蛍とジョーイ4
「蛍ちゃん、いきなりマイナスなこと言っていい?」
インカムの向こうから、不機嫌そうな声。
「何?」
「ここの監視カメラ、録画機能がない。いや、最初はあったんだろうけど、壊れてる」
「ふーん」
「そんな興味なさそうに言わなくても。これはこのビル中に仕掛けられたカメラを僕が一人で監視しないといけないってことだぜ? 数は三十だ。君、テレビ三十個同時に見たことある?」
「テレビっ子の夢じゃん」
「叶ったらガッカリする夢の典型だろ。あ、ちょっと待って」
座ったまま左手に銃を持つ。部屋の扉が開く。入ってきた瞬間に発砲。
消音装置に消える発砲音。倒れる女。死んだ監視係。
「あ、女だったのか。惜しかったな」
死んだ気配を感じてから自分が撃った方を向いた。
「まだ体温残ってるんじゃないの?」
「そういうヘンな理解ある態度やめてよ。なんでほぼ初対面のガキに死体に突っ込んでるとこ実況しないといけないのさ」
画面の一つでダクトが開き、小柄な体が降り立つ。
「この辺誰かいる?」
「いないよ」
妙高蛍現在地、二階非常口。
ジョーイ・ラスボーン現在地、一階警備室。
ジョーイは思考する。
えらく、潜入がラクだな。
悪い予感ではない。ただ、異常にここまでで人に出会わないだけだ。
どちらかといえば、ジョーイの方が出会っている。警備室に元からいた男と、さっき入ってきた女。どちらも死体になっているが、
悪い予感ではない。
ただ、何の予感なのか理解できないのなら、感じるだけ不快だ。
「っていうか、ダクト入って何してたの?」
「使えそうなモンないか探してただけ」
「その割に荷物増えてないね?」
「いろいろ使えそうなモンはあったけど、持って行くのはなあって」
現在の装備は消音装置つきにカスタムしたS&W M&P。予備の弾丸は二セット。そして発煙筒。水筒。すべて腰にぶら下げている。
「ライフラインは何が生きてる?」
「電力のみだな。まあ、携帯の充電はできる」
「火災報知器は?」
「音は鳴るけどスプリンクラーは無理だな」
「オッケー」
確かにインカムで会話し、いつでも救助に行けるようにしているが。
初陣で敵陣に単独潜入してる雰囲気じゃないというか。
「なんだか慣れてない?」
「そんな訳ないじゃん。っつか、俺がパニクったら大変なのあんただよ」
「まあ、そうなんだけど」
ダクトに入っても、カメラに映ったのはクローゼットを開けて中身をガチャがガチャいじくっている後ろ姿のみだ。
匍匐前進に慣れていないことを思えば、ただ入って見ただけ。
もう少し推測すると、逃走経路の確認くらいか。
カメラに映らないので推測するしかないが。
「あの螺旋階段の上さ」
「玄関前の?」
作られた当時はしゃれたデザインの象徴だったらしき、二階への螺旋階段。
今はただのバリアフリーに対応していない象徴と化している。
巨大なシャンデリアがあるのに、埃をかぶりきっているのが痛々しい。
吹き抜けのコンクリートにヒビが入っている。
「うん。あのあたり、誰かいる?」
「君がさっきクローゼット開けた部屋。あの階段の真ん前に一人。小柄な男……老人だな。特に武装してる様子はない」
「俺が玄関に向かうルートには?」
「その直線の廊下見えるだろ? 螺旋階段の手すりも。その二つ前の扉の部屋。四人固まってる。気をつけろ。こいつらは銃を持ってる。AKのコピーだ」
「一階は?」
「会議室から……まあお偉いさんのいるところって表現が妥当かな。そこに七人。五人は武器がAK一人はトップだろな。ボスともいう。手ぶらに見えるけど拳銃くらい持ってるだろ。後、妙なのがいる。中学生くらいの女の子だ。えらく怯えてる。しかも制服じゃないかな、あれ、学校の」
「オッケー。うまくいくかわかんないから、もしもの時はよろしく」
「それは当然だけど」
「しゃべる余裕なくなると思うから」
「それはしょうがない。そのためのカメラ乗っ取りだし」
「じゃ」
「え?」
彼が再び跳ね上がったのを見て、怪訝な顔をする。
「なんでもっかいダクトに入ってるんだ?」
返答はない。
ダクトに入った直後。
通風口から発煙筒が投げられる。
「ちょっと、それ二個同時に使わないと目隠しにならないって」
どう見ても一個しか使ってない。目隠しどころか、完全に人の位置が丸見えだ。
「聞いてる? おーい」
返事はない。
しゃべる余裕がない。
いや、まさか。
しゃべってはいけないと判断している?
クローゼットの部屋。
通風口から飛び降りる。
驚愕する老人。
銃を抜くか?
否。
走る
クローゼットを開ける。
老人が逃げようとする。
その首に、金属製の変形したハンガーがかけられる。
あの変形はわざとでしかならない! 人間をくびり殺すための変形!
さっきクローゼットの前でしていたことはこれか!
