僕が先生と呼ぶ尊敬できない人2
荷物を運び終わったウィルヘルミナ先生は、相変わらずのオーバーリアクションで言った。
「いやあ、驚いた。倒産したゲームセンターの地下室が貸し出されるとは」
「カジノとパチンコと雀荘があるのに、ゲームに誰も興味を持たなかったんだよ。一か月もたずに潰れた」
「上はどうすんの?」
「わかんない。正式な所有者がこないだ死んじゃったから。まだ遺産相続話がまとまってない」
「それ、地下は逆にいいわけ?」
「うん。作った業者がなんか勘違いして勝手に作った地下室だから。別にいらないって」
「ありがたいけど、いい加減な話だなあ」
「先生に言われたくないと思うよ。この建物の所有者が業者に怒鳴り込んだ時には夜逃げしてて、仕方なく逃げ遅れたバイトを怒鳴りまくってたら刺し殺されたんだ」
「バイトに?」
「バイトに」
「ふうん。それでこんな謎のワンルームができてんだ」
壁一面が本棚になっているのが、更に謎感を出している。
「ダンボール開ける?」
「いーよいーよ、後は自分でなんとかなるモンばっかりだから。アクエリアスでも飲もう」
床に500mlのペットボトルを置く。
納は学ランを脱いで埃を払う。
「……納ちゃん。それで、学ラン脱がないの?」
「何の話?」
「ん? 違ったか、ごめんごめん」
「何の話なの?」
やや詰めよるようにすると、先生はしまったなあというポーズをした。
「俺の実家って開業医なんだよ。小児科の。で、まあ、骨格関係の本とか置いてあったのね。でさ、納ちゃんの肩甲骨の形がさ、ちょっとヘンだなって」
「え? 知らなかった」
「だよなー。ごめん」
「どこ、どこがヘンなの」
「んー、こっち来てくれる?」
先生の背を向けて座ると、先生は肩より背中に近い肩甲骨の一部をトントンと触る。
「ここ。なんかちょっと折れた後微妙にずれてくっついたカンジで、隆起してる」
「え、動く時とか困るの?」
「いや、困んないでしょ。完全にくっついてるもん。何より、困ったら自分で気づくでしょ。こうやってワイシャツの上から触んないとわかんないくらいのズレだし。ただ、ちっちゃい頃にからかわれたかなんかして気にしてんのかなと思っただけ。余計なこと言っちゃったな。ごめん」
「骨折なんてしたことないと思ってた」
「だよなあ。ホント余計なこと言っちゃったよ」
納は不審げに振り返る。
「なんでそんなに気にするの?」
「え? そりゃあ、他人様の気付いてない体の特徴をわざわざ指摘なんて失礼でしょ」
「先生、何か誤魔化してる」
ウィルヘルミナは言いにくそうな顔をする。
「えーとね、肩甲骨ってさ。スゴくデカくて丈夫な骨なんだよ。だから、赤ん坊でもない限り結構派手な事故に遭わないと折れないし、折れたら覚えてる。本人が忘れる歳でも親は言うよね。そんな派手な事故に遭ってたらね」
納が息を呑む。
「で、まあ、そんな記憶に残らないほど小さい頃に肩甲骨折って、放置するとさ。こんなズレじゃすまないんだよ。だって痛いじゃん? ちっちゃい子なんて我慢できなくて自分で動くじゃん? もっとズレるじゃん?」
ウィルヘルミナは納の表情をじっと見る。
「そうすると、残る可能性は一つしかない。まだ自力で身動きできない赤ん坊の頃に、強く掴みすぎたかなんかして折れて、痛みで泣いてるのを放置されてるうちに自然にくっついた」
納の表情を観察する。ウィルヘルミナの顔は愉悦を浮かべている。
高校を転校せずに引っ越せる面白い場所はないかと、色々探していた頃。おお、僅か一か月程度も経っていない。とウィルヘルミナはカレンダーの×をつけ直す。特に意味がある×ではない。何よりカレンダー自体数年前のものだ。要するに全部意味が無い。
とにかく、この街に住みたいと思える人物と出逢った。
