妙高蛍の出逢い3
「もともとな、ここらの村は薔薇菩薩も含めて、八幡さまの信徒じゃった」
北海道土産の木彫りの熊が見つめる応接間。
老婆は湯呑を握りしめて言う。
「ちゃんとのう、八幡さまのお祭りだけは欠かさんかったよ。戦争中はそりゃあ質素になったがのう。八幡さまのお祭りちゅたら、子どもらにとっては正月くらい楽しみじゃった。その日だけは、砂糖をまぶした餅が食えてな。正月でも餅には砂糖なんぞついとらんかったからなあ。じゃから、戦争は嫌じゃったなあ。砂糖のついた餅がのうなったからなあ」
「とても楽しかったんですね」
納の言葉に、老婆は頷く。
「楽しかったあ。八幡さまの祭りのためにはな、赤いべべこさえて貰えるんじゃ。母ちゃんと姉ちゃんがこさえてくれたのは嬉しかったなあ。その姉ちゃんも、満州に嫁に行って帰ってこれんかったが」
「さぞ似合ったでしょう」
「わしの姉ちゃんはべっぴんでな。赤いべべ着たら姉ちゃんみたいになれると思たよ。なんのこたあない。赤いべべ着ても姉ちゃんの方がべっぴんじゃった。あの人は色が白うてな。いつもおしろい塗ってるようじゃった」
「僕は、奥さんの肌の色も好きです。ツヤがよいな、と思います。お姉さんもきれいだったでしょうけど、奥さんは今でもよい女性です」
ほとんど表情を出さず、まっすぐな瞳で納はこれらの言葉を言う。
率直に、本心から、好意をぶつける。
老婆は心底嬉しそうに笑った。
「そんなん言われたことないわ」
頃合いだ。とメフェイストは胸中で呟く。
納の飾りのない褒め言葉は、何より女にとっての潤滑剤である。
天性の才能だ。
「その、八幡さまをきちんと慕っていた方々が、何故に近づいたらあかん存在になったんです?」
メフェイストの言葉に、老婆は顔を歪める。
「戦争が終わってすぐな。おかしな行者が薔薇菩薩に居ついたんじゃ」
入れ歯をぐっと噛みしめて。
「蛍火のおしえ、いうんを説いてまわってな。この村に病人が多いのも、頭のおかしいんが多いのもみんなみんな、神様がおらんからじゃと」
メフェイストは身を乗り出す。
「実際多かった。兵役でも、薔薇菩薩のもんはみぃんな乙になるんが決まっとった」
納は静かに座っている。
「神様がおらんのじゃない。血が濃いんじゃ。村の中でずうっと子を成しておるからじゃ。行者もそれはわかっとったんじゃ。だからあんな恐ろしいことを説いてまわったんじゃ」
「恐ろしい?」
「恐ろしい。恐ろしいことじゃ」
老婆の顔が、湯呑の茶に写る。
皺としみに、長い山村の生活の苦労がしのばれた。
「村の外から孕んだ女を攫ってこい、と説いてまわったんじゃ」
「攫う……」
納が息を呑む。
「女が産んだややこが女の子なら、村の男と添わせて子供をたくさん産ませ」
子どもを産む女。
「男の子なら、神様じゃ。蛍様という神様じゃ。十六になった年の田植えの前に、殺してまた新しい孕んだ女を攫ってこいと」
「まさか」
納の言葉を老婆は鋭く肯定する。
「あの村はずっと続けておるんじゃ昭和二十八年からずっと。そんな畜生の所業を」
「昭和二十八年で時が止まっているのも?」
「その行者の教えじゃ。時と云う輪廻から解脱するとな。行者は村中からそれこそ神様みたいに崇められて、大阪万博の年に死んだわ」
老婆は話し終えると、胸のつかえがとれたような顔をした。
「誰もが知っとるのに、誰も言うたらいかん話じゃった。ああすうとした。ああすうとした」
その夜、帰って来た納の申し訳なさそうな表情を見て、メフィストは察した。
「誰ぞに気付かれたんか」
納はへこみながら言った。
「ごめん。”蛍様”本人に気付かれたよ」
「どんな反応やった?」
「トロすぎる、とか牛か、って言われた」
メフェイストは声を上げて笑った。
「えらい言われ方やな。まあ、そんな反応やったらええわ。しゃない」
「ごめん……」
村民会館のソファで、ゴシックドレスの女は煙管を取り出す。
「あれは新聞紙の中に入れられたか?」
「あれって何?」
「ああ、ごめん」
そう云った指示語を、納は理解できないことを思い出したメフェイストは的確な言葉を言う。
「蛍の母親、妙高ひとみの短大の学生証」
安心したように納は回答した。
「入れておいたよ。彼は初めて、自分の名字を知ったんじゃないかな」
「そんなら上出来の分類や」
片手で麦茶のペットボトルを渡す。
「おつかれ。そろそろ寝え。二階の和室に防災用の毛布がある」
「ありがとう」
階段を上がる納を見送り、メフィストは煙管に火を点けた。
「妙高蛍、私の軍勢には君が必要だ」
蛍は食い入るように新聞を読み続けた。
カラー写真、テレビ、インターネット。
踊る情報に混乱していた頭に、母親の写真がすうっと入ってきた。
記憶と違い、髪を金髪に染めている母親の写真。
学生証、と書いてある。
「母さん、あんたは、秘密を守るために」
掌を握りしめると、新聞紙がぐしゃりと潰れる。
「殺されたんじゃねえの……?」
なぜならば。
蛍はこの新聞の内容を。
理解できるからだ。
母親の、残した言葉から。




