皮肉な恋の味
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」
通り過ぎる人混みを引き留めるように、青年のパンという威勢の良い一拍子が暗闇の中に響いた。
「ちょっ、やめなさいよ。八百屋さんじゃないんだからっ」
少女がはらはらした顔で、青年を制止する。
「おっ、そこのお似合いさん達見てかねえかい? なんたって催涙弾に閃光弾、爆弾解体キットまで…モガッ!?」
息ができなくなるほど口に手を当てがわれて、手足をジタバタさせたまま店のバックヤードに引きずられていく。
「ンー! ンー! ぷはぁっ、ナニすんの、高槻さん」
拘束を解かれて、青年はさっそく少女に噛み付いた。
「あんなにストレートに売り込むんじゃないわよ!」
「何か不都合でも?」
「アリアリよ! 催涙弾に閃光弾!? なんでこんなものが平然と夏祭りの屋台で売られてんのよ!」
少女は烈火のごとく畳みかけた。
「いや、仕方ないだろ……部室の物品全部売り払ってでも生徒会のサバゲー部廃部決定を覆らせなきゃって先輩たちが息巻いてるんだし」
「だからって! こんな危険物売る必要あるの?」
ピシャリと言い放ったこの少女は、高槻ちふる。
今年五月に喜輝高等学校に転校してきた彼女は、同級生の中でもひときわ可憐な容姿が際立ち、定期考査では優秀な成績を収め学年一位に踊りでたことで、たちまち学校中の生徒は色めき立った。
そんな才色兼備な彼女の名前を聞きつけて、連日彼女の姿をひと目見ようと教室の前には人だかりができ、学年の違うものまでもがひしめきあっていた。
しかし意外なことに、彼女はサバゲー部に入った。この空前の大スクープには、全生徒がひっくり返った。
彼女が入部したことが知れると、今まで人気のなかったサバゲー部に相次いで入部希望者が訪れるようになったが、独占欲の強い先輩諸氏はわざと承認を見送らせている。
そんな幸福絶頂の部活動が始まりそうだった矢先に、サバゲー部に廃部決定が下された。完全に生徒会の嫉妬だった。
そしてサバゲー部は総力を挙げて部活存続のために、ただいま絶賛奮闘中である。この屋台での資金集めもそういった経緯が関係している。
「はぁ……なんだって、夏祭りの屋台で資金を確保しようなんて思いつくのよ。通報なんかされたら一巻の終わりよ」ちふるがため息をついた。「ねぇ、樫月くん」
「ん?」
樫月軽之は返事をするのとともに、首を傾げた。樫月とは自分の苗字だが、妙な違和感を覚えたのだ。
「あぁ、そうだね」軽之は生返事で頷いた。「でも、やりたくないなら別に高槻さんは手伝わなくていいんじゃないの? 先輩も高槻さんは何もしなくていいって言ってたし」
「それは…………」長い休止を置いてから口を開いた。「戦力外みたいな扱いをされるのが嫌なだけよ」
「ふぅん」興味がなさそうに軽之は間の抜けた声で頷いた。「さて、そろそろ店番に出なくっちゃね」
軽之はおもむろに立ち上がり、暗闇の方に足を運んだ。
外に出ると、割れたスピーカーから流れる盆踊りソングと太鼓を力強く叩きつける音が空気を震わせていた。その上に乗っかるようにアブラゼミが木にしがみついて唄っている。
涼しい風が汗ばんだ額を撫でると、じっとりとした空気が肌を潤わした。
「さあさあ買った買った! 喜輝高校サバゲー部の出血大サービス品だよお」
「ちょっ、だからもうちょっと隠密にやろうって!」
何十年前の商売スタイルよ。呆れながら、ちふるは手綱を締める。
「わあ兄ちゃん! P-90が五百円ぽっちだってー!」
「すっげー!」
顔がよく似ている二人の小さな兄弟がひょっこり顔を出し、台の上に並べられている電動サブマシンガン「P-90」を目を輝かして見ていた。当然五百円は破格である。
「おー、ガキども。松葉杖に目をつけるとは恐れいった!」
「まつばづえってー?」
一方の子供が尋ねた。きっと弟のほうだろうと、軽之は思った。
「このP-90はな、その奇抜な形が松葉杖に似ているから、”松葉杖”って呼ばれているんだ」
「へー! まつばづえかー。まつばづえ……まつばづえ!」
兄弟たちは一層目を輝かせた。
「ハハ。どーだ、五百円だぞ。買ってくか?」
「ちょっと……」耳打ちするようにちふるが小さな声で呼びかけた。「この子たち、まだ小学生でし
ょ……こんなの売っちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫だって」笑いながら軽之は答える。「子供はいたずらしてなんぼだしな!」
「……ダメよ、いたずらしちゃ」
ちふるは一度軽之を睨んでから子どもたちに諭すように言った。
「よし、じゃあ買うだろ?」
軽之が背中を押すように言った。しかし、兄弟たちの顔はたちまち曇った。
「どうした、買わないのか」
心配そうに軽之が尋ねると、兄と思われる子供は首をふるふると横に振った。
「買いたいんだ……。でも、他の屋台でお小遣いをほとんど使っちゃったから……」
悪いことをして叱られている子供のように、先刻とは打って変わってシュンとなってしまった。しだいに目尻が光り始め、今にも泣き出しそうな様子だ。
「そうかぁ……。じゃあ残念ながら金のないやつにコレは売ってやれんな」
意地悪そうに軽之が言うと、子どもたちは肩を震わしながら踵を返し、そしてどこかへしょんぼりと歩いていった。
「ちょっといいの? あんなにしちゃって」
「……いいんだよ。小さいからって環境が甘くしてやりすぎるのも罪だろ。五百円分ぐらいくれてやったってどうってことないが、あいつらがワガママな子供になっちゃ本末転倒だ」
……それじゃ強くなれないんだよ。軽之は少し悲しくなった。
その時、クスと小さい笑い声がした。振り向くと、ちふるが手で口を抑えて笑っていた。
「樫月くんって、変わってるなぁ」
ちふるの笑い顔に思わず軽之は見とれた。ふと我に返ると、顔を赤くして咳払いをした。
「な、わ、悪かったな……」
照れ隠しをするようにちょっと怒るように軽之はスネた。
その日は結局、何一つ売れなかった。自らを隊長と自称し鬼教官と部内で呼ばれている部長からは大目玉
を食らうことだろう。この場合、ちふるにではなく、軽之にだ。
時計台の短針が10の数字を示す時刻になると、最後に商店街の会長が短い挨拶をして祭りは終了した。
「ん、もう終わりみたいね」
ちょっぴり寂しそうに、店の片付けをしながらちふるが囁いた。
「私もお祭りの屋台、回りたかったんだけどな……」
「行ってくればよかったのに。俺が店見てるし」
「それより、楽しかったことがあったの」
「え?」
軽之は一度手を止めてちふるを振り向いた。
「手を止めないで。終電に乗り遅れるわよ」
彼女はにべもなく冷ややかに言い放つ。言われると軽之は忙しく片付けを再開した。
ふと、軽之はちらりとちふるを窺った。光沢のある髪が風に流れて、白く清涼な額が覗かせている。
「なに?」ちふるは目ざとくギロリと睨み返した。
「い、いやぁ……」
軽之は恋の味を知った。