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空六六六  作者: 浮草堂美奈
第二章 修行ノ語リ
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僕が先生と呼ぶ尊敬できない人1

「ふうん、納ちゃん京都に行っちゃうんだあ」

 先生は缶コーヒーを灰皿代わりにしながら、にやにやと笑った。

 納は彼を先生と呼ぶ、先生は自分をウィルヘルミナと名乗る。偽名だ。ペンネームでもない。だから先生と呼ぶ。

「別に一時的に行くだけだよ。鍛えて貰うだけ。また帰ってくるよ」

「帰ってくるなんて宣誓するほど遠くないぜ。夜行バスを駆使すれば日帰りできる。よくやってる」

 納はため息を吐く。

「先生出席日数大丈夫なの? 卒業できる?」

 先生は二本目の煙草に火を点ける。

「ああ、最近迷ってるんだよ」

「大学行きたくなったの?」

「納ちゃんは次元の高い両親の元に育ったんだなあ。逆逆。高校卒業したら仕送りも終了して縁切りって約束だったんだけどさ。わざと留年したらもう一年固定収入があるんだなあって。だけど、留年した地点で縁切りされちゃうと留年損だからさ。悩んでるんだよ」

 先生は無精ひげをさする。好きで伸ばしているわけではない。借金のカタに納がシェーバーを奪い取って売りとばしたのだ。

「まあ、そんなことはどうでもいいじゃんか。昔の彼女? まあそんなカンジの思い出ないの?」

「ないよ」

 あっさりと納は答える。

「ん? 納ちゃん関西の生まれでしょ?」

 納は首をひねる。

「たぶん、生まれは関西だろうけど……記憶と呼べるようなものができる歳には関東以外行ったことないと思うよ」

「曖昧だなあ」

「どこに住んでたのかわかんない時期があるんだもん。親が関西出身だけど、小学校入学前に関西離れてるし」

「ふうん。なんで?」

「父親がね、飲酒運転で交通事故起こしたんだよ。それで関西にいられなくなった」

「ヤクザの車にでもぶつけたの?」

「いや、ガードレール。だけど、その頃父親は何年も休職中とはいえ、小学校の教諭だったからね。地方のニュースで実名が報道された。それで関西に住めなくなったらしい」

「そんなニュース覚えてる人いるかねえ」

「珍しい名字だからね。しょうがない」

 七竃 ななかまど。 七回焼いても実が残る植物。

「まあ、小さかったからよく覚えてない。小学校一年生の四月に東京の学校に転入ってなってたから。なんかそうとうゴタゴタしたんじゃないかな」

「なってたって何が」

「当時の通知表が」

「ああ、なるほど。そこまでは物心ついてないんだ」

「その後もちゃんとついてたか怪しいけどね」

 はっきりした記憶。一人で怒鳴り続け、往来を徘徊する母を保護したという警察からの電話。

 そしてそれを聞いた父親の絶叫。

「なんでうちはこんなことばっかりやねん!」

 先生は納得する。

「アクセントがさ、納ちゃんは時々関西なんだよ。そういう訳ね」

「そういう訳だよ」

 意識しないでするオウム返しを、先生は妙に気に入っている。

「あ、でも、小学校三年生の時に京都はちょっと住んでたなあ」

「へえ、いた? 昔の女」

「無茶な期待しないでよ。そんなことわかる歳じゃない。男の子と遊んでたことしか覚えてない」

「今はわかるの?」

 先生はまたにやにやした。

「恋愛、恋情、エロス、劣情、まあどんな言葉でもいいけど、今はわかんのかい? 納ちゃん」

 納はぷいと横を向く。

「別に困ってないもん」

 あー、と先生は床に寝そべる。

「納ちゃんが女の子だったら良かったのに」

「怒るよ」

 大の字になろうとしているらしいが、折り畳み式のちゃぶ台が邪魔でⅠみたいな姿勢の先生はぼやく。

「恋をまだ知らないのに、身長ばっかり伸びたお人形みたいな女の子を、言葉巧みにレイプしたい」

「ただの犯罪じゃない」

 先生は自分の腕を枕にする。

「ただの犯罪だよ。だから、やらないで生きていられるこの街に感謝してる」



 蛍がこの街に来てすぐで、ユキが来る前。まだ4月が終わっていない頃。つまり納もこの街に来たばかりの頃。

 へんな人がいた。

 その時の納はまだ自分の口調が幼い少女めいたところがあるのを気にしていたので、脳内でもう少し表現を変えようと試みた。

 奇妙な男? 異様な若い男?

