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空六六六  作者: 浮草堂美奈
第二章 修行ノ語リ
22/56

好きを表現してみた怪物

 土御門篝火は恋をしている。

 いわゆる初恋というものをずるずる引きずって、再会する望みがない相手だからこそ、安心して恋を続けている。

 しかし、彼の恋はこの物語で砕け散る。

 完膚なきまでに、散る。

 つちみかど かがりび 分類 高校生


「蛍、好きー!」

「ぎゃああああっ!」

 可愛さのかけらもないガチな悲鳴を上げた妙高蛍は、いきなり背後から抱きついてきた男をにらみ据えた。

 男――少年――七竈納は抱きついた姿勢のまま、なんで怒るの? とでも言いたげな顔をしている。無表情だ無表情だと思っていたが、意外に考えていることが顔に出るのだ。しかも自覚なくあざとい仕草をするものだから、思考を読むなど幼児でもできるだろう。

「えーと、納、何してんの?」

「ユキに借りた漫画に、大好きな人にはこうするって描いてあった」

「……ごまかさなくていいから正直に言え。お前、俺のことが恋愛対象として好きなの?」

 こてんと首をかしげられる。

「そんなわけないじゃん」

「わかった質問をかえよう。ユキとかメフィストにもこういうことする?」

「女の人にやったら痴漢だよ?」

「じゃあ最後の質問。俺は今、何やってると思う?」

「顔に泡塗ってる」

「ひげ剃ってんだよバカ!」

 信じ難いだろうが、この二人は同年齢である。

「最近のカミソリは安全って言っても限度があるからね! 百八十センチ越えのでっかい男が抱きついてきたら普通に危ないから!」

 納は普通の人らしい行動を取ろうと、勉強熱心なのだが教材を選ぶ段階でだいたい間違えている。

「とにかくひげ剃ってる時にさわっちゃ――」

「……蛍、もうひげ生えてるの?」

「じゃあこのシェービングクリーム誰が使うと思ってたんだよ」

「まずい歯磨き粉じゃなかったのそれ!?」

「なんでも口に入れんじゃねえ!」

 はあ、とため息。

「いつもはお前らが起きてくる前に剃ってたんだよ。今日はたまたま寝坊したの。そーいうわけですっぴんだから、訳わかんねえことしてないで」

 最近化粧の腕を上げ、一時間半で完成するようになったらつい油断した結果である。 女装趣味ではない。男だとハッキリわかるナチュラルメイクだ。 しかし、そのアイテープで開ききった上につけまつげをした蛍の目より、顔を水で洗って全行程が終了する納の方が目が大きく睫毛も長いのは、喧嘩を売っているのかと思うが。左目の医療用眼帯と眼鏡がなければ、目玉の化け物みたいになるのではないだろうか。むしろなれ。

「えっえっいつから生え始めたの?」

「……13くらい?」

「えっ……な、なんかこう生える予兆とかあった?」

「いや……それは……ユキとメフィストに言うなよ」

 耳元でぼそぼそとささやく。納の顔が真っ赤になる。

「お前、いつ頃だった?」

 今度は納がぼそぼそと耳打ちする。

「あー。あーそっかー。ひょっとして親父さんも生えてなくなかった?」

「なんでわかるの!?」

「うん。お前生えないか生えてもスゴく薄い体質だわ。いいじゃん、剃る手間はぶけて」

 バシャバシャと顔を洗う。洗顔フォームを手に取る。

「や、やだよ。ひげも生えないなんて!」

「お前がひげ伸ばしたら、日本人かどうか怪しくなるよ。パスポート拝見されたい願望があんならせいぜい奇跡を祈れ。っていうかすっぴんだから出てけ」

 しかし、ドアは開き逆に人は増えた。

「ウー、こんなとこにいたデスカ。探したデース」

 ユキ・クリコワの白髪が現れる。

 大きさでは納にやや劣るものの、赤い瞳のインパクトは強い。いかにも、なロシア人とのハーフ娘だ。

「探した理由、納にいらんこと教えた自覚があったからじゃね?」

「ににに人間信じ合わなければ世界はいつまでも平和になりまセーン!」

 慌てて話を壮大にしたあたり、その通りだったようだ。

「お前なあ! なんか教える時はちゃんと教えろっつってんだろ!」

「だってー、絵的にかわいいと思ったんダヨー」

「理由になるか!」

 なんでユキは怒られてるんだろう、という顔で納が二人を眺めていると

「あ、ユキ、今後の予定について話があんねんけど」

 ついに怒声が響いた。

「だから人がすっぴんの時にぞろぞろ集まってくんな!」


「えー、君たちを鍛えるにあたってですね。専門の先生にお願いしようと思います」

「え? メフィストが教えるんじゃないの?」

「私はどんな重火器でも、最初から使えてしまうからな。教えるのは向かへんねん。ある程度「わからない」という経験をしてないと、「わからない」と言われた時、なぜわからないのか「わからない」ので教え方も「わからない」となってしもて、逆に効率が悪くなる。後、刀に至っては普通に使えない。日本刀使う文化圏にそんな住んでないからね」

