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空六六六  作者: 浮草堂美奈
第一章 出逢ノ語リ
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七竃納の出逢い1

 近田珠と七竃納が出逢う数か月前。

 四月。

 七竃納は死に瀕していた。

 そして、それが常態であった。

 ガリガリに痩せこけて、身長だけがひょろ長く伸びた高校二年生。この頃は眼鏡をかけていたが、両目が機能していた。

 彼が悪魔に出逢ったのは、完全なる偶然であり、完全なる必需事項であった。


「ナマポでアスぺでさあ、なんで生きてんの?」

 ナマポ=生活保護受給者。納の父親は働いていない。何年も何年も、酒を呑む以外何も(特筆すべきことは)していない。納が小学校二年生の時に離婚。統合失調症になった母を、「家事をしない」という理由で父親が離婚した。納は父親と東京都で二人暮らしをしている。

 アスぺ=アスペルガー症候群、広汎性発達障害、高機能自閉症など、発達障害にあたる障碍者。納の診断名は広汎性発達障害、成長中に何度か同じ障害の呼び名が変わったらしいが、納が小学一年生の時、そう診断されてから。両親は一度も納を受診させていない。障碍者であることを、認めもしない。

 桐岡遊子に問われて、納は答えた。

「生きたいから」

 それだけだった。

 納には、生きたい以外に何も無いから。

 柚子の傍の男子生徒が言った。

「生きてちゃダメじゃん」

「何でだ?」

 納は問い返す。

「ナマポなんてさあ、自分で働かずに生きてる社会のダニじゃん。しかもアスぺとかさ、コミュニケーション取れないってことでしょ? 空気読めないってことでしょ? 人の気持ちわからないってことでしょ? クズじゃん。生きてて何の役にも立たないじゃん。そんなヤツ生きてちゃダメダメー」

 もう一人の男子が言った。

 クラスのほとんどがどっと笑った。

 一部は気まずそうに眼をそらした。

 その通りなのだろう。

 僕の存在が間違っているのだろう。

 納はそう思う。

 ずっと言われ続けたことだから、納得する。

 この世の役に立たない人間が生きている意味はない。至極納得する言葉だ。

 それならば、

僕は何で生まれてきたんだ?

 一生役に立たない。誰からも必要とされない。そう宿命づけられた人間は、そもそも何で生まれてきたんだ?

「死んだらいいのに」

「死にたくない」

 死んだら、いいのだろう。だけど、何故か死にたくない。死にたいと思ったことは何度もあった。だけど、その度納は、生き残ってきた。

 なんで生き残っているのかもわからない。

 だけど、死ねない。

 結局それは、”死ななければいけないという道徳観への反抗心”だ。

 そんな反抗心は抱くべきではない。

 べきではないことをしてしまう地点でダメだ。

 人間はするべきことはすべてして、するべきでないことはすべてしないものなのだ。

 三十過ぎの担任教師は言った。女だった。

「もう授業を始めるわよ」

 納は暴力を振るわれたりは、高校に入ってからはしていない。

 大学受験という問題。内申点という問題。それらが、彼らの暴力を押しとどめる。

「女性知事が、相撲の土俵に入ってはいけないって話が昔出たけど、そういうのって女性差別だと先生は思うんだよね」

 教師の視線には、納の教科書への「死ね! アスぺ!」というラクガキが目に入っている。

 担任には感謝している。

 クラスの誰もいなくなると、必ず生徒たちの真意を教えてくれる。

「みんな、あなたが社会でやっていけなくならないようにと思って言ってるのよ。働かなくちゃ本当は暮らしていけないの。あなたの人生は間違っていることが多かったから、分からないのも仕方ないけれど。いつかあなたが社会の役に立てるように、みんな心の底では願ってるわ」

 授業は続く。

 意識が暗くなる。

 貧血だ。

 それ以前に空腹だ。

 納は夕食以外の食事を摂っていない。

 小学校と中学校は給食があったから、昼食も食べられたが、高校は無い。

 食費は父親が酒に使い込む。

 あ、倒れる。

 そう思った時には、もう床に倒れていた。

 担任の声が聞こえた。

「ヘタに動かすと危ないから、とりあえずそのまま置いておいて」

 意識が途切れる。

 気が付くと放課後だった。

 教室には誰もいなかった。

 雨が降っていた。

 帰ろうとすると傘が無かった。

 職員室に行く途中、担任に会った。

「すみません、傘が無くなっていて……」

 納が担任に言うと、担任は困ったように言った。

「だからビニール傘は間違えられやすいから、やめなさいと言ったでしょ」

「紺の布傘にしました。コンビニで売っているような―」

「そういう傘は間違えられるのよ。学校の前のコンビニで新しいの買いなさい。特別に寄り道許してあげるから」

 納は一円も持っていなかったので、濡れて帰ることにした。

 四月だというのに土砂降りだ。

 春の嵐というものだろう、ゲルトルート。

 叩きつけるような水に一瞬怯むが、駆けだす。

 その瞬間。

 雨粒が止まった。

「?」

 Sah ein Knab' ein Röslein stehn,Röslein auf der Heiden,

 ゲーテの野ばらの歌だ。

 それがどこから聞こえてくるのか、周囲を見渡した納は目を見張った。

 war so jung und morgenschön,lief er schnell, es nah zu sehn,sah's mit vielen Freuden.

 周囲の人間が、全て動きを停止していた。

 否、人間だけではない。車も、信号も、烏も。すべての動きが、映像を一時停止したかのように止まっていた。

 Röslein, Röslein, Röslein rot,

 動いている者が一人だけいた。歌声の主。

 Röslein auf der Heiden.

 黒いゴシック調のドレスにシルクハット。シルクハットの飾りに赤い薔薇。細身の体の肌は白く、化粧を施された顔は西洋のもの。黒髪をボブスタイルにして。

 瞳が瑠璃色の女だ。

「留まれ、いかにもお前は美しい」

 同じくゲーテ、ファウストのセリフだ。

 ゲーテに黒く染まった女は言った。

「さあ、帰り、時が止まっている内に」

 関西訛りだった。

「あなたは……」

「あなたなんて言わんでもええわ。雨が降ってるのに傘を盗まれた子がいるから、時を止めただけのこと」

「時を……止めた?」

「まあ、もっと色々できるで。私と契約すれば」

 女はうっすら笑みを見せた。

「私は最上級悪魔”鉄の女王”メフィスト・フェレス。私と契約すれば、私は君の下僕しもべとなり、君は私の下僕なる。ま、あんまりおススメはできへんな。悪魔の契約は契約した地点で、色々歯車が狂うから」

 歯車は……僕にはあるのか。

「メフィストさん」

「メフィストでええて」

「メフィスト」

「なんや? 納」

「僕はこんな事をして貰っても、何も返せないよ」

 メフェイストは言った。

「それを気にするような子やから、私は時を止めたんや。自己満足も相手を選ばななあ」

 さ、早よ帰り。

 そう言われて、納は家路に歩き出した。

「私と契約したくなったら、私の名を呼ぶといい。私達には縁ができた。そういうことも可能や。まあ、おススメはやっぱりせえへん。縁というのは切ってナンボなところもあるからな」

 続けて言った。

「あんまり他人を信用せえへんことや。君が間違ってるとは限らない。世界が間違っていることもある」


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