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『MOCHI』

作者: 玖洞

 簡単なあらすじ


 魔王を名乗る異世界の人間が治める国にやってきた移民の少女が、未だかつてないカルチャーショックに恐れおののく話。


 ――此処はクラウディアーナ大陸の東南に位置する国、ディストピア。

 『日本』という異世界の小さな島国より呼び出された異邦人が、なんやかんやあって治めることになった、移民が集まった小さな国である。


 睦の月、一日。

 今日は一年の始まりであり、世間一般的には各々が祀る宗派の教会、もしくは神殿に、一年の無事を願って礼拝に赴く日である。

 宗教が盛んな国であれば、それこそ祭りや膨大なお布施が飛び交う大イベントの日になっているはずだ。


 ……ちなみに『礼拝は別に行ってもいいし、気が向かなければ行かなくてもいいよ。でも、行ってあげた方がうちの女神様も喜ぶんじゃない?』というのが、この国で一番偉い人のお言葉である。どう考えても神様への扱いが雑すぎる気がする。信仰心という物がまったく感じ取れない。

 でもだからといって、別に神様を蔑にしているようには見えないのは、あの『魔王』の不思議なところだろう。


 礼拝をするもしないも、個人の自由。魔王はそう言ったものの、流石に行かないわけにはいかないだろう、と思いながら少女――セラスは足を進めた。

 この国は、主祭神である女神の存在で成り立っている節がある。女神の存在ありき、とまでは言わないが、この国が女神の影響を受けているのは確実だろう。

 セラスとて、別にそこまで信仰に厚い方ではない。それでもこの国に住まう者として、新年くらいはきちんと礼儀を通さなければ、何となく落ち着かないのだ。それはきっと、大部分の人が思うことだろう。


 ――いっそ礼拝を強制されてしまった方が気が楽なのに。そんなことを思いながら、セラスは小さくため息を吐いた。


 そもそもセラスは、ほんの数か月前にこの国に移民としてやってきた新米であり、国の決まりごとなどに文句を言える立場ではない。だが、いかんせん此処は自由度が高すぎる気がする。

 魔王自身が上から押さえつけられることを嫌うせいか、魔王はセラス達のような立場の弱い移民に対しても何かを強要することはほぼない。

 下手に理不尽なことを強制させられるよりはずっとマシだろうが、自分自身で行動を起こさなければ何の仕事も与えられないという今の現状は、あまり精神衛生にはよくない。いわゆる「指示待ち」に慣れきってしまった人にとっては、この国はある意味鬼門だろう。


 ――まぁ、そういった人達は移民の段階で選別されてしまったのだろうけど。


 そんな取り留めのないことを考えながら、セラスは教会に向かって足を進めたのであった。





◆ ◆ ◆




「…………はぁ」


 ――そうしてたどり着いた教会、いやもう神殿と呼んでも差支えがないくらいに豪奢な建物を見て、セラスは感嘆の声をもらした。

 神々しいまでに清廉な煌びやさを纏ったその外観は、自分のような普通の人間には何だか不釣り合いのような気がして、ここから先へと進むのが何となく躊躇われた。


 ……いや、神殿に限った話ではない。この国はどこもかしこも美しすぎる(・・・・・)

 以前は余裕がなくてそこまでしっかり見てはいなかったが、この国は街並み一つにしても整然と調和がとれており、人が作り出したとは思えないような精密さを感じる。それに、辺りを見渡してもちり紙一つ落ちていないというのだから、恐ろしいことこの上ない。

 ディストピア――『失楽園』の名を冠する国にしては、あまりにも楽園に近すぎる光景だった。


 ごみが落ちていないことに関しては、ただ単に住人の数が多くないのと、その住人達がこの国を汚さないようにと普段から気を付けているおかげでもあるだろう。そんな些細なことからでも、この国を治める魔王の求心力の強さがうかがい見れる。薄々感じとってはいたが、あれはもう一種の信仰に近い。まぁ、その気持ちはセラスにも分からなくはないのだが。