「あ、メフィストさんとこの子よね? もー、助けてよ! へんな人が仕事の邪魔するの!」

 へんな人でいいのか。へんな人がいた。

 長袖のTシャツにパーカー、キャップ、染めているに違いない茶髪、ジーンズ、全てが安物尽くしの若い男がしゃがんでいた。

 メモ帳に何か熱心に書き込んでいる。しゃがんでいる先には死体がある。潰れた頭の横にはコールタールのへこんだ缶。僅かに零れたコールタールが血と混じっている。

 困っている人は助ける。特に女性なら。

「何してるんですか?」

 若い男は振り向いた。眼鏡が洒落ているのに安物らしいデザインだ。こちらを見ると、やけになれなれしい口調になった。

「神様ありがとう。高校生だよな? 何か書くものもってない?」

「今、書いてるでしょ」

「ボールペンのインクの限界がきてるんだよ。さっきの婆さんは持ってないって言うしさ」

「いや、そうじゃなくて、何してるの」

「せっかく変死体があるから、状態をメモにして記録してるんだけど」

 頭が潰れた女の死体。中年の女。だけど妊娠しているらしい。過去形。胎児も死んでいるだろう。

「……楽しいの?」

 若い男は笑い声を上げる。

「まさか。一ミリも楽しくない。だけど、楽しくないことを集めて楽しいことができる。わかる?」

「……それより、いくら払える?」

「ん?」

 若い男は財布を取り出す。ルイヴィトンの長財布。こんなところに高級品。

「五千円がギリかな」

「オードリーさん、五千円だって」

 婆さんと呼ばれた女性、オードリーさんはふうんと言う。

「一時間くらいなら好きにしていいわよ」

「オウイエス、話がわかる婆さんだったぜ。で、なんで婆さんに俺が五千円払うんだ?」

 納が代わりに答える。変質者の疑いがある人を、女性に近づけてはいけない。

「この人が死体を回収するのが仕事の人だから」

 オードリーさんはバンと背中を叩く。

「そっちは副業だってば。あたしの本業は援助交際なんだって」

 若い男は納得する。

「ああ、オードリーって源氏名みたいなモンなんだ。道理で色っぽいわけだわ」

 皺だらけの五千円が渡される。

「あら、ありがと。一時間半にサービスしてあげる」

「いやいや、こっちこそご無礼働いて申し訳ない。連絡先交換していい?」

「ナンパ?」

「玄人さんをタダでナンパしない。常識っしょ」

 二人はスマホで連絡先を交換する。

「じゃあ、一時間半経ったらまた来るから」

「オーケー。俺は時間にはうるさい男さ」

 オードリーさんが去る。

 若い男は

「で、お兄さん、なんか書く物持ってない?」

 と問う。

 仕方なくカバンを探ってシャープペンシルを渡す。

 若い男はまたメモを取り始める。

「お兄さん? 君? お前? まあ、とにかく名前は?」

 唐突に聞かれる。

「七竃納」

「お、初めて聞く名字だ。レア枠だ。霊験が落ちないように納ちゃんと呼ぼう」

 とにかくなれなれしい。

「そっちの名前は」

「……」

 なぜか沈黙。

「ウィルヘルミナ」

「露骨な嘘を吐かないでよ」

「好きで吐いてんじゃないぞ。心外だな。カノジョがそう名乗ってくれって言うから名乗ってるに過ぎない」

「変わった彼女さんだね」

「うん。まあでも、いい女だし」

 淡々と春の昼は流れる。

 メモを覗く。

 絵は一切ない。

 ただ死体がどういう状態か克明にメモしている。

「おいおい、人が書いてるもの見ちゃダメだぞ」

「ごめんなさい」

「許そう」

「それ何に使うの?」

「小説の資料に」

 納はしばし考える。

「潜入ルポみたいなのは困るんだけど」

「大丈夫大丈夫。俺がそんなモン書くと干されるから。一応現役高校生小説家で売ってるから」

 ……。

「綿矢」

「シャラップ」

 黙る。

「納ちゃん。芥川賞なんてのはな、ヘタに狙っていると口に出しちゃいかんのだ。取れずに死ぬと「あの人結局取れなかったね」って話題になっちゃうだろ。そんな未来想像すると悲しいだろ。悲しい気持ちにわざわざなってどうする」

「まあ、とにかく先生なんだ」

「うん、まあ先生ということにしておこう。世界平和のために」

「で、先生。未成年にこんなとこいられると困るんだけど」

「オウ、アメージング。先生という言葉に一ミリも敬意が籠っていない。そして学ランでその注意を言う。っていうか、俺ここに住みたいんだけど」

「道?」

「室内希望」

「いくら持ってる?」

「130円」

「さっきの五千円は?」

「最後のお札」

「道で」

「いや、電気とネット環境がないと困る。原稿を出版社に送れない」

 ため息。

「お金に換えられそうな物無いの?」

「エメラルドの指輪持ってるけど」

「本物じゃないとダメだけど」

「本物本物。ちょっと黙って。やっと腐敗っぽくなってきたのに、後30分しかない」

 一時間半後、さっきと違って全身を宇宙服みたいな装備でくるんだオードリーさんに挨拶する。

 先生は使い捨てライターを取り出すと、メモに火を点けた。

「せっかく書いたのに」

 先生は燃えていくメモを見ながら笑った。

「ああ、書いて頭の中を整理してただけだから。この紙はあると邪魔なんだ」

「内容忘れないの?」

「忘れる」

 灰を愛おしげに散らせる。

「忘れなかったものだけが、書くに値するものだよ」

 

