Order18. Warning Detection
<シカゴ市内、ノース・ハルテッドストリート>
彼らの暗殺したロレインの所属する中華マフィア組織"正龍"からの追手も無く、市内の大型立体駐車場でスカイラインV36から愛車であるフォード・マスタングBOSS429に乗り換えたその夜の事。反撃として撃たれた左上腕に清潔なハンカチを巻いて止血を施すも、銃創から痛みが止まる事はなかった。加えて血を流し過ぎていたせいかグレイの視界は安定せず、運転はソフィアに変わっている。シカゴ市内にあるリンカーンパーク周辺で車を走らせる彼女を一瞥し、グレイはタキシードのポケットからスマートフォンを取り出してとある人物に電話を掛けていた。
『……今日はもう店じまいよ。何か用? 』
「ちょいと依頼でヘマしてな……簡単な応急処置でいい、そっちに行かせてくれないか? 」
受話器越しに聞こえる女性の溜息。彼の電話の相手はシカゴ市内で闇医者を営んでいる女性、アンジュ・ヴェルメールである。彼女とはグレイがシカゴにやって来た時からの知り合いであり、度々暗殺や護衛の依頼で怪我をする彼にとってはまさに救いの手を差し伸べる天使であった。手っ取り早く処置は済ませたものの、彼は決して医療に秀でている訳ではない。痛みに顔を歪ませながらグレイは返答を待った。
『今どこにいるの? 1時間以上待ってくれなんて言われたら切るわよ』
「お前の診療所のすぐ前で車を停めてる。これでどうだ? 」
助手席側に付いていた窓を通して外の景色に視線を傾けると、3階建てのアパートの2階の一室から眼鏡を掛けた女性と目が合う。脂汗に額を滲ませながら笑みを浮かべると、受話器を通して階段を降りる音が聞こえてきた。そして電話が切れた直後、スウェットの上に白衣を纏ったアンジュがアパートの入り口から現れグレイ達はそれぞれ車を降りる。
「ようアンジュ……いててっ。ソフィア、ちょっと手貸してくれ」
「は、はいっ! 大丈夫ですか……? 」
「へへっ、こいつの所に来たからもう安心だ。運転ありがとうよ……」
差し伸べられたソフィアの白く細い腕を掴みながら立ち上がるとやって来たアンジュの肩を借りて階段を登っていった。不安げな表情を浮かべるソフィアに笑みを見せながら、アンジュの自宅兼診療所へと入ると患者用のベッドに寝転ぶ。
「またこんなに怪我して……治療する側にもなってみなさい。気が気でないんだから」
「悪い悪い。とりあえず早く治療してほしい。血流し過ぎてクラクラするよ」
着ていたタキシードとシャツを脱がされ、グレイの筋肉質な上半身が露わになった。左腕に巻き付けていた赤く滲んだハンカチもアンジュの手によって解かれ、再び赤黒い液体が銃創から流れ出す。アンジュの手に握られたピンセットの先が銃創の中へと入り込み、肉と肉の間に挟まった9㎜大の鉛玉を捉えた。赤黒い血液に塗れた鉄の塊がトレイの上に置かれ、グレイはしかめっ面を浮かべる。即座に消毒液を浸した清潔なガーゼが当てられ、傷口に針を突き刺したような神経痛が左腕に走った。呻き声を上げつつ傷口の周りの血が拭われているのを見つめている。止血用にガーゼを三度取り換え、完全に血が止まったことを確認すると今度は煮沸消毒した縫い糸と針が彼の銃創を縫い合わせていった。
「相変わらず優しくは治療してくれねぇんだなぁ……いてて」
「どの口が言うのかしら? 抜糸するのに2週間以上は掛かるから、もう無理な依頼は禁物よ」
「へいへい。運転ぐらいはいいだろ? 」
「動かせるならね」
アンジュの言葉通りにグレイは左腕を縦に回すと、神経を通して鈍痛が走る。思わず素っ頓狂な声を上げ、彼女から三角巾が渡された。その間に左腕を通し、首から左腕を吊った状態でベッドから立ち上がる。隣の丸椅子に座っていたソフィアを連れて診療所を出た。アンジュに別れを告げ、アパートの路肩に停められていた愛車の運転席にカギを差し込んでドアを開ける。
「ありがとよ、またな 」
窓から覗いているアンジュに向けて右手を上げ、イグニッションスイッチに鍵を差し込んだ。吊った左腕を運転席のアームレストの上に安定させ、ボンネットの中に組み込まれたV-8・429CIエンジンが起動したのを肌で感じながらクラッチを操作しつつ車を後方へ動かす。器用に右腕のみでハンドルを動かし、路側帯から愛車を道路へと進出させると終始沈んだ表情を浮かべているソフィアに視線を傾けた。
「……まあ、そんなに気にすんな。失敗は誰にでもある。だが一つ聞きたい」
助手席に座る隣のソフィアの顔が運転しているグレイに向く。
「あの時、お前の中で何があった? 普段銃を撃てていたお前があんなに怯えるなんて滅多にない。ましてやあの寝室までバレずに侵入できたやつがな」
「…………お父さんが銃撃事件に巻き込まれて死んだって……覚えてますか? 」
