水無月5
ブレザーを脱ぐだけでなく、ネクタイまで外してもまだ暑い。
盆地の梅雨というのは忌ま忌ましいとか憎らしいとかそれ以外形容できない季節だ。
山に閉じ込められた空気は太陽光でスチームされて溜まり、そうでない日はドカドカ雨が降る。
じっとりと張り付く、不快指数。
自転車の籠に全部放り込んで、戻り橋の方へペダルをこぐ。
元はあの世とこの世の境だったと云われる橋。
現在はコンクリート製の橋の傍らに、小さな児童公園がある。
この辺りは住宅地だ。京都の者以外は観光地と思っているが。
ブランコの傍らに古ぼけたベンチがある。
道着の背中に、縹色の縮緬が垂れ下がっている。出会ったときは前でちょうちょ結びにしていたそれは、今は後ろで縦結びになっている。
この数週間で、ずいぶんと大きくなった背中。
七竈は結局、蹴上の師匠宅へ通いで学び、八条の民泊に帰る生活を送っている。「でも時々先生のとこにお泊まりもするよ」とのこと。
稽古が終われば、篝火の家に遊びに来る。
蹴上から堀川通りは結構距離があるのだが、とことこ歩いてくる。
……もう、とことこというオノマトペが似合う容姿ではない。
「とにかく体をでっかくしろ」という師の方針により、どんどん筋肉質になって。
儚げな美しさは消えた。
代わりに、誰もが振り向く華やかな美しさを手に入れた。
自転車の音に気付いたようだ、ぱっと立ち上がり振り向く。
「かがり火ー!」
右手を大きく振る。しかし、篝火の視線は左手に奪われる。
「何してんねんお前!」
七竈はいつものぽうっとした顔でしばらく考え。
「手を振ってる」
「そっちちゃうわ!」
いつにない篝火の剣幕に、自分の何が気に障ったか考えている。
考え終わる前に、口に出す。
「煙草! なんで吸ってんねん!」
ますますぽうっとした顔をされる。
「ここ、禁煙だった?」
「そうやないわ!」
普段の篝火なら、同級生の喫煙を見かけようと見ていないふりをする。
だが、七竈が紫煙をくゆらせているのは許せぬ。
恋の残滓が許せぬと言う。身勝手な許せぬを繰り返す。
「なんで吸ってんねん。そんなん」
当惑した返答。
「おなかすいたから」
こちらも当惑する。
「なんで腹減ったら吸うんや」
「おなかいっぱいになるから」
誰もが振り向く美丈夫。しかし、話し方は昔のまま。
9つのまま。
「かがり火……怒ってる?」
「怒ってへん」
射干玉の右目が不安に揺れる。
「金持ってないんか」
こてん、と首を傾げる。
「持ってるよ? お給料もらってるもん」
「ほんならコンビニがそこにあるから」
「うん。あったね」
ふざけているのではない。コンビニがあった。それだけのことを言っている。それ以上は、彼にはわからない。
「コンビニでなんか買って食うたらええやろ」
大きい射干玉がさらに見開かれる。
「コンビニでおやつ買っていいの!?」
「ええ」
「いいの!? ホントにいいの!?」
「ええて」
「行ってくる!」
すぐ走り出し、案の定転び、すぐ起き上がる。
篝火はその後を追う。9つの土御門篝火が、さらに追いかけてくる。
幼かったころ、糸が見えた。
白く汚らしい糸が、人間に絡みついているのが見えた時期があった。
それは絡みついている人もいない人もいて、糸の量も人によって違った。
「お父ん。あれ何や」
父は少し黙った。
「お穢れさんやな」
「何やそれ。お穢れさんて何なん?」
父――土御門不知火――は、目元を和らげた。
「その糸はな、悲しい気持ちとか、さみしい気持ちとかそういうもんやねん。そういう気持ちがな、ぐるぐる巻きついてうまいこと動けんようになったりすんねぇや。そういう人のことをお穢れさんってお父ちゃんの仕事では呼ぶねん」
「俺にしか見えへんの?」
「うん。見えへん」
「お穢れさんにはどないしたったらええの?」
目元がさらに緩んだ。
「やさしいしたげ。やさしいしたら、お穢れさんや無うなる」
そういう父の体を、一瞬で糸が絡み取った。父はなんでもないように、電卓を叩く作業に戻っていった。
半年後、出張先の事故で父は死んだ。無口なひとだった父と、深い会話をしたのはその時だけだった。
二年後、晴明神社のベンチで七竈が寝ていた。
学校の帰り道での発見。
まだ半分眠っているような顔で、名字を名乗った。
