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空六六六  作者: 浮草堂美奈
第二章 修行ノ語リ
47/56

水無月13

大神神社行き前夜。

ジョーイ・ラスボーンは祇園の一室であぐらをかいていた。

「どうしたんだい? 酒も女もなしなんて。出家でもした?」

鏑木一刀斎は正座している。その目がきかとジョーイを見る。

「おぬし、ラバウルにいたな?」

ジョーイは、はは、と口に出す。

「えらく昔の話をするね。南方前線はあっちこっち移動したからなあ。ラバウルねえ、いたって言うほどいたとは」

無言で一刀斎はジョーイを見つめ続ける。脅しの中に悲痛を感じ、ジョーイもしばし沈黙する。

「わかった。本当の話をする」

無言。

「君の弟子たちを殺したのは、僕だ」


当時はまだ歩兵だった。

「補給のためのキャンプを作る任務だった。そこには日本兵が1人だけ突っ立っていた。撃ち殺してから尉官だと知った。僕らは彼の部下を探した。見つからなかった。妙だと思いながらテントを張ったその夜だ。見張りがすべて殺された」

……これは斬り傷だ!

あの尉官の部下か?

本部に連絡!

返答ありました! キャンプを捨てるなとのことです!

「それから僕らは狩りを始めた。自分たちの周囲のどこかに潜んでいる、日本兵狩りだ」

また殺された!

おかしいぞ、また斬り傷しかない。

銃はどうしたんだ?

レニーの方は撃ってる。

わかってる! ジャップの銃に決まってんだろクソッタレ!

「つらい狩りだった。僕らの方は少しずつ数を減らしていった。昼夜を問わず、ほんのわずか少人数になった時間、仲間が死体になって見つかった」

斬り傷だ! 斬り傷しかない!

あいつらはどこにいる? 何人いる?

 そもそもあいつらの補給はどこからだ?

 なぜ一斉襲撃がない?

『全員で4人だ』

 本当かニガー?

 4人? たった4人?

 何をしているんだ? そいつらは?

 いいじゃないか。これは希望の導だ。

「僕だけが知っていた。彼らがなぜ、このキャンプ地にこだわるのか」

『相手は人間だ。生きていれば生活の痕跡が残る』

 足跡。

 果物の食べかす。

 捨てられたマッチ。

『ここが彼らの水場だ』

 待ち伏せろ。

 待ち伏せろ。

 待ち伏せろ! 全員で待ち伏せろ! 化け物どもをブチ殺せ!

「彼らの方が先に来ていたんだ、あの土地は。僕らが気づかずテントを張ってしまった真下に、その箱は埋まってた」

 来た。

 来たぞ。ほんとに4人だ。たった4人だ。

 撃てェエエエエエエ!

「箱というより空き缶だな。ただの空き缶。大事に封がされていただけの」

「……中には? ……その中には?」

「彼らの本当の名前と年齢。そして、「センセエ、サヤナラ」の一文の書かれた紙。エの部分を×で決してイに書き直していた。きっとラバウルに来るまでに、生きて帰れないことを知ったんだろう。そして、彼らにはさ、一刀斎。あなたしか別れを告げる相手がいなかったんだ」

「その紙をどうした?」

「燃やした。知ってて殺したとなれば僕らが困った。殺さなければ僕らは死んでいた。怖かったよ、あんたの弟子たちは」

 一刀斎の力が抜けた。

「阿呆どもが……。せっかく見張りがおらんようになったんじゃ……。泳いで逃げればよかろうが……。どこまでも、どこまでも、遠くへ行けば、生きられようが……」

 静まった空気に、三味のべん、という音が響いた。

 べん。

「なぜ、少年兵を?」

 べん。

「飢えて死ぬと決まっているのなら、戦に出た方がよい。そちらの方が死ぬ率が減る。あの頃の軍隊はそういうガキがしょっちゅうきた。志願兵の名を借りて、歳を偽って、ひもじいガキどもが」

