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空六六六  作者: 浮草堂美奈
第二章 修行ノ語リ
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水無月10

「どれ、見せてみい」

 素直に刀を渡すと。

 一刀斎はひょいひょいと二振りをバラバラにしてしまった。

「なんで壊すのーっ!」

阿呆あほう。壊しとりゃせんわ。こうやってすぐにばらせるのも日本刀のウリじゃ」

 頭を掴まれての制止。

 打刀にすっと目を通し。

「二尺四寸」

 次に短刀を同じように見て。

「六寸」

 今度はぎっと見る。

(しのぎ)地に柾目肌(まさめはだ)が目立つ。沸が強く出ておる。刃文は直刃。正長に似ておるな」

 にやりと笑う。

「打刀はは雲切丸(くもきりまる)と呼んでやれ。短刀は名前はいらんらしい」

「え、何でですか?」

 こいつは何にもわかってない、という顔。

 柄で隠れていた部分を指す。

「ここにそう彫ってある」

 なるほど。打刀には雲切丸。短刀には無名と彫られている。

「そう呼んでくれと言うておる」

 納は刀をじぃっと見る。

「これはいい刀ですか?」

「お前は美人しか知らんからそんなことを問う。美人の刀というのはな、握れば背筋がしゃんとする。しかし、女以上に抱きたくなる。この刀ははとんでもなく美人じゃ」

 鏑木一刀斎は目を細める。

「生き物を殺すのに、これ以上のものはなかなかない」

 刃は白々と光る。

「先生の刀は?」

 笑みがますます、にやりとしたものになる。 

「備前長船清光」

 ククっと喉を鳴らす。

「美人じゃ」


 白紙のノートを眺めていると、スマホの振動音が聞こえた。

【土御門篝火】

 どくんと跳ねる心臓。

 通話のパネル、何度も指がすべる。

「かがり火!」

『七竈、ごめんな』

 納が謝る前に、かがり火は言った。

『助けてくれ』

 泣いているような声で。

「わかった。どうすればいいの?」

 早口に対して、ゆっくりしたかがり火の口調。

『晴明神社の前の道。鳥居の前んとこ。そこに井戸がある。うん。今夜だけあるんや。そこに飛び込んでくれるか』

「わかった。今行く」

『待ってる』

 納はジャージの上着をひっつかんだ。

 道着はひどく乱れていたが、そんなことまで考えられなかった。走りながら上着を着た。

 外は静かな雨だった。

 晴明神社が近づくにつれ、雨はどんどん静かになり。

 自分の呼吸だけが響いていた。

 晴明神社。星の神社。英雄と出逢った神社。

 そこに確かに井戸があった。

 あるはずがない石造りの井戸。

 (こけ)ですべるその縁を掴む。

 底は見えない。

 七竈納は飛び込んだ。


「かがり火!」

 納の声に、かがり火は小さく笑い声を立てた。

「靴どないしてん」

 安心したように。

 ぴしゃんぴしゃんと水滴の音。

「……()くしちゃった」

「相変わらずどんくさいなあ」

 その笑っている首しか残っていない。

 かがり火の、首から下が蜘蛛になっている。

 茶色の蜘蛛の(ふく)れた胸から、かがり火の首が突き出ている。

 胸の下にはさらによく脹れた腹が、おぞましく上下している。

 六本の足を白い糸に這わせている。

 茶色い、巨大な蟲。

 白く汚らしい巣。

 糸から水滴がまた落ちる。

 ゲヘナだ。

 納は理解した。

 ここは蜘蛛のゲヘナだ。

「かがり火、待ってて」

 空中にひび割れ。

 そこから納は刀を引き出す。

「今、糸を全部斬る」

 かがり火は笑っている。

「七竈、それがお前の刀か?」

「うん。待ってて。今、そこから出すから。助けるから」

 刀の柄に手をかける。その様子をかがり火はじっと見て。

「黒漆仕上げの鞘。縞皮菱巻。繁打ち下げ緒。(つば)は鉄地菊・蜻蛉文透鐔か」

