表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空六六六  作者: 浮草堂美奈
第二章 修行ノ語リ
40/56

水無月7

 白い足に滲む赤。

「もうこの靴あかんわ」

 そう言うと、七竈は不服気に

「どうしても?」

 と問うた。

「あかんあかん」

 傷を触る寸前で指さす。

「ほら、ここも。ここも。ここも靴擦れしてるやろ」

 手の中の足は、それでもまだ不釣り合いに小さいけれども。

「もうこの靴、っさいわ」

 足の皮が厚く硬い、武人の足になっている。

 七竈はむうとうなる。足を少しぶらぶらさせる。

「動かんで」

 篝火はしゃがんだ姿勢で、ばんそうこうを一枚ずつ貼っていく。

 植え込みの縁に腰かけた七竈は「自分で貼れるよ」と言う。「ええから」と答える。

「なんで道着やのに革靴なん?」

「先生がね、普段履くものと同じもので稽古しないとダメって。靴じゃなくてもそうなんだって」

「他に何があんのん?」

「うーん。竹刀とか普通の木刀だと重さが真剣と違うから、木刀の中に鉄入れたやつ使ってる」

「せやのに道着なんや」

「買い替えが間に合わないくらいおっきくするからって」

 とんっと七竈が地面に下りる。しゃがまなくても見上げるくらいに大きくなった体。

「まだ終わってへんで」

 京都タワーを七竈は見上げて、呟くように言った。久々の抑揚のない声だった。

「雨、降りそう」

「雨?」

「えんらい」

「えんらい?」

「かみなり」

 ああ、遠雷かと理解。瞬間。すぐ近くにいなびかりが落ちた。

「走れる?」

「いや、うちまではさすがに」

「じゃあ、来て」

 ああ、とかううと何か返事をしたような気がするが、一気に降り注いだ雨音にかき消された。

 七竈は裸足で走っていく。小さくなった靴を片手に。

 篝火はそれを追いかける。

 すぐに追いつくのに、すぐに二人の距離が開く。

 七竈は武人の走り方だった。走りながら抜刀できるように、体を前のめりにしつつも腕は振らない。

 篝火は己の走り方を、「体育の授業や」と思った。


 八条口からほど近いマンションの一室。

「おっ……靴どうしたの!?」

「もうちっちゃくて走れないから脱いだ」

「靴下は?」

「あれ? ……えっと京都駅で脱いで……あれ? それから……」

「あー、もういい、わかったわかった。さっさと着替えて消毒してきな」

「待って、あのね、この人がいつも言ってるかがり火!」

「ああ、うん。俺のジャージも持ってきな。お前ら完璧ずぶぬれだから」

 母親のように世話を焼く少年。同じぐらいの年齢だろうに。しっかりした姿勢で向き直る。笑顔。

「土御門篝火さん……だっけ? 俺、妙高蛍みょうこうほたる。いつもあれが世話かけてるみたいだから、一度礼言っとかなきゃって思ってたんだよね。とりあえず、シャワーでも浴びてってよ」

