夢と体、友は月へと去った
私は目が覚めた。
永遠に眠り続けるとばかり思っていたのに。どうして?
「君は月へ、行けない。」
どうしてなの?
地球滅亡の1週間前、月への逃亡計画がたてられ、そしてよく考えずに早々と実行された。
たくさんの、6人乗り逃亡ロケットが売られた。想像できる数の、数倍の量は売れた。
次々に月へと姿を消す友達を、私は見ていた。
当然私も、その後に続いて月へ発つのだと思っていた。家族とともに、月へ行くと。
両親、祖父母、可愛い妹と、飼い犬のカナデ。
そして私。
私はごく普通の-ほんの少し、不良な-高校生だった。
地球の破滅は、今からでは逃れられないらしい。
水星が何らかの経緯で太陽に近づき、最後には蒸発した。
そして次に、金星。
その次に火星。
ついに次は、地球だそうだ。
太陽はそこを動く気配もなく、まるでその光に魅せられたように惑星たちは引き寄せられ、あと1週間もすれば地球は飲み込まれる有様だ。
この世界は、水分となり、蒸発して、消える。
夜の明かりがなくなった。そのことに気づいた偉い人たちは、月を、置いて行かれたかわいそうな、運のいいそのかたまりを探した。その時月には既に、生物が生きられるだけの環境は整っていたらしい。
ガリレオのように空を見つめ続けて数日で、もともと地球が居た位置にそれは浮かび続けていると、つまり月は太陽へ近づいていない事が発見されて、
じゃあその安全な月に移住してしまおうとみんなが立ち上がった。
けれどロケットを受け取った時だった。
一人乗れない、どうする?なんて、家族は会議を始めた。
当たり前に、犬をここへ置いていくのだろうと、考えていた。
心のどこかで、生物は平等ではないと、人間が頂点に立っているのだと、思い込んでいたのかもしれない。私はひどく、絶望した。
だってみんなの目は私へ向くのだから。誰にしよう。どうしようか。そう言って、私を見るんだ。
私は今まで、もう少しすれば退学になりそうな、自らそれを望んでいるような生き方をしていた。
したくてしていたのではない。ただ、上手く生きられなかっただけだ。
両親は警察官で、祖父は教師で祖母は生け花の先生。近所からの信頼も厚い、由緒ある家系。らしい。
警察犬だったカナデは、今でも番犬として余生を謳歌している。家に入った空き巣を軽々捕まえるくらいには、役に立つ犬だ。
妹は私と比べれば優秀、ボランティアや校内行事に積極的に参加するし、好き嫌いなく物を食べるし・・・それに可愛い。決して美人ではないが、小柄で、顔も可愛いのだ。
置いていかれるくらいなら死んだ方がいいと手首を切ったのに、なぜだろう。
病院で目が覚めて、
そして、
今、
月へはいけないと分かったのだ。
「どうして!?なんで行けないの!?私だって生きてるのに!」
叫び喚き嘆いたけれど、偉い人たちはまったく取り合おうとしなかった。
「残酷なことだけどね、家族の決めたことに、政府は介入できないんだ。それに、もうみんな向こうへ行ってしまったし。残っている人間は君と、政府の僅かな下っ端と、君のように残された人達だけだ。」
「そんな・・・みんなはもう、行っちゃったの・・・本当にわたしを置いて、月へ?」
今まで生きてきた時間が、今ここであっけなく、終わろうとしている。
地球滅亡を目前とした世界は本当に静かで、誰も、笑っても、泣いてもいなかった。
目の前の大人は、その空間を汚すような声でしゃべりだす。
「夢と体、どちらかを売る気は無いかな?そして君自身の金で、ロケットの座席を買えばいい」
私の方を見ているわけでもない。
「え・・・」
理解できない。
体を売る?馬鹿げているにも程がある。
命の危機なのに。みんな、何もかも、消えてなくなるっていうのに。
ここで性を売れっていうのだろうか?人間は、そんなにも欲にまみれているのだろうか。
