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空六六六  作者: 浮草堂美奈
第二章 修行ノ語リ
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水無月12

「儂の言う通りにせよ」

 七竈納は理解する。泣きそうに歪んでいた顔が、すっと静かになる。同時、彼は腕を伸ばす。

 空間にひび割れが生ずる。

 鏑木一刀斎の手元にも同じひび割れが生まれる。

 このひび割れは時の狭間(はざま)だと、メフィストは言っていた。廃棄された武器を狭間から引き出すのだと。

 つまり、一度は存在し、さらに廃棄されねば引き出せへんのや。

 まるで僕らみたいだ、と納は思う。先生も廃棄されたのだろうか、とも思う。

 思うだけで思考はしない。

 一刀斎先生から学んだことだ。

 己を一振りの鋼とせよ。

 相手がお前の敵だと解すれば、ブチ殺す以外のことを考えるな。

 脳みそは如何(いか)にすれば殺せるかという、それのみに使え。

 お前は生涯一番槍(やり)だ。将も策もお前の器ではない。

 なれど、まっしぐらに敵に突っ込んでいくことただそれだけが、お前ほど向いている者はいない。

「人は払うたぞ」

 人だけではない。

 周囲の風景がまるで違う。

 円形の空白に二人は対峙(たいじ)している。

 半径約三メートル。

 地面は乾いた土。

 木々がぐるりと二人を閉じ込める。

 木だけが元の三輪山と同じ木だ。

 ぞわぞわ、ぞわぞわ、騒いでいる。

「これは先生が作ったのですか?」

 一刀斎は口角をつり上げる。

然様(さよう)。メフィストの呪い持ちは、(みな)このように(わざ)を持つ。儂はこのように何重もの結界(けつかい)を張れる。泣こうがわめこうが出してやらん」

 納は理解したことを確認する。

「僕は先生を殺さなくちゃだめなのですね」

「然様」

 ひび割れから、同時に刀を引っ張り出す。

納の黒漆仕上げの鞘。縞皮菱巻。繁打の下緒。

一刀斎の青漆氷砕文石目地塗の鞘。燻皮菱巻。水色組糸の下緒。

 鉄地・菊・蜻蛉文透鐔。

 鉄地桔梗文鐔。

 雲切丸。

 備前長船清光。

 なぜ殺さねばならないか。納は考えない。ただ、一刀斎先生の素振りから、何か腹をくくったことは勘づいていた。

 かがり火の死を、一刀斎に伝えたその日から。

 なぜ殺さねばならないか。納は考えない。

 名乗りを上げる。一刀斎も同時に上げる。

「鏑木流抜刀術」

 なぜ殺さねばならないかは、考えない。ただ、大事な人がまた死ぬのは悲しいと思う。

「推参」

 思いも消える。

 2を、正しく0に。

 あってはならない数字を0に。

 納の世界は0と1だ。2があってはならない。正しく0に。正しく。正しく。

 最初に目玉を(えぐ)り潰す。

 短刀を抜き、まっしぐらに目玉に向かう。

 鋼の音。

 一刀斎は刀身で払い上げる。

 男なら金的を蹴り潰す。

 片足を上げた瞬間。

「そして足払いをかける」

 軸足に衝撃。無様なる転倒。背中に痛み。

 上から覗きこむ一刀斎。

「相手が倒れたら、上から刺す」 

 悲鳴。自分が上げたもの。腹部に突き刺さった師の刃。

 これを回されれば血管に空気が入り、死ぬ。

 左手で刃を掴む。裂ける皮膚。肉。

 骨に到達する前に、刃を腹部から抜く。

 そのまま、這うように走る。

 間合いから逃れる。

 荒い息。己のもののみ。

 左手、使用不可能化。

「殺しにこんか!」

 一刀斎の怒声。

「お前が本気で殺しにくれば、こんな程度で臆するものか!」

 殺しにいかねばならない。

 一刀斎先生が大好きだからといって。


 お前には怒りが足りん。侮辱を受ければ(こぶし)を振るえ。慰みものとなるなら追剥(おいはぎ)となれ。お前の魂をいたぶるものはことごとく、怒れ、殴れ、殺せ。誰でも殺せ。一兵卒の銃剣よ。女王の振るう弾丸よ。殺せと解せばすぐに斬れ。お前の魂はお前のものだ。


 殺さねばならないと言われれば、殺さねばならない。そうしないと、死ぬ。

「まだ、本気にならんか。まさか、殺さずして生きて帰れるつもりではあるまい」

 諭す言葉。直後。

 剣気!

 一刀斎は納刀する。

 あれは……!

「儂にしかできんこと」と一度だけ見せてもらった……。

 居合抜きの構え。

 抜刀。

 記憶及び意識の消失。

 光。太陽光。目を開く。激痛。全身から滴る血。

 あまりに(はや)く。

 あまりにたくさんのことをするため。

 脳が処理しきれなくなる!

