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空六六六  作者: 浮草堂美奈
第二章 修行ノ語リ
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水無月6

 太田満は震えていた。名前の通りの巨体を小さくして。震えすら必死に小さな振動にして。車内の振動でかき消されるように。

 助手席のガキはシートベルトの限界まで振り返り、ひっきりなしに太田の後ろの男に話しかけている。

 ガキといっても身長は太田よりはるかに高い。道着らしきものに包まれた肉体は鍛えられている。左目に医療用眼帯。その上に眼鏡。黙っていればどんな女も惚れる整った顔立ち。

 黙っていればの話だ。

「あのね、先生。それでね、そのシュークリームはコンビニにしかないの。コンビニの中でも、えっとね」

 さっきからずっとこの調子だ。「先生」が「せんせぇ」に聞こえる。AVのようなその発音が、もっともいびつに聞こえる。ああ、AV。AVの仕事にうつりたい。

 後部座席の「先生」は初対面ではない。

 あっちこっちの組で用心棒やら荒事やらを引き受けている男だ。どこの組にも属していない。「へこへこするのは嫌いじゃ」とほざいてどの組から話がきても断っている傲慢な男だ。

 こちらは道着ではないが、やはり袴である。女のような優男が茶髪を伸ばしているのだから、一見女にしか見えない。そして本物の女にめっぽうモテる。

 見目麗しい師弟と言えるだろう。

 だが、こいつらの手には刀がある。本物の日本刀がある。

 太田はヤクザだ。暴力には慣れている。

 しかし、今日見たものには慣れていない。初めて見る。そして二度と見たくない。

 今日、事務所が2つ潰れた。

 この2人によって潰された。

「でもね、ユキと食べてたらね。蛍に見つかって怒られた。また寝る前に食べて! って。寝る一時間前からはおやつ食べたら太るんだって。蛍はしょっちゅう怒るんだよ」

「ああ、わかった。ちっと黙っとれ」

「ごめんなさい」

「別に怒っとらん。単にやかましい」

「はぁい」

 鏑木一刀斎、この男はいったい”何”を連れている?


 蹴上の古臭い日本家屋に「お迎えに上がった」際、噂は本当だったかと納得した。

 祇園と木屋町で夜の女たちが沸き立った噂。

 鏑木一刀斎に隠し子がいる。

 それは太田の所属事務所に、目を血走らせた素人女が来た夜に沸騰した。

 隠し子がいる。同居している。一刀斎に似てはいないが、彫が深い顔だ。凹凸の多い顔と体型。同じように西洋人の血が混じっているように見える。絶対に隠し子だ。

 最近一刀斎があちこちの事務所を潰して回っているのもそれだろう。まずい女に手を出したのだ。金がいるのだ。

 ”隠し子”は、太田の目を見て言った。

「七竈納です。今日はよろしくお願いします」

 おっとりしているともぼんやりしているとも言えるガキだ。

 一刀斎は太田を紹介もせず、太田も名乗らず車に乗り込んだ。

 その時のガキは無口だった。

 一刀斎はすすめられる前に上座に座り、今日の行き先の説明を始めた。

 ガキも「はい。はい」と相槌を打つのだが、太田に向けての説明であった。

 どこにすっこんでいろという指示だ。お前なんぞじゃまだという意味だ。太田の面子なんぞまるっきり無視している。わかっていて無視している。

 ツラこそ女のようだが、粗暴な男なのだ。こいつは。

 それをオブラートに包みきって言うと、一刀斎は大声で笑った。

「儂程度の粗暴さなぞ、女はみな持っておる」

 関西の警察も沸き立っている。

 京都府警から情報が流れてきた。

「あっちゃこちゃで(チャカ)が動いとる」

 どこに売っているのかという質問への回答。

「売ってるんやない。使てるんや」

 1つ目の事務所正面で、一刀斎は今度は口角だけ上げて笑った。

「納。今日は儂にしかできんことを見せてやろう」

 なにが儂にしかできんことだ。だいたい刀一振りで事務所を潰しているというだけで眉唾ものだ。銃が使われているなどガセに決まっている。この男一人でそこまで強いわけがない。それを正面に車をつけるとは。監視カメラに丸見えだ。もう怒声だの足音だのが聞こえてくるではないか。門が開いたらすぐ車を出す。己を臆病だとは思わないが、無駄に死ぬのは勇敢さではない。