「月に行ったあと、人間の体液が必要になるかもしれないんだ。ただでさえ水分が足りない星だからね。だから、向こうへ連れて行った動物たちを絞った後に、必要かもしれない。まだそこは未知の段階だけれど、もしもそうなったらね、君のような人から順に、絞るのさ。わかるかい?体っていうのはそれだ」
意味が、よく、わからなかった。
絞る。その言葉から連想するのは、雑巾絞り、もしくは牛の乳絞りくらいだ。
雑巾みたいに、あの汚い汁を吐き出させるように、捻り、血を絞り出すのか。
それとも、ぎゅっと、圧をかけて、すべて吐き出させるのか。
目の前が暗くなった気がした。ここで死んだほうが、マシなんじゃないだろうか。
「それは・・・死に方を選べってことですか」
少しの間をおいて、言いづらそうな顔を作って、その大人は言った。
「少し違うが、まあ、そうなる。」
私は泣き崩れたかった。そしてもう一度この傷を開いて、今度こそ死んでしまおうと思った。
でもそうもいかなかった。
そうする前に後ろから羽交い絞めにされ、身動きを封じられる。
「・・・みんな、死ねばいいのに。」
呟いて、顔を伏せた。涙が出そうだ。こんな汚い大人に、涙を見せるものか。
「君は、月へ行くか?行かないのなら、ここで蒸発するのを待つだけだ。」
沈黙。
世界は今も、終わりに近づいて行っている。
実感もクソもないけれど、確かに、世界は、死んでいる。
「行くよ。月へ、行くよ。体でも何でも、売ってやるから」
そう言うと同時に後ろの大人は立ち上がり、背の低い私は吊り上げられた。
手前に立っていた大人に足を持ち上げられ、そのまま病室を後にした。
次に目が覚めたそこはロケットの中。体が椅子か何かに縛り付けられている。
これは夢だろう。ぼんやりとした意識の中、地球滅亡も夢ならいいのにと、何度も考えた。
「夢と体、どちらを売る?」
気づくと、目の前にはまた、あの男がいた。
「夢って、なんなの」
聞き返せば、片方の眉を不快そうに吊り上げて答えた。
「未来。将来を全て、国に捧げるんだ。」
察しろ、というように、ため息をつく。
現実のあの男よりも、胸がむかむかしてくる振る舞いだと思った。
「体は」
男を見ると、呆れた、とでも言いたげに喋る。
「説明しただろう。君の体を絞り、ただの水分になって、国を助けるのさ」
席を立った男は、私から見えない位置へ移動して、何か飲み物を飲んでいるようだった。
そういえば私も、喉が渇いた。お腹もすいたし、体は痛いし。
まるでちゃんと、生きているみたいだ。死を実感してから、こんなに生を感じることになるなんて。
「どっちも最低じゃないの」
「最低?体を売った場合は、いつかその時が来るまでは生活への制限は何もないんだ。夢を売れば、君は死ぬまで国に支配され、型に入れられたように生きていくけれど・・・今、君をこのまま外へ放り投げることもできるんだ。多少無理はあるけれどね、ここが底辺ではないんじゃないかい?」
「・・・あんたたちが、最低って言ったの」
目を逸らすと、外は宇宙。真っ暗の、海みたいだ。
デジタル時計でカウントされているのは、月への到着時間。
あと35時間。
「どうするんだ?どっちを売るんだ?」
「・・・夢、売るよ。」
男のニヤリとした笑顔を見て、夢ではないことを認めた。
私の人生は、これからだ、まだまだ終わる気配もない。
だったら生きてやる。
死ぬまで、生き抜いて、見返してやる。
それで、腐った人間たちに、刻み付けるんだ。
私はこれでも、お前らよりは幸せだと思うよ、なんて。
「私は月へ行く」
私は、生きるのが、少し下手なだけ。
そのまま生きて、死んでいくだけ。
誰からも覚えていてもらえないんだから。
そう思っていたのに。
どうしてこんなに、生きていたいの?
みたいな。