それを下の名前だと思ったから、かがり火と名乗り返した。
「かがり火」
オウム返しをして、七竈は笑った。
声を立てず、小さな花のように笑った。
その体は全身がお穢れさんで、逆に繭に守られてるのかと錯覚するほどだった。
それを連れて帰ったのは、義侠心のようなものだったと思う。
ほうっておけなかった。小さい、弱い、これを。
七竈は東京の言葉を使ったり、自分のことを僕と言ったり、アイドルの少女そっくりの仕草をして。
いつも声を立てずに笑っていた。
9歳の彼らもまた、この公園で待ち合わせをしていた。
同じ学年だったが、七竈はかがり火よりずっと小さかった。
「あのね、3月になったらね、お誕生日だから、かがり火よりおっきくなれるよ」
そうか、あの時七竈はまだ9歳にもなっていなかったのだ。
出会った日も6月で、かがり火は7月生まれだから、ほぼ丸1年年下だったのだ。
ほんとうに、小さく、弱かったのだ。
「かがり火! これ全部買っていいの!?」
はっと現在の七竈に変わる。
20センチほど高いところから、はしゃぐように言う。
しかし、笑ってはいない。
七竈は笑わなくなった。
いつからか失くしてしまったのだろう。
篝火の糸が見えなくなったように。
「全部は買えへんやろ」
七竈は考えて言い直す。
「なんでも買っていいの?」
「そらええけど」
えっとね、じゃあね、と店内をうろうろする。意外とやかましい男なのだ、昔から。
『肉まん類最終日!』のPOPの前で、「かがり火! これも買っていいの!?」と騒ぐ。店員が戸惑った視線をこちらに向ける。篝火はあわてて「ええよ!」と叫ぶ。
んっとんっとえっとえっとと、温め機の前でまた迷う。迷い放題だろう。この暑さで全商品勢ぞろいなのだから。
散々迷った後、「チーズ肉まんください」と言う。
店員はほっとしたようにトングを使う。
「からしつけますか?」
「からしつけないです」
袋を大事そうに抱えてくる。
公園に戻る道々、何度も袋をのぞき込む。
「コンビニ行ったことないんか?」
「あるよ。でも、おやつ買ったのは初めて」
あ、と声を上げる。
「また買っていい?」
空気が蒸されていく。
「いつでも。自分がほしいとき買え」
「いいの?」
縦結びの縮緬がひらひら泳ぐ。
「かがり火はずっとやさしいね。ちっちゃい時からずっと」
土御門篝火は押し黙る。
元のベンチに座った七竈納が、肉まんを半分に割る。
「はい」
半分を渡される。
「……いや、もらっても……」
「いらない?」
「いや……その……腹減ってたんちゃうんか」
七竈はこてんと傾げる。
「だって、目の前でおいしいの食べてるのに、独り占めされたらやだよ」
そう言って口いっぱいに頬張り、長々と味わっている。
京都の町が蒸されていく。
日陰に奈落の花が咲く。
五月二十六日
病院に行った。
なんで行ったかはないしょでメフィストと一刀斎先生と行った。前に京都にいたときに行った病院で、メフィストはお医者さんの先生とお話があるから残って一刀斎先生はバスじゃなくて電車だからバス停で別れた。
バス待ってたら、知らないおじさんが「1人でバス乗れるの? えらいね」ってにやにや言った。僕が「うん。乗れるよ」って言ったらまたにやにやしてやだなって思ったけどだまってたら戻ってきた一刀斎先生がそのおじさんを殴り倒してびっくりした。
それから先生は、僕にすごく怒った。「蔑まれたら、殴らんか!」よくわかんなくて意味を考えてたら、先生はまた怒った。「お前は他人に見下されるためのおもちゃではない! なめた口を利くやつはすぐ殴れ!」表現のしかたわかんない。うれしかったのかな、びっくりしたのかな。わかんない。
≪空六六六ぷらす! にじゅう!≫
ユキ「ドンパチが足りまセン!」
蛍「そこは出番の方を言えよ。水無月に入ってから俺たちの出番ぜんぜんねえんだから」
ユキ「蛍は何もわかってナイ! 出番少ないキャラハマった人の二次創作、とても業が深イ! 自給自足勢強イ!」
蛍「されたいのかよ。二次創作」
ユキ「これに限らず、浮草堂作品は全部二次創作歓迎ダヨ!」
蛍「そりゃかわいくかいてもらえりゃ嬉しいか知らんけどさ」
ユキ「存分に白濁まみれにするいいデス!」
蛍「セックスアピールが激しすぎて、逆に萎える!」




