ユキとマリュースク1
「ウー、メフィスト、やっちゃったネー」
スマホで蛍に「ごめん」と代理で送りながら、ユキはケラケラ笑う。
「やり方教えるとだいたいちゃんとできるケド、うっかり教え忘れるとスゴイことするカラネ。面白いネー」
「そういえば、最近ユキの部屋に入り浸ってるけど、何してんの?」
そういうと同時に派手にクラクションを鳴らす。黒のベンツを乗り回す癖に、メフィストの運転は荒い。
「漫画読んでるヨ。聞いてヨ! 納のお父さんひどいんダヨ! 漫画もアニメも禁止だったんダヨ! 私のお父さんは仕事の帰りに古本屋でよく漫画の全巻セット買ってきてくれたの二!」
「ああ、翻訳の仕事してはったんやったっけ」
「お父さんも日光は割と苦手だったからネ。メールでロシア語の翻訳してたんだケド。たまにどうしても会社に行かないといけない時はあったんダヨー」
それよりデス!
「漫画とゲームが文豪ブームなので、私も納に借りて文豪と呼ばれる人の小説読み始めたですケド、漫画よりよっぽどひどいことしてるデスヨ! 人でなしだらけデスヨ! あんなのばかり読ませて漫画を読ませないから、納は情緒育たなかったデス!」
「いや、そればっかりが原因でも……何読んだん?」
「芥川龍之介の短編集デス! ひっどい話ばっかり載ってるデスヨ! 私、いくらスゴいイラスト描けても、納と蛍を焼き殺せって言われたら断りマス! 芥川賞なんて人でなし証明書デス!」
「ふーん、納の方は?」
「最近フジリュー版封神演義を一気読みしてるデス。黄飛虎カッコいいが口癖みたいになってるネ。あ、後、妲己ちゃんは歴代ジャンプヒロインでも別格だから致し方なかったと言えるヨ!」
「……なんか変な影響受けてるん?」
ユキがキリリとした顔になる。
「メフィスト、そろそろこれから向かうところの説明をしてくれるべきだとおもいマス」
メフェイストが無言でいると
「だってさっきから同じ場所ぐるぐる回ってるヨ! 明らかに時間つぶししてるネ!」
メフェイストは軽くため息を吐く。
「まあ、よほどの奇行をしているなら、蛍から何か言ってくるでしょう。これから行く君の先生は」
真面目な顔で言う。
「最強の冠をいただく男です」
ユキはごくりと喉を鳴らす。
「それ、昨日も聞いたケド、どれぐらい強いデスカ?」
「そのまんま」
「まんま?」
「この世にいる人間で一番強い」
ホー、と息を漏らす。
「そ、そんな人に習えるデスカ?」
メフェイストの視線が泳ぐ。
「えーとな、それが断言できないというか……」
「気難しい人デス?」
「気難しい上に短気で酒飲みやねんけど、それよりも」
本人に言うたらアカンで、と念を押す。
「心が、折れています」
ユキはウー! と声を上げる。
「なんかひどい目にあったデス!?」
「う、うーん、簡単に言うと、顔を合わす度に喧嘩になる相手がおったんやけどね、そいつに決定的なこと言われたらしい」
片手でボブの黒髪をかく。
「んー、後はもう言えることが、元ロシア軍兵士やとか、日本語がちょっとヘンやとか、煙草が大嫌いやとか、当たり障りのないことしか言うことが、あ、あったわ」
思い出したように言う。
「ロシアンマフィアの構成員やねん、今の職業。で、君の先生やるんやったら、君もロシアンマフィア入ってくれって」
「ええええええええ!」
後部座席から車のシートをがくんがくん揺さぶる。
「そんなのおまわりさんに捕まっちゃうデスヨー!」
メフェイストははは、と笑い声を上げる。
「大丈夫、そんな末端の構成員くらいなら、すぐ釈放させる人脈持ってるから私」
「なぜかさらに不安になったヨー!」
「いやー、だって、私、ユキには全然仕事させへんかったやろ?」
「春休みだと思ってたヨ!」
「こんな四月も終わりにそんな訳あるかいな。ボスを頻繁に変えるとそれだけで信用失くすから、それでや」
「計画が隠密裏にすすめられていたヨー!」
「はい、到着ー」
コンクリ造りの建物を、ロシア式の教会風にペンキで塗った建物。
看板『隠れ家レストラン メドヴェーチ』
隠れ家って自ら名乗るものなのだろうか。
ベンツを駐車場に停め(メフェイストは車庫入れが得意だが、黒のベンツの隣に車を停めた者は見たことがない)……た瞬間、運転席のドアが勝手に開けられる。
「メフィスト、金銭の徴収をいたします」
ふわふわ金髪に、華奢と言っていいほどの細い体。そして、愛想のかけらもない三白眼。青い瞳部分は小さめで、白目部分がやたら大きい」
同じ大きい目でも、黒目が大きいか白目が大きいかでだいぶ違うものだな、と思った。納のような黒目が大きいものが無表情でいると、ぽうっとした性格なのだなと思われる。だが、この男の場合、多少機嫌が良くても怒っていると誤解すらされそうだ。蛍が黒目が大きく見えるコンタクトの購入を検討するのもわかる。なんせぽうっとして見える方は185センチを越す長身だが、怒っているように見える方は170センチあるかないか。ロシア人としてはかなり小柄だ。
しかし何より、調理服を着ているということは、彼はコックに違いあるまい。ロシアンマフィアはどうなったのか。
「あんなあ、もう愛想とかそんなんは諦めたけど、挨拶くらいしいや。人間関係の基本やぞ」
「金銭の徴収をする必要性がなければ、挨拶は絶佳なものです。ですが、今回の臨時閉店により、オーナーが奥様の実家にお送りする出産祝い代が消滅しました。よって至急お支払頂かなければ、百貨店の滞在時間が減ります」