 十三番街の支配者にして、最上級悪魔にして、【鉄の女王】の階級のメフィスト・フェレスはビール片手に手を振った。

「親と喧嘩したかなんか知らんけど、親が正しいから帰って謝りなさい」

「おいおい、メフィストさん。話も聞かずにそれはないじゃないか」

「道端の死体のメモを丹念に取ってる息子が、どうやって親が悪いっていう展開に持ってくねん。っていうか納、へんな人うちに連れて来たりはもちろん、話しかけたらアカンよ」

 先生はふっと恰好をつけた笑みを浮かべた。

「甘い甘い。読みが甘いぜ。メフィストさん。まず俺は親と喧嘩して家出なぞしていない。純粋に親と不仲になったので、高校進学と同時に別居してくれと親に頭を下げられたんだ」

「不仲いうレベルかそれ。気味悪がられてないか。じゃあ、なんでこんなとこ住みたいの」

「俺に才能がないから」

 ……。

「メフィスト、この街のお医者さんは管轄外の人だと思うよ」

「いや、筋弛緩剤でも打って貰って、その間に警察に捨ててこようと」

「まってまってスマホしまってマジで。話せば長いからさ」

「私の休憩時間はこのビール飲み終わるまでやから、長い話聞く気ないわ」

「オーケー、大丈夫。ニーズに合わせて短く言うわ」

「大成しなさそうな子やなあ」

「まあ、否定しない。まず把握してほしいのは、俺には小説家の才能がない」

「チェーホフも似たようなこと言ってたね」

「納ちゃん、無自覚にハードルを上げないでくれるかな。まあ、とにかく、小説家の才能ってのはな、アンテナだ。才能があるってのは小さな刺激でもアンテナが反応する。心が動く。ネタになる」

「ふうん」

「で、俺はそのアンテナが鈍い。錆びてる上に蜘蛛の巣とか鳥の巣とかありそうなレベルに鈍い。こういうヤツが心を動かそうとすると、デカい刺激が必要になる。普通の日常生活にデカい刺激が溢れてるか? 溢れてたらそれは普通の日常とは言い難いだろ? そうなると、自力でデカい刺激を起こすしかないだろ?」

 メフェイストはビールを一口飲む。

「要するに、自分が犯罪に走る前に、刺激を求めて新人作家が来たわけかね」

「あ、はい。そういうわけです」

「その才能論に自信はあるわけ?」

「ある程度の自信はあるけど、若さと熱意でカバーしてるカンジ」

「外れてたら?」

「ん? フツーに別の場所に引っ越すけど?」

「ちゃらんぽらんを絵に描いたような子やな。君、今からそんなんで将来どうすんねん」

「逆に聞きたい。将来をちゃんと考えているヤツは、きちんと通学しつつ進路に悩んでいる時期だろ。高三なんての春なんて」

「腹立つなこいつ。っていうかさ、書かないって選択肢はないの? 筆を折るまでいかんでも、趣味でやめとくみたいな」

 あー、と先生はへらへら笑った。

「プロでも趣味でもやること同じだから。原稿料貰える分プロがいいわ」

「筆を折る」

「それはない」

 笑顔を絶やさずに

「芸術の名作しか、世界に残るものはないから」

 メフェイストはビールの缶を脇に置く。

「名作を書く気やの?」

「当然でしょ」

「書く自信は?」

「自信がどうとかはどうでもいいんだ。名作を目指して書きつづけなきゃ生きていけない、そういう生き物なだけ」

 メフェイストは言った。

「三つ、条件がある」

 指を一つ。

「この街の内部を絶対に公開しない。全ての媒体で」

「大丈夫」

 二つ。

「君が死んでも死体は家族の元に帰らない。まあ、死体回収業の方の収入源になる」

「大丈夫」

 三つ。

「君がなんらかのトラブルに巻き込まれた際、バックに私がつくので毎月お金を払って貰う」

「いくらくらい?」

「君の収入を見てから毎月の最低金額を決め、そして何が起こったかの面倒具合で上乗せする」

「ああ、了解」

 メフェイストは納に命じる。

「手紙書くから、不動産のタナカさんにあっせん頼んで」



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