 納得。

「で、ユキの先生がとりあえずどんなんか見たいから連れてこい、て言うてんのよ。それで今日はユキと一緒に夜まで出かけるから」

「どこにデス?」

「ん、いや、この街から出ない」

 ふーん。というユキと

「えー、じゃあ俺の先生は?」

 と不満をのべる蛍。

「ほんまやったら蛍の修業も同時に始める予定やってんけどなあ。でも、なんで来れへんか言うには国連の許可とらなあかんから」

「国連!? 蛍の先生そんなスゴい人デス!?」

「その蛍の先生より強いのがユキの先生」

「スゴーイ!」

 おずおずとした声。

「あの……僕の先生は……?」

 メフィストが軽く遠い目をする。

「腕はスゴく立つ男なんやけどね……」

 言いにくそうに。

「二股かけてたのがバレて、とうぶん家に帰れないからちょっと待ってって。……ちゃうちゃうちゃうよ!? 納の先生だけいい加減に選んだんちゃうよ!? ただね! 世代的に娯楽といえば酒と女な世代でね! ちゃんと腕は立つから! 大丈夫だから!」

「うん」

 納得できてないのがわかる。

「そういうわけで、蛍、今日の夕飯頼める? 忙しかったら仕事の帰りに買ってきてくれてええから」

「い」

「僕は?」

「納はお休みの日やし、あー、えっと、お昼寝でもしてよか?」

 メフィスト! 余計なことするなの本音が透けすぎ!

「蛍はお仕事あるから、僕が夕ごはん作るよ!」

 ほら逆に余計なことしたがるー!

「せやね。蛍のお手伝い、がんばってくれるかな」

「全部一人でやる! 大丈夫!」

 完全に拗ねてる!

 確かに掃除機でピアス吸い込んだり、柔軟剤のみで洗濯機回したり、風呂を洗いに行ったのに全身ずぶ濡れになって帰ってきたりしたのはこいつだが。

 そんな一人だけ教えて貰う先生がダメそうな人だって言った直後に昼寝してろじゃ、逆効果なんだって。

 じゃあ役立つようがんばる! っていう、ブラック企業が理想とする人材なんだって!

「一人で全部やる……う……うん……よろしくね」

 負けるな!

