ユキ・クリコワの出逢い1
階段を下りる。
手すりを持って一歩一歩。
段差を確認しながら。
「お前階段下りんの遅いなあ」
蛍が下から呆れた調子で言う。
「ごめん。階段は苦手なんだ」
謝罪に、なぜか怒る。
「悪口言われて謝んなよ! 妙高蛍の理不尽なダメ出しだよ今のは!」
「何がしたいんだよお前は」
納が呆れかえすと、口調が憮然としたものに変わる。
「やっぱり片目で眼鏡だから……苦手なの?」
「いや? 両目が見えてた頃から普通に苦手だったよ?」
更になぜか蛍ははーと頭を抱える。
「で、どうかしたの?」
「どうかしなきゃ話しかけない訳じゃないけど、今回は別。メフィストが書斎で呼んでる」
「メフィストが? なんだろう」
1階の最も北側の四畳半。そこが書斎だ。
天井近くまで作り付けの本棚が圧迫し、そこにぎっしり書類が詰まっている。
仕事のものだそうだ。
十三番町の元締めやら、日本の表ざたにできない仕事の始末やら、何かと忙しいのだ、彼女は。
現在納と蛍は使いっぱしりを始めたばかりだが、それでも十三番町の中を何軒も往復する。
その壁際。
デスクトップパソコンの前で、メフィストは頭を抱えていた。
ゴシックドレスの女がパソコンの前にくずおれている姿と言うのはレアだが、メフィストがこんな弱弱しい姿を見せるのもレアだ。
「どうしたの? メフェイスト」
「ああ、納……パソコンがな……」
どんよりした目で叫ぶ。
「全然動かへん! 20秒に1回くらい止まる!」
「壊れたんじゃないの?」
蛍の言葉に、ため息まじりに頷く。
「買い替えなあかんかなあ」
納は後ろから画面を覗き込んだ。
「ちょっと使っていい?」
「うん、無理せんでな」
1分後。
「容量がいっぱいになってるだけだよ」
「……?」
「データを詰め込みすぎってこと。別に壊れてない。蛍、中田電気に行って、外付けハードディスク買ってきて」
「え? 何それ?」
「今メモする。中田さんがまた酔っぱらってたら、代金だけ置いて商品持って来ればいいから」
「お、おう」
2時間後。
「これで普通に動くようになったよ」
「えええええ! すごっ」
納の無表情さに、少し嬉しさのようなものが混じる。
「いや、学校で習うから。パソコンは」
「えっ習うん? データの移し方とか習うん!?」
「それは習ってないけど、ネットで検索した。後、自動バックアップが全部保存されてたのを削除して……。習ったのは表計算と文章作成くらいだよ」
「えっそれできんの!?」
「習ったから」
メフェイストはがしっと納の両肩を掴む。
「今後、君にパソコンを使う業務は全て任せた」
「え……う、うん……わかった……」
「で、何がしたかったのさ、メフィスト」
蛍の言葉に、ああ、とメフェイストはブックマークフォルダを開く。
「このSNSやねんけどな」
タイトルは『ゆーちゃんの日常』となっている。
プロフィール:ゆーちゃん 都内に住む中三女子 いっぱい絡んでくれる方募集中 お絵かき大好き ゲーム絵中心に描きます 毎日おうちに引きこもり中のヲタク お友達も大募集 お気軽に声かけてください
句読点代わりに絵文字が使われている。
「うわ、なんか地雷っぽい」
蛍の率直な感想に頷き、SNSの内容に移動する。
『今日は洗濯物たたんだ!』
『今日は最悪。お母さんの仕事が忙しくて夕ご飯が冷凍のコロッケだった。母子家庭ってホントにつらい』
『ねこちゃん飼いたいな~。でも、お母さんが世話できないでしょって。ねこちゃんは世話なんてそんなにいらないよ~』
「地雷じゃん」
蛍の言葉に納得しかない。
「母子家庭なのに家事をめったに手伝わないって意味のことわざわざ公表するとか普通にヤバいじゃんこいつ」
「そうだね。うちも父子家庭で父親が家事をやらなかったから、すごく忙しい思いをしたよ」
「お前の家庭環境も大概ヤバかったんだな」
メフェイストのマウスがスクロールする。
「この日から、事情が変わり始める。一年前や」
『なんか、姉とか云う人が家に寄生し始めたんだけど』
「姉?」
『離婚した親父が死んだとかで一緒に住まなきゃいけなくなった。マジ最悪。髪の毛とか真っ白で見るからにキモい』
『日本語がカタコトなのマジキモい。お母さんはお父さんはロシア人だったからしょうがないって言うけど、ちゃんと訓練するって約束してくれた』
『あの女、夜まで寝てばっかりいる。日光に当たると具合が悪くなるとか言って。ニートが家にいると雰囲気悪くなるんですけど』
『洗濯畳んどいたとか言われたけど、あの女がさわった服とか着たくなくて泣いた。お母さんが注意するって言ってくれた』
『ごはん一緒に食べようとか言われたから、みそ汁ぶっかけてやった。ざまあみろ。働かざる者食うべからず』
『カゼひいちゃった。つらいよう~。あの女がなんかできることないですかとか言うから、千羽鶴でも作れって言ってやった』
『マジキモい。ホントに作ってきた。ソッコーで捨てた』
『ホントあいつ殺したい。存在自体がイヤ。何がお姉ちゃん? お母さんの娘はあたしだけなんだけど』
「スゴい。虐待を発表してる神経ハンパないわ。こういうのって叩かれないの?」
「ああ、案の定批判コメント殺到でな。今は友達以外閲覧できんようになってる。私は事前に見られるように申請しといたんや」
「友達いるんだこいつ。びっくりだわ」
「どうしようもないヤツはどうしようもないヤツ同士で集まるんだよ。話が合うから」
「たまに辛辣だよな、納って」
メフェイストがさらにスクロールする。
「このコメント見てみい」
>>『じゃあさあ、殺しちゃったらよくね?』
>>『警察に捕まっちゃうじゃん』
>>『呪い殺したらいいんだよ。そんなん警察に手出ししようがないもん』
>>『ムリ(笑)』
>>『こないだネットで見たんだ。悪魔を呼び出す魔方陣』
>>『マジでできんの?』
>>『画像参照。悪魔、メフィスト・フェレスを呼び出す魔方陣』
画面を見つめる二人に、メフィストは振り返る。
「呼び出されたら、行かなあかんやろ」
≪空六六六ぷらす! に!≫
メフィスト「今後、君にパソコンを使う業務は全てまかせた」
納(今、メフィストの視線がすごく分厚い名簿とすごく分厚い会計記録のファイルにいった気がしたんだけど……)
一週間後
納「名簿の重複しているらしい名前を纏めて印刷しておいたから確認して。プリンタが壊れてるって言ってたけど、紙詰まりを直したら動いた。後、メモリを増設したいんだけど、買ってもいいかな?」
メフィスト「えっ、何この子掘り出し物……!」
納「いや、別に機械に強いわけじゃないんだよ」
蛍「納ー、パソコンの灯りつきっぱなしだけどー?」
納「ちょっとの時間離れるだけなら、スリープモードにしておいた方が節電になるから」
メフィスト「掘り出し物っ!」
納「メフィスト、今まで書類仕事どうしてたの……?」