 七竈がいつも「やさしくて何でもできる」と言っている「蛍」という人物だろう。

 金に脱色した背中まである髪をシュシュで留め、ややヤンキーチックながらしゃれた身なりをしている。にっこりと笑う顔もたいていの人間から高い好感度を得るだろう。

 しかし、篝火はわずかな違和感を感じた。「あれが」というたった三文字。その三文字に何か秘められているような。

「風邪ひくよ?」

 笑顔で促される。逆らえず、逆らう理由もなく。篝火は浴室に入った。違和感は一緒についてきた。


 圧迫面接。

 就職活動などしたことがなくとも、この四字熟語しか出てこない。

 なんとなく気になる気配を男に感じながらも浴室に入れば、次のシーンでは遺体となっているなど、フィクションだけでいい。

 向かい合わせ。妙高蛍は、ダイニングテーブルの距離を悠々飛び越える不機嫌オーラを発している。

「あの……妙高」

「「さん」はどうしたコラ」

 ガンを飛ばされた。初体験。これほど怖いものだったのか。

「妙高さん……」

「何?」

 地を這うような声。

「七竈は……遅い……かな?」

「遅ぇよ。ユキが着くまで駅で待ってろっつったから」

 ユキ。七竈談「すっごくかしこいんだよ」の少女か。

 篝火は心底思う。

 お前の人を見る目、信用できへん。

「で、土御門。お前に聞きたいことがあんだけど」

 向こうは呼び捨ての上にお前呼びである。

「あ、な、何ですか……?」

 思わず敬語で返してしまう。

「煙草やめたんだけど」

「は……はい?」

 若干裏返った声で聞き返すと、蛍はバンとテーブルに手を叩きつけ、立ち上がった。

「納から煙草の臭いもしなくなったし、話し方も棒読みじゃないことがほとんどになってきたの! お前がそうさせてるんだよ!」

 それはこんなに脅されることではないのでは。

 しかし、妙高蛍は睨みきった目で見下ろして

「あいつと昔、どういう関係だったんだよ」

 吐け、と命じた。

「あ、いや、そのえー」

 狼狽しか意味のない声を出す。

 妙高はそれをぎろりと見下ろす。

 スマホを取り出す。

 震える手でタッチする。

「……写真、見る?」

「見せろ」

「これ一枚しかないんだけど……」

 画面をじろりと視線が見通す。

 白いバスタオルをヴェールのように被って、にこにこ笑っている七竈の写真。

 9つの誕生日も迎えていない、ちいさなちいさな七竈の写真。

 写真に写らない、糸。

 蛍はふんと鼻を鳴らした。

「はくちみたい」

「白痴?」

 スマホが返される。

「俺の昔の知り合い。ホントの名前は知らないよ。みんなに「はくち」って呼ばれて、それでにこにこ笑って生きてた女」

 篝火はやっと妙高の気持ちを理解した。

「死んだよ。殺された。俺たちが見つけた。山の中で、さんざん犯されおもちゃにされて死んでた。一緒にいた男が言ってたよ。「笑わにゃ殺されるのがわかってたのに、こんなとこまで着いてきたら殺されるのはわからんかったか」って。そいつも俺もわかってた。わかってるけど、着いていったんだって」

「妙高」

 もう訂正しろと言わず、妙高は椅子に戻った。

「納には秘密の話があんだけど」

 聞いてもいいのかと問うていないのに、蛍はあえて命ずるように言った。

「聞けよ」

 頷く。

「あいつさ、いつまた気がふれるかわかんねえんだ」

 どくりと心臓が跳ねた。

 眉をひそめたまま、話しは続く。

「こないだ、メフィスト……どうせ知ってるから説明はいいか。メフィストと一刀斎と一緒に精神病院に行ったんだよ。あいつは言わないけど。この京都にいたとき、その病院で発達障害の診断受けたから、唯一カルテがあってさ。行かなきゃまずいって。メフィストが。

中学に残ってた記録に、へんな記述があったから。入学してすぐ足にひびが入って、それから暫くして、担任に「精神病院に行きたい」って言ったって。担任が断ったら、それっきり口を利かなくなったって。喋らないんだよ。誰とも。悲鳴すら上げなかったって。だけど、ちょくちょく校舎の隅っこの方で、ひとりぼっちでブツブツ言ってたって。小さい声で「いない、いない、お前なんかいない」って。

それが中3の始めくらいになって、急に喋るようになって、逆に1人でブツブツ言うのはなくなったって。でも、表情もなくなって、ぜんぜん笑わなくなったって」

どういうことか、知らなきゃいけない事情がメフィストにはあったし、時間をかけられない事情もあった。

だから、自白剤を使った。当時、何があったのか」

 さらにまなじりを釣り上げた。

「子どもの声が聞こえてたんだって。幻聴だってわかってたんだって。ずっと幻聴がつきまとってたんだって。だから、がんばって「いない」って思うようにして、聞こえなくしたんだって。今思うと、病気じゃなくて気のせいだったのかもしれないって」

