『クローゼットを開けてみて』5
ノートを開いて最初のページは空白。
次の左右見開きになったところから、5年前の創立記念式典は再現される。
始まりの場面は、朝、控え室。目を覚ましたキミに、美夏先生が声をかけるところから。
ページの左側には、キミと美夏先生の会話や行動、それに加えて周囲の状況などが事細かに記載されている。例えばその一部分。
色とりどりの花束で溢れ返った一室。
験体109(キミ)はそれらに怯えるように部屋の片隅に位置。
入室してきたM(ika)S(inme)から験体109へ。
『新しいお部屋の居心地はいかがかしら?』
験体109、反応せず。
『(無言)』
MS、験体109に歩み寄りそっと背中に手を置く。
MS、験体109の心を理解する優しい言葉をかける。
『怖がらないで。今日は何も話さなくていいから。今日からはあなたの《味方》で居てあげられるから』
験体109、MSに興味を抱く。
MS、験体109の心を揺さぶるように。
『世の中、無条件に要求を満たせると思ったら、大間違いなのよ』
験体109、不安そうに口を開く。
『どうすれば《味方》になってくれるの?』
概ね事実通り、何もおかしなところはないように思えるけれど、特異なのは、これらの記載された時期が、《キミが験体室を連れ出されるよりもずっと前》ということだ。
美夏先生は、この《E計画のほんの一部分》、キミと出会う場面が、どんなふうに進められるのかをあらかじめ知っていたから、用意された台本の通りこのお芝居を演じたということになる。
でも。
キミは台本を知らなかったにも関わらず、台本通りにお芝居を演じきったんだ。この場面に限らず、式典で予定されていた、全てのお芝居を。
もし何のタネも仕掛けもないのなら、宇宙創成、生命誕生レベルの奇跡が起きたとか、キミが魔法を使えるとしか思えない。
でも、そんなんじゃない。
キミは仕組まれていたんだ。用意された台本通りに答えて、用意された台本通りに行動するよう、その思考を。
ココロを形成する物質ーー《E》によって。
《E研究の被験体》。そう、あたし達は生まれながらに、ココロと運命までも仕組まれた存在。
今となって男の子としての生き残りは、キミだけになってしまったけれど。
女の子としての生き残りは、あたしだけになってしまったけれど。
そして3か月後の12月9日。E計画の結末とともに、あたしは死を迎える。最後はキミかあたしの、どちらかしか生き残ることができないから。
絶対に、あたしが《死ぬ》。
☆★☆
ページの左側に対して、見えない境界線を隔てて反対側、右側全体には《絵》が描かれている。左側の文章を読んで、一人の女の子が描いた絵。
いくつもの《感情》を生み出すように、いくつもの色彩の絵具で描かれたそれは、それが描かれた5年前のまま、今も色あせずに残っている。
絵を描いたのは、あたし。
5年前の式典当日、ううん、5年前キミが居なくなってから2か月前までずっと、あたしはキミの絵を描き続けた。
キミが何を考え、何を思ったのか、キミの《ココロ》を知りながら。
いつかキミが戻ってきた時のために。
☆★☆
「たまごちゃんの絵、懐かしいね」
シンと静まり返った室内。黙ってノートを読んでいたキミがふと言った。
キミは何気ない口調で思い出話をはじめる。
「たまごちゃん小さい頃から絵が上手で、験体室に来ては、色んな絵を描いて見せてくれたよね。泣くことしか知らなかった僕に、色んなことを教えてくれた。これでも感謝してるんだよ」
でも、あたしはそのことを後悔してるんだ。だってキミに夢と希望を抱かせることになったから。
「怖い絵で泣かされることも多かったけど、たまごちゃんが楽しそうに絵を描いてるところを見るの、結構好きだったんだよ」
別にキミにイジワルをするためだったんだから。そんな思考で恥ずかしさは薄れたとしても、もうあの頃には戻れないという事実は消えてくれない。
キミはページをめくった。
次は、部屋を出たキミが、ドレスを着た女の子と手を繋いで、真っ赤な絨毯の上を歩く場面。
キミが何かを言う前に、あたしは勇気を出して聞いてみる。
「……どうやって、手、繋いだの?」
「どうだっけ? そんなこと、もう忘れたよ」
「……赤い絨毯の意味、知ってたの?」
「なんだっけ?」
「……バカ」
キミの返答を聞いてあたしは少しホッとした。
キミがステージに飛び出す場面、キミが晴天を見上げてる場面、キミが樹と月の域次期総指揮に任命される場面。キミは淡々とページをめくっていく。
「途中で急に怖い絵とか、出てきたりするの?」
「……ううん、平気」
「たまごちゃん、昔もそうやって油断させておいて、騙してくれたよね」
「……騙してないもん」
キミは、あははって子供っぽく笑ったけれど、黙ったままのあたしの方が、なんかずっと子供っぽい。
夕焼け空を見上げるキミ、歯車の音色を聞くキミ、オーケストラに混じる不協和音に怯えるキミ。
キミはまた黙ってノートを読みはじめた。あたしはもう一回聞いてみる。今度は少しだけ、優しそうに言えるかな。
「……泣いちゃいそう?」
そしたらキミはあたしをからかうように言ってきた。
「たまごちゃんの方がよっぽど泣きそうなんだけど?」
「な、泣かないもん!」
あたしは思わず顔を上げて否定した。そしたらキミが待ち伏せしてて、あたしよりもずっと優しそうに言ったんだ。
「大丈夫、もう泣かないって決めたから」
あたしはまたしゅんってなって俯いた。
次の場面。キミはページをめくった途端に言った。
「ほら、やっぱり怖いのが出てきた。たまごちゃんのうそつき」
って、全然怖くなさそうに。
あたしは「知ってたくせに」ってつい言い返しそうになったけれど、今度は黙ってた。
ノートに描かれているのは、フード付きのコートで覆面した大人達、紫色の水玉模様のついた赤い箱、それらを先導する白衣姿の美夏先生。
あの時キミを怖がらせたのは箱の外装に違いないけれど、もし今、キミが本当に怖いと感じているのなら、その対象は別のモノになってると思う。
キミはノートを閉じた。
それから先は見るまでもないというように。