老人が事切れた瞬間、機械特有の音声。
「火災ガ発生シマシタ、火災ガ発生シマシタ、火災ガ発生シマシタ」
発煙筒!
悪い予感はしなかったわけだ。
二階に固まっていた四人が非常口に殺到する。
一人が扉を引っ張った瞬間。
中に倒れ込んでくる鉄パイプ。
先頭の男は下敷きになる。
蛍はただ、元からあった鉄パイプをわずかに移動させただけだ。
いろいろ使えそうなモンはあったけど、持って行くのはなあって。
使えそうな物をその場のトラップにしただけだ。
ジョーイはこの後の展開を知っている。
正確には嫌な記憶として同じことがある。
予感ではない。記憶の再現だ。
下敷きの男を踏み越える判断力は消え。
生き残りの三人は恐慌状態となる!
そこで一階の踊り場下に発煙筒をもう一つ。
異国の声で火事だ! という絶叫。
火に囲まれたと錯覚したところに、あえて部屋から飛び出す。
そして発砲。一人が倒れる。当たるまで撃ったらしいが何発かはわからない。
ジョーイは目を見開いたまま言った。
「ベトコンだ……」
その場にあるものをトラップに作り替える。
恐怖にかられたところに突然飛び出す。
すべて、あのジャングルの悪夢の再現だ。
飛び出した後はすぐ、障壁物の陰に戻り。
恐慌状態の彼らのわめきながらの弾切れを待ち。
装填の瞬間、弾丸をたたき込む。
一階の踊り場下。
会議室から飛び出してくる武装した五人。
蛍は即座に廊下の消化器を手に取る。
踊り場上から中身を吹き付ける。
「目潰しか? 確実じゃないぞ?」
案の定、ぎょっとした様子を見せたが、一人しか視界をなくしていない。
撃ってくる。
その直前。空になった消化器をシャンデリアに投げつける。
落下。
金切り声のようなシャンデリアの割れる音。
その下から流れる血。
下敷きの三人。
視界をなくした一人。
下半身のみ下敷きになった一人。
ダクトから天井裏に移動したのか!
天井裏のシャンデリアの留め具。
それのねじをゆるめておき。
投げられる程度に軽くした消化器という金属の塊をぶつけ。
落下させる!
行動不能状態になっているのを確認しながら自らの銃を装填。
そして生存者に弾丸をたたき込む。
「おい、君、一人でゲリラ戦やってるぞ」
「ジョーイ」
ようやくの返答。
「会議室の奥の様子どう?」
ジョーイ・ラスボーンは思わず哄笑した。
「ちょっと、ちゃんとフォローしてって」
「いや、だって、君さあ!」
笑うのが止まらない。
「倉庫の在庫をチェックする会社員の口調だよそれ!」
こいつは人間だ。
こんなことは、こんなやり方は、こんな表情は。
人間にしかできない!
「いいから、どうなの?」
「どうしようもないよ。あのおえらいさんルームから出る勇気もないらしい。窓に格子なんかはめとくからだ。美術館とか興味ないタイプだよあれ」
「アタマとあの謎の中学生?」
「うん。あのおっさんは拳銃を持ってるけど、手が震えまくってる。中学生の方はへたりこんだまま泣いてる。たぶん人質だろうな、あれ」
「了解」
蛍は階段を降りる。
シンプルな動きだ。それはそうだろう。危険なことなど何もないのだから。
会議室の奥の扉を開ける。
「動くな!」
その言葉は同時。
トップの男は流暢な日本語で叫ぶ。
「銃を捨てろ! こいつを撃たれたくなきゃ銃を捨てろ! 同じ日本人を見殺しにする気か!」
男の手が震えすぎて、少女のこめかみに押し当てた銃まで震えている。
「その子いくつ?」
「十四歳だ!」
パリッ。
何だ今の雑音は?
ジョーイは眉をしかめる。
「蛍、銃を捨てるな。会話を長引かせろ。すぐに向かう」
返事はない。
ただ、今度はバチっという確かな音。
火花がはじける音に聞こえるが。
インカムの不調か? ならなおさらまずいな。
「まだ十四歳だぞ! 同じ日本人として見殺しにしたりしないだろう?」
かすれた声で男が言う。
「俺が知っている事実が三つある」
蛍は声を荒げずに言う。
「まず、今日までの最低三日間、中学生の事件性を疑う捜索願いは出ていない」
少女は声を殺して泣く。
「二つ目、その制服を着ている女の子が出ている漫画がうちにある。それはコスプレ衣装の類いだろうな」
男が息をのむ。
「三つ目、あんたたち、二人とも親指の先が短くて横に広がっている。短指症ってやつだろうね。一万人に一人は発症する。その原因は」
バチイッ
ジョーイの耳元でまた火花の音がする。
警備室を飛び出てから、この火花の音で声が聞こえづらい。
「ほぼ遺伝だ。ただの推測だけど、その子は日本人ではないし、日本語もしゃべれないし」
バチバチバチッ。
「ただの人質に見せかけたあんたの娘なんじゃねえの?」
少女の母国の言葉で助けを乞う声。
よし、相手は札切れだ。
ジョーイの思考は覆される。
「正解ならしょうがねえな」
なぜ、今、銃の落下音がした?