「く、熊本土産の豚骨カップめん貰ったからお昼にどうかな」

「うん……いってらっしゃい……」

 メフィストから、出かけた後「ごめん」とメッセージが蛍のスマホに入った。

「よし! 始めよう!」

 エプロンをつけ始めた納の襟首を引っ張る。

「まだ早いから。まだ朝の範囲だから」

 現在時刻、午前十時。

「じゃあ何時くらいから始めればいい?」

「十一時くらいから買い物行って、昼ごはん食べてからくらい」

 かなりのタイムロスを予測して。

「わかった」

「じゃあエプロン取れよ。学生服にエプロンしてるヤツとスーパー行くのはずかしいじゃん」

「大丈夫。スーパーも一人で行くから」

「えッ!」

「いつもみんなと行ってるもん。一人でだって大丈夫だよ」

「いやお前いつも荷物持ってるだけで、まわり全然見てないじゃん」

「だって……見たらお菓子とかほしくなっちゃうし」

「そんな悲しい告白聞くくらいならほしいって言われた方がマシだ!」

「大丈夫! 勝手にお菓子とか買わずに買い物できる!」

「百円位のヤツ一個だけなら買っていいよ!」

「蛍って……スゴく優しいね」

「そうだね、ガキの頃母親と大喧嘩しても、捨てられそうになってた子猫貰ってきたりしてたわ」

 はーとため息をつきながら、自室に戻り、大判の本を持ってくる。

「これ……」

「レシピ本。最近買ったけどもう作れるヤツしか載ってなかったから、やるよ」

「ありがとう! 蛍、好きー!」

「テレビ見えない! 邪魔!」

 再び抱きついてきたのを押し退ける。ユキめ。余計なこと教えやがって。

 テレビと時計と食費用の財布をくるくる回転する視線を見て、そんなに楽しみかスーパー、と小声で呟く。

「納、お前さあ。友達とかいなかったの?」

 別にそんなに役立とうとしなくたって。

「小学生の頃いたよ。スゴく優しい子だった。なんかね、旧くておっきいおうちに住んでて、いつもお部屋に呼んでくれたんだよ」

「ふうん」

 なんだかそれはそれで面白くない。

「いつも迎えに来てくれて、いつも家まで送ってくれたんだ。どんくさいヤツ一人だと心配だからって」

 いいヤツじゃん。ムカつく。

 テレビに視線を移す。

「見てください! この学食メニュー! 肉じゃが、焼きじゃけ、ワカメととうふのお味噌汁! 典型的日本の家庭の味ですね! こちら、外国人留学生の急増に合わせて作られた新メニュー」

「へーうまそう」

「蛍! あれ食べたい!?」

 しまった。口に出していた。

「いや……カレーが食べたい」

「今、肉じゃが食べたいって言ったよ! なんで急にカレーなの!」

 めったに失敗しないし、失敗してもだいたいリカバリできるから。

「大丈夫! この本作り方載ってる!」

 拝啓。数十分前の自分へ。死ね。

「十一時だ! 行ってきます!」

「行ってらっしゃい」


 七竈納、スーパーに到着した途端に、厳しい現実を知る。

「男爵とメークインって……どっち買えばいいの?」

 賢明なる読者諸氏はご存じだろうが、メークインである。

「まあ、名前が強そうだから男爵かな」

 我らが主人公は賢明さに欠ける。

「にんじんは家にあるから……玉ねぎ……あ! これなんかスゴく安い!」

 安いことは安いが、それは紫玉ねぎである。

「えっと、後牛肉細切れ? さっきのテレビは豚肉だったのに?」

 賢明なる読者諸氏はお気づきであろうが、関西風と関東風の違いである。

「……。あ! 間を取って合い挽き肉!」

 間を取ってはいけない。

「塩鮭……これだな」

 さっさと袋に入れる。

 さて、ここで彼はピタリと立ち止まった。

「お刺身ワカメ? カットワカメ……?」

 ワカメは自身で判断できないほど種類があったのである。

 そこで、

「奥さん、すみません」

 買い物客に聞くことにした。もっと早く聞いていたら、避けられた悲劇がほとんどだったのだが。

「何? おつかい?」

「今日は僕が晩ごはん作るんです」

 よっぽど言いたいようだ。

「えっと、でも、ワカメをどれ買ったらいいのかわかんなくって。お味噌汁作るんですけど。教えていただけませんか」

 初老の女性は、若い子に頼られるのが好きな方が多い。この女性もしかり。

「そうなのー! だったらこの鳴門ワカメにしなさい。高いと思うかもだけど、絶体失敗しないから。がんばってね」

「ありがとうございます!」

 さて、豆腐。

 通常なら絹ごしか木綿で悩むところだが。

「あ! この焼き豆腐ってヤツ、他のより高いのに半額だ!」

 主人公は常に読者の想像の上をいく義務がある。


 帰宅。

 ユキに貰った何か生き物(としか納にはわからないがアニメのマスコットキャラ)のついた鍵を探し、開ける。

 テーブルにメモ

『納へ 就労ビザについて緊急の相談があるということで、フィリピンパブレミに行っています。別に夕ごはんができてないくらいで怒らないから、くれぐれも無理をしないように』

 読んで納はこてんと首を傾げる。

「晩ごはんできてないと、父さんは毎回睡眠薬大量に飲んだのに。蛍はなんで怒らないなんて言うんだろ?」

 まあ、蛍は賢いから難しいことを言うんだろう。とエプロンを取り出す。蛍にはだいぶ劣るが、ユキだって充分賢い。頭の悪いふりは賢い人しかできないのだ。

「賢くなりたいなあ」

 実はそれでひげに憧れていた。歴史上の偉人というのは男性はだいたいひげを生やしている。

 それこそ会う人会う人

「蛍はスゴいんだよ。なんでもできるんだよ」

「ユキはスゴいんだよ。とっても強いんだよ」

と自慢しているが、なんだかあまり信用されてないカンジはするのだ。

「もうちょっと僕に威厳があれば説得力があるのに」

 まあ、嘆いたところで仕方がない。とにかく夕ごはんだ。

 レシピ本を開き。

「……輪切り? 半月切り? くしがた切り?」

 なんだかさっぱりわからなかったので、とりあえずみじん切りにすることにした。大丈夫。じゃがいもはちゃんと四分の一にした。

 牛肉に砂糖と醤油を大さじ一杯ずつで下味をつける。

 まあ、合い挽きミンチだけどやることは同じだろう。

 ただ、砂糖が「カロリー半分で甘さは二倍の液体甘味料」しかなく。

 ……よくわからないけど、カロリーが半分ってことは栄養も半分ってことだから、レシピ本の二倍入れれば帳尻が合うんだろう。

 炒めた後は水を注いであくを取る。

 ……あく?

