水無月10
「どれ、見せてみい」
素直に刀を渡すと。
一刀斎はひょいひょいと二振りをバラバラにしてしまった。
「なんで壊すのーっ!」
「阿呆。壊しとりゃせんわ。こうやってすぐにばらせるのも日本刀のウリじゃ」
頭を掴まれての制止。
打刀にすっと目を通し。
「二尺四寸」
次に短刀を同じように見て。
「六寸」
今度はぎっと見る。
「鎬地に柾目肌が目立つ。沸が強く出ておる。刃文は直刃。正長に似ておるな」
にやりと笑う。
「打刀はは雲切丸と呼んでやれ。短刀は名前はいらんらしい」
「え、何でですか?」
こいつは何にもわかってない、という顔。
柄で隠れていた部分を指す。
「ここにそう彫ってある」
なるほど。打刀には雲切丸。短刀には無名と彫られている。
「そう呼んでくれと言うておる」
納は刀をじぃっと見る。
「これはいい刀ですか?」
「お前は美人しか知らんからそんなことを問う。美人の刀というのはな、握れば背筋がしゃんとする。しかし、女以上に抱きたくなる。この刀ははとんでもなく美人じゃ」
鏑木一刀斎は目を細める。
「生き物を殺すのに、これ以上のものはなかなかない」
刃は白々と光る。
「先生の刀は?」
笑みがますます、にやりとしたものになる。
「備前長船清光」
ククっと喉を鳴らす。
「美人じゃ」
白紙のノートを眺めていると、スマホの振動音が聞こえた。
【土御門篝火】
どくんと跳ねる心臓。
通話のパネル、何度も指がすべる。
「かがり火!」
『七竈、ごめんな』
納が謝る前に、かがり火は言った。
『助けてくれ』
泣いているような声で。
「わかった。どうすればいいの?」
早口に対して、ゆっくりしたかがり火の口調。
『晴明神社の前の道。鳥居の前んとこ。そこに井戸がある。うん。今夜だけあるんや。そこに飛び込んでくれるか』
「わかった。今行く」
『待ってる』
納はジャージの上着をひっつかんだ。
道着はひどく乱れていたが、そんなことまで考えられなかった。走りながら上着を着た。
外は静かな雨だった。
晴明神社が近づくにつれ、雨はどんどん静かになり。
自分の呼吸だけが響いていた。
晴明神社。星の神社。英雄と出逢った神社。
そこに確かに井戸があった。
あるはずがない石造りの井戸。
苔ですべるその縁を掴む。
底は見えない。
七竈納は飛び込んだ。
「かがり火!」
納の声に、かがり火は小さく笑い声を立てた。
「靴どないしてん」
安心したように。
ぴしゃんぴしゃんと水滴の音。
「……失くしちゃった」
「相変わらずどんくさいなあ」
その笑っている首しか残っていない。
かがり火の、首から下が蜘蛛になっている。
茶色の蜘蛛の脹れた胸から、かがり火の首が突き出ている。
胸の下にはさらによく脹れた腹が、おぞましく上下している。
六本の足を白い糸に這わせている。
茶色い、巨大な蟲。
白く汚らしい巣。
糸から水滴がまた落ちる。
ゲヘナだ。
納は理解した。
ここは蜘蛛のゲヘナだ。
「かがり火、待ってて」
空中にひび割れ。
そこから納は刀を引き出す。
「今、糸を全部斬る」
かがり火は笑っている。
「七竈、それがお前の刀か?」
「うん。待ってて。今、そこから出すから。助けるから」
刀の柄に手をかける。その様子をかがり火はじっと見て。
「黒漆仕上げの鞘。縞皮菱巻。繁打ち下げ緒。鐔は鉄地菊・蜻蛉文透鐔か」
愛し気に言った。
「カッコええなあ、お前」
納の全身を悪寒が駆け抜けた。
「かがり火、待って。助ける。必ず助けるから」