「なぜ、銃を捨てた?」
男の声が聞こえる。
やはり銃を捨てたのは蛍だ。
ジョーイはインカムではない。
扉の向こうから声が聞こえる。
逆だ。
インカムがノイズばかりで役に立たないのだ。
ジョーイは扉に手をかける。
「ムカつんだよ」
扉を開く。
「てめえのガキを消耗品としか思ってない、クソなてめえみたいな親がムカつくんだよッ!」
雷のような怒声の直後。
行動に思考が追いつかないことは多々ある。
ジョーイは目の前で起きたことを、三十秒ほど経ってから思考した。
しかも、蛍のこの言葉によってようやくだ。
「……何あれ」
とりあえず、見たままを言う。
「落雷?」
「……いや、室内で? ホンモノの稲妻が?」
「いや、あれ君がやったでしょどう考えても」
「は? まさか。自力で雷出せる訳ないじゃん」
「いや、そんなこと言ったって僕じゃないよあれ」
転がっている男を見る。
どう見ても、落雷による感電死だ。
「っていうか、その子大丈夫?」
ジョーイの腕の中の少女を見る。
雷光が見えた瞬間、ジョーイは彼女を父親から引き剥がし、遠ざけることに成功した。
この間、まったく思考というものをしていない。
おそらくF1のような速度で動いたのだと推測されるが、推測だ。
ただ、そういうことができるくらいの年数、戦場にいただけだ。
「大丈夫? ああ、言葉がわかんないか」
彼女の母国語で話す。
「怪我はないと思うってさ。後、蛍ちゃん、君この部屋に入ってすぐなんかバチバチ火花みたいなのめっちゃ出してたらしいぞ。絶対君だよあの雷。電気技師の資格取ったら?」
「えー、そんなんあるー?」
腕を組んで肩を引きつらせるのに、さらに少女が問う。
「あなたは軍人なのですかって聞いてるけど」
「いやいや、ナイナイ」
さすがに深くつっこむ。
「いや、じゃああの、ゲリラ戦法どこで習ったの。ベトコン戦法じゃないかあれ」
「は? ゲリラ? え、そうなのあれ?」
「何本気でびっくりしてんの」
蛍は首を傾げながら顔をしかめる。
「いや、だってあれ、山で猟する時の手伝い応用しただけだよ」
「いやいや、手伝いってどんな手伝いだよ」
「猟銃の弾って貴重じゃん? で、猟師もジジイだからさ。山の中でそのへんにあるモン作って罠にしたり、煙とか音で脅かしたり、後、なんか動物近づいてくるか見張ったり、距離とか風向きとか天候とか調べたり。そういうのだよ。マジただの手伝いだって」
「蛍ちゃん……それ……」
ジョーイはガックリ力が抜ける。
「観測手だよ……しかも山岳兵……」
解説:観測手とは、狙撃手のサポートとして狙撃に必要な風向きなどのデータを取ったり、周囲の危険を排除したりする人員である。必要に応じて自ら狙撃することもある。また狙撃手はハンター出身者が多い。冬戦争で有名なシモ・ヘイへなどは典型で、山中での突然の狙撃はわずか三十二人のフィンランド軍が四千人のソ連軍に勝利するという奇跡まで起こした。最後に、その場にある自然を利用して罠を作ったり、音や煙で動物を脅かすのは古来から度々使われる狩猟法である。
「メフェイストー、蛍ちゃんさあ。もったいないからスナイパーにしていい?」
「ちょっ何俺に断りなく! っつかもったいないからってセコい言い方すんなよ!」
≪空六六六ぷらす! じゅうさん!≫
納「山で狩猟って、熊とか?」
蛍「いやいや、そんなリスキーなことめったにないって。しょっちゅう熊狩りとか命がいくつあっても足んないよ。これだから都会っこは」
ユキ「じゃあ何獲ってたデス?」
蛍「基本的に魚。鹿とかイノシシとかは畑荒らすのが頻繁になったら山に狩りに行くカンジかな。それも畑に落とし穴しかける方が確実だし。それか針金とか木の枝とかで罠。一頭捕まえたら結構肉が取れるからね。干し肉とかに加工しても量的には充分」
納「なんかハンターのイメージと違うね」
蛍「だろうねー。金に換えらんないから収入源って言ってもピンとこないし」
ユキ「どっちかっていうと釣り人ですよね」
蛍「ああ、それはさすがに村中食う分に足らないから、釣りは遊び」
納「え、じゃあどうやって魚獲るの?」
蛍「川に電流か人間には効かない程度の毒入れる」
納・ユキ「えっ……」
蛍「その川が生活用水も兼ねてるから、上流の方行って魚獲るんだけどさー。そこでエンカウントした時くらいしか熊は相手にしねーわ。一発当たったくらいじゃ死なないし、持って帰るのも大変だし。得るモンは確かにデカイけどねー」
ユキ「それ……全部違法ですよネ」
蛍「そうだよ。俺は知らなかったけど、お前らは真似すんじゃないよ」
笑いながら言ってますが、ゲリラ戦法です、それ。