 一刀斎が木製の扉の前に立った瞬間、サイドブレーキを下ろした。まだガキが下車しきっていないが知ったことか。

 しかし、アクセルは間に合わなかった。

 一刀斎が扉を蹴破ったのだ。

「鏑木流抜刀術、推参!」

 一刀斎の大音声。走る組員たちの殺気。居合抜きの構え。鯉口が切られる――。

 太田の記憶はそこまでしかない。

 気がつくと、ガキにぺちぺち頬を叩かれていた。

「おじさん、大丈夫ですか? おじさん」

 相変わらずぼんやりしたガキだ。しかし、なぜ失神した?

「大丈夫じゃ。生きとる生きとる」

 一勝手なことを一刀斎が言う。真後ろに戻っている。

 はっとバッキバキに砕けた扉の向こうを見る。

 血の気が引いた。

 20、30、そこで数えるのをやめる。数十人事務所の者が皆死体となって転がっている。

 刀傷だ。

 斬り殺されたのだ。

「先生、速すぎて見えなかったです」

 自慢げに一刀斎は訂正する。

「速すぎたのではない。あまりにたくさんのことを儂がやったが故に、わからなかったのじゃ」

 また口角を上げる。

「メフィストの言葉を借りるならば、人間は目から入った情報を脳が処理して、初めて見えたと認識する。じゃが、儂はほんの少しの時間にあまりにたくさんの”行動”をする。走ったり斬ったりいろいろな。故に、脳が情報量が多すぎて処理しきれず、結果、目では見えても”見えていない”としか認識できんのじゃ」

 粗暴な者しかしない自慢。

 納はしばらく黙った。

「先生、それは僕もできるようになりますか?」

 一刀斎はあっさり答えた。

「ならん。言ったじゃろう。儂にしかできんと。お前にはお前の戦い方がある。そもそも、戦い方が同じ生物なぞおらん。体格、性格、人格、すべてが一致する生き物がある生き物なぞ、この世に一人もおらん。いつも言っておるじゃろう。儂の真似をするな。儂の言う通りに反射でできるようになれと。次はお前の番じゃぞ。おい、早く発車せんか。警察がくる」


 脳は処理しきれないものを拒否する。

 しかし、それ以上に恐ろしいものを拒否する。

 太田の脳は次の「お前の番」をシーンの点滅と化す。

 自動車から降りたガキ。

 低い声。

「鏑木流抜刀術、推参」

 その瞬間、空気が変化した。

 いや、変化したのではない。

 消滅した。

 空気をすべて薙ぎ払い、己の殺気のみにした。

 このガキが。

 姿を見せた瞬間、相手の金的を蹴り潰す。

 もう一人の目玉を、棒手裏剣で刺し貫く。

 刃の光。

 力任せに両断される人体。

 悲鳴。

 最後に残った男。

 最初に金的を蹴り潰された男。

 命乞い。

 立ち上がることもできず、泣いて命乞いする男。

 その頭上に、振り下ろされる鞘。

 無言で振り下され続ける鞘。

 男の脳みそが零れたとき、ようやく鞘は止まった。

 ガキの姿は思い出せない。

 ただくろぐろとしたものの中に、爛々と目玉が1つ光り続けていた。

 無限の殺意。

 他には何もない。

 怒りも恐怖も喜びも、人殺しに必要な感情が1つしかない。

 殺してやるという5文字以外、何ももたずに(みなごろし)だ。

 

