『弱虫で泣き虫で暗殺者のキミ』2
「ううん、いらないよ」
ふと、キミが言った。
「え? 何がいらないの?」ってつい聞き返してしまいそうになるくらい、何気なく発せられた言葉だったけれど、あたしがキミの声を聞くのは、実はこれが初めてになる。
思ったよりも大人っぽいキミの声に、あたしは思わず立ち止まってしまいそうになったけれど、
『はい。では、ご説明しますね』
録画映像のあたしは、揺るがないココロで進行を続ける。そういえば、樹と何とかの説明だったっけ。
『樹と月の域というのは、世界的組織の名称です。世界の主要都市の地下に拠点を構え、その一つ一つが樹の根○○枝部と呼ばれています。樹の根と呼ばれるゆえんは、地下であることに加えて、樹の根一つ一つが分岐点を成し、全体で、樹と月の域独自の大規模ネットワークを形成することにあります。堂々と、清々しく茂る《樹》とは対照的に、密かに、綿密に地中全体に張り巡らされた《根》。それは、人々を監視するためだけでなく、都市ネットワークを侵食し、都市機能を徐々に陥れていくためのものでもあります。表では慈善を行い、裏では侵略を進める……。天使の顔を持つ悪魔。それが樹と月の域という組織の本質です。ここ、樹と月の域、樹の根第四枝部は、旧帝都一次区内、医療研究施設《薬箱》の根幹を移設、現在、梨山地区との接続を果たしています』
「あ、そう……」
録画映像のあたしの説明に対して、キミはまるで興味がなさそうに返事をした。
それは当然の反応で、あたしだって「よく暗記して噛まずにちゃんと言えたね、えらい、えらい」って自分で自分を褒めたくなること以外の感想が見つからないくらい、大人達のやることに興味はない。
でも、これはキミへのイタズラになり、イジワルにもなるんだ。だって、キミのお父さんは樹と月の域の総指揮、一番エライ人だから。
キミがお父さんについて興味がないほど、キミがお父さんの話を聞きたくないほど、あたしのイタズラは効果的になり、イジワルはキレを増す。
『では、次です。キミは、キミ自身のことについて、説明が必要ですか?』
小バカにしたような質問を、録画映像のあたしは平然と続ける。
「えーっ、いるはずないよ! そんなの」
キミは自分自身のことについて、きっとお父さんのこと以上に聞きたくないだろうから慌てて拒んだけれど、
『はい。では、ご説明しますね』
録画映像のあたしは、問答無用で続ける。
キミの背後まで3メートル。
想定通りの、まったく噛み合ってない会話が可笑しくて、あたしは布団の中で笑い声を堪えながら進軍を続けている。
ほら、今キミは大きくため息をついた。
ふふ。もう少しだけ。あたしに打たれるまでの我慢だから……ね?
『樹と月の域には、樹の根の作業員だけでなく、地上で活動する隊員も多く存在します。ほとんどは樹と月の域の安全性を証明するための、一般市民と何ら変わらない隊員達ですが、その中に紛れて、ごく限られた隊員のみで結成される特殊部隊が存在します。間接的な方法では対処しきれない事態を、直接的な手段を用いて対処する。あるいはその両方を用いて、強固なセキュリティを有する都市中枢を制圧する。彼らに与えられたコードネームは《キツツキ》。闇夜に潜み、死を呼ぶ鳥。キツツキは様々な重要任務を完遂させ、世界の操作体系をことごとく手中に収めていきました。樹と月の域の躍進は、キツツキの暗躍によるものといっても過言ではありません。そして、そのキツツキにキミが迎えられたのは、3年前のある日のこと。3年前、世界に大穴が空いたあの日。3年前、キミのお母さんと、キミの妹が殺されたあの日。キミは《暗殺者》になりました』
「そのことは言わないでよ、もう……」
キミは明らかに弱々しい口調で言った。あたしの説明が効いている証拠だ。
キミの背後まで2メートル。あたしが目的地に到達するまで、あと少し。
『では、あたしからの説明は次で最後です。地上で暗殺者として活動しているはずのキミが、どうして今樹の根に居て、このたびあたしの隣の部屋に収容されることになったのか、その理由について説明が必要ですか?』
「イワナイデクダサイ」
キミは諦め半分、無感情なロボットみたいに言ったけれど、
『はい。では、ご説明しますね』
録画映像のあたしの奥義、《鉄壁の営業スマイル》には敵いっこない。
『それは2か月前のことでした。キツツキにある任務が課せられました。E計画の阻止と、E研究の被験体の抹消ーーその任務遂行のため、キミは他のキツツキと合流、特別保護区域に指定されている梨山地区へと入りました。目的地は梨山地区北部、梨山学校の地下にある研究所。験体室のフロアを降りてさらに地下深く、低温保管庫の中に、E研究の被験体は全て眠らされている……はずでした。ところが。不測の事態が起きたのは、被験体の抹消を行いながら、保管庫の最奥まで進んだ時のことです。一面の暗闇の中で、スポットライトに照らされる一か所、そこに置かれた大きなショーケースの中に、一人の女の子は居ました。眠っているはずの女の子はどうしてか目を覚まし、簡易ベッドの上に座って、やってきたキツツキをーーキミをまっすぐ見つめています。
まるでキミが帰ってくるのを、ずっと待っていたかのように。
そしてその女の子こそがE計画の要。樹と月の域と、世界の存亡を握る最重要因子。女の子の験体ネームは《たまご》。そう、あたしです。あたしはキツツキが殺しに来ることを知っていました。キツツキが来るよりも前に、他の者が知らせに来ていたからです。樹の根第四枝部。その本当の姿はE計画を極秘に進める裏切りの根。その協力もあって、あたしは見事キツツキを返り討ちにし、捕虜として、キミをココに連行したのです!』
録画映像のあたしは語尾を強調して言い切ると、鼻を高く、誇らしげな表情を浮かべた。
よく間違えずに最初から最後まで言えたね、何百人の録画映像のあたし、本当にお疲れ様!……って言いたくなるくらい、何日かけて撮り直したか分からない。
別に少しくらい間違えてもいいのにって思われるかもしれないけれど、そうはいかない。
だって失敗した映像を使ったら、あたしの任務まで失敗しちゃいそうだもん。
『んで、その証拠がキミの右手首ーー』
録画映像のあたしは少し気が抜けたように付け加えると、キミを指差した。
キミの背後1メートル。
目的地に到達したあたしも進軍を止めると、布団をほんの少しだけ持ち上げて、隙間からキミの右手首を確認する。
さあ、次からはいよいよあたしの番。
名付けてこれは、前後からの《一人挟み撃ち作戦》だ。