 脳が動いたときには、既に倒れている。伏した地に、思い出したように血が噴き出す。

 一刀斎は元の姿勢に戻っている。

 前のときと同じ。自然な姿勢で。

「気絶もせんか」

 見下ろす男。

(あわ)れなヤツじゃ」

 ぐらぐらと起き上がる。

 痛い。痛い。痛い。

「先生」

 納は、一刀斎の瞳を見る。

 よく見ると、少し青が入っているように見える。青色……瑠璃色(るりいろ)? メフィストの瞳の破片みたいだ。

 そうだ。呼吸(ひとごろし)をしなくちゃ、生きられない。

「もう一度、お願いします」

 青が濃くなる。

「これは稽古ではない」

「わかっています」

「もう一度喰らえば死ぬぞ」

 納の真っ黒い瞳。ぶれない。

「生きます」

 一刀斎の表情が変わる。

 挑発が消え、嘲笑が消え、訓導が消え。

「ならば」

 再びの構え。

「儂はお前を叩っ斬る」

 疾。

 裏鬼門、乱菊、夕霞、露霞、龍門、十字路、弱筋、大門、朝霞、星、鬼門、禁穴、八葉、五輪月影、五輪稲妻、左谷、右谷。

 計十七か所の急所が再び斬られる。

 地面のざらざらとした感触。

 呼吸すら激痛。

なんだか膝がぬめぬめする。

 自らの血でできた血溜()まりと気づく。

 打刀の鞘を杖がわりにしようとしたが、なぜか握れない。そういえば左手はもう使えないのだった。肉の下、骨も覗いている。

 もうどこが痛いのかわからないほどに痛いのだ。

 肉体が叫ぶ、もうやめてくれ!

 精神が訴える。

「せんせ……え……もう……いっか……い」

 一刀斎は返事をしない。

「せん……せえ……」

 右手の刀を地面に突き刺し、震えながら立ち上がる。

 立ち上がった瞬間、大きく血を吐く。

 まずいや。

 やっとおいしく作れるようになった味噌汁を思い出す。

 血はまずい。

「生きたいか」

 頷く。その仕草だけでまた血を吐く。

 一刀斎も頷く。

 それだけで充分。

 鯉口が切られる。

裏鬼門、乱菊、夕霞、露霞、龍門、十字路、弱筋、大門、朝霞、星、鬼門。

 停止。

「納……」

 一刀斎が微笑む。

「お前、どうやった?」

 呼吸が苦しい。

「見てた……ので、覚えました」

 腹部に刃が突き刺さっている。

 先生の腹部に、短刀を突き刺している。

「貫け。お前は儂を殺さねばならん」

 そうだ。殺さねばならない。

 納は先生の瞳を見る。

 瑠璃色がチカチカ点滅している。

 納に思考が戻りつつある。

 僕はなぜ先生を殺すのですか?

 先生はいつも乱暴で、女たらしで、ぎゅうってしても怒らなくて、でもすぐ「黙っとれ」って面倒になって、僕に怒れって言ってくれて。

「せんせえ、だいすきなのに」

「それがどうした」

 パリンと結界が砕けた。

 森森森。

 森ばかりの場所に変わる。

【それ】は森を見下ろし、さらに師弟を見下ろした。

 巨大な白蛇。

 おそろしいもの。

 白蛇は繰り返す。

「それがどうした」

 納は白蛇を見つめる。目を大きく見開き、まばたきもせず。問う。

「あなたは……三輪山?」

 白蛇は答える。

「いかにも()は三輪山。すなわち神なり。古き神なり。屈せよ」

 三輪山。近づくにつれて怖くなった。今、わかった。三輪山の山そのものが神様だったんだ。

 短刀から血が滴る。

「僕は……先生を殺したくない……」

「ならぬ!」

 三輪山が(たけ)る。

「知ってるよ! でも、先生まで亡くしたくない!」

(なれ)の心などわれわれは知らぬ! 汝が殺さねばならぬと解せば、われわれは降りられるのだ。汝は人間ではない。われわれが降りるためのものだ。われわれのものだ」

 納は懇願する。

「やめて……やめてよ……」

 三輪山が入ってくる。

 納の体は容れ物らしくなる。

 肌が硬く(こわ)張り。白き鱗となる。びっしりと鱗に覆われる。落ちた髪が銀に光る。

 異形。おそろしい。化け物の姿。

 叫。

「殺すのなら僕が殺すの! お願い、やめてえッ!」

 切っ先から光が破裂する。

 一刀斎もろとも、周囲一体を爆砕する。

 ふふふ。

 ははは。

 あちこちから笑い声が響く。

 憑代(よりしろ)が、起きよったぞ。

 三輪山よ、流石々々。

 我らはこれで降りられようぞ。

 ふふふ。

 ははは。

 神下(かみお)ろしじゃ。

「先生……このこと……知ってて……」

 鱗まみれの化け物に、先生は微笑む。

 肩から上しか残っていない先生。

 それでも、微笑む。

「儂を誰だと思っておる」

 その頬に触れる。

「このために、先生は殺されたの……?」

 微笑(ほほえ)みがいつもの粗暴な笑みに変わる。

「やかましい。どっかに行っとれ」

「だって!」

 一喝。

「阿呆! カッコよく死なせろ!」

 はっとする。

 先生を大事に寝かせる。

「ありがとうございました」

 涙を飲み込む。

「先生、さよなら」

 化け物は、憑代は、異形は、怪物は、七竈納は、森に入っていく。

 ぱらぱらと鱗が落ちていく。

 ふふふ。

 ははは。

 神々の笑い声が響く。

 絶叫。

「笑うなッ!」

 吠える。

「お前たちなんか大嫌いだ! 卑怯(ひきょう)なことをしてやる、利用してやる、利用し尽くして殺してやるッ!」

 納は哭く。

 神々は笑う。


 結界が壊れていく。

「時よ止まれ」

 黒いドレスの悪魔が現れる。

「残念だったな、メフィスト。せっかく裏切り者を殺しに来たのにのう」

 メフィスト・フェレスは嘆息する。

「本当に残念だよ、鏑木一刀斎」


(白紙)


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