 太田がもっとも恐怖したのはその姿ではない。

 鏑木一刀斎が「仕舞しまいじゃ」と言った直後だ。

 ぽすんと空気がただの血臭となり、「ありがとうございました」と礼をし。

 そしてそれから、この調子でぺらぺらとたわいのない話を続けている。

 一刀斎はそれに勢いよく応えていたが、血の気が納まるにつれて黙りがちになっている。

 ガキの方は思いつくまま喋っている。本当に楽しくなってくると端的になりすぎて、何の話かわからなくなる。

 まるでスイッチがオフになったようだ。

 それに気づいた瞬間、どっと恐怖が押し寄せた。

 そうだ。

 これはスイッチがオフになったのだ。

 これまではオンだったから、無口だったし一人で何十人ものヤクザたちに突っ込んでいったし。

 あんなに無惨に殺しつくしたのだ。

 一刀斎がオフのスイッチを押したから、こんなにやかましく甘えているのだ。

 あれだけの暴力性をスイッチ一つでパチンパチン出したり消したりするのだ。

 ミラー越しに一刀斎を見る。上がっていた血が下がりきって、もう黙れと面倒気に手を振っている。人間だ。暴力に血が通っている。頭に血を上らせねば人を斬れぬ。

 対して、俺の隣にいるのは。

 化け物だ。

 0と1しかない化け物だ。

 ハンドルを持つ手が震える。

 気味が悪い。

 おぞましい。

 恐ろしい。

 その瞬間、ハンドルがいきなり掴まれた。

 太田はついに絶叫した。


「なんだ。本格的に寝込んじまってるのかい」

 スマホから聞こえる声に、情けなく答える。

「はい……中津さんがせっかくいらしているのに……本当に申し訳ありません……」

「なあに。俺ならしばらく京都でぶらぶらしてるからさ。気にすんなよ」

 穏やかな口調に涙がにじむ。あわてて相手に気取られないようにする。

 中津礼二は篠織会組長付きだ。関東が拠点なところもあり、組としての接点はあまりない。だが、なんでも太田の組の先代が世話になったことがあるとかで、たまに彼が関西に来たときは宿や酒の支度をするのが習慣である。

 一目見てヤクザとわかるが、こいつもやはりめっぽうモテる。映画から出てきたような大物ヤクザだからだ。おまけに面倒見もいい。非の打ち所がないヤクザというおかしな形容の壮年である。

「まあ、一刀斎のやつがなんかしでかしたんだろ?」

「お知り合いなんですか!?」

 思わず大声を出した太田に、おや、知らなかったのかい。とあっさり返答。

「古い馴染みだよ、あの人とは」

 その瞬間、今日あったことが口から迸った。水道管が破裂したようだった。恥も外聞もなく、何があったか悲鳴のようにまくし立てた。

 中津が黙っているので、ハっと我に返った。なんという失礼を、と別の動転を起こしかけた。

「そいつはひでぇ目にあったなあ」

 しかし、中津の変わらぬ穏やかな声が、太田を正気に踏みとどまらせた。

「男のダメなところを全部詰め込んだような人だからな。あの人は。おめぇも気の毒な目にあったもんだ」

 はあはあと上がっていた息が落ち着いてきた。知らぬ間に頬が濡れていたのに気付いた。

「まあ、あの坊ちゃんはお前が思っているのと違ってね。隠し子じゃないさ」

 電話の向こうでライターの男がした。

「隠し子じゃない……。あえて言うなら「神の忌み子」ってとこかな。しかし、なんでまたハンドルなんか触ったんだね、あの坊ちゃん」

 大きく息をついた。

「「右にハンドルがある助手席に初めて座らせてもらったから、触ってみたくなった」だ、そうです。えらく謝ってましたよ。そう、えらく「ごめんなさい」って」

 ははは、と電話の向こうで笑い声がした。

「よく生きてるもんだ」

 太田もやっとはははと言った。

「せっかく拾った命だ。大事に使いな」

 説教だか冗談だかわからない言葉を残して、電話は切れた。

 太田は床に脱ぎっぱなしのスーツにようやく頭がいった。

 小便くさいスーツなど、捨てるしかあるまい。弁償させるなんて恥はごめんだ。まったくろくでもない男だ、あの野郎。


六月十三日

 僕、怒ってる。おリボン言われた。布をおリボン言われた。もうおみそしるもたまごやきもおにぎりも作れて男らしくなったから女の子のかっこうなんかしない。布の結び目後ろにしたからもうユキだっておリボン言えなくした。でも怒ってる。


≪空六六六ぷらす! にじゅういち!≫


納「だからね、後ろで結んだからね。これはおリボンじゃないんだよ。わかった?」

ユキ「そうデスネ。勘違いしてごめんなサイ」

納「うん。僕は男だからおリボンなんてしないんだよ」(怒りが解けて立ち去る)

メフィスト「かわいいから黙ってたやろ」

ユキ「メフィストもデショ」

メフィスト「後ろで結んだらおリボンじゃないの理屈がわからんし」

ユキ「さらにおリボン度が上がってますが」

メフィスト「我々は指摘しない」

ユキ「かわいいカラ!」

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