「あれ、リーダーだ。どうしたの、そんな小難しい顔して」


「ちょっと、リーダーって呼ぶのは止めていつも言ってるのに」


「ごめんね。忘れてた」


 唐突に背後からセラスに声をかけてきたハーフエルフの少年――ヘイゼルは悪びれもせずにそう言った。

 ヘイゼルは、セラスよりも前からこの国で暮らしている、いわば移民の第一陣の住人だ。ある種の先輩でもある。

 セラスがこの国に来た当初に何となく親しくなり、こうして会えば会話をするくらいの関係を築いている。


 ヘイゼルはぐいっと、セラスの背中を押した。まるで、早く協会に入れとでも言いたいようだった。


「え、なに?」


「外は寒いから早く中に入ったら? 風邪ひくよ」


「これくらいならまだ温かい方だと思うけど……」


 その言葉に、セラスは首をひねる。確かに吐く息は多少白くはなるが、肌に触れる空気はそこまで冷たくはない。

 それにセラスは元々雪深い国の生まれである。一面が雪景色にでもならない限り、特に寒いとは感じない。


 怪訝そうなセラスに対し、ヘイゼルはまるで奇妙なものを見るかのような目線を向け、ふうん、とおざなりな返事をした。

 そんなヘイゼルを不思議に思いながらも、セラスはふと疑問に思った事を口に出した。


「それにしても、貴方が礼拝に来るなんてちょっと意外ね」


 セラスの中の印象では、このヘイゼルという少年は、こうして元日にわざわざ礼拝に来るようなタイプではなかった。彼ははっきり言って、信心深さからはほど遠い現実主義者だ。失礼な話ではあるが、女神に祈るような可愛げがあるようにはとても見えない。


「んー、別に俺は礼拝に来たわけじゃないしなぁ」


 ヘイゼルは少しだけばつの悪そうな顔をすると、すっと教会の中庭を指さした。



「あそこで美味しい物を配るって魔王様からきいたからさ、ね?」


 そう言って、ヘイゼルはへらりと笑った。


 ――なるほど。セラスはその身もふたもないような理由に、深く納得してしまった。





◆ ◆ ◆




 つつがなく――いや、渋るヘイゼルを引きずって、略式ながらもなんとか礼拝をすませ、セラスとヘイゼルは中庭へと向かった。流石のセラスも、今日という日に教会に来ておいて礼拝をしないで帰るという、罰当たりな行為は見逃せなかったのだ。


 ――そんなこんなでやってきた中庭には、大勢の人がごった返しており、ピークの時間からはややずれているだろうが、それでもやはり人は多い。

 こういう光景を見ると、やはり今日は元日なのだな、と実感する。

 

 中庭をよく見てみると、いくつもの蓋を閉じるタイプの鉄板が置かれており、その中では薄く延ばされた白くて丸い生地に、赤いペースト状のものと色とりどりの野菜と、チーズがふんだんにのせられた物が焼かれている。以前に食べた『ピザ』という料理に似ている気がした。蓋をあけた時にかおる香ばしい匂いが、鼻孔をくすぐる。

 確かに美味しそうではある。だが――中庭の真ん中にでかでかと立てかけてあるあの看板はいったい何なのだろうか?


