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空六六六  作者: 浮草堂美奈
第二章 修行ノ語リ
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水無月4

陽炎かげろう! 起き! 起きぃて! 早よ起き!」

 やかましい。起きろの三段階活用京都バージョンかクソババア。

 枕元の時計を見れば、まだ8時前である。2時間も寝ていない。俺の夜勤率はJRの駅員並みやぞ、クソババア、とまた胸中で毒づく。

「早よ起きぃて言うてるやろ! いい加減にしぃ!」

 こちらの方が100倍いい加減にしてほしいので、陽炎は渋々寝床を抜け出る。

「なんなんや」

「あんた寝間着のまんまやないの! 人に会う恰好ちゃうやろ!」

 人に会うなどということを初めて聞いた。

 そもそも、朝っぱらからアポなしで他人様のお宅を訪問する方が非常識でないのか。そんなヤツに礼儀は不要ではないか。寝間着でよくないか。

「早よ着替えてぃ!」

 しかし、世の母親というのはそういう理路整然とした話は通用しない。渋々、着替えに戻る。

 甚平に着替えてくると「なんも変わらんやないの!」が来たが、無視して玄関に向かう。こちらの決意が変わっていないのだから、なんも変わらんで当然である。客を追い返してすぐ寝直す。不退転の決意ならぬ必退転の決意だ。

