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空六六六  作者: 浮草堂美奈
第一章 出逢ノ語リ
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近田珠の出逢い1

かって七竃納だったあなたと、現在七竃納であるあなたと、どこかで七竃納を見かけたあなたに、この物語が届きますように。

 近田珠はチョイ役である。

 彼女なりに人生の主役を張っているつもりだが、歴史の中では常にその他大勢としか表現されない少女である。

 そして、この物語でもやっぱりチョイ役である。

 物語の冒頭で主人公と出会い、そして以降の物語で一切出番が無い。

 ただの、チョイ役である。

 こんだ たま 分類 高校生


 イケメン。

 若者言葉で容姿端麗な男性を表す。

 壁ドン。

 若者言葉で、男性が他の人間の顔の横に手をついて、その人間の背中を壁に密着させ、圧迫感を与える行為を表す。

 通学電車でイケメンに壁ドンされた。

 珠ではなく、痴漢が。


「おじさん。女の人の体を勝手に触るのはよくないよ」

 珠のお尻を触っていたサラリーマンは、小さく縮こまっている。

 壁ドンの正しい用途を使っている男を、珠は隣で硬直しながら見つめている。

 男は、よく見ると同年代の少年であった。

 だが、185はありそうな長身、服の上からでも厚みが感じられる胸板、しかも、眼鏡の下の左目には医療用の眼帯。おじさんたぶんすごいこわい。

 真夏だというのに、黒のスーツを着込み、白いワイシャツを第二ボタンまでかっちり閉め、赤錆色のネクタイも緩んでいない、クールビズへの反乱の服装。おじさんたぶん超こわい。

 黒のくせのある毛の下の顔は、整ってはいるものの無表情。人形めいているのでなく、怒っているけど、怒りを露わにするまで表情が動くのが遅いだけ、という感じ。声にもあんまり抑揚がない。おじさんたぶんハイパーこわい。

 正しい。実に正しい壁ドンだ。女の子を口説く時ではなく、相手を威圧する時に使用する為の行動である、壁ドンとは。

 少年の声は決して大きくないが、車内は静まり返っている。痴漢は助けを求めるように周囲を見渡すが、誰もが目をそらす。

 少年はそれっきり何も言わない。ただ、痴漢に壁ドンし続けている。

 だが、痴漢にとっては幸運であり、痴漢の身体の危険という意味では不運な展開が起きた。

 少年が痴漢を抑え付けていたのは、正確には壁ではなく扉だったのである。

 駅に到着すると同時に、扉は開き、おっさんは後ろのホームに仰向けに倒れ。

「あ」

 少年を押しのけて、通勤中の乗客は雪崩のようにホームに降りて行った。

 会社を遅刻する方が問題なのだ。地面に転んだままのおっさんを踏みまくるより。

 踏まれ蹴られ、どんどん痴漢はぞうきんのようになっていく。骨折くらいはしていそうだ。助ける気は起きないが、目の前で人が怪我をして気分がいいというほど、珠は暴力に慣れていない。

 すぐに扉は閉まり、電車は発車した。

 そして、空いた車内で、珠は少年と顔を見合わせた。

 少年はほとんど表情を動かさなかった。

 ただ、まっすぐ珠の目を見て

「ごめんね」

 いきなり謝ってきた。

「え、え、何がですか!?」

 少年は相変わらず抑揚なく言った。

「いや……逃がしちゃったから……」

 逃がしたというか、自動リンチに遭わせたというか。

 珠はとにかく慌てた。

「なッ何言ってるんですか! 助かったっていうか、助けてくれて、あの、えっと、ありがとうございます!」

「こういうのは警察に対応して貰った方がいいかなと思ったんだけど」

「いやッ、もうあのおっさん半殺しみたいになりましたし! あ、あの、えっと」

 とにかく慌てた。

「お礼にマックとか奢らせてくださいッ!」

「お礼は嬉しいけど、当たり前の事をしただけだよ」

「いやッその当たり前の事ができない人がほとんどっていうか! 初めて会ったんです! レアなんです!」

「そうか……。僕にはよくわからないな。痴漢を見て、何もできないっていう感覚は」

 珠は不思議な感覚に陥った。

 この少年には、本当に理解できないのだと直感したからだ。

 目の前で犯罪を見た時に、怖くて関わり合いになりたくないという感覚が理解できないのだと。

 見栄ではなく、真実そう言っているのだと。

「……学校……大丈夫なの?」

「へ?」

「奢ってくれるって言ったから」

「え? あ、ああ、うん、はい、部活サボります大丈夫です。マック行きましょう!」

 この、当たり前の事を言っているのに、ずれているような印象は何なのだろう。


 ハンバーガーショップで、百円のハンバーガー一個などいう注文をしようとした少年に、流石に遠慮してるでしょ! と叫び、珠は強制的に一番大きいハンバーガーとポテトの一番大きいサイズをのセットを注文した。