 どん、と中庭の真ん中に目立つように突き刺さっている看板は、とても異様な雰囲気を醸し出していた。


 その看板にはこう書かれていた。


【この餅を食べる者、一切の驕りを捨てよ】


 ……はっきり言って意味が分からない。


 どうしたらいいのか分からない、という表情を浮かべたセラスに対し、ヘイゼルは合点がいったという風に頷いてみせた。


「あー、今年も出すんだ、あれ」


「あれって?」


「『もち』っていう魔王様のいた世界の料理……いや、食材?」


 あの下に敷かれてる白い生地みたいなの、とヘイゼルは言った。

 なるほど。『もち』の意味は分かった。だが、肝心の看板の意味はさっぱりである。説明になっていない。


「去年はねー、『お汁粉』っていう甘い煮豆のスープに、あのもちだけを切って入れたものが出たんだけど、不思議な触感だけど結構美味しかったよ。何人か死にかけたけど」


「へぇ……うん?」


 聞き間違いだろうか。今、死にかけたとかなんとか聞こえたような気がしたが。

 引き攣った笑みを浮かべたセラスを気にもせずに、ヘイゼルは続ける。


「あれってチーズみたいに伸びるし、かなり弾力があるからきちんと噛まないと喉に詰まるみたい。なんかさぁ、魔王様のいた世界でも毎年もちのせいで何百人も死んでるらしいよ」


「なんでそんな危ないものをわざわざ食べるのっ!?」


 セラスは思わず叫んだ。何故そんな致死率が高いものをわざわざ新年に食べなくてはいけないのだろうか。

 ……噂話として聞き流してはいたが、やはり魔王が生まれた世界――特に『日本』という国は想像を絶する人外魔境らしい。


「まぁほら、『自分は絶対に大丈夫』だと驕らずに、気を付けながらしっかり噛んで食べれば何とかなるって。今回は食べやすいようにあの形にしたらしいし。魔王様は「正月にピザとか邪道だよなぁ……」ってぼやいてたけど」


「いや、でも」


「油断さえしなければへーきへーき。運試しみたいなもんだって」


「新年から命がけで運試しをしなくちゃいけないの……?」


 たかだか食べ物に命を賭けてしまえるくらいに、魔王のいた世界では命の価値が低いのだろうか。セラスにはあまり理解が出来ない次元の話だ。


「よく分かんないけど、魔王様は『餅は新年のふうぶつしだから』って言ってたよ」


「ふ、風物『死』……」


「そう、風物『詩』」


 ――まぁ、ぶっちゃけ壮大な誤解である。だがそのことを教えてくれる者はここには誰もいない。


 セラスは戦々恐々としていたが、もしも件の魔王がこの二人の会話を聞いていたならば、きっと魔王は首を大きく横に振って否定していたことだろう。「それ風物詩違いだから!!」と。

 だが魔王はここにはおらず、何よりも日ごろの言動のせいで、その恐ろしい世界設定を否定する者は誰もいない。こうして魔王の知らぬ間に、水面下で『日本』に対する誤解は加速していくのであった。


 ――それはさておき、セラスは鉄板を前にし、迷いを浮かべながらも立ちすくんでいた。

 確かに『もち』とやらは恐ろしい食材かもしれないが、目の前で焼かれているこの料理はとても美味しそうにも見える。

 それに、年に一度しか出てこない特別な食材というのも心惹かれる。命の危険があったとしても、食されるだけの魅力がきっとこの『もち』にはあるのだろう。そう考えると、このまま立ち去ってしまうのは、少々勿体ないようにも思える。


 そうして覚悟を決めたセラスは、ヘイゼルに向かって顔を上げたのだが、もうそこにヘイゼルはいなかった。

 視線を前に向けると、ヘイゼルはすぐそばにあるベンチに腰掛け、カットされたピザを頬張っていた。とても幸せそうな顔をしている。


「………………。」


 なんか、こう、ちょっとだけ殺意がわいた。





◆ ◆ ◆





 複雑な苛立ちを抱えながらも、セラスは熱々のピザを受け取り、ヘイゼルの隣りに腰掛けた。何食わぬ顔のヘイゼルは、もうすでに二枚目に突入している。それを見ていると、自分の葛藤とはいったいなんだったのかとむなしい気持ちになってくる。


「冷めると美味しくないよ」


 呑気にそんなことを言ってくるヘイゼルに、文句を言いたい気持ちを抑えつけながらも、セラスはようやく口を開いた。


「……いただきます」


 ふぅふぅと冷ますように息を吹きかけながら、そっと生地をかじる。

 外側のパリッとした感触と、生地の内側のもちもちとした弾力のある歯ごたえ。上にのった色とりどりの野菜の酸味とほのかな甘み。ふんだんにかけられたチーズの塩味が全体の味を引き立てていた。