「あぁ、覚えてるよ。親父さんが警官だったってのも聞いた。まさかそれがトラウマに? 」
怯えた表情のソフィアの頭が、一度だけ縦に動いた。信号のある交差点に差し掛かった所でブレーキペダルを踏み、クラッチを切る。グレイは彼女の今の気持ちを十分に理解している筈だった。自分のせいでグレイが傷ついたことを悔いているのだろうと、勝手な憶測を進めていた。
「……すまない。俺はてっきりソフィアが自分を責めているもんだと思ってた」
「それも勿論あります。トラウマはいずれ克服しなきゃいけないって思ってますし……。でも、どうしてもあの時引き金が引けなかった。目の前で私を庇って死んだ、お父さんの死体が頭の中に刻み付けられているんです。それに、死んだときのお父さんと今回のロレインさんの年齢が近かったというのもありました……本当に、ごめんなさい」
銃撃事件というのは銃社会としてのアメリカでもっとも問題視されているものの一つだ。だが、銃を規制するべきかすべきではないかという観点で今は話すべきではない。すぐ隣に、その弊害を被った人間がそこにいるのだから。
「……俺もな、最初シカゴに来てこの職を生業としていこうと便利屋を始めた時によく悪夢を見るんだ。殺した人間が、自分の周りで死んでいった人間が俺を地獄の底へ引きずり込む夢さ。お前も早くこっちへ来い、俺たちと同じ目に遭わせてやると囁かれるんだ。それも殺した時の姿でな。今もその夢にうなされる時がある。だからソフィア、お前の気持ちは良く分かる」
やがて信号機は青に変わり、再びクラッチペダルを踏みながらギアを変えて右足でアクセルを踏むと彼の愛車は再び動き出す。ソフィアの方へ視線を傾けずとも、グレイは彼女が泣いている事に気づいていた。苦しみやトラウマの共有によって、一時的な安心感が生まれたお陰であろう。痛む左腕を伸ばし、ソフィアを慰めるかのように彼女の目から溢れる涙を人差し指で拭った。
「変に気張る事なんて無い、苦しみや悲しみを分かち合ってこその人間だ。その人間が今はお前の雇い主さ。それに……お前が責任を感じる事なんて無い。言ったろ? どんな事があろうともソフィアを守ってやるってな」
「ぐ、グレイさん……私……」
「そんな顔すんな。ミスや間違いなんて何回も犯すもんだ、だから自信もって生きていけ。お前のこの先の道は俺が保証する、俺が生きている限りな」
普段通りの不敵な笑みを浮かべ、ソフィアの頭に手を回す。まるで父親と子のようなその光景は、ソフィアの涙をより一層加速させた。大切だった肉親が死んだ。それも目の前で。その悲しみは計り知れないものだが、グレイはそれを一身に受けようとしていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……! うぅぅ……ひっぐ……」
上司と部下の関係ではなく、あくまでも過去にトラウマを持つ人間同士として。グレイは彼女の涙を一瞥しながら、マスタングBOSS429を事務所へと走らせた。
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<シカゴ郊外・ロレイン邸>
同刻。パーティーに来場した招待客たちを帰らせ、シカゴに籍を置く中華マフィア組織"正龍"のボスであるロレイン・リーが何者かによって暗殺された事を知られない為にパーティーの時間を少し切り上げて終了させたシン・ロンレンは部下を連れて自身のボスであったロレインの寝室へと足を運んでいた。彼はこの正龍の幹部でもあり、どんな時でも冷静さを欠かない有能な人物ではあったが、今回ばかりは困惑しきっている。彼女の付き人であったのにも関わらず、暗殺を成功させてしまった失態。警備に回っていた構成員たちも殺害され、珍しく彼は憤りを露わにしていた。
「……ここで、ロレイン様は殺されたのだな」
「そうです、邥さん。撃ち合った跡と見られる壁の銃創と薬莢が見つかりました」
黒いスーツを纏った隣の中国系の男から薬莢の入ったビニール袋を受け取る。大きさは約9㎜のものであり、金色に輝くその物体は静かに震えるシンを煽っているかのように見えた。深呼吸をしてから目元を抑え、彼はその小さな袋をポケットに仕舞う。
「助かる。お前は持ち場に戻って見張りを続けてくれ。何かあったらすぐに連絡しろ」
「はっ」
冷静さを欠いてはならないのに、胸の奥では激しい怒りが火山のように噴火している。既にロレインの死体は回収させたが、彼が部屋へ入った時には既に彼女は事切れていた。胸の中心部と額にそれぞれ一発ずつ銃創が出来上がっていたのと、寝室に残っていた別の血痕が妙に彼の胸に引っかかる。第三者からの介入なのは確信が持てるが、生憎シンには心当たりが見つからなかった。その時である。寝室の扉がけたたましく開き、監視カメラの映像を再生させていた部下の一人が彼の元へと駆けつけてくる。