 言葉はだんだん早口になる。

「それ以上は聞き出せなかった。医者はそれだけ長期間の幻聴なら、まず発病していると思った方がいい。でも、今は治ってるって。治ってるならいいじゃんって俺言ったよ。そしたらさ。「治ることなどありえないのだよ」って」

 こころの病気とかややこしい表現をするからわかりづらいがね。精神疾患は脳の病気、発達障害は脳の障害だ。人間の心だの精神だのは、すべて脳の別名だからね。感情はことごとく脳の動き、記憶はことごとく脳の保管物だよ。そして脳は内臓の1つだ。君たちは盲腸炎を根性で治したなんて話を聞いて信じるか? 納のことはそういうことだ。彼は精神力だけで精神疾患を治したとしか言いようがない。それは人間の限界を超えてしまっている。そんなもの、もはや人間とは呼べないよ。

「もしまた幻聴が聞こえるようになったら、外国の療養所に入れるんだって。メフィストの手の内にある病院で精神科はそこしかないから。だけど、納が本当に自分が病気だったと気づいたら、ショックで再発する可能性が高いから教えちゃいけないって。俺が何を言っても、今度はメフィストよりユキがそうした方がいいって言ってさ。あんなに仲良くしてるのに、絶対にそうした方がいいって。ひとりぼっちでどっかにやっちゃった方がいいんだ、あの女」

 悲鳴のように怒鳴った。

「なんであいつの知らないところで、あいつを引きはがすんだよッ!」

 しばらく、荒い呼吸音だけの世界になった。

「妙高」

 篝火はゆっくりと問うた。

「七竈は、中学生になるまでどうしてたん?」

 蛍はまだぜえぜえと答えた。

「小4の終わりに、児相に保護された。それから父親と一緒に東京で暮らして、小学校にも通いだした」

「小3の7月1日に、七竈はいなくなった。父親と一緒に暮らしてたとこは布団も家具も全部置きっぱなしで、離れを貸してた親戚もどこ行ったか知らへんかった」

 ちいさい七竈は

「1年以上どこにおったん?」

 日陰の花は

「わからない」

 呼吸が整ってきた。

「わからないんだ。どこに住んでたのか、どうやって食ってたのか。あいつ本人にもわからない。父親に手を引かれて、父親が死なないように、いろんなところを転々としたって」

 妙高は薄く口角を釣り上げた。篝火も同じ表情をしている気がした。

「俺はあいつを守りたかった」

「守ってやれよ、今からでも。あいつはお前を信頼してる」

 篝火は席を立った。

「もう遅いねん」

 玄関に向かう。

「ジャージありがとうな。洗えたら七竈に預けとくわ」

 もしも時間が戻せれば、こうなる前に間に合った。


五月二十七日

・流派を名乗る。相手が生きてても二度といどんでこなくてでも、身元が完全にバレちゃだめだから。ちょっと身元がわかんないとまた刃向かうからだめ。

・最初に目玉をえぐる。

・二、男なら金的をけりつぶす。

・刀を抜いたら渾身の力でぶったぎる。

・刃筋の立て方は、ひたすら刀を振るって頭じゃなくて体に叩き込む。



≪空六六六ぷらす! にじゅうに!≫


ユキ「傘ありがとうネー。こんなゲリラ豪雨とは想定外だったヨ」

納「ううん。蛍が迎えに行くよう言ってくれたから。でも、こんなに人が多いのにすぐ見つけられてすごいね」

ユキ「ウー! アリガト! でも、人に見かけたか聞いただけダヨ!」

納「え? こんなに人が多いのにそれで見つかったの?」

ユキ「「道着着た雄っぱい眼鏡のデカい男見ませんでしたカ?」って聞いたらすぐダヨ!」

納「待って」

ユキ「いつもそれで見つけてるヨ!」

納「お願い。待って」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