 京の町家の造りはうなぎの寝床。奥の自室兼仕事部屋からまっすぐ行けば玄関。

 そこにやたら背が高く細い男女と、愚弟が突っ立っていた。

 男女。否。男ではない。少年だ。

 顔のパーツがどれもかれも派手なつくりの少年。左目を医療用眼帯で覆い、それをさらに眼鏡で覆っている。人形のように首を傾げる。

「陽炎お兄ちゃん……?」

 男特有の艶めいた低い声。アンバランス。既視感。否。既に見知った人物。

「なんや、お前か」

 七竈であった。生きていたのか。意外だ。

 隣で弟が嬉しそうなゾンビといったていで立っている。

 ああ、こいつは七竈に惚れとったな、と思いながらスルーする。

「兄貴、なんで男やって教えてくれへんかったんや」

「自分で気づけ、アホ」

 年の離れた下の子らしい発言だが、こちらも兄らしく冷たく対応する。惚れた相手の性別くらい気づけアホ。

「で」

 長身の女に向き直る。白磁がごとき白い肌、ゴシック調ドレス。顔のパーツがどれも品の良いつくり。こちらの方が人間らしい。

 しかし、人間ではない。

「なんでおんねん。メフィスト・フェレス」

「土御門の。運というのは自分で引き寄せるモンや。しかし、運が良かったときの感謝の心を忘れたらあかんぞ」

 人を叩き起こしておいて、何をしみじみ語っているのか。まあ、七竈とこの女が一緒に来た地点で、良からぬことをしでかしたのであろう。

「メフィスト、陽炎お兄ちゃんの知り合い?」

「ああ、先代のころから仕事でなぁ」

 親しげな口調。男女の関係ではない親しさ。

 呪い持ちか。

 ふいに嫌な感覚を覚える。感情ともいう。哀しみともいう。

 七竈は「お兄ちゃん、久しぶりだねえ。すごい。大人になってる」などと嬉しげに言う。

 嬉しげなのに、表情というものが喪失している。

「メフィスト・フェレス。そいつは……」

「あんた、久しぶりにうたのにそんな不愛想な顔して。ごめんねえ、いくつになってもこうやねよ。それより朝ごはんまだやろ! 食べ食べ!」

 母親というのは工事用スチールボールの類らしい。空気を一撃で粉砕する。

「土御門の、実はな」

 手を振って遮る。

「後でメールで」

 スチールボールが文句を言うが、聞こえないふりで自室に戻る。明日も朝から仕事なのだ。必退転だ。


 八つ時。しかしながら、食べるのはエビフライである。日頃の「家で揚げ物作るなんて、ええこと1つもない」という信条はどこへやったのかスチールボール。

「ごちそうさん」

 口内に残った尻尾を堪能しつつ、スマホを開く。

 メフィスト・フェレスからのメールが入っている。

 あの朝っぱらからの騒動は、愚弟が晴明神社のベンチで熟睡している七竈と再会し始まったらしい。

 感動の再会というものをやっていたその時、その場にいた民間人(こういう書き方がメフィスト・フェレスという女だ)の上に木材が倒れてきた。

 七竈はとっさにその木材を、体で受け止めた。

 が、民間人は恐怖で腰を抜かしてしまい、動けない。

 七竈は質問した。

「死にたくない?」

 民間人は答えた。

「し、死にたくない! 俺なんかが生きたところでいうんはわかってるけど、けど」

 七竈は遮り。

「今は哲学の話をする余裕がない。かがり火! 僕の荷物にスマホが入ってる! そこからメフィストに電話して!」

 両腕どころか体全体を使ってやっと木材支えている状態に関わらず、片手を離し。

 民間人を掴んで木材の下から、放り出し。

 そのまま木材の下敷きになった。

 愚弟の電話でメフィスト・フェレスがかけつけたときには、体の半分が潰れてミンチ状態だったそうだ。

 時間回復タイム・リカバリーが、後30秒遅れていたら死んでいたと。

 居合わせたのが土御門の一族で助かったという結びまで読んで、納得する。

 やはり、怪物とならねば生きられなかったか。

 天を睨む。

 とかくこの世は忌ま忌ましい。

 

 翌日。丹後から帰宅すると、玄関で七竈とばったり会った。愚弟もいたが、同居している家族なんぞどこで会ってもばったりではない。

 相変わらず道着に革靴という妙な格好をしている。首に巻いた縮緬に関してはもはや妙とすら思わない。7年前もえんじのリボンを同じように巻いていた。

「おかえりなさい」

 ああと適当に返す。篝火はようやくぞんざいな「おかえり」を言う。七竈は陽炎をじぃっと見る。これも7年前と変わっていない。何かに目を引かれれば、いつまでもじぃっと見つめている。

「陽炎お兄ちゃん、コスプレ?」

「そんなわけあるかい」

 しかし、己の恰好を改めて見ると、黒一色の着流し、羽織に五芒星の紋、黒足袋黒手甲。京極夏彦が描く憑きもの落としのコスチュームと同じであった。なるほど、生業を知らねばコスプレに見えるだろう。