かがり火は穏やかに告げる。
「もうあかん。首から下全部喰われてるんや。わかるやろ」
納は黙って刀を振り上げた。
糸を切る。切る。斬る。
ねばねばとした糸が刀に貼りつく。
刃の切れ味が鈍くなっていく。
もう鉄の棒で巣を叩き壊しているに等しい。
それでも斬る。斬る。斬り続ける。
「七竈、もうやめてや」
「だめ。助ける。助ける。助けるのッ!」
叫ぶ。否。哭く。
「お話しよ、な」
刀に絡みついた糸が、納の体にも絡みつく。
それをかき分けるように、かがり火の首にしがみつく。
「土御門の一族はな、たまにこういう子供が生まれるんや。土蜘蛛の餌になるために生まれる子が。土蜘蛛は知ってるか? 平安の世、京を襲った妖や。土御門の一族総出で殺した。せやけど殺しきれなんだ。代々一族の誰かの体内に住まい、育ったころに食い殺す。そして力を得ればまた次の土御門を探す。今回は俺やった」
刀を落とす。ねばついた糸は落下をゆっくりにする。
「最近まで知らんかったよ。俺だけやのうて、誰も。今も俺以外知らん。お前しか知らん。唯一知っとったお父んは亡うなったしな」
「かがり火、かがり火、やめて」
細い毛がびっしり生えた脚。頬をやさしく撫でる。
「覚悟はできてたはずやったんや。けどな。今から死ぬてわかったら、一人で死ぬんが怖なってな」
スマートホンが落ちて砕け散る。
「お前に逢いたくてたまらんようになった」
ななかまど、と脚が頭に移動する。初めて会ったときのように。優しく頭を撫でてくれる。
納は眼帯に手をかける。
ぱさり、とプラスチックの白を落とす。
「かがり火」
毛むくじゃらの脚は大事に触れる。むき出しの左の瞼に。大きく醜い傷痕に。
「痛い?」
「もう痛くないよ」
「これ、もう見えへんの?」
「眼球が潰れてる。瞼も開かないんだ」
納の手がかがり火の頬に触れる。
冷たい。
「治せへんかったん?」
「刺されてすぐなら治った。でも、僕が治さないでってメフィストに頼んだんだ」
声が震えた。
「治るまでは、メフィストがそばにいてくれるって思って。僕はバカだよ。かしこくなれない。一生片目で生きなきゃいけなくなるのに、ほんの数日メフィストがそばにいてくれるのを選んだんだ」
馬鹿なんだ。だから恥ずかしいんだ。見られたくないんだ。
「そうか……」
唇が震えている。
「でも、もうひとりぼっちや、のうなったんやろ」
泣く。哭く。喉も裂けんと泣き叫ぶ。
「やだ! ひとりじゃなくても、誰が隣にいても、かがり火がいなきゃやだ!」
赤子のような泣き方。
かがり火は目をぱちくりさせる。
「結婚してくれるって言ったもん! 約束したのになんで死んじゃうの! 置いてかないで! 死なないでえッ!」
頬を両手でつかむ。すがる。なく。
「ごめんな。結婚できへんよ。七竈、恋もしてない相手と結婚したらあかん」
かがり火の首がぐらりと傾ぐ。
蜘蛛の胴から離れ、腕の中に落ちてくる。
抱き留めた首は
「七竈、また約束してくれへん?」
笑っていた。
「うれしいときに、うれしいときは、笑って」
抱えた首を抱きしめる。納の足が床に崩れる。
「約束する……」
糸から落ちた水滴が、気づけば土砂降りに変わっていた。
かがり火の目が閉じられていく。
「よかった……」
最期の息。
「最期にひとつ、助けられた……」
冷たい雨が打ち据える。土蜘蛛の世界が納を排斥し始める。
土御門篝火という男に、心残りはないのだろうか。
奈落の花は、緋に染まる。
白紙