 愛し気に言った。

「カッコええなあ、お前」

 納の全身を悪寒が駆け抜けた。

「かがり火、待って。助ける。必ず助けるから」

 かがり火は穏やかに告げる。

「もうあかん。首から下全部喰われてるんや。わかるやろ」

 納は黙って刀を振り上げた。

 糸を切る。切る。斬る。

 ねばねばとした糸が刀に貼りつく。

 刃の切れ味が鈍くなっていく。

 もう鉄の棒で巣を叩き壊しているに等しい。

 それでも斬る。斬る。斬り続ける。

「七竈、もうやめてや」

「だめ。助ける。助ける。助けるのッ!」

 叫ぶ。否。()く。

「お話しよ、な」

 刀に絡みついた糸が、納の体にも絡みつく。

 それをかき分けるように、かがり火の首にしがみつく。

「土御門の一族はな、たまにこういう子供が生まれるんや。土蜘蛛(つちぐも)の餌になるために生まれる子が。土蜘蛛は知ってるか? 平安の世、京を襲った(あやかし)や。土御門の一族総出で殺した。せやけど殺しきれなんだ。代々一族の誰かの体内に住まい、育ったころに食い殺す。そして力を得ればまた次の土御門を探す。今回は俺やった」

 刀を落とす。ねばついた糸は落下をゆっくりにする。

「最近まで知らんかったよ。俺だけやのうて、誰も。今も俺以外知らん。お前しか知らん。唯一知っとったお父んは()うなったしな」

「かがり火、かがり火、やめて」

 細い毛がびっしり生えた脚。頬をやさしく撫でる。

「覚悟はできてたはずやったんや。けどな。今から死ぬてわかったら、一人で死ぬんが(こわ)なってな」

 スマートホンが落ちて砕け散る。

「お前に逢いたくてたまらんようになった」

 ななかまど、と脚が頭に移動する。初めて会ったときのように。優しく頭を撫でてくれる。

 納は眼帯に手をかける。

 ぱさり、とプラスチックの白を落とす。

「かがり火」

 毛むくじゃらの脚は大事に触れる。むき出しの左の(まぶた)に。大きく醜い傷痕に。

「痛い?」

「もう痛くないよ」

「これ、もう見えへんの?」

「眼球が潰れてる。瞼も開かないんだ」

 納の手がかがり火の頬に触れる。

 冷たい。

「治せへんかったん?」

「刺されてすぐなら治った。でも、僕が治さないでってメフィストに頼んだんだ」

 声が震えた。

「治るまでは、メフィストがそばにいてくれるって思って。僕はバカだよ。かしこくなれない。一生片目で生きなきゃいけなくなるのに、ほんの数日メフィストがそばにいてくれるのを選んだんだ」

 馬鹿なんだ。だから恥ずかしいんだ。見られたくないんだ。

「そうか……」

 唇が震えている。

「でも、もうひとりぼっちや、のうなったんやろ」

 泣く。哭く。喉も裂けんと泣き叫ぶ。

「やだ! ひとりじゃなくても、誰が隣にいても、かがり火がいなきゃやだ!」

 赤子のような泣き方。

 かがり火は目をぱちくりさせる。

「結婚してくれるって言ったもん! 約束したのになんで死んじゃうの! 置いてかないで! 死なないでえッ!」

 頬を両手でつかむ。すがる。なく。

「ごめんな。結婚できへんよ。七竈、恋もしてない相手と結婚したらあかん」

 かがり火の首がぐらりと傾ぐ。

 蜘蛛の胴から離れ、腕の中に落ちてくる。

 抱き留めた首は

「七竈、また約束してくれへん?」

 笑っていた。

「うれしいときに、うれしいときは、笑って」

 抱えた首を抱きしめる。納の足が床に崩れる。

「約束する……」

 糸から落ちた水滴が、気づけば土砂降りに変わっていた。

 かがり火の目が閉じられていく。

「よかった……」

 最期の息。

「最期にひとつ、助けられた……」

 冷たい雨が打ち据える。土蜘蛛の世界が納を排斥し始める。

 土御門篝火という男に、心残りはないのだろうか。

 奈落の花は、()に染まる。


 白紙



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