「仕事着や」

「ふうん」

 まだじぃっと見て。

「お兄ちゃん、もっと背が高いと思ってたなあ」

 などとほざく。首を上げてもらっておきながら、いい度胸である。

「お前、身長何センチや?」

「昨日計ったらね、188センチに伸びてた!」

「ふん」

 背だけすくすく育ったものだ。他はまるきり育っていないくせに。なんだそのしゃべり方は。幼女か。

 7年前と変わっていないではないか。

 それが何をするかを考えると嫌な感覚が蘇るので、話を変える。

「篝火、テスト中ちゃうんか」

 手のひらを上下させ、20センチの身長差に愕然としていた愚弟に追い打ちをかける。兄の身長も7年前と変わらないのだ。土御門の産道をくぐるとき、汝一切の望みを捨てよ。

「えっ。いや、あ、後で」

 追い打ちに弱いヤツである。

「三流大なんて行くだけ金の無駄やぞ」

「うっさいわ高卒!」

 負け犬の近吠え。なんせ大黒柱はその高卒。本当に「金の無駄」とするかの決定権は陽炎と母にある。

「かがり火、勉強してないの?」

 じぃっという視線がくるりと移動する。

「い、いや、してないこともないねんけど……」

「テスト中なんだよね?」

 いい殴り方だ七竈。愚弟は七竈に対してはえらく恰好つけであるし。

 七竈は高校に行くことができないことを知っているのだ。

 そこで陽炎は顔をしかめる。

 自分の思考で、嫌な感覚と記憶を蘇らせてしまった。

「兄貴?」

「陽炎お兄ちゃん?」

 3つしかない目が怪訝と心配を浮かべる。

 陽炎はしかめっ面で手を振る。

なんもない」

 ふいに昨日のメールを思い出す。

「七竈って名字やったんやな」

 きょとんと眼鏡の下の目が開かれる。

「うん」

 それを下の名前と勘違いしたのが、篝火の恋の一端を担っていた。

「土御門は分家によって、男子の命名に規則がある。うちは火行に関する漢字を入れる」

 草履をそろえる。

「木生火や」

 なあにそれなあにとやかましいが、無視して自室に戻る。

 文机がある。7年前はまだ「おんの」という扱いであった。

 つまり、誰も使っていなかったのだ。

 生前の父親は、毎日ここで電卓を弾いていた。

 これが、現在は何を置いているかを知ったらどう思うだろうか。

 土御門陽炎は目をつぶる。

 ずるずると疲労に任せて、畳に座る。

 記憶が開く。この生業を選んだきっかけが。中学生の土御門陽炎が。


 中学2年生というのは、反抗期がアイデンティティみたいなものだ。

 大人のやることなすこと気に入らない。自分の力を大きく見る。そのくせ、たかが中学校に1年通っただけのサルにすぎない。

 土御門陽炎も例外に漏れず。やたらと死んだ父だの生きている母だの学校の連中だのが、自分のことをわかってくれないと思っていた。

 今思えば、1番わかっていなかったのは自分自身であったと思う。

 賢い子と扱われていたのは、偏差値の高い中学に通える環境を整えてくれた父母のおかげであり。学校で浮いた存在であったのは、不愛想でろくに喋らないくせに、喋れば知識をひけらかすためであった。

 要するに賢くもなんともなく。それでもいじめなどにあわないという学校生活。衣食住は母によって与えられ。その元の資金は父が遺したコインパーキングから出ていて。

 恵まれていたのだ。気づかなかっただけで。

 ひたすらに反抗期をしていたし、できる生活だったのだ。

 だから、その小さいのがいつから家に来るようになったのか、知らない。

 弟とは年が離れている上に性格も合わなかった。今でも、合わない。当時から「兄貴はへんくつなヤツや」と周囲に紹介されていた関係である。アホながら人を見る目は確かなようだ。今でも偏屈者の自覚はある。

 その頃はまだ自室は2階で、弟と隣あっていた。陽炎の部屋の方が狭く、日当たりも悪かったのはいずれ父の仕事部屋を与えるから、という理由であったのだろう。

 春か初夏かわからない日。西日本特有の土砂降りに追われて帰宅した夕方。その小さいのは陽炎の部屋にいた。

 こちらを見て、怯えた顔をした。妙なちびだと思った。黒の半ズボンはサスペンダーが一体となったフォーマルなもので、子供の普段着にはふさわしくない。しかも、かなり古びて色あせている。

 女児か男児かもわからない。青白く、やせた小さい子供。

 手には、「魍魎の匣」のタイトルがあった。分厚いその本を重たそうに両手で抱えていた。

「誰やお前」

「七竈……」

「篝火の友達か」

 七竈と名乗った小さいのは、しばらく考えた。

「お友達になってくれるかなあ……」

 ぽうっとした返事。

「篝火は何しとるんや」

「宿題……」

「お前はもう済んだんか」

 細い手はぎゅうっと本を握りしめた。

「おとうさんが……学校行っちゃだめって……」

 当時の陽炎が、言われた言葉の意味を理解できたとは言いがたい。

 しかし、この小さいのが書物を欲しているのだけは理解できた。

 中学生の小遣いでは高い方の小説だったが――。

「後で返しに来いよ」

 青白かった頬が桜色に染まった。

「ありがとう!」

 その時から、陽炎は「何でも知ってる陽炎お兄ちゃん」となり。

 した理解は成長とともに痛みに変わり。

 今の土御門陽炎の生業となっている。


「生きとったか……あいつ」

 座っていた体が横倒しになっていく。

 い草の香りが強く湿る。

 雨が降ってきたのだ。土砂降りの雨が。

「木生火。金剋木」

 呟きは雨に溶け、流れて土にしみ込んだ。


 五月二十五日

 明日は病院に行かないといけない。やだ。

≪空六六六ぷらす! じゅうきゅう!≫


納「陽炎お兄ちゃん、あのね、あのね」

陽炎「俺、お前のお兄ちゃんちゃうぞ」

納「あ……そうだよね。前は9歳だったから、かがり火もお兄ちゃんって呼べって言ってたんだね」

陽炎「……その「お兄ちゃん」って篝火が呼べ言うたんか……?」

納「う? うん」

陽炎(自分は兄貴って呼んどったやないか……。あいつ、何に目覚めとんねん……。きっつ……)

納「お兄ちゃんは寡黙だねぇ。昔のまんまだね」

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