はあ、とメフェイストはそれなりの厚みのある封筒を渡す。
「はい。後、絶佳は使いどころが違います」
車を降りるように促され、調理服の男の前に立つ。170センチあるか更に怪しい。ユキは165センチだが、あまり視線が変わらない。
「確かに」
「いや、確かちゃうやろ。枚数確認してへんやん」
堂々とした返答。
「私は数学は苦手です」
またため息を吐き、シルクハットを被り、駐車場側の窓を叩く。そしてシルクハットを取って見せる。
すぐに男が出てきた。調理服の男よりは背が高いが、ほんのわずかだ。その癖太っている上に禿げ頭なので、ハンプティ・ダンプティそっくりだ。
「おはよう。ギニラール」
体型に似合わぬしっかりした歩き方で、男はメフィストと握手をし、調理服の男から封筒を受け取る。
さっと見えないように中を確認し、笑顔を見せる。
「助かったよメフィスト。女というのは百貨店に着いた途端、用事が五倍に増えるんだもの。一日休みの上にきっちり儲け分が受け取れるのは正直言ってラッキーだ」
「いや、こちらこそ」
「ホントに助かったんだよ。確かに跡取りが生まれて義父さんが嬉しいのはわかるけどさ。なんで僕のカミさんまではしゃぐのかわからないもの。子供用品売り場を一通り見てからおもちゃ売り場にいって本売場が今のところ最低限決まってる。最低限? 最低限の意味がわからなくなるよ」
ユキが首を傾げる。
「おじさん、ここは何デス?」
「レストランだよ。彼はマリュースク。コックだ。実は今給仕をしている男を、調理場に回さないと手が足りないんだ。ウェイトレスが来てくれてとても助かる」
「え、う、ロ、ロシアンマフィアはどうなったデス?」
マリュースクが腕を組む。不機嫌そうに見える。
「ビザですよ」
「?」
更に眉をひそめる。
「我々はロシア政府に嫌われているので、こうでもしないとビザが下りなかったんです」
「?」
「頭脳愚鈍な方ですね。要するに、ここはロシアンマフィア「メドヴェーチ」の隠れ蓑なんですよ」
「えっレストランじゃないデスカ?!」
「お客様の舌を満足させない料理など、私は出しません」
「あ、あれ? 普通のコックさんもいるデスカ?」
「本当に頭脳愚鈍です。ルーデルクラスです」
「いや、さっさと名乗らん君が悪い」
メフェイストが代わりに紹介する。
「彼はマリュースク。名字の類はない。齢もよくわからん。このメドヴェーチで唯一のコックで、最強の冠をいただく我が軍勢の呪い持ちや」
「えええええええッ」
ユキはのけぞる。
「だって、細いし小さ……」
「ユキ・クリコワ」
マリュースクはぎろりと睨む。
「その続きを言う前に、警告して差し上げるのはあなたがあまりに簡単に殺害可能だからですよ」
ユキの体が勝手にびくりとする。
「まあ、些細なことを口やかましく言うのは好きではありません。一発殴れば解決するのですから。まあ、とにかく、私はあなたの教官を頼まれたわけです」
「ふぇっ、先生ってこの人だったですか!?」
「まだ決定事項ではありません」
マリュースクは人差し指を立てる。
「自軍の船にいるのは二種類。土嚢か、兵士です。土嚢をひたすら海に投げ込んでも戦死者名簿が分厚くなるだけです。実にルーデルクラスです。なくすだけです」
「はあ」
ぽかんとユキは口を開ける。
「メフィスト、提出してください」
「提出の使い方も違うんやけどな」
空間の狭間から、マリュースクの手の中になんだか大きい銃が現れる。
「カラシニコフ AK-47 米ソ冷戦の象徴的銃。とにかく頑丈で壊れにくい上に、コピーもしやすい。地域によっては今でも十分現役や。まあ、だいたいバッタモンやけど。通称、世界で一番人を殺した銃」
「……こういう方、なんて言うんでしたっけ。ミ……ミロ……」
「ミリヲタ?」
「たぶんそれです。まあ、とにかくメフェイストは銃については喋らせない方が尉官クラスです」
どうやらさっきからなんとかクラスと言っているのは、プラスのものかマイナスのものかの表現だったようだ。ルーデルクラスがマイナス、尉官クラスはプラスなのだろう。
面白くなさそうな顔をするメフィストを無視して、マリュースクは話を進める。
「ユキ・クリコワ。あなたが私にそのAKで一発弾丸をブチ込んだら、教官の話を受けます」
「そ、そんなの死んじゃうですヨ!?」
「バカにしないでください。たかが一発撃たれたくらいで死ぬわけないでしょう」
「いやそんなことないヨ!」
「そもそも、何故当たる前提なのですか」
「へ?」
動揺を一切無視したまま続ける。
「私はそれの使い方も教えませんし、ネットなどで調べることも許しません。素手ですが、反撃も当然行います。要するに当たるわけがありません。遠回しにお断りしているのです」
「い、忙しいデス?」
「気が乗りません」
「ウ?」
「やる気が出ません。そしてやりたくありません。ロイヤルにお断りしても食い下がられたので、仕方なくこんな条件を出しているんです」
「ストレートな」
メフェイストが小さくつっこむ。
決定的なことを言われたらしい。
ユキはしばらく考えてから、ぼそりと言った。
「それって……口喧嘩に負けてすねてるだけじゃないデス?」
空気が震えた。あまりの怒りに確実に震えた。
「あなたを叩きのめす口実が必要となったので、どうぞ向かってきてください」
「モー! なんなんデスそのヘンなプライドー」
言いながらユキは、とりあえず突進した。




