目覚める悪鬼
――君は一度も夢から起きたことはない。寝ても覚めても、そこは悪夢の中なのだから。
突然、不快な音がけたたましく鳴り出した。
溶暗した意識の中にほんのりと光る光線が差し込むと、徐々にリアリティが回復していき、男は慌ただしく身を起こした。
錆びついた金属で装飾されたロココ調のレトロな目覚まし時計が発狂したように泣き喚いているのを確認すると、男は真っ先に掴みとった。
押しボタンが見つからずもたつくと一層不機嫌になったが、なんとかうるさい音源を止めることに成功しひと息つく。
「また、この世界か……」
男は気だるい溜め息を吐くと、”今度の世界”の変化を観察することにした。
とても趣味の良いものとは言えない目覚まし時計をほっぽり出し、首をぐるりと回転させると、既視感のある奇妙な光景が目に飛び込んだ。
壁はトタンをイメージした壁紙が360度にかけて張り巡らされており、右手の壁には、なぜかハンティングトロフィーのようなゾウの首が不気味に掛けられていた。
天井を見上げると、その重苦しさに思わず手が届きそうに感じるが、どんなにいっぱいに腕を伸ばしても、届きそうにない。
その上からは、たらんと粘質な紐が降りていて、引っ張ろうと手を伸ばすも、右往左往に紐が揺れるので、捕まえることが出来ない。
その時、視界の端でかさりと黒いものが動いた。振り向き確認するが、その姿は見つからない。
――いつものことだ。
男はいかにこの怪奇な部屋が不気味で異常であるのにも関わらず、まるでそれの何が悪いのかと開き直るように、見過ごし、そして無視した。
そう、いまはそんなことに気を留めている場合ではないのだ。
……またこの夢だ。
何度目だろう。男は頭の中で指を折った。
何か因縁でもあるのだろうか。どうやら、この空世界は自分につきまとう理由があるらしい。
話には聞いていたが、これほど同じ世界が延々と続くのは、はなはだ尋常なことではない。
男は目の前に横たわる不安に、頭をもたげた。
いつになったら帰ることができるのだろう。……いや、もしかしてずっと――
嫌な可能性が頭をよぎる。
男は万引きを葛藤する少年のようにふるふると頭を横に振った。
……そんなことを考えていても仕方がないだろう。
「ちょっと……空気でも吸うか」
強迫観念じみたやかましい思考の虫を取っ払うため、男は気晴らしに散歩でもしようと考えた。
それに、この世界に自分を縛り続けている原因となるものも探らなければならない。このまま闇雲に惰眠を貪っていても無駄だということは男にも分かっていた。
地べたにうつ伏せになっている時計を拾い上げて見ると、時針は7と8の間を行っていた。外の慎ましやかな喧騒から、暗い時刻だということは察しがついた。
男は立ち上がると、等身大の鏡の前で身なりを確かめた。ぴょんとつむじから跳ねる頑固なアホ毛が目についたが、面倒なのでそのままにしておく。
適当な靴を見定めて履くと男はドアに手を掛けた。キュラキュラというおよそ玄関のドアらしからぬおぞましい音が聞こえたが、構わずに戸外に足を運ぶ。
外を覗くと、まず人の多さが目についた。この押し寄せる人波から察するに、今日は町内で祭りがあるかもしれない。
仄暗い夜の中で愛想の悪い街灯がポツポツと黒山を照らしつけていた。
酷くふてぶてしい日本人のいびつな顔と規則的な集団行動は「百鬼夜行」という言葉を連想させた。
つと、街灯の明かりが完全に途切れた。どこかで誰かが野次を飛ばす声がした。
しばらくすると男は魑魅魍魎に紛れ、揺らめく暗闇へ消えていった。