 べん。

「あんたもそうだった?」

「いいや。儂はそれより先に喧嘩を覚えた。殴ることを、奪うことを覚えた。気付けば死刑囚になっていた」


 軍令陸第三號 劍術教範

 第一 劍術ノ目的ハ白兵ノ使用ニ習熟セシメ――。

「便所紙にでも使え。こんなん」

 一行目の途中でもう教範を投げ捨てる。黒く小さい手帳型のそれは、床でページがばらばらに散る。

「貴様ァ! 恐れ多くも」

「儂に恐ろしいものなどないわ」

 はん、と吐き捨る。目の前の軍人の青筋が増える。

「こんな男が国の役に立つか! 監獄へ戻せ! いや、今すぐ処刑しろ!」

「なら、これが最期の一服じゃな」

 軍人の表情が青ざめる。慌ててポケットをさぐる。ない。

「いい煙草吸っておるな」

 スった「ひかり」を咥えようとし、気づく。

「マッチもよこせ」

「き、きさ、きさ」

 怒りすぎて単語すら言えない軍人をとくと眺める。こいつは軍人に向いていない。百姓の方が向いている。喧嘩が下手すぎる。

「おぬし、白兵戦をわかっているか?」

 やっと単語になる。

「国のための勇士として! 銃大砲もものともせず! たとえ敵と合い討とうとも!」

「合い討てるか。アホ」

 もう立っているのも面倒だと、勝手に椅子に座る。

「銃だの大砲だのに刀が勝てるか。間合いが狭すぎる。切っ先が届く前に撃たれて死ぬ」

 軍人は口だけをしばらく動かし、やっと言葉にする。

「貴様は……貴様はやったではないか。銃に刀で勝ったではないかッ!」

 しまいには口の端に泡が溜まっている。心底、喧嘩が下手な男だ。

「そんなもん、儂だからできただけに決まっておろうが」

「貴様にできることが大和男児にできんわけがあるか!」

「あるな」

 ぐうっと唸る。直後、どんっと拳を机に振り下ろす。

「少佐の地位を用意している……!」

「佐官か」

 ふむ。ならば話は別である。チャンバラ教えるだけで少佐なら悪い話ではない。いや、いい話だ。定職についたことがない男は、出世と贅沢が大好きなのだ。

「よし。そんならその教官とかいうのをやってやろう。どいつを教えればよい?」

「人選も貴様に任せるとのことだ! いいか、必ず銃を必要としない兵士を作れ! 以上!」


「金が欲しかったし、命も惜しかっただけのはずだったのじゃがな……」


 おい、あいつと、あいつと、それからあいつ、うむ、あと、あいつを連れてこい。

 少佐殿……その……恐れながらあいつらは……。

 知っとる知っとる。ガキの方が伸びしろがデカい。とっとと連れてこい。嫌がったら首根っこ捕まえて引きずってこい。


「どいつもこいつも、人生というものを、明日の夜までしか考えられんヤツらじゃった」

 そういう子供はいつの時代もどこにでもいる。今、弟子にしているガキもそうだ。

 明日の夜まで生きていられるならなんでもする。しかし、明日の夜以降、生きているかどうかは思考の外。死にやすい連中だ。


 これが銀シャリっちゅうもんか……。

 先生、これ、どっから盗ってきたんですか?

 バカ、先生は強いから軍が向こうからくれたんだ。

 先生、すげえや。きっと日本一強ぇんだ。


「まあ、銃大砲相手に勝てるわけがない。だが、訓練中ならくいっぱぐれることはない」


 貴様ら、どこへやった! 儂の弟子たちをどこへやった!

 もうラバウルに向かっている。

 これ以上の訓練は必要ない。少佐。次を育成しろ。

 まだ早い! 生き残れるものか! 死ぬぞ! 必ず死ぬ! かえせ、かえせええええッ!


「儂は別じゃがな」


 本当に気がふれているのか? 気がふれた男1人に二個小隊が殺せるのか?

 じゃあ貴様が行ってみろ。見ろ、証拠がばたばた転がってるだろうが。

 いつまで立てこもる気だ……。もう正気でもいかれでもいい。出てきてくれ……。こっちまでおかしくなる……。

 前回の捕縛のようなわけにはいかない。あれも人間だ。必ず餓えている。


「まあ、暴れるだけ暴れてやったわ」


 おじさん。差し入れ。

 女は女でもこんなガキではなあ……、もっとデカくて器量がいいの連れてこいと言え。

 ……あたしのお父さん、あそこに転がってる人だよ。わかる? あんたが昨日殺したあの人だ。

 ああ、わかったわかった。おぬし、親父似じゃな。


「女のために死ぬのなら、男冥利に尽きる。まあ、これでもよいか、と妥協して」

 毒と気づいたか?

 まさか。いくらなんでも。

 扉が開いたッ! い、生きてやがるんだあああああッ。

 バカ、勝手に撃つヤツが……。

 間違えよったな……ッ! この儂と、あんな弱弱しいメスガキとを、よくも、よくも間違えよったなあああッ!


「いまわの際、あの女が現れた」

 メフィスト……? 化け物か? なんでもよい。助けてくれ。なんでもする。

 自ら隷属を望む者を、私は人間と認めない。


「いい女だと思った」

 御託はいいからさっさと助けろ! あいつらみなごろしにしてやる! 早くしろクソアマ!

 よろしい。契約を結んでやろう。君は私の下僕しもべであり、私は君の下僕だ。


 いつの間にか三味はやんでいた。

「おや、トンボじゃないか」

「珍しいの。シオカラトンボか。久しぶりに見る。ほれ、どこなと行くがよい」

 開いた窓から夜風が入った。

「一刀斎さん、あんたの本当の名前は」

 彼の瞳に瑠璃が覗いた。

売女ばいたが下ろし損ねた合いの子」

 青い翅は、月に向かって飛んで行く。


(白紙)


2018/5/26 初稿

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