さよならの時が巡る
「おはよう、ベリオール」
教会の外の花に水を撒いていると、パンの籠を抱えた娘が顔を見せた。
「やぁ、アンジェ。早いね」
「そうよ。明日の冬星祭のために、準備することが沢山あるんですもの」
「あぁ。冬星祭は明日か」
「もう。ベリオールってば。この村で一番大切なお祭りじゃない」
呆れたように肩を竦めて、娘はパンの籠を押し付ける。
「明日、リースを売るのよ」
冬星祭は、一年のうちで一番長い夜のお祭りだ。
村の広場に人が溢れ、食物や魔除けのリースを売る店が立ち並ぶ。
「君の作るリースは綺麗だろうね」
「初めて作るから、解らないけど、でも一番綺麗にできたのは、貴方のために取っておくから、ちゃんと買いに来てね?」
僅かに首を傾げたアンジェに微かに笑うと、少し不満そうに彼女は頬を膨らめた。
「なぁに? もう誰かのところで買う約束しちゃったの?」
「してないよ」
「だったら。約束よ?」
「そうだね」
「じゃあ、準備があるから帰るわ」
にっこりと笑ったアンジェが踵を帰すのを見送って、口の中で小さく囁く。
「さよなら、アンジェ」
いつの間にか握りしめた水差しの中で、微かに水が音を立てた。
「よう、ベリオール」
教会の中に足を踏み入れると、その場に似合わない不遜な声が降ってくる。
「もう起きたのかい?」
「あぁ。明日が待ち遠しくてな」
重さも感じさせない風で、天井にほど近い十字架の上から床に飛び降りた少年は赤い瞳を細めて笑った。
「今年は誰だろうな」
「さあね」
「最近のお前はつまらないな。以前のように泣き叫ばれても、うっとおしいだけだが、これはこれでつまらない」
酷く大人びた様子で呟いて、少年は気づいたようにベリオールの手の中のパンの籠に目を落とす。
「食べるかい?」
「そんなもの、腹の足しにもならないさ」
「柔らかくて、美味しいと思うけどね」
「柔らかいってのは、女子供の肉のようなことを言うんだぜ?」
さらりと言ってのけて、少年は並んだ椅子の背もたれに寄り掛かると、ふわりと一つ欠伸を零した。
「村の様子は?」
「みな、明日の冬星祭の支度で忙しいよ」
「へぇ。そいつは結構だね」
皮肉そうに呟くと、少年はその視線を教会の天井に投げる。
「随分と古びたもんだな。お前が継いで、何年だ?」
「生憎と、まだ50年も経ってない」
「へぇ」
意味ありげに光った少年の瞳は、けれど先を促すこともなく少し埃のかかったパイプオルガンの上で止まった。
「おい、ベリオール」
「なに?」
「明日、俺が眠るとき、あれを弾けよ」
「オルガン?」
「あぁ。たまにはそれも良いだろう」
僅かに目を細めると、少年はくすりと笑う。
「鎮魂歌だ。何より冬星祭に相応しいさ」
冬星祭の本当の意味を知る者は、ベリオールの他にはこの少年しかいない。
その意味を知るころには、誰も彼も記憶を失ってしまうから。
冬星祭。
それはこの教会に、ある悪魔を封じるために交わされた約束。
毎年一人贄を捧げ、この村は生き延びている。
今から何年前の冬星祭の事だったのか。
この村は、原因不明の病魔で一夜にして滅びかけた。
それを取り戻すため、かつての司祭は禁忌と知って悪魔と契った。
祈っても、祈っても、神は助けてはくれなかったから。
時間を巻き戻した悪魔は言った。
毎年一人。
この村から見返りを得るかぎり時間は永遠にこのままだ、と。
それからこの村は、決して終わることのない一年を繰り返す。
司祭の跡を継いだただ一人を除いて。
村人を失いながら、巡り行く一年は一体どこまでつながっていくのだろうか。
決して進むことのない冬星祭。
いつか体に残された記憶がそれを上回る日が来たなら、その時はどうなるのだろう。
「なんだ、ベリオール」
「いや。いつかは終わりが来るだろうな、と思っていたんだ」
呆れたように目を細めて、少年は大人びた顔で笑う。
「当たり前だ。いつかは誰もいなくなるさ」
「その時はどうするんだい?」
「どうもしない。腹が減るまでゆっくり眠るさ。今までもそうやってくらしてきたんだ。これからも変わらないさ」
「そうか」
祭壇の下に仕舞われた、決して飾ることの許されないリースを握りしめてベリオールはもう一度、そうか。と呟いた。
それならばその時がくるまで、あのオルガンを奏で続けよう。
この村が今もまだ、此処にある証として。
終わりと始まりの夜が近づいていた。