街中に死体が転がっていて、今ではたまにティータイムなどに誘ってくださるミス・オードリーをうるせえ婆さんだと追い払おうとしていた時。
ごく普通に学生服の彼がやってきた。
彼を見た瞬間、ウィルヘルミナは思った。
おお、ドールが生きてる。
やたらでっかくて丸い瞳にバサバサの睫毛。黒髪。左目に医療用眼帯。眼鏡。体格と相まって、以前インターネットで見た大人用のバカ高いお人形を思い出したのだ。
あの学生服の下は球体関節じゃないかと澁澤龍彦みたいなことを思ったが、そんなありきたりな感想はすぐ忘れた。
この死体を作ったのはこいつだ。
言い方を変えれば、この生きたドール少年が孕んだ中年の女の頭にタールの缶を叩きつけたのだ。
カッターシャツの袖にタールが付着している段階で明白だし。
何より。
メフィストの元に向かう時にあっさり白状した。
いや、白状ではない。
苦情だ。
あの女性を殺したのは自分であり、きちんと死体回収業者に連絡をしているので、あんな風に邪魔をされては困る。
そういう苦情を、彼の端的になりがちな上、時折幼女めいた言葉づかいになる口調で受けたのである。
殺害の動機を聞いてみるとき、彼があの腹の子の父親であるとか、あるいは腹の子の兄であるとか、そういう展開を期待したのは否定できない。むしろ大いにした。
だが、そんなドラマチックな話ではなかった。
メフェイストに月々の”代金”を払っている男が、水商売の女に子供ができたから養育費と慰謝料を払えとつきまとわれて助けを求めたのだ。
その男の子どもでないことは確実。
なぜなら彼はこの街に来る前に、女性専門の風俗店で働いており、パイプカットをしていたのである。
普通に、メフィストは自分の下僕たる納(これにもエロチックなことを想像したが、別にそんなことはないらしい)に手段は問わないのでこの男の前に姿を見せないように指示し。
普通に、納は「お金を受け取るまで帰りそうになかったから殺した」のだ。
いかな幻想的な狂気が繰り広げられたのかと思えば、おつかいも同様の殺人であった。
だが、着眼点にすべきはそこではない。
生きたドール少年が「もー、ホントに困るんだよぅ」などとウィルヘルミナにぺらぺら話すからには。
この七竃納はウィルヘルミナが他人に漏らすそぶりをすれば、即座にウィルヘルミナを殺害するのだろう。
いつからこの街にいるのかと問えば、最近住み始めたばかりだと言う。
この殺人ドールが住んでいる街には、住むしかないと思った。
そして彼は今京都にいる。
帰ってくる頃には、あんなドールのような体型はしていないだろう。
やはり言っておいて良かった。
彼が赤ん坊の頃に肩甲骨を折られ放置されていたと告げた瞬間の顔。
納得と怒りと、そして愛を乞うような心が入り混じったあの表情。
彼が殺した腹の子も、同じような顔をして死んだのだろう、と思った。
だから、嘘だと言った。
実際嘘だった。
そして彼の涙を待った。
ドール少年は泣かなかった。
「うそつき」
そう言っただけだった。
ああ、この程度の傷では、彼は痛みがわからないのだ。
なるべく鍛えて帰ってきてほしい。
命が惜しくて、傷つけるのを恐れるような、まるで人間のような。
この街に住む居住空間の代償として、エメラルドの指輪を支払う俺を見る目。
彼は人間に近づいていくのだろう。
「これ盗品?」
「いいや、妹から渡された祖母の形見」
「デザインが古いから、売るとなったらばらすしかないんだけど。いいかね?」
「別に。ばらすのをセルフでやれってわけじゃないんでしょ」
やり取りを見る彼の視線は咎めるようだった。
「妹さんから貰ったのに大事じゃないの」
「妹の方が大事だよ。だから、ばらして貰えると助かる」
傷つけられない体になって帰ってきてくれ。あの咎める目つきが自在に使えるようになるまでに、この手にかけてしまえぬように。