 なんだかまた未知の単語が出てきたな。

 でも、あくって悪しかないよね?

 傷んだ野菜とか見つかったら取り出せってことかな。ないな。よし。

 キッチンペーパーで落し蓋をする。

 キッチンペーパー……。

 賢明なる読者諸氏にはお知らせするが、彼がキッチンペーパーと思い込んで落し蓋にしているのは、紙製のケーキ型である。

 なお、彼が一度も味見をしない理由は簡単で、レシピ本に味見という過程が書いていなかったからである。レシピ本通りにやれば美味しくできる、と信じる心は無垢ですらある。

 これで後は蒸らすだけ(彼の中では)なので、米を炊飯器にセットする。時刻も入力したので完璧だ、と彼は思っているが炊飯モードはピラフである。おそらく、パサパサの米が炊ける。

 さてお味噌汁。

 だしの素を使用する限り、何事も起こらないと思われた。

 しかし思い出して貰いたい。彼が購入したのは本場の鳴門ワカメである。調理前にはさみなどでカットしなければならない。結論から言うと、そんなこと思い付くわけもなく、一袋そのままぶちこんだ。焼き豆腐も賽の目と主張するには大きすぎる大きさでぶちこんだ。味噌だけはまっとうな量を入れた。これはメフィストが教えておいたためである。

 基本的に七竈納という少年は一度言われただけで理解し、忘れないが、その一度がないと何をしたらいいのかわからず、他人には理解し難い行動を取る少年であった。

 さて、彼が最後に挑むのは塩鮭であった。

 これは簡単である。フライパンにホイルをひいて魚を置き、塩をふって焼く。教わったことを覚えている。ただ、彼は。

塩鮭に貼られた「辛口」のシールの意味を理解していなかった。


「ただいまー」

「まさか玄関で一緒になるとは思わなかったー」

「ウー、なかなか大変そうな修業ダネ! この言葉を使う時がきたヨ! そうでなくっちゃ面白くねえ」

 ……。

「お帰りの言葉がないな……」

「……たぶん……ダメだったんだろうネ」

 はあ、とため息をついてメフィストはシルクハットを帽子かけにかけ、キッチンに向かう。

 入って即座に

「お帰りの挨拶くらいしなさい」

 床でがくりと落ち込んでいる納は、震える声で「ごめんなさい」と言った。

 メフィストはさっと鍋の中身を見て何が起きたかを知る。詳細は読者諸氏の食欲のために省くが肉じゃがが紫色であったことでお察しいただきたい。

 映画のように、メフィストはゴシックドレスの肩をすくめた。

「何をぼんやり座ってるんや。さっさと盛りつけなさい」

「だって、これ失敗して――」

 軽く、レースの手袋がでこぴんを与える。

「納、君は私の軍勢の一人。つまり、私は君の総司令官やぞ。私がやれと命じことは、君みたいなしたっぱではなく私の責任。できないことをできると思ったのは君でも、それを決定する決定権は私にある。立場をわきまえなさい。処刑の前の食事なわけじゃなし、練習すればいいことでしょう。第一、たかが食い物の味程度でぎゃあぎゃあ騒ぐなど大将の器にあらず! わかったらさっさと盛りつける!」

 申し訳なさとどれだけ怒られるかとで床に座り込んでいた体が慌ててパタパタ動き出す。

 頬がぱあっと薔薇色になっているのを確認すると、メフィストは小声で「しかしほんままずそうやな」と本音を漏らした。


 しかし。

「納! スゴいヨ! あのマズイごはん、超拡散されてるヨ!」

『おしい材料しか使っていないのに、なぜか激マズ料理ができあがった』という現在記事がネットでの人気記事としてランキングいり。

 書いたユキはホクホクである。

「これ納って本名出てるけど、大丈夫なの?」

「よくある名前だし、何よりみんな偽名だと思ってるヨ!」

「この『賢明な読者諸氏はお気づきだろうが』ってえらい上手い言い回しやな」

「一度使ってみたかったんダヨ! 納! 次回は納の似顔絵つきでアップさせてヨ! きっと大人気ダヨ!」

「ちゃんと練習するよぅ!」

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