中でもう教範を投げ捨てる。黒く小さい手帳型のそれは、床でページがばらばらに散る。
「貴様ァ! 恐れ多くも」
「儂に恐ろしいものなどないわ」
はん、と吐き捨る。目の前の軍人の青筋が増える。
「こんな男が国の役に立つか! 監獄へ戻せ! いや、今すぐ処刑しろ!」
「なら、これが最期の一服じゃな」
軍人の表情が青ざめる。慌ててポケットをさぐる。ない。
「いい煙草吸っておるな」
スった「ひかり」を咥えようとし、気づく。
「マッチもよこせ」
「き、きさ、きさ」
怒りすぎて単語すら言えない軍人をとくと眺める。こいつは軍人に向いていない。百姓の方が向いている。喧嘩が下手すぎる。
「おぬし、白兵戦をわかっているか?」
やっと単語になる。
「国のための勇士として! 銃大砲もものともせず! たとえ敵と合い討とうとも!」
「合い討てるか。アホ」
もう立っているのも面倒だと、勝手に椅子に座る。
「銃だの大砲だのに刀が勝てるか。間合いが狭すぎる。切っ先が届く前に撃たれて死ぬ」
軍人は口だけをしばらく動かし、やっと言葉にする。
「貴様は……貴様はやったではないか。銃に刀で勝ったではないかッ!」
しまいには口の端に泡が溜まっている。心底、喧嘩が下手な男だ。
「そんなもん、儂だからできただけに決まっておろうが」
「貴様にできることが大和男児にできんわけがあるか!」
「あるな」
ぐうっと唸る。直後、どんっと拳を机に振り下ろす。
「少佐の地位を用意している……!」
「佐官か」
ふむ。ならば話は別である。チャンバラ教えるだけで少佐なら悪い話ではない。いや、いい話だ。定職についたことがない男は、出世と贅沢が大好きなのだ。
「よし。そんならその教官とかいうのをやってやろう。どいつを教えればよい?」
「人選も貴様に任せるとのことだ! いいか、必ず銃を必要としない兵士を作れ! 以上!」
「金が欲しかったし、命も惜しかっただけのはずだったのじゃがな……」
おい、あいつと、あいつと、それからあいつ、うむ、あと、あいつを連れてこい。
少佐殿……その……恐れながらあいつらは……。
知っとる知っとる。ガキの方が伸びしろがデカい。とっとと連れてこい。嫌がったら首根っこ捕まえて引きずってこい。
「どいつもこいつも、人生というものを、明日の夜までしか考えられんヤツらじゃった」
そういう子供はいつの時代もどこにでもいる。今、弟子にしているガキもそうだ。
明日の夜まで生きていられるならなんでもする。しかし、明日の夜以降、生きているかどうかは思考の外。死にやすい連中だ。
これが銀シャリっちゅうもんか……。
先生、これ、どっから盗ってきたんですか?
バカ、先生は強いから軍が向こうからくれたんだ。
先生、すげえや。きっと日本一強ぇんだ。
「まあ、銃大砲相手に勝てるわけがない。だが、訓練中ならくいっぱぐれることはない」
貴様ら、どこへやった! 儂の弟子たちをどこへやった!
もうラバウルに向かっている。
これ以上の訓練は必要ない。少佐。次を育成しろ。
まだ早い! 生き残れるものか! 死ぬぞ! 必ず死ぬ! かえせ、かえせええええッ!
「儂は別じゃがな」
本当に気がふれているのか? 気がふれた男1人に二個小隊が殺せるのか?
じゃあ貴様が行ってみろ。見ろ、証拠がばたばた転がってるだろうが。
いつまで立てこもる気だ……。もう正気でもいかれでもいい。出てきてくれ……。こっちまでおかしくなる……。
前回の捕縛のようなわけにはいかない。あれも人間だ。必ず餓えている。
「まあ、暴れるだけ暴れてやったわ」
おじさん。差し入れ。
女は女でもこんなガキではなあ……、もっとデカくて器量がいいの連れてこいと言え。
……あたしのお父さん、あそこに転がってる人だよ。わかる? あんたが昨日殺したあの人だ。
ああ、わかったわかった。おぬし、親父似じゃな。
「女のために死ぬのなら、男冥利に尽きる。まあ、これでもよいか、と妥協して」
毒と気づいたか?
まさか。いくらなんでも。
扉が開いたッ! い、生きてやがるんだあああああッ。
バカ、勝手に撃つヤツが……。
間違えよったな……ッ! この儂と、あんな弱弱しいメスガキとを、よくも、よくも間違えよったなあああッ!
「いまわの際、あの女が現れた」
メフィスト……? 化け物か? なんでもよい。助けてくれ。なんでもする。
自ら隷属を望む者を、私は人間と認めない。
「いい女だと思った」
御託はいいからさっさと助けろ! あいつら鏖にしてやる! 早くしろクソアマ!
よろしい。契約を結んでやろう。君は私の下僕であり、私は君の下僕だ。
いつの間にか三味はやんでいた。
「おや、トンボじゃないか」
「珍しいの。シオカラトンボか。久しぶりに見る。ほれ、どこなと行くがよい」
開いた窓から夜風が入った。
「一刀斎さん、あんたの本当の名前は」
彼の瞳に瑠璃が覗いた。
「売女が下ろし損ねた合いの子」
青い翅は、月に向かって飛んで行く。
(白紙)
2018/5/26 初稿