「間に合いますよ」
医者は検査結果の写真をモニターに映しながら言った。
「栄養失調状態が続いていたのに、骨や内臓に脆さがない。珍しいです。どうも彼の記憶では炭水化物ばかり食べていたようなのに、脂肪が極端に少ないので若干諦めていたのですが」
「なんだかチャーハンばっかり食べていたようなことを言ってましたが。父親が食べた残りを」
「それでしょうね。お父さんは火が通っていなかったり焦げたりしている具の部分をほとんど残していたんでしょう。実質食べていたのはハム野菜卵炒めに米を混ぜたものといったところでしょうね」
「はあ、なるほど」
「とにかくバランスよく、そして量を多めに食べさせてあげてください。後、これは欲しがるものならなんでもいいのですが、おやつ、間食の類をなるべく切らさないように」
「おやつ……そんなに食べて大丈夫でしょうか」
「そうですね……。そんなにずっと必要なものでもないと思います」
「ええと……」
「肺にですね。タールが入っているのですよ。まあ、喫煙ですね。で、未成年の喫煙というのはだいたい不良めいた仲間内で恰好つけで始めるわけですが。彼はそういうタイプではなさそうです」
「そうですね……なんというか……ヤンキーめいた友達との付き合いというか……まず友達自体が」
「最近吸い始めたにしてはタールが染み込んでいるのに、親が平気で吸わせていたにしてはタールの量が少ない。これ、たぶんおやつですね」
「お、おやつ? 煙草が?」
「煙草を吸うと空腹感が紛れますからね。お腹が空いた時におやつ感覚で父親のものを吸っていたんでしょう。で、大量に吸うとバレてしまうので、ほんの数本をくすねていたんでしょうね。要するに食品のおやつを覚えて、それが食べられなくなる不安がなくなれば、喫煙もほぼなくなるでしょう」
「ほ、ほぼですか?」
「……メフィストさん、喫煙なさる方でしょう。あなたがすすめなくても、サービス感覚で煙草をすすめてしまう大人は案外ですね」
「すみません……先生の領域ではありませんね」
「まあ、煙草に関してはそのくらいで。私がどうしても気になることがあってですね」
レントゲン写真を指差す。
「ここ、うっすら線みたいなものが残ってますよね。これ、骨折した後です。でも、すごくきれいにくっついてるので、動きに支障などは出ません」
ただ、と医者は続ける。
「彼は骨折した経験はないと言い切ってますし。記憶にないほど小さい頃に骨折したのなら、親は動かないように相当苦労せねばなりません。痛がって泣き続けたり。そうでなくても入院して骨折した個所を固定するだけで子どもというのは大変です」
「……全く、恩に着せないのは不自然ですね」
「正直、そういう仰り方をしてしまうのはわかりますね。自力で動くのが困難な赤ん坊の頃に、なんらかの原因で折ったんでしょう。強く掴んだか、高い所から落としたか。その当時母親は発病していたようなので、錯乱状態で叩いた可能性もあります。そして痛みで泣き続けるのを両親ともに放置した。だから、逆に自然にこんなにきれいにくっついたんでしょう」
医者はモニターを切りながら言った。
「そういう家庭環境と発達障害が合わさると、差別的な言い方をすれば異常人格者に成長してしまいやすいです。メフィストさん、私はあなたを疑っているわけではありませんが」
メフェイストは微笑んだ。
「いいえ。疑われるのはもっともです。ですが、私はあの子がどのような成長をしようとも、手放すつもりはありません」
医者はそうですか、と言った。
「あなたの意図がどんなものであろうと、何があっても手放されないという安心感を納君に与えて下さるのなら、私は今後も検査などをしましょう。ですが、保険証は作り直してくださいよ。わずか16歳で世帯主では、どうしても不審です」