 その筋肉で、ハンバーガー一個で足りる訳無いだろうし、お礼に百円奢るで済ませるにはかなり重要な助けられ方だ。

「いただきます」

 きっちり言ってからハンバーガーを頬張る少年を見る。

 カッコいい、はともかく、それを通り越してロボットのような表情だ。

 正直、ああいう局面でああいう出会い方をしていなければ、関わり合いにならない。

 コミュニケーションが取りづらい。

「あ、私、近田珠って言います」

「僕は、七竃納といいます」

「ななかまど?」

「名字。植物の名前」

「あ、ああ……。この辺の高校なんですか?」

「高校には通っていないんだ。春まで通っていたけど」

 なんでもない事のように言われた。珠にとっては、大事なのに。

「……ごめんなさい」

 この少年の印象として、何か悪事を働いて退学になったとは思えなかった。事情があってだろう。

 その思いやりが、切りこまれた。

「謝るのはそれはそれで失礼だよ、根底に高校に通っているのが当たり前だという思想があるから」

 珠はあ、と呟いた。思いやるふりをしていた自分に気付かされた。実質は、憐れんでいる。いや、それも自分を良く思っている。本当の真実は馬鹿にしているに等しいのだと、たった一言で気づかされたのだ。

 怒っているかな、とちらりと顔を見た。

 納は言った。

「そのブレスレッド」

 慌てて珠は話題を変えた。

「あ、変わってるでしょ、悪魔よけのパワーストーンがついてるんです」

 ベージュの紐に小さな石がついている、シンプルなデザインだ。

「似合ってるけど、電車に乗る時はもっとごてごてした派手なアクセサリーをつけた方がいいよ」

「え、これぐらいにしとかないと、あんまり真面目に見えないし……」

「痴漢が狙うのは、真面目そうで、地味な子だよ。いかにも派手でけばけばしい子は対象から外れやすい。スカートがすごく短いとか、胸を大きく開けてるとか、金髪だとか、化粧が濃いとか、そういう子はあんまり狙わない。反撃されそうだからね。まあ、100%じゃないけれど。アクセサリーなら学校に着いたらカバンに隠してしまえばいいし」

「下宿のおばさんと全然逆の事言う……」

「下宿のおばさん?」

「あ、はい。私が中学まで住んでたとこ、すっごい田舎でイノシシとかナチュラルに出るところで、高校に通うのが不可能な立地だから下宿してるんですよ。でも、アパートとかじゃなくて。高校に相談に行ったら卒業生のお母さんに、ご主人をなくした上娘さんが家を出ちゃって広い家を持て余してる人がいるって紹介して貰ったんです。だから、そのおばさんと二人暮らししてるんですよ。すごくあたしの事を心配してくれる人で、ちょっと露出が多い服とか買うと「そんな恰好したら痴漢にあうんじゃないの」ってうろたえちゃったり」

「ふうん。露出が多い、いかにも強気そうな女性の方が避けられるんだけどね」

「まあ、このブレスレッドの効果も、ある程度あるんで」

「効果?」

 は、と珠は気付いた。しかし、どうせ行きずりだとも思った。

「七竃さん、悪魔って信じますか?」

 納は相変わらず、表情をほとんど動かさずに言った。

「僕はだいたい悪魔にかかわる仕事をしている」

 珠はあっと声をあげた。

 言われた言葉が、自分の求めている存在を指すからだ。

「私の下宿! 悪魔に憑かれてるんです!」

 言ってからしまったと思った。

 おかしな人間だと思われるかもしれない。

 だがもう限界だった。

 あの”声”に悩まされるのは限界だった。

 悪魔なんて誰も信じないのが、わかっているから、誰にも言えず。

 毎夜現れる悪魔が、心をすり減らし。

 だから、珠は縋ってしまった。

 初対面の少年に縋ってしまった。

 疲弊していた。

 疲れ切っていた。

 納は言った。相変わらず、こちらの目を真っ直ぐ見て。

「悪魔を殺してほしいの?」

 祓う、でもなく、退治する、でもなく、殺す、と言った。

「悪魔を……殺せるんですか?」

 頷かれる。

「人間だって、動物だって、星だって、悪魔だって、死なないものはこの世にいない。死ぬものは必ず殺せる。手間暇と能力の問題だよ。虫を殺すのと馬を殺すのじゃ、全然違うだろう? ただ、それだけ」

 そして、初めて表情を出した。

「僕はいずれ神を殺すつもりだよ。憎いという、たったそれだけの理由で」

 冗談にしては、怒りという表情が真実だった。

「神様を……殺す?」

「あんな奴が生きているなんて許せないからね。話を戻そう。悪魔を殺してほしいの?」

 吐き捨てるような口調だったが、話は戻った。

 言った。

「……悪魔を……退治してほしいです」

 殺すという表現を、珠は使えない。

「君の下宿に行く事になるよ。泊まる事になるかもしれない。大丈夫とは確信できない」

「そんなに……強い悪魔なんですか」

「いや、そういう事じゃなくて、道徳的な問題。見知らぬ男が女性しかいない家に泊まるという」

「あ」

 殺す殺すと話をした後で。

 こんな一般論の話を。

 どういう思考をしてるんだろう、この人。

 しかし、それは本当だ。あのおばさんが初対面の男の子を泊めるなんて、珠が不良になったと思うだろう。それはいけない。

「せめて女の人が一緒なら……説得できるんだけどなあ」

「ああ、そうなんだ」

 納はスマートホンを取り出した。

「僕の上司は女の人だ。何より、僕一人泊まるんであっても、外泊は連絡しないといけないから、ちょっと連絡してみよう」

 30分後。

「おー、なんやって。悪魔がおるんやって」

 黒いゴシック調のドレスを着てシルクハットを被った黒髪のドイツ人が、関西弁でにこやかに話しかけてきた。

「いやあ、納と話しててびっくりしたやろ。こいつ、性格歪んでるから。あ、私はまだ名乗るのはやめとくわ。ちょっと有名人やよってにな」

 インパクトのレベルが上がっていくなあ。

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