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『クローゼットを開けてみて』6

「ところでさ」

 キミの短い言葉に、あたしは一々どきんとする。

 一呼吸置いて、キミはあたしに聞いてきた。


「たまごちゃんは、あの時、僕に箱を開けて欲しかったの? それとも開けないで欲しかったの?」

 その問いかけは、あたしに重大な思考をもたらすことになる。


 ーーもしもあの時、キミが箱を開けないという選択を取れていたとしたら。


 一つ確実に分かることは、今、間違いなくキミはここにはいない。キミは都合良く病死か事故死をでっち上げられて、もうとっくに存在していない。


 そういう意味では「開けて欲しかった」って言えるのかもしれないけれど。


 キミが箱を開けたからあれから2年後、今から3年前の惨禍が起きたのも事実で、キミは世界中の人々の死と絶望を背負うことになった。


 だからどっちの行動をとったとしても、キミには最悪の未来しか待ってなかったわけだけれど。


 ……あたしにとっては、どうだったんだろう?


 もしキミがあたしの隣の部屋を出たまま、外の世界で死んでいたのなら。


 あたしは生きていけたのかな。いつかキミを忘れて、他の男の子を好きになって。

 あたしは生きていたかったのかな。キミとあたしの夢見た外の世界で、普通の女の子として。


 素直な気持ち。

 ……わからない。


 でもあたしは、とっくに気づいているはずだ。

 どのくらいキミを好きでも、どのくらいキミを大切に思っても、あたしのココロなんて、造られたものに過ぎないことを。


 あたしはあたしの意思を持たない。本物のココロなんてどこにもない。だから人形と同じ、ただの操り人形なんだ。


 もしも2か月前、キミがあたしのところに戻って来なかったのなら、そのことにも気づかないでいられたのに。《存在意義》なんて難しいこと、考えずに済んだのに。


 ……あたしは、キミに戻ってきて欲しくなかったのかな。

 ……ずっと片想いのままで、良かったのかな。


「……わかんない」

 そう答えると、胸に鋭い痛みが走った。

 本物のあたしなら「箱を開けて欲しかった」って言ってあげられたのかな。


 あたしと同じように、ううん、あたし以上に、生きている《理由》を追い求めているキミのために。


「まあ別にどっちでも良いんだけど。あれ? たまごちゃんなんか一段と沈んでない?」

 キミが変なことを聞いてきたせいでね。あたしにくよくよしてる時間なんてないのに。


「ほら元気出して。お父さんからの任務、まだ済んでないんでしょ?」

 余裕ぶって励ましてくる。キミの方がツライはずなのに。この任務であたしはキミを痛めつけようとしているのに。


「見るからに、アレ、だよね」

 キミは後ろのクローゼットを指差した。続けてキミは聞いてくる。あたしのために、言い方を変えて。


「じゃあ僕は、アレを開けてもいいのかな?」

「……うん」

 あたしはコクンとうなずいた。


 さらにキミは聞いてくる。わざわざ5年前の再現をするように、ちっぽけな乙女ゴコロを満たすために。


「それとも、一緒に開けてくれる?」

「……うん」

 あたしは今よりも大きくうなずいた。


 ☆★☆


 大きなクローゼットの前。見開きのノートと同じように、観音開きの扉の左側にキミが立って、あたしは右側に立つ。


 あたしは今キミと隣同士ならんでる。

 そんな実感が、鼓動のたびに込み上げる。

 いつの間にか、背、あたしよりも大きくなってたんだね。気づかなかった。


 それから真ん中に施された蝶結びの紐を一本ずつ持った。あたしは精一杯のイジワルでキミに聞いてみる。


「……あの時、箱を開けたこと、後悔してる?」

「ううん、全然」

 キミは見事に即答した。あたしには言えなかったのに。

 でも不思議と敗北感は無かった。どちらかと言うと、すっきりした気分。


 きっと今回はこれで良かったんだ。勝ち負けなんてない任務だったんだから。それに、あたしはキミのことを、改めて好きになれたと思うから。


「じゃあ『いちにー、の、さん! 』で一緒にね?」

 それでも負けず嫌いのあたしは、さっきの任務のときのキミの掛け声を真似て悪あがきをするけれど。


「じゃあ中身は、たまごちゃんのぱんつなの? どきどきしてきた」

 なんてキミは遠慮なしに言ってくる。


「な、な、な、も、もう、絶っ対! 二度とぱんつは見せてあげないんだから!」

 あたしが慌てて声をあげた、その時だった。

「しーっ」とキミが右手人差し指を口許に立てた。


「何か、聞こえない?」ーー。


 ☆★☆


 耳を澄ましてその音を聞く。それはまるで5年前の再現を後押しするような音だった。静かに、力強く、あたし達を応援してくれている。


 グーッ、グーッ。

 その音は目の前のクローゼットの中から聞こえてくる。


 グーッ、グーッ。

 まるで、あの式典の時の台車の音のよう。


 グーッ、グーッ。

 あたしにはその音が何かすぐに分かったけれど、もちろん予定外のものだった。

 でも、あたし以上に、キミは思いもよらない出来事に驚いている。


「さすがたまごちゃん、凝ってるね」

 キミが感心したように言った。


「キミなんかに、あたしのイタズラは見破れないんだから」

 あたしはふふんと胸を張った。


 またサボって、本当なら《報酬》は無し、って言いたいところだけど、今回は特別におまけもつけてあげようと思う。


「じゃあ、そーっと開けよう」

「うん」

 あたし達はどちらからともなく、同時に紐を引いて、同時に扉を開いた。


 中央の境界線は無くなって、クローゼットの中には一つの《世界》が広がっている。


 小さな小さな世界だけど、そこには色とりどりの風船が星みたいに浮いていて、色とりどりの旗が虹の橋を架けている。


 隅っこには白のワンピースを着た小さな女の子。女の子は淡いピンクの風船を大切そうに抱きかかえて、気持ち良さそうに眠っている。


「どんな夢見てるのかな?」

「ふふ、あたし達と同じかも」


 キミはしゃがんで、女の子の頭をそっと撫でる。あたしはそんなキミを暖かく思いながら、けれど、一方では冷静に勘ぐるんだ。


 2か月前の7月9日、キミがあたしのところに戻ってきた《本当の目的》を……。


 ☆★☆


 3年前の7月9日、帝都消滅の日。

 薬箱を中心とする未曾有の巨大爆発によって、数百万という人の命が一瞬にして失われた。


 そして2ヶ月前の、同じく7月9日。創立記念式典にかえて追悼式典が開催されるはずだった、あの日。


 式典に手向け花を添えるように、キツツキに課せられた任務は、世界に破滅をもたらす存在ーーあたしを含むE研究の被験体の抹消に違いなかったけれど。


 梨山学校の地下、あたし達が育てられた研究所の最下層にある保管庫の最奥、あの日、あたしのもとに戻ってきたキミがとった行動は、3年前の繰り返し。


 キミは他のキツツキを皆殺しにし、

 あたしの目の前で……XXX。


 ……ね、キミはやっぱり知っているの?


 創立記念式典の日にキミが出会った女の子。

 死んだはずの夏芽は、姿を変えて、今も《生きている》ということを。


 E計画の結末まで、あたしと、世界に残された時間は3ヶ月。

 タキシードの袖口から覗くキミの右手首には、一本のミサンガがきつく結ばれたままだった。


 そう、出会いと別れを宿す、運命の輪のように。

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