水無月1
「かがり火なんてきらい!」
奈落の花は、涙をこらえて怒る。
同時に彼は覚醒する。
右手が前に伸びている。
前のめりにうつ伏せの姿勢。
「奈落の花ってなんや……」
つけっぱなしのラジオアプリが、そのフレーズを繰り返す。
「これか……」
曲が終わる。
「あいつか……」
幼い自分に残った、黒いシミ。
九つの黒い瞳の少女。
小さい花。日陰の花。ならくのはな。
時計に目をやる。AM6:30。机の上に視線移動。二行で途切れたノート。カレンダーに視線移動。六月一日。テスト前休み最終日。
水無月が始まる。
「暑……」
湿気た日光。
コーラを買いに行くことにした。
堀川通に向かう道は狭く、細長い民家がぎっしり寄せ合っている。
「おお、篝火君」
晴明神社の手前で呼び止められる。
「おはよう。なんやおっちゃん」
「今、あんたん家行くとこやったんや」
坊主頭の神主は汗を拭う。体型もだるまそっくりなので、しょっちゅう僧侶と間違われている。
「陽炎君、おるか」
「兄貴やったらまだ寝てるで」
「そうか……いや……せやなあ……」
きょろきょろとあたりを見回す。珍しくせわしない。
「また、誰かおったんか」
「ああ。うん。せやねん。せやねんけどな。ちょっと来てもろてええか」
「俺が?」
「うん。見間違いや……思うんやけどな」
晴明神社の敷地には、誰でも入れる場所にベンチがある。
昼間は観光客の休憩場所だが、夜でも使える。
使うのは、酔っ払いと、反抗期と、そしてまれに、何かから逃げてきた人。
それはこの神主が近所の親戚であるという理由で、知っている。
だが、それの確認に来てくれなどと言われるのは初めてだ。
前に偶然発見したことはあったが。
「かがり火」
その発見した少女の声がリフレインする。
ベンチで体を小さく丸めて、くうくう寝息を立てていた。
短くて癖のある黒髪。反対に長くてすんなり伸びた睫毛。白いシャツにサスペンダーで吊った黒い半ズボン。すりきれた子供用フォーマルの下から長い足が伸びていた。足首まではうっすらベージュがかっているのに、そこから下はきゅうと白い足袋で絞ったような足。桜色の爪だけが鮮やかな花。
「この子やねんけどな。どっかで見た気がすんねん。篝火君の友達かなんかやなかったか思てな」
ちょっとすんません、と、神主がベンチの前に突っ立っているサラリーマンに声をかける。
篝火は、そのサラリーマンの体から隠されていない部分に目を奪われる。
足首から下だけが白い足。膝から下の長さに不釣り合いな小さい足。
纏足でもされたかのような、アンバランスな足。
桜色の爪。隣に小さく擦りむいた傷。
ああ、すんません。
夜勤ですか。そっちのベンチやったら空いてますよって。ちょっと工事の道具とか置いてますけど、気にせんと。
ああ、すんません。
えろうお疲れですな。
隠れていた部分が見える。
道着。かなりの着崩れ。首に縹色の縮緬を生地のままちょうちょ結びにしている。
短くて癖のある黒髪。反対に長くてすんなり伸びた睫毛。左目を隠す医療用眼帯。
縦に長い体を小さく丸めて、くうくう寝息を立てている。
着崩れた道着の下、左胸にわずかに見える。
「入れ墨……?」
確認しようと手を伸ばす、左胸に触れる。その時、ゆっくりとびろうどの幕が上がり始める。
黒い瞳が現れる。
「七竈……?」
吐息のような返事。
それは、とても。
低い声。
「だれ……?」
「やっぱり篝火君の友達か」
神主の存在を思い出す。
幼いころの黒いシミは、確認するように言う。
「かがりび……」
次の瞬間、起き上がるのと飛びつくのを同時に行う。
「かがり火! ごめんね! きらいって言ってごめんね! 大好きだよかがり火!」
ぎゅうぎゅうと抱き着かれる。やっと土御門篝火は知得する。
己の黒いシミは、少女ではなく、少年であったと。
「七竈……あの……」
「あ」
その「あ」、という言葉を発した一分後。黒いシミは体の半分がミンチ肉となる。
六月一日。
今日から本当の日記を書く。
日記はほかの人に見せないってかがり火が言ってたから、今までのは見せてたから本当じゃない日記。
あったことは本当だけど、あれは本当の日記じゃない。
夜中、目が覚めて、外に出たら先生のお家に火をつけようとしている女の人がいて、腕を折った時先生が出てきて、「待て」って言うからやめた。
女の人が「誰との子おや!」って叫んで、先生が「いや、誤解じゃ。わしの言葉が足らなんだ。とりあえず手当を」って言って、女の人が「やかましいわ! うちをばかにするな! 知っとったわ、ほかにもおんのは知っとったわ! せやけど、いつか手ぇ切る思て……」って言ったところで、先生が「え、ええと、ちょっと今夜はこいつと二人にせい。どっか行っとれ」って言ったから、ベンチで寝た。
起きたらかがり火がいた。びっくりした。
うれしかった。
それからかがり火のお家に連れて行ってもらった。
おばさんが僕を見て「七竈ちゃん! 生きとったんやね!」ってぎゅうってしてくれた。
おばさんは奥さんじゃなくておばさんって呼んでって言ったから、おばさんって呼ぶ。
それから陽炎お兄ちゃんが起きてきて、「なんや、お前か」って言って。
今日は眠くなったから日記やめる。
眠くなったらすぐ寝るのが、僕には一番必要って先生が言ってた。
えっと、とにかくおばさんが朝ごはんにオムライス作ってくれて、昼ごはんにエビフライ作ってくれておいしかった。
かがり火は今でもやさしかった。
空六六六ぷらす! じゅうろく!
納「連載再開おめでとうー!」
蛍「あの……本文で気になるとこがあってめでたいどころじゃないんだけど」
納「何?」
蛍「お前、声低かったの?」
ユキ「ウー! 蛍、もはやメタ発言というレベルじゃないヨ!」
蛍「だってこのロリロリしい口調で声低いって!」
納「せっかく声変わりしたのに! 女の子みたいなしゃべり方って言うならしゃべり方変えるもん!」
蛍「あ、それはそのままでいこう」
ユキ「今の、蛍の趣味で言いましたよネ」
蛍「うるせーな! 今回登場した土御門篝火に比べりゃマシだろ! 小学生で足フェチに目覚めてんじゃねえよ! しかもわりとマニアックな!」
納「なんで今回の蛍はいじわるばっかり言うのー!」
ユキ「ああ、これはかわいいですネ。この男どもは実にかわいい」
納「僕は男だからかわいくないの!」
蛍「俺もお前もかわいいの!」
ユキ「ホント……かわいいやつらデス」