「シンさん! 犯人の映像が見つかりました! 急いで監視室に来ていただけますか!? 」
「分かった。お前たち、引き続き調査を続けてくれ」
寝室に集められた部下たちを残し、シンは二階から一階の階段を降りて大広間のすぐ傍に監視室へと向かった。ドアを開けると監視室の内部は返り血の跡が惨たらしく残っており、音も上げる間もなく絶命したのだと彼は無念に胸を痛める。周囲に飛び散った血がモニターに飛び散っている光景もまた惨状を飾り付け、より一層シンの怒りが肥大化した。
「それで、犯人の映像というのは? 」
「こちらになります。パーティーが開催されてからおよそ30分が経過した後、奴は邸宅の裏口に現れました」
机の上に開かれたノート型パソコンの映像には黒いタキシード姿の男が煙草を咥えながら裏口の警備員に話しかけている様子が映る。会話はシンの耳には届かないが、気さくな話を広げている様子が読み取れた。その直後、映像の中の男が警備員に向けて手刀と掌底を放ち警備員を気絶させる光景が目に入り、彼の拳を握る力が強まる。映像はそこで途切れており、シンは目を伏せた。
「……奴の顔が見える所でビデオを止めてくれ。この男は……」
シンは脳をフル稼働させ、先ほどのパーティーの記憶を辿る。その時、彼の脳裏に会場内のバーの光景が思い浮かんだ。ロレインが共に酒を飲んでいた男だ、と確信を持つと拳を机に叩きつける。もしあの時自分が無理やりにでも止めていれば、ロレインの暗殺を止められたかもしれない。自分の無力さを再び思い知る事になったシンは、こみ上げていた憤怒が爆発した。
「こいつを絶対に生かしておくな。こいつは正龍の仇とも言える男だ……」
怒りに震えるシンを見て、監視室にいた彼の部下が震え上がった様子を一瞥する。顔を上げ、怒りの籠った視線を伴いながら右耳に着けていたインカムを起動させると部下たちに繋いでいた無線に向けて口を開いた。
「全ユニットに通達する。今から広間に集まってくれ。これからの予定を話したい。10分後だ」
無線を切り、シンは両手を机から離すと隣にいた部下の肩を叩く。彼を後ろに引き連れて監視室を抜け、ノートパソコンを手にパーティー会場の名残がある一階の大広間へと向かった。プロジェクターを部下に持たせ、巨大なスクリーンにパソコンの映像が映るように設置する。そして10分後、邸宅にいた正龍の全ての構成員が広間に集合しシンは彼らを椅子に座らせた。
「君たちを集めたのは他でもない。ロレイン様を殺した暗殺者についてだ。レイ、映像を早速見せてくれ」
レイ、と呼ばれたパソコンの前に立っていた部下の一人に操作させ、先ほどシンが見た監視カメラの映像をスクリーンに映す。カメラに映った男が一人の警備員を気絶させる光景が映った瞬間、広間にいた部下たちが一斉にざわついた。眉一つ動かさずにシンは彼らを見やると暗殺者の顔が見える所で映像を止めさせる。
「この男が今回の件の犯人だと思われる。そこで君たちに見覚えがないかを聞くために集まってもらった」
彼が部下たちに尋ねた瞬間、各々で話し始めていた部下たちが一斉に静かになった。周囲の状況を見るに、暗殺者の情報を知る者がいない事を察したシンは鼻から深い息を吐く。その時、広間の真ん中に座っていた構成員の一人が彼に向けて手を上げた。
「……ん? 張、何か知っているのか? 」
「は、はい。その男って……"アールグレイ・ハウンド"ではないかと思うんです」
「なぜそう思う? 」
「前に一度仕事した事があって……他の幹部の方が彼に仕事を依頼した時です。煙草の銘柄や、顔の特徴とか格闘術が一致していると思うのですが……」
彼からの言葉を聞いて、シンは映像を巻き戻させる。暗殺者の男はカメラに映り始めた際に煙草の箱を持っていた。真っ白い箱の中心に赤い丸型のロゴが描かれているものは、確かラッキーストライクというものだったはずだ。あまり煙草に関して詳しい知識を持った人間ではなかったが、シンの脳裏に主であるロレインが愛飲していた事を思い出す。
「格闘術、というのは? 」
「この映像を見るに、アメリカ陸軍式格闘術であると思われます。以前のものと同じかどうかは定かではありませんが……申し訳ありません」
「いや、大丈夫だ。それだけで十分有益な情報を得られた」
立ち上がらせた部下を椅子に座らせ、映像を消すと広間の照明を点けた。
「この映像の写真を君たち全員に配り、市内で聞き込みを行ってもらいたい」
手を伸ばし、指先を座っていた部下全員に向ける。身体の中にたまっていた怒りが、その指先から放出された。シンの感情を悟ったのか、座っていた構成員たちは一斉に立ち上がって邸宅から出ていく。
「アールグレイ・ハウンドを……逃がすな」