 舌の上の熱さに耐えながら、ゆっくりと咀嚼をする。口の中に溢れる美味しさに感動しながらも、「こくりとすべてを飲み込んだ。

 するりと熱さが喉元を過ぎると、ほう、とセラスは感嘆の息を吐いた。


「おいしい……」


 初めて食べた『もち』は思ったよりも味が無かったが、どこかやわらかい風味の印象を受けた。小麦で出来たものと違い、角がないと言えばいいのだろうか。


「だよねー。魔王様が発案する料理は外れがないからいいよね」


 あの人自身はあんまり料理は得意じゃないみたいだけど、と茶化しながらヘイゼルは笑った。


 でもきっと、美味しさの理由はそれだけじゃない。

 あの魔王は、色々なことに頓着がないように見えて、意外と美食家でもある。

 セラスはぼんやりと生地に乗った野菜を見やる。この色とりどりの野菜は、本来は夏ごろに収穫できるものだ。セラスがいた雪国でこんな野菜を冬に入手しようとすれば、それこそとんでもない金額になることだろう。

 そんな季節外れの野菜が、こんなにも大量に、それも「瑞々しいままで調理されている。そのことだけで、この国の食糧事情がかなり良いことがうかがえた。


 ヘイゼルから話を聞くところによると、魔王自ら狩りや農作業に携わることも多々あるようだ。それだけ、食事に対する関心が深いのだろう。その上、集めた食材や高価な香辛料は自分で独り占めにしたりはせずに、こうしてことある毎にこの国の住人達へと還元されている。

 移民達だけではなく、他の国から研修にやってきた研究者達の中でも、あまりの食生活の豊かさに「もうここに永住する」と言い出す者も少なくないとかなんとか。いくら愛国心があり学のある人々でも、胃袋を掴まれてしまうとひとたまりもないのだろう。

 ……もしかしたらそれも魔王の懐柔策の一つなのかもしれない。やはり魔王は底知れないお方だ。


 そう考えているうちに、セラスの手の中はすっかり空になってしまっていた。どうやら無意識のうちに食べ続けていたらしい。

 ……のどに詰まらなくてよかった。ヒヤリとしながらも、空いた手でお腹をさする。

 正直、少し物足りなかった。


「もう一枚食べる?」


「……貰います」


 そんなセラスに、ヘイゼルは受け取ったばかりのピザを差し出した。ヘイゼルのもう片方の手にはもう一枚ピザが乗っている。

 まだ食べるのかコイツ……と呆れながらも、セラスはピザを受け取った。どうやら自分も人のことは言えないらしい。


 なんだか負けた気持ちになりながらも、セラスは二枚目のピザを頬張る。ああ、やっぱりおいしい。


「あ」


「どうしたの?」


 ――そういえば、大事なことを忘れていた。

 こんなに大切なことを忘れていたなんて自分らしくないな、と苦笑しながら、セラスはヘイゼルの方へと向き直った。


「遅くなったけど、今年もよろしくね」


 そう言って、セラスはヘイゼルに笑いかけた。ヘイゼルは少しだけ目を丸くすると、いつものようにへらりと笑った。


「ん、よろしく」


 その笑顔を見て、セラスは「やっぱり礼拝に来てよかったな」としみじみ思った。


 その後、再度おかわりをしようとしたヘイゼルが担当者に叱られ、ぶーぶーと文句を言うヘイゼルを宥める羽目になったのだが、その話はきっと蛇足だろう。


 ――まぁ、なんてことはない新年の一幕だった。





新年あけましておめでとうございます。……おもちはおいしいですよね!


もしよろしければ、ちょろっとだけ出てきた魔王が主役の本編がありますので、ぜひ下記からどうぞ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ディストピアにおける、愉快な正月をありがとうございます。 今年もよろしくお願いします♪
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